2001/05/29 朝日新聞朝刊
「助太刀」論は危うい 集団的自衛権(社説)
論じることは大切だ。けれども問題提起のやり方がいかにも粗雑で、かえって議論を混乱させてはいないか。
「日本は憲法上、集団的自衛権の行使は禁じられている」としてきた政府の解釈に疑問を投げかけ、行使容認への転換を唱える小泉純一郎首相の対応のことである。
固い信念のようでありながら、記者会見や国会答弁での首相の発言を追うと、ふらつきが目立つ。自民党総裁選挙中には「改憲しないで(行使容認に)踏み出すことには賛成できない」と改憲を主張した。
ところが、その後は「政府の解釈を変えることも了とする」と解釈改憲に立場を修正した。そうかと思えば、「望ましい姿を言えば、誤解のない形で憲法改正の手続きを取った方が好ましい」と、改憲論に逆戻りしたかのような発言もする。
失礼ながら、集団的自衛権をめぐる論点が首相の頭の中できちんと整理されていないのでは、と思わざるをえない。
国会で個別的自衛権と集団的自衛権の違いをただされると、答弁は混乱した。「私よりはるかに詳しい」と、たびたび内閣法制局長官に答弁を振った。
方法論はどうあれ、集団的自衛権の行使容認に自らの政権のもとで道筋をつけておく。そこに首相の狙いがあるのだろう。自民党の国防部会などにも行使容認へ政府解釈を見直そうという動きが出ている。
タブーへの挑戦をいとわないのが小泉政権の看板ではあっても、それは違う。
日本近海で日米の艦船が共同行動中に米艦が攻撃を受けたとしても、従来の政府解釈に従えば自衛隊は手助けができない、と首相は言う。だからこそ集団的自衛権の行使容認を、という論法だ。
しかし、こうした議論は、いわゆるガイドライン関連法(周辺事態法)の国会審議の際にさんざん戦わされたことだ。
同法で定めた日本の任務とは、戦闘地域と一線を画する後方地域での米軍支援である。施行から2年足らずで、その根幹部分を変えなければならないほどの、どんな状況変化があったというのか。
集団的自衛権はあるが使えない、という政府解釈は単純明快とはいえない。けれども、そこには憲法9条のもとで許容される自衛力は、日本自身の自衛のために必要な最小限度の範囲にとどめるべきだ、とする戦後日本の国是が結実している。
例えば中国と台湾の緊張が軍事紛争に発展するような場合、米艦船が攻撃を受けたからといって自衛隊が出動できるだろうか。否である。対米配慮のあまり、首相や自民党が集団的自衛権の行使容認へ地ならしを急ぐのであれば短慮にすぎる。
ブッシュ米政権が展開しようとする新たなミサイル防衛網構想は、集団的自衛権行使の問題と密接に絡み、専守防衛に深刻な影を落としかねない。その点からも慎重のうえにも慎重な議論が欠かせない。
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