2001/05/02 朝日新聞朝刊
漂白する憲法調査会 審議期間、4分の1が終了(憲法を考える)
衆参両院に憲法調査会ができて1年4カ月。両院合わせて40回を超える開催を重ね、5年をめどとする調査期間の4分の1が過ぎた。議論が深まらないなか、地方公聴会が始まり、憲法改正に意欲的な小泉純一郎首相の登場という新たな局面も。調査会はどこへ向かうのか。
評論家の佐高信氏が「憲法9条に基づく平和主義は世界に誇るべき財産」と言えば、石原慎太郎東京都知事は「憲法を国会で否定してほしい」と切り捨てる。昨秋以降、衆参の憲法調査会には作家の小田実、曽野綾子、評論家の加藤周一、ジャーナリストの桜井よしこ、ソフトバンク社長の孫正義の各氏ら著名な参考人が続々登場し、持論を展開した。参考人として意見を述べた有識者は約50人に上る。
調査会は改憲案の提出はできないが、テーマを憲法に絞って論じ合う国会で初めての場だ。衆参とも月1、2回のペースで開かれ、5年をめどとしている調査終了時に報告書をまとめる。
衆院のテーマは「憲法の制定経緯」「戦後の違憲判決」と来て、今は「21世紀の日本のあるべき姿」。参院は「国のかたち」という総論から入り各論に移ったところだ。当初は「参院の独自性」にこだわった村上正邦会長(当時)主導で、憲法草案を作った連合国軍総司令部(GHQ)関係者らを招いたり、普段は後回しになる小政党議員の質疑を優先したり。だが当の会長がKSD事件で辞職後は停滞気味だ。
●党内不統一
今年2月の参院調査会で、自由党の平野貞夫氏がある成果を強調した。
「自由党と社民党といえば憲法では水と油と見られているが、同じ次元、方向で議論できると勉強になった」
といっても調査会の話ではない。昨年暮れ、「改憲」の小沢一郎自由党党首と「護憲」の土井たか子社民党党首が意見交換した場に同席した時の「裏話」だった。
表舞台である調査会で、党首クラスの発言はほとんどない。「憲法記念日記念」として衆院は4月下旬に各党議員による討論、参院では各党党首の意見表明を5月上旬に計画したが、自民党総裁選のあおりや各党首の多忙を理由に見送られた。
「改憲」「護憲」「論憲」と政党単位だけでなく、各党内でも意見がバラバラな実情を反映し、調査会での発言も党の方針か個人的意見かわかりにくい。調査会での意見交換を党内議論に反映させる努力も少なく、調査会−政党間で論議は絡み合わない。
部分的には共通の土俵もできつつある。長年の対立点だったGHQによる押しつけ憲法か否かについて「何らかの形で押しつけがあったが、基本理念は広く国民に定着した」との認識は、改憲派か護憲派かを問わず共有しつつある。「憲法が目指す理想と現実のかい離の存在」も共通認識になり、衆院はこの前提で日本の将来像をめぐる議論へコマを進めた。
ただ「かい離」を生んだ大きな要因である戦後政治の検証はなかなかテーマに上らない。議事運営も政治家同士の議論を避ける形で進んでおり、議論は深まっているとはいえない。衆院調査会の自民議員は「むやみに対立しないで憲法を論じるムードを大切にしたい」と話すが、共産、社民内には「議論が改憲への踏み台に利用されるだけ」との不信感も根強い。
●新政権余波
4月16日、仙台市での初めての地方公聴会。最後に中山太郎会長が傍聴人の意見を求めると「傍聴の手続きが煩雑。もっと開かれた調査会に」「国民と直接議論を深めてほしい」との要望が出た。
数日後の幹事懇談会では地方公聴会を各地で開催する方針を決めた。ただ、国民の意見を反映させるという本来の趣旨より、むしろ「改憲・護憲で単純に割り切れない国会の議論を国民に知ってもらう」が主な理由。陳述人に、9条を中心とする護憲論が予想以上に多く、委員の間には戸惑いが広がっていた。
衆院調査会の中山会長が思い描いていた「夏の参院選を経て安全保障などの各論に移る」というスケジュールもご破算に。政局混乱で憲法論議は深まらず「年明けから各論に」(自民党幹事)とずれ込みそうだ。
一方で、中山会長は首相公選制に限定した憲法改正や集団的自衛権の行使容認に言及している小泉純一郎首相を調査会に招く意向を表明した。新政権は憲法調査会にも波紋を広げそうだ。
(木之本敬介、藤田直央)
○過去の成果、土台にせず
「憲法改正はできるんだという方法論として首相公選はいいと思う。首相は国会議員だけが決める権利を持っている。これを一般国民に開放すれば比較的理解を得られるのではないか」
昨年5月11日、衆院憲法調査会。委員だった小泉純一郎首相は、戦力不保持を定めた憲法9条について「自衛隊すら合憲か違憲かわからないような表現は好ましくない」と批判したうえで、改憲の手段としての首相公選制を提案した。
当日のテーマは憲法制定過程に関する自由討議。昨年2月から4月にかけて5回の審議で、憲法学者や日本政治外交史などの専門家計10人から話を聞き、調査を終わろうとしていた。
小泉氏が調査会で発言したのはこの1回。制定過程とは関係のない主張を述べ、ほどなく退室した。
社会の根底のルールを定めた憲法を「広範かつ総合的に調査」するため、衆参両院に憲法調査会が設置されて1年余。が、小泉氏のこうした議論の仕方や姿勢は突出したものではない。
衆院50人、参院45人の委員全員がそろうことはまずなく、会議も半ばをすぎると早退が続出し、終盤は20人を切ることもあった。自分の質問にだけやってきて、終わるとすぐにさっさと帰る委員も少なくない。
居眠り、内職、私語。審議中に立って他の委員を渡り歩き、密談を繰り返すことも。毎回、傍聴を続けてきた国際経済研究所の高田健代表は「学級崩壊を議論する資格なし」と批判する。
制定過程の審議の中身はどうだったか。
50年代から60年代にかけて内閣に設置された憲法調査会の小委員会は、制定過程について膨大な報告書を残している。国内で延べ40人を超える参考人、海外調査で約30人の米国政府や元GHQ関係者らから意見を聞いて資料の提出を受け、まとめた。今も歴史的な文書として評価されている。
こうした過去の成果の上に、議論が積み上げられた形跡はない。昨年4月6日の調査会で、参考人の進藤栄一・筑波大教授は「議論の質が低すぎる。これは驚くべきものだ」と批判した。
やり玉の一つに挙がったのが参考人として呼ばれた憲法学者の発言。敗戦直後の世論調査で7割が戦争放棄を支持していたことを指摘されると、「戦争が終わったばかりで戦争を嫌がるのは、二日酔いで頭が痛いときに酒を飲まないのと一緒」と言い放った。
「最初の日本国憲法は聖徳太子の17条憲法」「憲法が自衛隊に違反している」など近代立憲主義も無視した放言が続出している。
天皇元首化、自衛軍の保持や国民の義務の明記、非常事態規定の創設、私学助成の違憲性など、確かに多様な論点が提出されているようには見える。が、これらの主張はこれまでも国会で取り上げられ、政府見解も出されてきた。その意味で改憲論議は、一部委員が主張するような「タブー」だったわけではない。
同じ主張を繰り返すのなら、過去の国会論議や戦後の憲法学の成果をふまえ、それを乗り越える論理がなければならない。今後の個別課題の審議の中で論議の深化はぜひとも必要だ。
環境権や知る権利などの「新しい人権」を盛り込むべきだという委員は多いが、これらの権利は具体的な法律や裁判を通し、憲法の理念を生活に生かそうとする市民の努力の中で実現される。こうした権利の実現に、改憲論者がどう取り組んでいるか、どう取り組んできたかが問われている。
先月16日、初の地方公聴会が仙台で開かれた。
自ら「調査会に入って初めて憲法を本格的に読んだ」と吐露した委員が、地域で憲法の勉強会を重ねてきた、一般公募の意見陳述人に対して「まず憲法をよく読んでいただきたい」と説教した。この「自信」は果たしてどこから来るのか。
(本田雅和、豊秀一)
<憲法調査会の主な活動>
2000年 |
1月 |
衆参両院に憲法調査会設置 |
2月 |
「日本国憲法の制定経緯」議論開始(衆) |
4月 |
大学生ら20人と意見交換(参) |
5月 |
GHQ関係者招き憲法制定過程の質疑(参) |
「戦後の主な違憲判決」で最高裁事務総局に質疑(衆) |
9月 |
ドイツ、スイス、イタリア、フランスの憲法事情視察(衆) |
「21世紀の日本のあるべき姿」議論開始(衆) |
11月 |
石原慎太郎東京都知事を参考人に招く(衆) |
2001年 |
1月 |
米国の憲法事情視察(参) |
3月 |
「国民主権と国の機構」議論開始、各論に入る(参) |
4月 |
仙台市で初の地方公聴会開催(衆) |
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