2000/05/31 朝日新聞朝刊
憲法論議、なお手探り 憲法調査会の論点・課題検証
今年一月、国会に初めて設置された衆参両院の憲法調査会は、六月の衆院解散・総選挙を控え、五月までの調査会で「第一段階」を終える見通しだ。しかし、調査会の論議は今のところ、制定過程が中心で各政党とも手探りの状態が続いている。二十一世紀の日本のあるべき姿や国民との関係は、まだ見えてこない。調査会の審議で浮かび上がった主な論点と課題を検証した。
●制定過程:「押しつけ論」から「国のかたち論」へ
平沼赳夫氏(自民):「占領を円滑にするために押しつけられた。我々自身の手で憲法を作っていくという基本姿勢が必要だ」
鹿野道彦氏(民主):「押しつけが何であるかより、これからどうあるべきかという視点に立って進んでいくべきだ」
(五月十一日、衆院の調査会で)
憲法制定過程は、過去の憲法論議の場でも大きな争点になってきた。
日本国憲法は連合国軍総指令部(GHQ)による「押しつけ」であり、自主憲法を制定すべきだ――。こうした「押しつけ論」は自民党など改憲勢力から繰り返され、九条などを改正する根拠とされた。一方、旧社会党などの護憲勢力は「憲法は国民から圧倒的に支持された」「議会でマッカーサー草案は修正されている」などとして「押しつけ」を否定してきた。
一九五七年に設置された内閣の憲法調査会は「押しつけ」について「事情は決して単純ではない」とするにとどめたが、委員間では、制定過程への評価が改正の是非にほぼ直結。「押しつけ」を認めたうえで改正に反対したのは、家族法学者の中川善之助氏らごく少数に限られていた。
しかし、今回の調査会では、こうした構図に変化も見られた。
まず、改憲にくみしない参考人からも「制定過程に威圧的な側面があったことは否定できない」(古関彰一・独協大教授)などの考えが相次いで示され、何らかの形で「押しつけ」があったとの認識で与野党がほぼ一致した。
さらに特徴的なのは、それにもかかわらず、「日本の、日本人による、日本人のための憲法をつくる道を堂々と歩んでいきたい」(保守党の中村鋭一氏)といった復古的な改憲論は広がりを見せなかったことだ。
むしろ改憲を主張する参考人や若手議員からは「出生の事情にかかわらず、憲法は国民に受け入れられ、定着している」(改革クラブの石田勝之氏)、「そろそろ押しつけ論から離れて、生活に役立つ憲法改正という現実論に立つべきだ」(自民党の船田元氏)などと、二十一世紀の「新しい国のかたち」を見据えた改憲論を展開すべきだとの意見が目立った。
内閣の調査会でも改憲派の一部からは「改正の要否は憲法の内容と運用の実際をみて決めるべきだ」(井出一太郎氏)との意見は出ていたが、改憲論の中身が「押しつけ論」から「国のかたち論」に比重が移ってきている背景には「押しつけ論のような感情論から議論を始めても国民の支持は得られない」(民主党の島聡氏)との判断がある。
ただ、「国のかたち論」の多くが、九条改正を視野にいれている。世論調査では、九条堅持を求める意見が多いだけに、今後の議論が注目される。
一方、「押しつけ論」が九条改正に焦点を当てていることから、共産党は護憲の立場から「米政府は憲法制定から一年後に日本の再軍備を検討していた。改憲論こそ米国からの押しつけだ」(佐々木陸海氏)と主張した。
●九条 集団自衛権が焦点、二項改正論も浮上
前原誠司氏(民主):「日米安保条約そのものが立派な集団的自衛権の行使だ。個別、集団の違いはないという考えに立ち、自衛権をしっかり明記すべきだ」
船田元氏(自民):「国民の間で集団的自衛権の行使まで認めるとのコンセンサスを得るには相当時間がかかる。ひとまず集団的安全保障の概念を認めるかどうかの議論でとどめるべきだ」
(五月十一日、衆院の調査会で)
戦後、九条をめぐる論議は長らく「自衛隊は合憲か違憲か」が焦点だった。しかし、一九九四年、旧社会党が村山富市政権の発足で自衛隊合憲を容認。それ以降は湾岸戦争の際に提起された安全保障面での国際貢献という観点から、自衛隊の海外派遣や武力行使の是非といった議論が中心になっている。内閣の憲法調査会報告書が「九条を防衛体制の現実に合わせる方向において改正すべきか、現実の防衛体制をできる限り九条に合致させるべきであるかに主張が分かれていた」とした当時とは隔世の感がある。
今回の調査会で議論の中心になったのは、まず集団的自衛権の扱いだ。現在の政府解釈では、九条は集団的自衛権の行使を認めていない。海外での自衛隊の業務は国連平和維持活動(PKO)などに限られているため、武力行使にも踏み込んだ活動が行えるように集団的自衛権の行使を認める方向で改正すべきだという議論が出ている。
前原氏の主張は、九条で自衛権の保持を示すことで集団的自衛権を認めるべきだとの内容。一方、船田氏は国連中心の安全保障活動で国際貢献に道を開くべきだとする。とはいえ、こうした議論に、護憲派からは「共通の安全保障構想の議論を先行させるべきだ」(社民党の伊藤茂氏)などの意見も相次いでいる。
葉梨信行氏(自民):「国連憲章五一条は加盟国に集団的自衛権を認めている。九条二項の改正が必要なのは自明の理だ」
(五月十一日、衆院の調査会で)
九条のどの部分を改正するかでは、一項はそのまま残し、二項の改正や削除を求める意見も目立った。一項は二八年に締結された不戦条約を受け継ぐ内容で、多くの国の憲法でうたわれているが、二項は日本独自の内容で、自衛のための戦争も禁じているとも読みとれるからだ。
九条に対しては「素直にだれが読んでも軍隊を持つのは当然だ、軍隊が平和主義を害するものではない、とわかる形で表現した方がいい」(自民党の小泉純一郎氏)との意見も根強い。
一方、九条堅持を掲げる公明党の平田米男氏は「GHQも自衛のための戦争、そのための戦力保持の可能性を認めていた。九条解釈のあるべき姿を原点に戻って考える必要がある」として、二項の解釈を見直したうえ、条文そのものは守るべきだと主張した。
安全保障や国際貢献のあり方は、まさに「国のかたち」に直結する問題だ。今後は各政党レベルで議論を煮詰める必要がある。
●新しい人権:環境権・知る権利など、位置づけをめぐり議論
中島真人氏(自民):「憲法と現実がかい離している問題がある。環境権などにどう対応するのか」
福島瑞穂氏(社民):「憲法が環境権の主張の足を引っ張ったという話は聞いたことがない」
(三月三日、参院の調査会で)
環境権やプライバシーの権利、知る権利など、現行憲法制定時には想定されていなかった「新しい人権」について、調査会では、自民党などのほか、民主、公明両党の一部も、明確に憲法上の規定として位置づけるよう改正すべきだとの考えを示した。
憲法の基本原則である基本的人権の尊重は、各党とも一致している。だが、新しい人権を理由にした憲法改正について、護憲派には「九条改正のためのイチジクの葉」との見方が強い。
共産、社民両党は「現行の一三条(幸福追求権)や二一条(表現の自由)の解釈、新しい法律の制定で十分対応できる」と反論。政府がこれらの人権を具体化する政策に消極的だったことから「環境権や知る権利が憲法を変える入り口として叫ばれていることに、ある種のこっけいさを感じる」(共産党の春名なお章氏)と強調している。
一方、人権規定全体に関連して「憲法には自由や権利の規定は多いが、義務や責任に対する規定が甘い」(自民党の高市早苗氏)との批判が改憲派から提起された。続発する少年事件と関連づけた主張も増えている。
実は「権利と義務」の問題は、内閣の憲法調査会の報告書では「現憲法は国家に対して個人の権利と自由を主張する十八−十九世紀の自由国家の思想が強く、二十世紀の現代福祉国家に反する」として改正を求める意見と、「日本で一番欠けているのは人権を尊重する観念で、権利と自由を強調することは時代遅れではない。福祉国家の原理とも矛盾しない」として改正を否定する意見の両方を併記している。
今回、そこまで深い分析はないが、「憲法の本来の定義は公権力の行使を制限するルール。この点で共通認識を持てるかどうかを議論すべきだ」(民主党の枝野幸男氏)との意見もある。人権を制限する「公共の福祉」の解釈を含めて、今後の課題となりそうだ。
●首相公選制 理解得やすいが、導入は慎重姿勢
島聡氏(民主):「直接国民が首相を選んで、その首相が迅速なリーダーシップで政治行政を展開する形をとらない限り、二十一世紀を乗り越えられなくなる」
(四月二十七日、衆院の調査会で)
首相公選制を導入する憲法改正論は、内閣の憲法調査会でも中曽根康弘氏らによって展開された。中曽根氏らは(1)首相を国民が直接選ぶことで、自己の命運を握る政府を作る自由を国民に与える(2)議院内閣制の弊害である「派閥政治」をなくす、などを導入理由としていた。三十年以上たった今回も、国民の政治不信を解消する「切り札」として取り上げられている。
ただ、内閣の調査会では「議院内閣制の弊害は、政党や政治家の態度が改められない限り変わらない」などと、反対が多数を占めた。現在の政界では、民主党の鳩山由紀夫代表が積極的な姿勢を示しているが、かつては前向きだった自民党の山崎拓氏も最近は「人気投票になる恐れがある」として慎重な姿勢に転じている。自由党の小沢一郎党首も昨年発表した論文で「公選された首相が元首となると、天皇の位置づけが難しくなる」と否定的だ。
改憲派には「国民から比較的理解が得られやすい問題。憲法改正の具体的方法論として取り上げてはどうか」(自民党の小泉純一郎氏)との期待感はあるものの、改憲論議の「鬼っ子」になる可能性もありそうだ。
●期間5年間:「早期に改正案」の意見、「調査十分に」とクギも
中曽根康弘氏(自民):「調査会は発議権はないが、改正案を作ることはできる。三年ぐらいで論憲は終え、各党が改正試案を出す原動力になっていくべきだ」
伊藤茂氏(社民)「条文の議論の前に、まず積極的な新世紀へのビジョン論争が必要だ。三年後に改憲草案の提起などは、調査会設置の趣旨からも筋違いだ」
(四月二十七日、衆院の調査会で)
調査会の運営方法は、衆院は幹事会で、参院は運営検討委員会を中心に協議している。五年間とされる調査期間をどうするかは、六月に衆院解散・総選挙を控えているため、衆参両院とも煮詰まった論議をしていない。
今のところ、改憲をめざす自民、保守、自由の各党からは、五年間にこだわらずに調査を終え、早期に改正試案の作成を進めるべきだとの意見が目立つ。保守党の野田毅氏は「調査から三年目に新しい憲法の概要を示し、五年目には制定を図るべきだ」と主張した。参院では、自民党の小山孝雄氏が「来年の通常国会終了時を一つのめどにして第一次の中間報告を出すべきだ」と強調した。
論憲の民主、公明両党と護憲の共産、社民両党は、こうした改憲派の言動にブレーキをかける。公明党の太田昭宏氏は「条文の検討なら二年でできるが、日本という国をどうしていくのかという論議には五年は必要だ」。共産党の東中光雄氏は「調査会の目的は、憲法を徹底的に調査すること。これから新しい憲法をつくる、そういうシンポジウムみたいな気楽なことを言われては困る」とクギをさした。
結局、総選挙後の衆院の勢力がどうなるかによって調査会の今後の運びは決まりそうだ。
この特集は、政治部・中西豊樹、磯貝秀俊が担当しました。
◆憲法調査会の経緯
【衆院】 |
1・20 |
会長に中山太郎氏を選出 |
2・17 |
自民、民主、公明・改革ク、自由、共産、社民・市民連合の6会派代表から意見聴取 |
2・24 |
憲法制定過程に関する1回目の参考人質疑(西修・駒沢大教授、青山武憲・日大教授) |
3・9 |
2回目の参考人質疑(古関彰一・独協大教授、村田晃嗣・広島大助教授) |
3・23 |
3回目の参考人質疑(長谷川正安・名古屋大名誉教授、高橋正俊・香川大教授) |
4・6 |
4回目の参考人質疑(北岡伸一・東大教授、進藤栄一・筑波大教授) |
4・20 |
5回目の参考人質疑(五百旗頭真・神戸大大学院教授、天川晃・横浜国大大学院教授) |
4・27 |
委員による自由討論 |
5・11 |
憲法制定過程に関する委員の総括討論 |
5・25 |
過去の違憲判決などについて最高裁事務局から説明を受ける |
【参院】 |
1・20 |
会長に村上正邦氏を選出 |
2・16 |
委員による自由討論 |
3・3 |
委員による自由討論 |
3・22 |
参考人質疑(西尾幹二・電気通信大教授、正村公宏・専修大教授) |
4・5 |
「学生とともに語る憲法調査会」で、大学生20人から意見聴取 |
4・19 |
委員による自由討論 |
5・2 |
憲法草案作成にかかわった元GHQ職員2人から意見聴取 |
5・17 |
参考人質疑(石毛直道・国立民族学博物館長、暉峻淑子・埼玉大名誉教授) |
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<内閣の憲法調査会>
岸信介政権の一九五七年に設置された。憲法調査会法で、憲法及び憲法に関係する問題を検討、調査するとされ、六四年に改正の是非を両論併記した報告書を内閣と国会に提出した。委員は内閣が国会議員と学識経験者から任命。旧社会党などは「憲法改正が目的だ」などと批判して参加をボイコットした。会長は英米法が専門の高柳賢三氏。総会を百三十一回開いたほか、委員会や部会などの会議は三百十九回に及んだ。
<憲法調査会>
憲法を広く、総合的に調査するため、国会法を改正し、今年の通常国会から衆参両院に設置された。議案提出権はなく、調査会での結論が憲法改正に直結することはないが、国会に憲法を専門に議論する場が設けられたのは初めて。衆院は定数五十人、会長は自民党の中山太郎元外相。参院は定数四十五人、会長は自民党の村上正邦参院議員会長。与野党の申し合わせなどで調査期間は五年をめどとし、議長に報告書を提出する。
<集団的自衛権>
自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃に対し、自国が攻撃されていないにもかかわらず実力をもって阻止する権利。国連憲章五一条で各国に認められている。日本の場合、九条のもとで認められる自衛権の行使は自衛のための必要最小限度の範囲とされているため、集団的自衛権の行使はそれを超えるため許されないというのが政府解釈。つまり、主権国家として集団的自衛権を持っているが、その行使はできない、というのが現状だ。
<集団的安全保障>
紛争が起こった際の武力行使を禁止し、平和的に解決すべきことをあらかじめ国際的に定めた上で、それに違反した国が現れた時には国際社会が一致して制裁を加えて平和を回復する仕組み。集団的自衛権と違い、国際協調をうたった憲法前文の精神に合致しているとして、湾岸戦争以降の国際貢献論争のなかで提起された。政府解釈では、自衛隊の海外での武力行使はもちろん、他国の武力行使と一体化する活動も九条の制約があり許されない、としている。
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