1999/07/30 朝日新聞朝刊
論議をするからには 憲法調査会(社説)
衆参両院に憲法調査会が設置されることになった。日本国憲法についての「広範かつ総合的な調査」を目的とし、来年の通常国会から始動する。
国会議員が憲法と常に向き合い、その理念の具体化、実質化に努めるのは当然のことである。「護憲」対「改憲」という対立構図の変化を物語ってもいよう。
けれども、ことは国家の根本規範にかかわる。いま、なぜ憲法を調査するのか、をわかりやすく国民に説明する必要がある。国会論議はいかにも不十分だった。
調査会は議案提出権を持たない。報告書を作成し、両院の議長に提出して、活動を終えると規定されている。
とはいえ、憲法改正の発議権を持つ国会の正式機関である。その報告書である以上、影響は小さくない。
議員には、上滑りではなく、腰を据えた議論を展開していく責任がある。
調査会は、憲法が五十年あまりにわたって果たしてきた役割を正確に把握し、その意義を確認することから出発すべきだ。
憲法が掲げる国民主権、基本的人権、平和主義の三本の柱は、人類が長い歴史のなかで勝ち取った恒久的な価値である。一時の政治的な変動によって変更することを許されない普遍的な原理といえる。
これらによってこそ、戦後の平和と繁栄、自由と安定は支えられてきた。二十一世紀への指針としての意味も大きい。
現行憲法の限界を指摘することに力を入れるあまり、憲法に秘められた可能性の追求をおろそかにしてはなるまい。
調査会の論議では、専守防衛を掲げた九条の評価が大きな焦点になるだろう。
一国だけで安全保障を構想できる時代はとうに終わっている。日本は多角的な信頼の秩序を探りながら、国際社会で生きていくしかない。世界の流れに反して、強い国家をめざすような愚は避けるべきだ。
憲法の問題点として、「知る権利」や環境権、プライバシー権などが明記されていないことを挙げる向きが少なくない。
条文に文言がないことが、これらの権利の実現を阻んでいるのだろうか。憲法が表現の自由や幸福追求権をうたっているのに、十分な立法措置を講じてこなかった国会の方に問題があったのではないか。
統治機構についても、議院内閣制や二院制、内閣機能の強化、司法改革、地方自治など多岐にわたる論点がある。目先の対応ではなく、将来の世代に責任を持てるような射程の長い議論が求められる。
会議は原則公開とされる一方で、決議により非公開にもできると定められた。
衆院議院運営委員会の小委員会では、「天皇や宗教上の問題などについては、議員だけで話をすることもあり得る」「秘密会ならば会議録が残らないので、自由な議論ができる」との発言があった。
国会議員が有権者の目の届かないところで、国家の基本を論じるようなことがあってはならない。公開を貫くべきだ。
公聴会や参考人聴取を活用することも大切である。憲法学者や政治学者を含め、多様な意見に耳を傾けてもらいたい。
学者や経済人、ジャーナリストらでつくる民間政治臨調が、「二十一世紀臨調」に衣替えした。「二十一世紀日本の国家像の選択」に向けて、戦後憲法体制の包括的検証に踏み込んだ議論を推進するという。
せいてはことを仕損ずる。国会も民間も地に足をつけた取り組みが望まれる。
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