1996/10/31 朝日新聞朝刊
経済界も幅広い視野で 「憲法公布50年」(社説)
戦後の日本は、ひたすら経済成長優先のレールの上を走ってきた。憲法の平和主義の最大の受益者だったともいえる経済界にとって、憲法は長い間、関心の高いテーマではなかった。
それが、一九九〇年代に入って変わった。経済同友会や関西経済同友会などが、相次いで憲法の見直しを求める提言や報告書を発表した。改憲を唱える一部ジャーナリズムに呼応するかのように、集団的自衛権をはじめとした安全保障の幅広い問題について「タブー視することなく論議を深めよう」などと呼びかけたのである。
その背景は、何だったのだろうか。
一つには、海外に膨大な資産を積み上げた経済大国として、それを守る手立てを考えなければならないとする立場がある。憲法が抑えてきた集団的自衛権の行使や、海外での自衛隊の活動を求める動きが出てきたのはその表れだ。
湾岸戦争が、それに弾みをつけた。海外の資源に多くを頼る日本が、その輸送路の確保などを外国にゆだねていることの不安を目のあたりにしたのである。経済の国際化が、他国の紛争に巻き込まれる危険をはらむことを、身をもって知らされた。
大国として相応の国際貢献を果たすべきだとする主張が、全体を包みこんだ。経済同友会が九一年秋に出した報告書「日本の進路」は「世界の平和維持のために、単にカネだけを出すのではなく、諸外国とともに直接汗を流す必要がある」と書いた。
いま、ひところのような熱に浮かされた憲法見直し論義は収まっている。
経済同友会の安全保障問題調査会は、今年四月にまとめた報告書でも、改憲問題について国民的議論を呼びかけた。しかし、「憲法論議にはかなりの時間が必要だ」とし、踏み込んだ議論は展開していない。
経済界の利益といっても、規模や業種、海外とのかかわりは様々で、利害も一様であるはずはない。
九三年四月、自民党の憲法調査会に出席した経団連の三好正也事務総長は、加盟企業の経営者二百五人を対象に憲法改正の是非をたずねた調査の結果を紹介した。
九条に限った問いではなかったが、「改正すべきだ」と「今は改正の必要がない」が、ともに四五・九%で並んだ。
三好氏は「改憲の是非は意見が二分している」と指摘した。憲法観は、防衛産業も含む大手企業一千社が名を連ねる経団連でさえ、一枚岩というにはほど遠いのだ。
政治の流動化の中で、財界が献金を通じて政治に影響力を及ぼすようなやり方は行き詰まりをみせている。それもあってか、経団連をはじめとする経済団体は、政策の提言力を高めることで存在感を示そうとしているようだ。そのなかで憲法や九条が論じられるのは当然だろう。
ならば、例えば、冷戦後も「武器輸出三原則」の緩和を求めてきた姿勢を再検討してみてはどうか。兵器禁輸策が、日本の国際的な信頼を高めるのにどの程度役立ってきたか、武器貿易をどれだけ抑制してきたか、なども検証してみることだ。
経済界には、これまでの枠組みに安住していては国際的な大競争時代を乗りきれまい、という危機感が広がっている。この国の戦後をつくってきた、あらゆる制度が見直しの時期を迎えていることは確かだ。
憲法もその論議にさらされよう。しかし、その際は、国民の憲法観や、日本を見つめるアジアの目などを踏まえ、なにが日本経済の本当の利益にかなうかを、幅広い視野で考えなければなるまい。
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