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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1995/09/30 朝日新聞朝刊
戦後日本の原点、民主主義手探り 憲法改正芦田小委の秘密議事録公開
 
 「DIGNITY」は「威厳」か「権威」か「尊厳」か――。衆院が二十九日に公開した「帝国憲法改正小委員会秘密議事録」からは、連合国軍総司令部(GHQ)によって英文でつくられた「米国製」憲法を、日本人のものにしていく苦闘の跡が見られた。延々と繰り広げられる前文の翻訳論議、生存権など社会的経済的な諸権利を盛り込むよう粘り強く主張した社会党。一方でGHQの意向を受け、即座にまとまった修正もある。第九条や皇室財産の帰属を巡る論議などでは、計六回にわたり速記が中止された。GHQへの英文の報告では削除されていた部分も明らかになった。戦後日本の原点とも言える憲法。その生々しい制定をめぐる論議を再現した。
 
○憲法を論じ合った14人の委員
 芦田均(あしだ・ひとし)(自由党)外交官出身。48年首相になるが、昭電疑獄に連座、後に無罪確定。
 北れい吉(きた・れいきち)(自由党)早大講師などを経て政界に。2.26事件で処刑された思想家の北一輝は実兄。
 犬養健(いぬかい・たける)(進歩党)犬養毅元首相の次男。吉田内閣法相の時、造船疑獄で指揮権を発動し辞任。
 鈴木義男(すずき・よしお)(社会党)弁護士。東北帝大教授。片山内閣で司法相、芦田内閣で法務総裁。
 森戸辰男(もりと・たつお)(社会党)東京帝大助教授時代の論文が危険思想として有罪判決を受ける(森戸事件)。党内右派の理論家。片山、芦田内閣で文相。
 西尾末広(にしお・すえひろ)(社会党)労働運動から政界入り。片山内閣の官房長官。昭電疑獄で逮捕されるが無罪確定。民社党初代委員長。
 江藤夏雄(えとう・なつお)(自由党)満州国官吏。明治維新の政治家、江藤新平の孫。
 高橋泰雄(たかはし・やすお)(自由党)弁護士。埼玉県議。浦和市長。
 廿日出厖(はつかで・ひろし)(自由党)私立学校経営者。
 原夫次郎(はら・ふじろう)(進歩党)フランスで法律を勉強。弁護士。
 吉田安(よしだ・あん)(進歩党)弁護士。熊本県議。
 林平馬(はやし・へいま)(協同民主党)事業家。片山内閣の国務相
 大島多蔵(おおしま・たぞう)(新政会)佐賀県の中学教諭から政界に転身。
 笠井重治(かさい・じゅうじ)(無所属倶楽部)シカゴ大、ハーバード大学院修了。出版業。
 
【政府側出席者】
 金森徳次郎(かなもり・とくじろう) 憲法問題担当国務相
 佐藤達夫(さとう・たつお) 法制局次長
 
●GHQが押す「国民主権」 「連合国モ納得」と説明
 明治憲法の天皇主権から国民主権へ、政治の原理は大きく変貌(へんぼう)を遂げた。しかし、天皇の地位や国民主権をめぐる論議のなかに、人々の戸惑いとGHQの色濃い影が読み取れる。
 「『主権が国民に存することを宣言』スル、斯ウスレバ連合国ナドモ相当ニ納得シハシナイカ」。七月二十五日の第一回小委員会で、憲法前文について自由、進歩両党共同修正案を提案した北委員は説明のなかでこう語った。
 実は、GHQ案で「主権(SOVEREIGNTY)」がうたわれた部分は、政府案で「国民の総意が至高であることを宣言し」とされたため、「国民主権の意味があいまいだ」と批判がでていた。しかし、政府が修正しようとしなかったため、小委員会の直前に、マッカーサーが政府案の変更を迫っていた。北発言からみると、保守二党は政府の意を受け「国民主権」を修正の形で受け入れたようだ。
 「象徴」となった天皇の権限(国事行為)では、国会召集、衆院解散などをめぐってもめた。社会党は「責任ノ帰属ヲ明カニスル為ニモ内閣の任務ニ」と要求したが、芦田委員長が「総理大臣ガ来テ、今オ前達ニ解散ヲ命ズルト言フヨリハ、詔勅ガ下リマシタト言ッテ解散ト言ハレタ方ガ、神気荘厳デイイ」と反論し、原案通りに。
 逆に、皇室財産については、自由、進歩、協同各党などが「皇室財産から生ずる収益は、すべて国庫に」という条文を削るよう求めたのに対し、社会党が「皇室ノ財産モ硝子箱ノ中ニ入レルコトガ正シイ」などと反論していた。ところが、八月十六日の第十二回小委員会になって、突如、修正要求が取り下げられた。
 金森徳次郎大臣は「政府ノ方ニ極ク内密ニ働キカケテ来ラレタ」と、「財政面からの皇室の民主化」を狙うGHQが、修正案を拒否したことを認めた。
 「民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障害の除去」を求めたポツダム宣言に従い、GHQは皇室の特権にかかわる部分には、厳しい姿勢を貫いたようだ。
 
●全員男性、「男女平等」に四苦八苦 「差別アル平等デス」
 敗戦直後の日本に、「人権」は新しい概念として登場した。「男女平等」は、その柱の一つだ。新憲法は二四条で、家族に関する法律は「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して」制定することを義務づけた。
 しかし、旧体制からの脱皮は、すんなりいったわけではない。「男女は本質的に平等と言えるのか」。条文をめぐり、小委員会ではそんな議論が白熱した。
 北委員「(ドイツの哲学者の言を引いて)性的ニ堕落スル女ハ全人格ガ堕落シ易イ、男ハ性的生活ハ末梢(まっしょう)的生活デアル、性的ニ少々汚レテ居ツテモ人格ハ堕落シテオラヌ、例ヘバ伊藤(博文)公ノ如キハ女道楽ヲシタガ人格ハ立派デアツタ」
 森戸委員「性生活ガ中心デ男ト非常ニ違フト云フコトハ其ノ通リ」
 第四回委員会では、こんなやりとりの末、大勢が「男女は本質的に平等ではない」に傾いていく。芦田委員長は「基本的平等」としてはどうか、と提案。しかし、単に「両性の平等」でいいとする意見も出て、折り合いがつかない。第七回委員会に持ち越されたが、結局は「『本質的平等』ト云フノハ、差別アル平等ト云フ意味デス、ダカラ最モ良イ言葉ナンデスヨ」(鈴木委員)。
 こうした議論も、当時は驚くには当たらなかった。
 「男女の平等なんて、そんな意識はまだとてもとても」。加藤シヅエさん(九八)は、苦笑しながら振り返る。初の女性国会議員の一人で、社会党代議士として憲法改正特別委員会の委員を務めた。
 戦前、妻は民法で「無能力者」と規定され、財産や子どもについても権限は夫にあった。妻の不貞はただちに離婚原因になるなど、夫の「所有物」扱いを受けていた時代だ。
 加藤さんは女性の地位確立を目指して憲法改正特別委員会に入ったが、「身内」の西尾末広・社会党書記長にさえ、当初こう言われた。
 「はあ、あなたは家族というものを壊してしまおうと言うのですか」
 それほど旧制度は男性の意識に抜きがたくあった。
 加藤さんは特別委員会で働く婦人の権利などの条文化を強く求めた。しかし、社会党の修正案に盛り込まれたのは寡婦の生活権ぐらい。それも男ばかりの小委員会で消えていく。
 「今はある程度よくなったとは言え、女子大生の就職難などを見ても、女性の権利は建前だけで真に生かされているとは言えません」。加藤さんはそう語る。
 
●「生存権」明文化に社党奮闘 「20世紀ノ憲法」と保守説得
 「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」(二五条)。政府案にはなかった生存権の明文規定が誕生した背景には、小委員会での社会党のねばり強い主張があった。議事録からは、「社会保障ト云フ文字ガ余リ日本デ使ハレテ居ナイ」(芦田委員長)時代の同党の奮闘ぶりが伝わってくる。
 議論が集中したのは、第四回と第七回の委員会。新たな条文を加えるよう提案した社会党に対し、芦田委員長や他党の委員は、同様の趣旨は「幸福追求の権利」を定めた政府案一二条などに含まれているとして難色を示す。
 社会党は、国が単に国民の権利を認めるだけでなく、「具現スル為ノ社会施設、社会ノ福祉増進、或ハ社会生活ノ保障、或ハ公衆衛生ト云フモノガ出来ナケレバナラヌ」(森戸委員)ことを明確にすべきだとして譲らない。芦田委員長は政府案の条文の手直しで譲歩を求めるが、社会党はこれもける。
 鈴木委員は「生存権ハ最モ重要ナ人権」と強調し、フランスやソ連を引き合いに「十九世紀マデノ憲法ノ体裁ダト御考ヘニナルカ、二十世紀ニナツテカラ出来テ居ル各国ノ憲法ノヤウナ憲法ヲ作ルコトガ差支ヘナイカト云フコトニ帰着スル」と主張。押し切られる格好で賛成する委員も出て来て、字句の調整に移っていく。
 内野正幸筑波大助教授は「保守政党が社会主義を主張していた政党の提案を受け入れたことは興味深い」としたうえで、「議事録を読む限り、条文挿入について最終決定の確認場面がない。議論のレベルは高いが、これだけ大事なことが密室審議でなし崩しに決まっている」と指摘する。
 小委員会での議論は「文化的水準に応ずる最小限度の生活」とは何か、という問題にまで及んだ。森戸委員は「其ノ国ノ其ノ時ノ文化水準ニ応ジタ最小限度ノ生活ト云フ意味デス」と説明したが、この問題は後に朝日訴訟《注》などで大きな焦点となった。
 同訴訟弁護団の一人だった新井章茨城大教授は「二五条がなかったら、新憲法の輝きは薄れていた。九条と並ぶ重要な支柱であり、人権意識を高める大きな役割を果たした。ただ、その後の国際人権規約などに比べると、具体的な権利保障に物足りなさは感じる」と話している。
 
 <朝日訴訟>
 一九五七年、重症の結核患者だった朝日茂氏が、月額六百円の生活扶助は憲法二五条に反するなどとして、国を相手に東京地裁に提訴。一審は原告が勝訴したが、東京高裁で覆された。最高裁は原告の死去により訴訟を却下したうえ、二五条の具体的権利性を否定し、「健康で文化的な最低限度の生活」のための保護基準は厚生相の裁量としたが、この裁判がその後の社会福祉政策に与えた影響は大きい。
 
●「国民要件」挿入すぐ一致 ほの見える外国人排除
 小委員会でほとんど議論がないままに新しく挿入されたのが、「日本国民たる要件は、法律でこれを定める」(一〇条)という一文だ。明治憲法一八条の「臣民」を「国民」に変えただけの条文で、政府案にはなかった。小委員会で自由・進歩・協同民主三党が共同提案し、議題に上った第四回委員会で社会党もあっさり賛同する。
 後に条文に言う「法律」に当たる国籍法が制定され、在日外国人差別につながっていくが、この重要な規定をめぐるやりとりは議事録でわずか三十行。「国民」に「日本」をつけるか否かを佐藤政府委員がたずね、鈴木委員が「日本国民タルノ要件ハ法律デ決メルノダゾト云フコトヲソレコソ宣言スル」から必要だと述べると、芦田委員長は早々に切り上げてしまう。
 小委員会では唐突に決まった印象を与えるものの、立法過程全体を通じて見れば、敗戦まで「帝国臣民」だった日本居住の朝鮮人や台湾人らを排除しようとする当局の意図がうかがえる。古川純専修大教授は「もともと連合国側は、外国人や旧植民地の人たちを含めた基本的人権の確立を憲法に盛り込ませようとしていた。しかし、日本側は官僚の巧みな立法技術でどんどん押し戻していった」。
 条文をめぐる議論のなさは、在日韓国・朝鮮人の参政権問題など、今に至る日本の戦後処理の不徹底さに結びついている。
 
●中学までの義務教育に道 教員の陳情で実を結ぶ
 教育の面で小委員会が果たした最大の役割は、政府案を修正して中学の義務教育化に道を開いたことだ。背景には、教育の機会均等を求める青年学校教員たちの運動があった。
 政府案は「児童に初等教育を受けさせる義務」にとどまっていたため、各地の青年学校教員たちが「青年期の教育を有産階級のものにしてはならない」と反発。GHQや文部省、国会へ陳情に押しかけた。
 こうした中、第五回委員会で修正を迫ったのは、教育関係議員らで結成された新光倶楽部出身の大島多蔵委員(新政会)。「教育ニ依(よ)ツテ再建設ヲシナケレバナラナイト云フ時ニ、義務教育ノ年齢ヲ低下セシメラレルト云フコトハ、是ハ非常ニ堪ヘ難イ」
 教育を受けさせる義務を「青少年に法律の定める年齢まで」とし、政府案の「初等教育」は「義務教育」に変えるよう主張した。協同民主党の林委員も「児童」を「子女」に改めるよう提案。各党委員も賛同し、現行の二六条ができていく。
 『新制中学校成立史研究』著者の赤塚康雄天理大教授は「この修正がなければ六・三制は生まれなかっただろう。教員たちは文部省の宿直室に泊まり込むような猛烈な陳情を展開した。民間の声がこれだけ直接的に反映した条文はない」と意義を語る。
 
▽参院の独自性とは
 国会は一院制か二院制か。GHQ案は一院制を採用していたが、日本政府の強い要求で、政府案には「参議院」設置が盛り込まれた。
 しかし、小委員の会のメンバーには、二院制はあまり評価されなかった。犬養委員は「衆議院ノ行過ギヲ『チェック』スルト云フ考ヘ方―参議院ニ付テハ余リ賛成デナイノデス、衆議院ノ自己否定ニナリマス(中略)我々以上ノ途轍(とてつ)モナイ知恵ト識見ヲ持チ得ルト云フヤウナソンナ化物ミタヤウナ人ハ居ナイ」と胸を張った。
 「二個の衆議院」とならぬよう、小委員会は、参議院は職能代表らで構成するよう政府に求める付帯決議を決めた。参議院はその誕生の時から、「独自性」が問題となっていたわけで、前札幌高検検事長の佐藤道夫参院議員は「参院が今のようなミニ衆院にならないよう、選挙制度についてもう少し議論してもよかったのではないか」と話す。
 
◆「9条」芦田修正 「心の内」解釈に各論 再軍備懸念「文民条項」に発展
 一九四六年二月三日、連合国軍総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサーは、憲法の草案づくりを担当する民政局のホイットニー局長に、三つの原則を示した。その第二項が後に九条の「戦争放棄」の源流となる。「日本は、自己の安全を保持するための手段としての戦争をも、放棄する」。そこでは、自衛戦争も明確に否定されていた。
 それからわずか十日足らず、二十一人の民政局員がほぼ不眠不休でつくったGHQ草案は、十三日に日本側に手渡された。
 しかし、GHQ案の作成段階で「自衛戦争放棄」の部分だけは削られた。実務の責任者だったケーディス民政局次長は後に「侵略を受けて、自らを防衛できないと考えるのは非現実的だと思った」と証言した。
 日本側はほぼそのまま、この条項を受け入れ、政府案を六月二十五日、衆議院に提出。七月二十九日、第四回小委員会の冒頭で芦田委員長自ら政府案の第一項と第二項を逆にする「試案」を提出した。
 そこでは一切の条件をつけないままの戦力不保持が強調されていた。
 最終的には、第七回小委員会で、一、二項の順番が元に戻り現行憲法の九条になるが、この論議の過程でも、芦田氏は終始、それに消極的だった。
 ところが、芦田氏は五一年になって、「前項の目的」の趣旨をめぐり、「自衛のための武力行使を禁じたものとは解釈できない」と説明、再軍備を主張するようになる。議事録が非公開のため、「芦田修正」は芦田氏の説明通りに一人歩きし、「政府の自衛隊合憲解釈を側面から支持する歴史的役割を果たした」(山内敏弘一橋大学教授)。
 それにしても、この間の芦田氏の主張のぶれはどこから来るのだろうか。
 芦田氏自身は「この条文が通るまで、そういう意向(自衛戦力保持)をもったものであることを、他人に悟られないことが必要だ、こう思っておった」(五七年の政府の憲法調査会第七回総会)と述べている。
 しかし、山内教授は「芦田氏は内心でもそういう意図はなかったのではないか」と見る。その理由は(1)芦田氏の「試案」は、社会党の修正要求などを踏まえて出された(2)内心をつづったはずの「芦田日記」に記述がない(3)四六年十一月に刊行された芦田氏の著書でも「前項の目的」は自衛戦力合憲論の根拠として援用されておらず、芦田氏が「芦田修正」説を言い出すのは五一年一月ごろからで、本心ならもっと早く言うのが自然だ、などだ。
 これに対し、佐藤功上智大名誉教授は「芦田氏は、この修正が、将来の戦力保持に道を開く解釈となりうることに、当時から腹の中では気付いていた。朝鮮戦争による占領政策の転換を受けて、『時来れり』と、その主張を公にしたのではないか」と推測している。
 芦田氏の真意はもはや確かめようがないが、西修駒沢大教授は「芦田氏の意図がどうだったかより、むしろその波紋に注目すべきだ」と指摘する。そのひとつが文民条項の挿入だ。
 九条が確定したあと、占領政策の最高意思決定機関である極東委員会(十一カ国で構成)で、タン中国代表が「(この修正によって)日本が何らかの口実の下で、たとえば自衛という口実で軍隊を持つ可能性がある」(九月二十一日の第二十六回会議)と日本の再軍備への懸念を表明。同委員会は、九条を補完する歯止めとして、文民条項新設をGHQに強く要請した。
 既に憲法案審議は貴族院に回っていたが、政府はこれを受け入れる。「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」。軍隊を持たない日本に、軍人は存在しないという建前からすれば、いかにも奇妙な六六条二項は、こうして付け加えられた。
 
<9条はこう変わった>
【政府案】
 国の主権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、他国との間の紛争の解決の手段としては、永久にこれを抛棄する。
 陸海空軍その他の戦力は、これを保持してはならない。国の交戦権は、これを認めない。
 
【芦田委員長試案】
 日本国民は、正義と秩序とを基調とする国際平和を誠実に希求し、陸海空軍その他の戦力を保持せず。国の交戦権を否認することを声明す。
 前掲の目的を達するため、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 
【芦田小委員会修正案】
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない(これが現行憲法九条になった)。
 
▽放棄・ほうき・箒?
 現行憲法は当時としては画期的な「平仮名・口語体」で書かれた。政府の憲法改正草案要綱の段階までは、旧来の「カタカナ・文語体」だったが、国語の平易化運動を進めていた、作家の山本有三らの働き掛けで、最終案で口語化が実現した。
 国語審議会では当用漢字(千八百五十字)を決める作業が進められていた。九条の「戦争放棄」は、政府案では「抛棄」となっていたが、漢字制限で「抛」の字は使えなくなる。平仮名で「戦争ほうき」とする案も出たが、芦田委員長は「子供ハ掃キ掃除ノ『箒』ト間違ヘル」。結局、今の「放棄」に納まった。
 
▼GHQに英訳提出、41カ所に削除の印 「9条」や対米配慮部分
 占領中、日本の国会審議は、逐一英訳されGHQに報告されていた。
 憲法と同時に施行された議院事務局法により、一九四七年五月、衆参両院に翻訳課が置かれ、渉外課とともにGHQへの窓口となった。渉外課は委員会の審議の概要を二十四時間以内に、翻訳課は本会議の速記録全文を四十八時間以内に、それぞれ翻訳してGHQに報告しなければならなかった。それ以前は、外務省内にあった終戦連絡事務局が翻訳を担当していた。
 GHQが芦田小委員会の議事録の全文訳を日本側に求めてきたのは、審議から約一年八カ月が経過した四八年四月だった。
 当時翻訳課長心得だった滝口紀男さん(八五)は、「衆院事務総長に突然呼ばれ、『マッカーサーが議事録を読みたいと言っている。秘密会議録だが、マッカーサーの命令では仕方がない。課内にも内証で、急いで訳してくれ』と言われた」と振り返る。
 衆院に保存されてきた速記録には、翻訳では削除した部分を示す朱筆の書き込み(アンダーラインやかぎかっこ)が四十一カ所もある。しかし、滝口さんは削除を指示された覚えはないという。削除は全訳を受け取った事務総長の所で行われたとしか考えられない。滝口さんは、事務総長が「ここはない方がいい」などと言っているのを聞いたことがあるともいう。
 五二年八月、占領下の産物だった翻訳課は、講和条約発効を受けて廃止された。
 
<主な削除部分>
 「憲法改正小委員会」の速記録のうち、GHQへの英文報告で削除された主な部分は次の通り。
 ◆政府ノ草案ノ中ニハ直訳調ノ所ガ相当多イカラ、之ヲ残サナイヤウニシナケレバナラヌト思フ(北れい吉)
 ◆既ニ「マッカーサー」ノ方デ筆ヲ入レ、練ツタモノデスカラ、之ヲ無視スルコトハ出来ナイト云フコトガ最近段々分ツテ参リマシタ(笠井重治、前文の修正論議で)
 ◆非常ニ「デリケート」ナ問題デアリマシテ、サウ軽々シク言ヘナイコトデアリマスケレドモ、第一項ハ「永久にこれを抛棄する」ト云フ言葉ヲ用ヒマシテ可ナリ強ク出テ居リマス、シカシ第二項ノ方ハ永久ト云フ言葉ヲ使ヒマセヌデ、是ハ私自身ノ肚勘定ダケカモ知レマセヌガ、将来国際連合等トノ関係ニ於キマシテ、第二項ノ戦力保持ナドト云フコトニ付キマシテハ色々考フベキ点ガ残ツテ居ルノデハナイカ、斯ウ云フ気ガ致シマシテ、ソコデ建前ヲ第一項ト第二項ニシテ、非常ニ永久性ノハツキリシテ居ル所ヲ第一項ニ持ツテ行ツタ(金森徳次郎、九条の一項、二項を入れ替える芦田提案について)
 ◆「アメリカ」ノ憲法ニ書イテアルコトナラ黙ツテ通スガ、「フランス」ヤ「ソ連」ヤ「ドイツ」ノ憲法ニ書イテアルノハ通サナイト云フヤウナ意見ガ非常ニ強イノデ、我々心外ニ思ツテ居ルノデス(鈴木義男、生存権を盛り込むよう要求する中で)
 ◆先方ハ中々其ノ点ニ承諾ヲ肯ジナイ、結局火曜日ノ夜ト記憶シマスガ、総理大臣ガ「マッカーサー」元帥ト直接話ヲシマシタ結果、其ノ目的ヲ貫徹スルコトガ困難デアルト云フ事情ガ分ツテ、是レ以上政府当局ノ力デハドウニモナラヌト云フコトニナツタノダト聞イテ居リマス(芦田均、皇室財産について「修正が難しい」と説明する中で)
 ◆先方ノタツテノ希望モアリマスルシ、又国際関係モアリマスルノデ、事已ムヲ得ザルト同時ニ、斯ウ云フコトニ付テ「プレッス」ニ発表サレルト云フコトヲ非常ニ嫌ツテ居リマス(金森徳次郎、極東委員会からの文民条項挿入要求を説明して)
 
◎国造りの責任感で論戦 政府側から出席した佐藤功・上智大名誉教授に聞く
 当時、内閣法制局参事官として、小委員会に出席していた佐藤功上智大学名誉教授に、議論の様子などを聞いた。
 ――小委員会での議論の雰囲気はどうでしたか。
 ◆上司の佐藤達夫法制局次長が、随想の中で「親愛感に満ち、だれもが、よい憲法をつくろうという一念に燃えていた」と回想しているが、私も同感だ。各党とも互いの言い分に十分耳を傾けていた。新しい日本を建設する礎としての憲法をつくるという責任感を、分かち合っていたように思う。
 ――「押し付け」憲法という批判があります。
 ◆確かにGHQが原案をつくり、修正も、全部その承認が必要だった。それをけしからんというなら、戦争をやらなければよかった。しかし、その枠の中で、相当多数の条項が自発的に修正された。それを、司令部は承認した。日本側が何もできなかったということではない。
 ――GHQとの連絡はどんな具合でしたか。
 ◆一生懸命メモをとって、その日の夕方に、金森憲法問題担当国務相、入江法制局長官に提出した。司令部にも要点を英訳して出した。
 ――委員会はなぜ非公開だったのですか。
 ◆各政党が忌憚(きたん)なく意見を述べあうためだが、司令部との関係もあった。憲法は表向き日本政府が自主的につくったということで、GHQの関与は伏せられていた。審議ではGHQに触れざるをえなかったから、公開できなかった。
 ――芦田委員長が九条の一、二項を入れ替える提案をしたのに対し、金森国務大臣が「二項は国連との関係で考えるべき点が残っている」と答弁しましたが。
 ◆私はそばで聞いていて、随分思い切ったことを言うと感じた。二項は将来、改正が問題となりうるということだから。
 ――速記中止が六カ所あります。
 ◆協同民主党の林委員が、前文の主権のくだりの削除を求めた。そこで芦田さんは速記を止める。当時、司令部から国民主権を明記するよう申し入れがきており、削除は論外だという説明があった。速記を止めたのは、みんな司令部関係の話ですよ。
 ――社会党が果たした役割をどう評価しますか。
 ◆社会党なかりせば、ああいう二五条なんか入らなかった。生存権、社会権、経済権で、社会党色を出そうとした。森戸委員や鈴木委員は、民間の憲法研究会がつくった先進的な憲法案をいつも手に持って議論していた。
 
 (さとう・いさお。一九一五年生まれ。四九年に行政管理庁を退官後、成蹊大教授、上智大法学部長、東海大法学部長などを歴任)
 「芦田小委員会」議事録は公刊され、十月二日から政府刊行物サービスセンターで販売される。定価五千円。
 ■本文中の議事録の引用部分は、漢字を現在の字体に変えたほかは、原則として原文通りのカナ遣いにした。
 
1945 8.15 終戦
10.13 政府、憲法問題調査委員会(委員長・松本烝治国務大臣)を設置
10.24 国際連合成立
1946 1.1 天皇の人間宣言
1.24 幣原首相−マッカーサー会談《「世界は私たちを非現実的な夢想家と笑いあざけるかも知れない。しかし、百年後には私たちは与言者と呼ばれますよ」(戦争放棄についてマッカーサーと意見が一致した幣原が、帰り際に言ったとされる言葉。「マッカーサー回想記」から)》
2.1 毎日新聞が松本案をスクープ
2.3 マッカーサーが憲法改正3原則示す(マッカーサー・ノート)
2.4 民生局、憲法草案作成に着手→2.12確定《「サンドイッチの立ち食いなどをしながら、夜も白々となるころまで働いた。明方、宿舎に帰ってシャワーを浴び、1時間ほど仮眠して、また定刻8時には全員が集まって草案作りをやった。女の私も同様でした」(エラマン民生局員の回想)》
2.8 政府が松本案をGHQに提示
2.13 GHQ、松本案を拒否、マッカーサー草案を日本政府に提示
2.22 マッカーサー草案を基礎に政府案をつくることを閣議決定
2.26 極東委員会発足
3.2 日本政府案(3月2日案)
3.4−5 GHQと日本側が徹夜折衝
3.6 政府、憲法改正草案要綱を発表
4.2 閣議、憲法口語化を了解
4.10 戦後初の衆議院議員選挙
4.17 政府、憲法改正草案を発表
5.22 第1次吉田内閣成立
6.25 衆議院が審議開始→8.24修正可決
7.25 芦田小委員会で審議開始(〜8.20)《「これは画期的な仕事であるだけに私にとっては厚生大臣や国務大臣であるよりも張り合いのある仕事であると考えている」(「芦田均日記」から。憲法改正特別委員長になった感想)》
8.26 貴族院が審議開始→10.6修正可決
10.7 修正案を衆議院で可決
11.3 公布《「古いすげ笠チョンホイナ
1947 5.3 施行
1950 1.1 マッカーサー年頭の辞「日本国憲法は自衛権を否定せず」
6.25 朝鮮戦争勃発
8.10 警察予備隊(後の自衛隊)設置
 
■取材に協力して下さった方々
 議事録の取材では、古関彰一独協大教授、新井章茨城大教授、井門富二夫筑波大名誉教授、内野正幸筑波大助教授、中村政則一橋大教授、西修駒沢大教授、古川純専修大教授、森清・元代議士、山内敏弘一橋大教授らの協力を得ました。
 
 政治部の小沢秀行、福田宏樹、牧野愛博が担当しました。


 
 
 
 
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