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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1995/06/24 朝日新聞朝刊
自衛隊報道 タブー視は続いた(戦後50年 メディアの検証:20)
 
 「星のタブー」という言葉が六〇年代終わりまで日本のメディアの中に生きていた。「星」とは軍隊の階級章のことだ。自衛隊を指す。その実態を報じることがはばかられた。「違憲の組織を認知することにつながるから、触れてはまずい」。こんな意味だった。「タブー」の意味は違うが、「自衛隊合憲・違憲問題の絡む改憲論議がタブー視されてきた」という見方が、いまもある。メディアにとって自衛隊は、それだけやっかいなリトマス試験紙のような存在であった、とわかる。どういう立場で向き合うかを、常に、鋭く問われ続けた。
 
○当初は「再軍備」認識せず
 一九五〇年七月八日は、朝から日差しのきつい暑い一日だった。
 朝日新聞政治部デスクだった八幡次郎は、首相官邸担当だった園田剛民が息せき切ってかけてきた電話を受けた。「マッカーサーがポリスリザーブをつくれ、と指令してきた」
 八幡は何のことかわからず、聞き直した。
 「ポリス、ポリス。警察」と園田は言い返した。警察予備隊、後の自衛隊のことだった。
 メディアが自衛隊と出あった瞬間の様子を、雑誌「アエラ」(八八年七月十二日号)は、朝日新聞記者が過去を語る「時代と私」の記事で、このように描写している。
 翌日の朝日、毎日、読売の各紙は「七万五千人の警察予備隊を創設せよ」というマッカーサー指令を一面トップで伝えた。それぞれ社説も掲げた(読売は十日)。
 「今回の増強は治安警察を確立するためであって、特高警察を復活するものでない」(読売)
 「警察国家の再現をはかるというようなことは、万あるべきことではない」(朝日)
 「戦前の警察国家的活動を再現し、一般個人の私生活にまで警察が干渉し、介入するようなことは絶対にいけない」(毎日)
 論調は違うが、いずれも「警察力強化」によって、戦前のような思想弾圧が再現されてはならない、という点に焦点が集まっている。「再軍備の始まり」という認識はない。
 自民党の代議士で、八一年から八二年にかけて防衛庁長官をつとめた伊藤宗一郎(七一)は当時、官邸詰の読売新聞記者だった。
 岡崎勝男官房長官が、かなりあわてていた、と記憶している。伊藤自身は「ポリスリザーブをどう訳すのか、と思った」という。
 「朝鮮の騒動(朝鮮戦争、五〇年六月二十五日に起こる)があり、日本の治安を守るために警察力が必要だ、程度の認識だったと思う。これが軍事力だとみんながわかってきたのは、年が明けて講和条約を結んだころ(五一年九月)ではなかったか」と語る。
 朝日新聞政治部記者だった天野歓三(七九)は、マッカーサー指令からしばらく後、ある政治家から「これは再軍備だ」とはっきり聞いた、という。記事にはしなかった。話がオフレコだったこともある。しかも、GHQ(連合国軍総司令部)の占領下、自由にものが言える雰囲気ではなかった。
 五二年四月二十八日、講和条約が発効し、日本は独立を取り戻した。この時期、「憲法改正」や「再軍備」の文字がひんぱんに新聞紙面に登場している。
 「独立後の日程にのぼる問題は多いが、なかんずく重大なものが再軍備と憲法改正の可否に関するものであることは明白である」(五二年四月三十日、朝日新聞社説)
 「この憲法もいろいろな意味で再検討すべき段階にきていると思う。新憲法が軍備を廃したのは、『平和を愛する諸国民の公正と信義』に信頼したからであるが、果して日本を囲む諸国民は、このような信頼を託するに足るものだろうか」(同年五月三日、読売新聞社説)
 のちに朝日新聞論説主幹となる森恭三は五一年十月一日の日記で次のような懸念を書いた。
 「警察予備隊ニ佐官級ノ元将校ヲ多数採用。最初ハ何トカ ゴマカシテイタノニ 現在ハ コレガ 軍隊再建以外ノ何者ニモ非ルコト 明白トナツタ。又 国民モ 健忘性ニシテ コレヲ 不思議トモ 感ジテイナイラシイ」
 いちばん最初にメディアがきちんと、その性格を伝えることのなかった警察予備隊は、保安隊を経て五四年七月一日、自衛隊になる。
 五五年体制が生まれ、政府・自民党と社会党の間では、憲法九条と自衛隊をめぐって「神学論争」が始まっていく。改憲は、社会党が国会で三分の一以上を占め、現実味を失った。有力メディアも「憲法改定はせず」「自衛隊の合憲、違憲には触れず」が大きな流れになった。
 
○「この稿に結論はない」
 六六年秋、朝日新聞編集委員だった疋田桂一郎(七〇)は東京社会部の会議で「自衛隊の実態を真正面から取り上げた企画を予定している」と説明した。
 すると社会部員から反対意見が続出した。
 「朝日新聞が自衛隊を認知したかのように、政治的に解釈される恐れがある」。意見を要約すれば、こんな内容だった。
 疋田は、おそらく社会部だけでなく、国民の多くが感じているだろう自衛隊、軍事的なものへのアレルギーに思いを巡らせた。企画の意図をさらに説明した。
 「自衛隊は、これだけの実力集団になったのに、どんな組織で、どんな装備を持ち、隊員が何を考えているのか、よくわからない。それを伝えたい」
 六〇年安保の騒ぎの余韻が残り、七〇年安保にどう備えるか、国民にとっても、メディアにとっても大きな関心があった。だから自衛隊についての憲法論争は盛んだった。だが、当時で制服隊員二十二万人を擁し、一日に予算十億円を使う自衛隊の実態に迫ったメディアはなかった。
 「いつかは自衛隊をやらねばならない」。こんな空気が下地としてあった。
 翌年二月、企画「自衛隊」は始まった。この年十二月の第三部まで、企画は断続的に五十七回続いて終わった。自衛隊の軍事力、兵器産業の現場、隊員の日常や意識などについて疋田をキャップとする六人の取材記者が、自分の体と目と耳で確認したことだけを淡々とつづった。事実を丹念に積み上げ、細かいデータにもこだわった。隊員と一緒に駐屯地に住み込み、模擬弾射撃の体験をした記者もいた。
 「論」ではなく「実態」を、という手法は徹底していた。企画の最終回、いちばん最後の記述は「(この)報告は現状を紹介することに終始した。したがって、この稿に結論はない」とある。
 「ミスター防衛庁」といわれる西廣整輝・元防衛事務次官(六五)は当時、防衛課部員として、この企画の取材を受けた。
 「当時、自衛隊といえば否定的に扱うのがパターンだった。自衛隊で何が起きているか、現状を客観的に書いた記事は、おそらく初めてだった。印象に残った」と振り返る。
 現在、朝日新聞総合研究センター所長の柴田鉄治(六〇)は取材記者の一人として、二部と三部を担当した。
 柴田によれば、記事は批判的だった社会部員からも、自衛隊内部からも好評だった。結果的にだれも知らなかったことがいくつか紹介され、何も知らない側にしてみれば「よくぞ暴いてくれた」ということになり、自衛隊の側からすれば「よくぞ自分たちの実態を正確に紹介してくれた」ということだった。
 疋田は連載終了後、社内報に一文を書いた。
 「軍事的なもの一切を罪悪視する国民感情が、無制限な再軍備に対する目に見えない歯止め役を果たしてきた。(しかし)タブーにしておけば事態は改善され、危険が解消するわけのものでもない。この制度を生んだ時代の国民(あるいは言論人)としての責任を免れると思うのも錯覚である」
 この企画を突破口にして、「星のタブー」はなくなっていく。それ以後、他のメディアでも自衛隊の実態に迫った記事が掲載されていく。
 
○PKOを機に語り始めた
 九二年六月十五日、国連平和維持活動(PKO)協力法が成立、自衛隊の本格的海外派遣に道が開かれた。
 翌日、朝日新聞の社説は「PKO協力の不幸な出発」と題し、法の成立は「多くの疑問」をはらんでいる、と書いた。読売新聞は「『PKO』成立の画期的な意義」と題し、「日本の戦後史上、画期的な意義をもつ」と評価した。
 九四年十一月三日、読売新聞は、自衛隊をきちんと位置づけた「憲法改正試案」を発表した。社説はこの点について「憲法改正論議と言えば、自衛隊違憲・合憲問題に限定され、憲法改正論議自体がタブー視されてきた」と書いた。
 十一月二十三日、朝日新聞は「『とにかく改憲』を排する」と題する社説を掲載した。
 「自衛隊が合憲か違憲かの議論は尽きないが、政治が自衛隊をきちんとコントロールすれば、現憲法で問題はあるまい」と書いた。
 冷戦が終結し、湾岸戦争を経て「国際貢献」が強調されるようになってから、発行部数が日本で一番と二番の新聞社は、自衛隊をめぐり、際だって対照的な「論」を展開し始めた。
 読売と朝日は今年五月三日、それぞれの自衛隊のあり方も含めた提言をぶつけあった。メディアが日本の軍隊である自衛隊を、はじめて本格的に語り始めた、ということだろうか。
 自衛隊そのものも、メディアとの関係は変化してきた。
 九二年四月、自衛隊の広報誌「防衛アンテナ」は、「セキュリタリアン」と改称、カラー印刷のカラフルな雑誌に衣替えした。柳澤協二広報課長(当時、現在は秘書課長)が衣替えを指揮した。柳澤によれば、「防衛アンテナ」は、防衛庁の公式発表を無味乾燥に載せ、作っている側ですら読む気の起こらない代物だった。
 その「セキュリタリアン」は九二年七月号で「マスコミと自衛隊」という特集を組んだ。柳澤は、その中の座談会では次のように発言している。
 「ともすると『自衛隊は叩いておけば間違いない』といったメンタリティで記事が書かれている面もあるんじゃないかと。もう一つ自衛隊の側では被害者意識というのがある」
 この企画をはじめとして「セキュリタリアン」は「テレビの中の自衛隊」「大新聞のPKO社説を読み返す」などメディアそのものを取り上げている。雲仙・普賢岳の噴火のときから、自衛隊撮影の映像がテレビで目立つようになった。最近では、地下鉄サリン事件で、地下鉄各駅の清掃をする自衛隊員の姿が流れた。
 「PKOはおっかなびっくりだったが、やってみて民族的体験になった。メディアの側も、それ以来、自衛隊はたたいておけば間違いない、という従来の考え方が変化してきた」と柳澤は言う。
 これまでの自衛隊とメディアの関係について、元防衛事務次官の西廣は次のように語る。
 「自衛隊について政府答弁は、現に問題になっていることを説明できればよかった。その意味では正直だった、とすらいえる。メディアも、こうした政府答弁や、そのつどの国際情勢などを承知のうえで、根本的な問題に踏み込んでこなかったのではないか」
 「星のタブー」を突破するきっかけを作った元朝日新聞編集委員の疋田はいう。
 「自衛隊発足のときに、また、タブーだったころに積み残した『しっぽ』を、ジャーナリズムは責任を持ってチェックしてきたか。自衛隊増強の流れは一貫して変わらなかったではないか。実際問題として、後追いの追認を続けてきたような気がする」
 (敬称略。引用した記事は、東京の紙面から。いずれも抜粋してあります)


 
 
 
 
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