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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1995/05/03 朝日新聞朝刊
提言3 9条は改定しない 国際協力と憲法(社説特集)
 
 戦争や武力行使を放棄した憲法九条は、人類の課題を先取りした理想主義的な規範だ。いま必要なのは、自衛隊や安保政策の是正にどう生かすかを考えることである。
 軍事に優越的な価値を認めない、という戦後社会の枠組みをつくったのは憲法九条だ。その制約から身軽にさせようとする方向の改定は時代に逆行し、有害無益である。
 徹底した平和主義と、国民主権、基本的人権尊重の三つの原理に貫かれた日本国憲法は、日本の戦後の歩みに決定的な影響を与えてきた。この憲法が、多少でも国家主義的な色彩を残していたら、自由といい、豊かさといい、この国の姿は決して今のようではなかったに違いない。
 日本国憲法は、国家主権が著しく制限された占領下に、連合国軍総司令部(GHQ)の強い影響のもとで制定された。その点で、確かに特異なものだ。
 しかし、制定の過程では、戦争の惨禍や軍国主義に懲りた国民の意思が、国会での審議などを通じてそれなりに反映された。できあがった憲法は大多数の国民に歓迎された。この憲法を新しい国づくりの指針としたからこそ、戦前の体質から脱皮することができたのである。
 なかでも、戦争や武力行使を放棄した憲法九条は、恒久平和の実現という人類共通の課題を先取りした理想主義的な規範だ。東西の軍事対決が顕著だった時代には、こうした宣言は、あまり現実的とはみえなかった。しかし、冷戦が終結したいま、その価値はひときわ重くなった。
 徹底した理想を支えているのは、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しよう」とした憲法前文の決意である。
 兵器が恐るべき破壊力を持つようになったなかで、都市や文明の高密度化した現代国家は、それ自体戦争や武力行使に耐えられない存在である。民主主義の拡大や国際人権思想の高まりと、経済の相互依存の深まりもあって、先進国間の本格的な戦争は、まず起きない時代を迎えつつある。
 冷戦後の世界と地球の未来を展望する時、いまこそ九条に輝きを取り戻さなければならない。道のりが遠いのは確かだが、私たちは、その理想を現実に生かしていく可能性を前にしつつある。
 
 憲法九条は、全体の趣旨や個々の文言に様々な解釈を生んだ。とくに自衛隊のあり方との関係は、戦後政治の最大の対立軸ともいえる激しい論争の的となってきた。
 この規定は、制定当時は「絶対非武装」の意味で受け止められた。それは、敗戦後の国民の切実な感情や、一切の軍備が解かれた日本の現実に合致し、国連の平和維持機能への素朴な期待によって支えられていた。吉田茂首相自身、一九四六年六月の制憲議会の答弁で「一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も放棄したものだ」と述べている。
 ところが、五〇年に朝鮮戦争が起きると、占領軍は警察予備隊の編成を強要し、講和条約と同時に日米安全保障条約が締結される。政府は保安隊、さらに自衛隊へと、防衛力の整備を進めた。
 「西側の一員」であるあかしとして、自衛隊の近代化、大型化が一貫して進められた結果、いまではその実力は、とくに質の面で、世界でも有数の水準にある。当初の政府解釈や多くの国民が受け入れた「絶対非武装」の理想からみれば、九条の精神は、冷戦の下でなし崩しに失われてきた、といわなければならない。
 そうした現実の一方で、国民の多くは九条に高い評価を与え続けてきた。国際情勢が変わったいま、二十一世紀に向けて必要なのは、九条を再評価し、自衛隊や安全保障政策の現実を正すのにそれをどう生かすか、を突き詰めて考えることだと思う。
 私たちは、九条の趣旨からみて、自衛隊の現状に強い疑問を抱いている。そこで、九条の下で許される自衛力については提言4で述べるが、私たちは九条が自衛のための実力の保持を一切否定しているとは思わない。国家には、他国による侵略や武力攻撃に対して、抵抗、排除するためのやむをえない防衛手段をとる自衛権があり、九条がこうした権利の行使まで放棄したとは考えられないのだ。
 朝日新聞は、この主張を早くから社説で繰り返してきた。
 「国民大半の心理は有効なる自衛の力を必要であると考えているであろう。われわれもその通りに考える」(一九五三年十二月十六日付)
 「国家の基本権である自衛権については、憲法もこれを否定してはいない。したがって必要最小限度の自衛力も認められている。(中略)急迫、不正な侵害に対しては、かかる自衛力を発動せざるをえないが、それはあくまで憲法の条章のワク内において・・・」(六八年五月三日付)
 軍事力行使をためらわぬ国が存在している以上、残念ながら、自衛のための実力は否定することはできない。非武装の抵抗や群民ほう起などの手段だけでは、国民を安心させるわけにはいくまい。
 憲法の解釈で重要なのは、条文の理念と目的の理解に立ち、弾力的に意味を探究する姿勢である。あまりに硬直化した解釈は時代にそぐわなくなり、かえって憲法の精神を損ないかねない。
 米国憲法は、権利の章典として追加された最初の十の修正条項もふくめ、すでに二百年を超える歴史を重ねながら、今もそのままの形で生き続けている。社会の変化に柔軟に対応する解釈や判例が、その生命力となっていることを記憶にとどめたい。
 
 憲法が国の最高規範であることはいうまでもないが、国家統治の原則や機構、国民の権利義務を、簡潔な条文に盛り込むのだから、さまざまな解釈の余地を残すことが少なくない。このため、具体的な政策や立法をめぐってはしばしば激しい合憲、違憲論争が起き、厳しい政治対立を生む。憲法が「法規範」であり「政治規範」だ、といわれるのはここにその理由がある。
 しかし、このことは決して混乱でも不健全でもない。こうした論争こそが、日本の基本政策を民主的で健全なものにする安全弁の役割を果たしてきたと、むしろ積極的に評価すべきであろう。
 その点でいえば、「憲法九条が空洞化した」とか「解釈改憲で規範性を失った」などの見方は一面的にすぎよう。客観的にみても、九条はこのほぼ半世紀近くの間、国と国民を導く指針としてよく働いた、といえるのではないだろうか。
 日本はこの間、外国に軍隊を送って他国民を殺したことはないし、武器を他国に売り込むこともしなかった。自衛隊は増強されたが、そのありかたや行動には制約があった。常に九条の存在に照らされ、終始国民的論議にさらされてきたからである。
 集団的自衛権の行使の否定と海外派兵の禁止、非核三原則、徴兵制の否定、武器輸出の禁止、防衛費の抑制など、防衛政策をめぐるさまざまな枠組みは、九条とそれをめぐる論議から生まれた。
 これらにも増して重要なのは、軍事に重きを置く考え方が退けられてきたことである。軍事は「国家の基本任務」という発想から、しばしば立法権や行政権を超越した存在となりがちだ。しかし九条の下では防衛行政も一般行政と同等とみなされ、優先的な立場は与えられなかった。
 軍事に特権的、優先的な価値を認めない、という戦後日本の基本的な枠組みを定着させ、近隣諸国にあまり軍事的な懸念を抱かせないでいるのは、明らかに憲法九条の働きによるものである。
 現在の自衛隊は、国際社会の中では「軍隊」としての扱いを受けている。しかし、諸外国の軍隊と同じ権能を持つ「普通の軍隊」ではない。
 防衛出動については、国会の事前または事後の了承が必要とされるなど、行動の隅々まで法の規制を受ける。政府の解釈によると、自衛権の発動については(1)わが国に対する急迫不正の侵害があること(2)ほかに適当な手段がないこと(3)必要最小限度の実力行使にとどまること、の三要件があり、領土、領海、領空を中心とした限定された領域での行動しか許されない。
 あいまいで不透明なところも多いが、厳密に守られれば、相当に限定される。法に拘束される点では、警察や海上保安庁とさほど違わない組織とみることもできる。
 また、「有事」の名目で憲法が定める国民の諸権利を制限することは許されていない。軍事裁判もなければ、機密保護法制もない。有事立法をめざす動きは再三あったが、それを阻んできたのは、九条を大切とみる広範な国民の声だった。
 
 その九条を改定しようとする政治的な動きは、当初の「押しつけ憲法論」から、「国際貢献」を理由にした近年の問題提起まで、繰り返し起きている。最近では、従来「護憲」を唱えていた人たちの間から、「解釈改憲に歯止めをかける」といった改憲論も提唱された。
 憲法は「不磨の大典」ではないから、時代に即した点検は欠かせない。しかし、九条に関していえば、時代が求めているのは、日本が軍事的な制約から身軽になることではなく、その反対であろう。国際社会における軍事力の比重は、冷戦後明らかに低下しつつある。これを重くしかねない改定は、明らかに時代に逆行する。私たちはそうした動きにくみすることはできない。
 防衛政策は、多くの先進諸国と同様、政治過程で常に論争にさらされ、国民の論議の的であり続けることが望ましい。わが国の場合、その論争の基軸にあるのが、九条にほかならない。
 最後に強調したいのは、日本が、軍事力を背景に国益を追求する国にならないための「重し」として、九条が国際社会から高い評価を受けていることだ。アジア諸国にとっては、日本が再び危険な国家にならないための象徴的な存在になっている。
 現状での九条改定は、諸国の警戒心や反発を招かずにはおかず、東アジア地域の軍拡競争の引き金ともなりかねない。日本の安全保障にとって益するところは少なく、むしろ有害だというべきだろう。
 
<第二章 戦争の放棄 第九条>
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
●戦後日本が平和だった主な理由
  78年10月 86年12月 94年12月
平和憲法 17 16 25
悲惨な戦争体験 29 25 24
国民の努力 19 31 22
その他・答えない 7 8 3
地理的な条件 2 3 3
米ソの力関係 8 7 6
日米安保条約 18 10 17
(数字は%。朝日新聞の世論調査から)


 
 
 
 
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