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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1995/01/04 朝日新聞朝刊
「憲法と現実」に桃んだ二人 深き淵より:3 (戦後50年 第4部)
 
深き淵より・ドイツ発日本
■東西統一へ「磁石理論」唱えたアデナウアー。「軽武装経済優先」と言われた吉田。
 コンラート・アデナウアーと吉田茂。ドイツと日本の戦後初期の首相として、それぞれの憲法体制づくりに決定的な役割を果たした。彼らはどんな国際情勢のなかで、どんな国家路線を思い描いていたのか。その軌跡と今日的意味を比較してみる。
 
●アデナウアー
 一九四八年、アデナウアーは憲法制定会議の議長に就任した。ナチスに追われて投獄され、戦後、ケルン市長に復帰、キリスト教民主同盟(CDU)を作った経歴が、彼をドイツの民主主義再生のリーダーに押し上げていた。
 「ナチス帝国がどうしてドイツ民族に起こり得たのか。あんな戦争をなぜ仕出かすことができたのか」と回顧録にある。この問題意識から憲法が作られた。
 憲法(基本法)には、人間の尊厳に関する基本権の改定禁止、反民主的政党は違憲であることなどが盛り込まれた。侵略戦争の禁止も明記。ただ、軍備保有は、いいとも悪いとも触れなかった。
 四九年、西ドイツが国家としてスタートし、七十三歳のアデナウアーが首相に就任した。五〇年、朝鮮戦争がぼっ発、欧州にも緊張が走った。西独は冷戦の最前線、目の前にソ連軍がいた。西独は再軍備へ向けて動き出す。
 アデナウアーの再軍備提案に対し、国民の間から「オーネ・ミッヒ」(自分はいやだ)運動が起きた。隣国フランスの「ドイツ復活」への警戒心に対して、ドイツ軍には参謀本部を持たせず、北大西洋条約機構(NATO)からはずれた独自行動を禁じることにした。再軍備を盛り込んだ基本法改正は三分の二をようやく確保して可決することができた。
 
 アデナウアーは再軍備をステップにドイツを西側に融合させる外交路線を突き進んだ。連合国側からすれば、それはドイツを西側に封じ込めることでもあった。が、冷戦下、ソ連の反発を招けば、東西ドイツの統一は遠のく。アデナウアーは「磁石理論」を唱えていた。彼の秘書だったアンネリーゼ・ポッピンガーさんは、こう説明する。
 「ソ連は、軍拡競争の負担で国民生活の向上という課題をいずれ果たせなくなる、とアデナウアーは見ていた。ソ連が緊張緩和に転じるとき、経済援助を与え、見返りに東独の解放を得るのだ、と」
 四十年後、西独は東独を「磁石」のように吸い寄せ、ドイツ統一が実現した。
 「ドイツ人は信用できない」。アデナウアーの口癖だった。憲法を守ること、常に条文と現実を一致させること、そして西側同盟、欧州統合へ。ドイツが欧州で生きていく条件だった。
 ボン郊外の小高い丘。アデナウアーが九十一歳で死去するまで住んだ家が記念館になっている。入り口の文字には、こうある。
 「ドイツの政治家にして、よきヨーロッパ人であったアデナウアーの記念に」
 
●吉田茂
 一九四六年二月、東京・麻布にあった外相官邸の吉田茂のもとに、連合国軍総司令部(GHQ)のホイットニー民政局長が憲法草案を持って来た。吉田は戦中、軍部から「自由主義者」として忌避され、戦後、東久邇、幣原両内閣の外相として復活した。
 吉田の著書『回想十年』によると、このとき、ホイットニーは、GHQ案に基づいて憲法改正を行う、そうでないと天皇の一身を保証できない、と迫った。
 日本側では、天皇の地位について議論が沸騰した。しかし天皇自身が「象徴でいい」と認めた。戦争放棄を定めた九条を、吉田は「賛成だった」とすんなり受け入れている。この経過は「押し付け」かどうか、吉田は「制定事情にこだわるのは妥当でない。要は国民の利害に沿うか否かだ」と割り切っている。
 四六年六月、憲法を最後の帝国議会に提案したのは吉田内閣だった。吉田は九条について「近年の戦争は自衛権の名前において戦われた。正当防衛権を認めることはかえって戦争を誘発する」と答弁、自衛権すら否定した。平和憲法が日本再出発の宣言となった。
 
 五〇年、朝鮮戦争は日本にも再軍備問題をもたらした。アデナウアーと違い、吉田は拒んだ。憲法の制約、国民の反戦感情、国力不足。著書『大磯清談』には「日本は貧乏国だ。そんな戦力を持っても蟷螂(とうろう)の斧(おの)」「まず産業の復活だ」とある。
 しかし米国の要求もむげにできず、警察予備隊を発足させ、これが保安隊、自衛隊に変わる。憲法九条の解釈は、「自衛権は認めている」と変わった。「戦力なき軍隊という苦しい議論になった」と吉田。
 日本の防衛力を補うものとして吉田が位置付けたのは、むしろ日米安保条約だった。しかし、五一年、サンフランシスコ平和条約と同時に行われた日米安保条約の調印には、吉田一人しか署名していない。「国内で反対が多いことがわかっていましたから自分一人の責任にしておきたかったのでしょう」(麻生和子『父吉田茂』)
 吉田はその後も「日本一国で守る時代じゃない。他の国の基地を自分の国に置いても恥ずかしくない」と述べている。生前の吉田を知る高坂正京大教授は「吉田には英国流の趣味を楽しんだ人の米国観がある。米国をことさらありがたがらない」という。
 憲法は維持された。しかし、自衛隊と日米安保が生まれた。革新勢力は、自衛隊を「なし崩し再軍備」と批判、安保については「戦争に巻き込まれる」と反対し続けた。保守側は、吉田の選択を「軽武装経済優先」路線と意味付けた。憲法改正―再軍備コースは、それっきりになった。
 だが、吉田の選択が生み出した「憲法と現実のかい離」は、湾岸戦争を機に矛盾をさらけだした。専守防衛が限界であるはずだった自衛隊を、「国際貢献」の名のもとなら海外派遣していいのかどうか。吉田路線は「一国平和主義」だった、という言われ方も始まった。吉田の視野には、今日の事態までは入っていなかった。
 
○「ワンマン」2人、イタリアで再会
 テラスのテーブルに並ぶ吉田茂とアデナウアーの両元首相。一九六〇年六月五日。北イタリアのコモ湖畔の別荘にいたアデナウアーを吉田が訪ねた時の写真だ。アデナウアー財団はこのほど、この写真と口述日記の一部を公開した。
 吉田は首相を辞めて六年。しかし、池田勇人、佐藤栄作ら直系の実力者を通じて影響力を保っていた。アデナウアーはこの年三月に来日し、神奈川県・大磯の吉田邸を訪ねている。「ワンマン」二人の再会だった。
 アデナウアーの口述日記によると、吉田は、米軍のU2型偵察機がソ連領内で撃墜された後、ソ連のフルシチョフ首相が西側との首脳会談をとりやめた問題を聞いた。アデナウアーは「フルシチョフの強がりだ」と答え、「吉田は私の考えを重要に思っていると感じた」。
 吉田は当時、日米安保改定で揺れる日本の国内事情を「報道は非常にオーバーだ」「だいぶ落ち着いてきた」といい、岸信介首相の政治生命について「秋には自然死する」と述べた。
 しかし、安保反対闘争は激化し、六月十五日にはデモの女子大生一人が死亡。岸首相は新安保発効の日の二十三日、退陣を表明した。
 
●「非武装中立」は憲法の反映、間違っていない 石橋政嗣氏に聞く
 戦後の原点は、敗戦だった。みんなが聖戦だと信じていた。戦後になって初めて、だまされていたことがわかった。
 戦争はまっぴらごめんだ。武器も持たぬ。こんど戦争に行けといわれたら、刑務所にいっても拒否しようと、私も思った。そんな国民の気持ちを成文化したのが日本国憲法だった。
 私の「非武装中立論」はこの憲法の反映だった。絶対平和の理想を実現しないと、米ソの核戦争で人類は滅びるぞ、と。米ソ対立こそ終わったが、核が戦争に使われる可能性は依然としてある。
 社会党が政権をとったら直ちに自衛隊解消、日米安保廃棄ということではなかった。当分続くかもしれないが、どう廃止、解消に向かわせるか、そのプロセスが大切なんだと主張した。
 「非武装中立」は間違っていない。それを、社会党の首相がひとりで「自衛隊合憲」に変えてしまった。有権者との公約に反し、党内の機関決定も踏まえていない。
 戦後五十年たって、戦争体験をもつ人が亡くなる。「普通の国」になろう、経済大国になったのだから国連安保理の常任理事国になろうというと、みなが「そうだ」「そうだ」という。
 本当にそうか。片務的な日米安保がそのままなら、日本が常任理事国になっても、つねに米国の方をみることになる。何が正義か、日本が独自に判断できるわけがない。「普通の国」の主張の裏には、日米安保を双務的に、という意図がある。そのためには憲法九条の改正だ、となる。
 もし、「戦後」が名実ともに終わるとすれば、憲法が改正された時だろう。幸いなことに、まだ憲法は改められずに残っている。
 
<石橋政嗣氏>(元社会党委員長)
 一九五五年、衆院初当選。八〇年に出版した「非武装中立論」は三十万部が売れた。八三年、社会党委員長に就任したが、八六年の衆参同日選に敗北して辞任した。九〇年、政界から引退。七十歳。
◇憲法改正(くらべてみると)
(カッコ内の数字は改正回数)
<日本> <ドイツ>
日本国憲法施行 1947  
  1949 基本法施行(ドイツ連邦共和国誕生)
  1951 (1)内乱罪削除
  1956 (7)再軍備を明文化
  1968 (17)非常事態立法
  1990 (36)旧東ドイツの編入
  1992 (38)欧州連合条約関連
  1993 (39)難民規制強化
(0) 1994 (42)環境保護、男女同権
◎日本国憲法改正は衆参各議院の総議員の三分の二以上で発議し、国民投票で過半数の賛成が必要
◎ドイツ基本法改正は連邦議会と連邦参議院のそれぞれ三分の二以上の同意による


 
 
 
 
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