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私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1994/05/03 朝日新聞朝刊
共に47歳。憲法と憲法君 「戦後50年 明日を求めて」(社説)
 
 東京の桜が満開になった四月上旬の一夜、ニューヨークから出張してきた佐藤憲法君と会った。高校を卒業して以来だから、二十八年ぶりだった。
 憲法君は、きょう三日、日本国憲法と共に四十七回目の誕生日を迎える。戦後の日本の歩みを形づくってきた憲法と彼の半生が、時間の上で重なっている。
 昔、憲法君と同じ教室で学んだ数学に、微分と積分というのがあった。ひとつの流れのようなものがあった場合、その流れの瞬間瞬間での傾きや方角を知るのが微分で、時間の経過による様子の変化を知るのが、いわば積分だったと記憶している。
 憲法君の半生を通して、日本国憲法とそれを取り巻く状況の流れを積分し、明日の姿を考えてみたいと思った。
 
○新しい息吹に誇らしさ
 一九四七年五月三日の夕方、彼は宮城県北部の穀倉地帯の町で生まれた。まるまるとして重さは四キロあった。両親は共に教師で、名前は同居していた祖父が決めた。
 まだ敗戦から二年足らずで、前年、たばこの「ピース」が売り出された。新時代の号砲とでもいうべき憲法発効の日に生まれ出た男児を初孫にもった興奮から、祖父は何のためらいもなく「憲法」の二文字をとり、「やすのり」と読ませることにしたと憲法君は理解している。
 名前の大きさや重さが負担になるのではないかと懸念した家族もいたが、本人は気にしなかった。むしろ、新しい日本の息吹の象徴として憲法を賞賛する大方の世論に、自分までそのかたわれのような気がした。五月三日が来るたびに、若干の誇りすら感じることがあったという。
 佐藤という姓の多さを補って余りあるほど、この名前は印象的だった。初対面の人には、必ずと言っていいほど、その読みを尋ねられた。「やすのり」と伝えても、いつのまにか周りでは「ケンポー」になってしまうことが多く、本人も自然のなりゆきにまかせた。
 日本を取り巻く世界の動きは、戦後すぐから冷戦体制に向かって行った。一歳のとき、北大西洋条約機構(NATO)が成立し、二歳でソ連の原爆保有が明らかになった。三歳で朝鮮戦争が起き、小学校入学の年に陸海空自衛隊が発足した。
 日米安保条約で日本中が揺れたのは、中学一年のときだった。団塊の世代の先頭で、一学年が二十クラスあった。つりがね型の年代別人口のグラフに、常に最大のでっぱりを描いて成長していった。
 しかし、ひそやかな晴れがましさは、憲法改正の是非論が繰り返されるたびに薄れた。「第九条と軍備」についての論議は、彼には、党派性ばかりが目につき、憲法への思い入れといったものからは、次第に疎遠になった。
 東京の大学の理工学部で学び、就職の段になって、日本文化が、世界的な座標軸の中では極めて特殊なのではないかという思いが強まった。若さに、生来の好奇心と積極性も手伝って、外資系コンピューター会社を選び、しばらくして米国に渡った。
 
○米ではそっけない反応
 名刺に「Kempo Sato」と刷り、その日本語の意味を相手に説明しても、米国人からは「あっそう、それで?」といった、そっけない反応しか返ってこなかった。その後の体験も含めて、彼は、日本が憲法上「戦争を放棄している」ことや、「戦勝国としての自国の占領軍がその草稿に大きく関与した」ことを知っている一般のアメリカ市民はほとんどいないと推測している。名刺の「Kempo」も、やがて「Ken」と改めた。
 外資系企業特有の実力主義の世界の中で、仕事とともに、異文化とどう折り合いをつけるかという方法論を学んだ。そして十年近く前、日本企業の製品を米国に売る仕事に転職し、今度はアメリカ人を使い、評価する立場になった。
 こうした多元的な経験を積んだ彼の目には、憲法がからんだ国際貢献問題での日本政府の交渉は、事の本質から発するのではなく、米国ないしは国連をいわば「オカミ」のように錯覚し、世界からの村八分を恐れているかのように映ったという。
 彼自身は、「自主制定されたものでないから」といった改憲論にも、「何が何でも変えてはダメ」というような形の護憲論にもくみしないと言う。そして、自分と憲法について、東京で語り尽くせなかったことを、後日ファクスで送ってくれた。最後は、こうなっていた。
 「制定後、約半世紀。いろいろとほころびも目立ち始めた我が憲法ではあるが、外の国との健全なお付き合いということと、己の文化の世界座標からの再認識という、ある意味では同一のテーマを見据え、ときに憲法の内容や成り立ちそのものを材料にして、じっくりと醸成するのに、もう半世紀かかってもいいじゃないか。あっという間かもしれないよ、五十年なんて」
 ほぼ同感だ。最近の憲法に関する論議は、性急に過ぎるものが多い。微分・積分のたとえで言えば、瞬間を見る微分にかたよりすぎている。積分によって、大局を立体的に見ることが必要ではなかろうか。
 憲法君も憲法も、「積分のスタート地点」である四十七年前のきょうは「希望」だった。その後、人間の方は、「ケンポー」と呼ばれた子供時代は晴れがましく、漢字の「憲法」の年ごろになって苦さも知り、「Kempo」となって国際社会に進んで身を乗り出し、「Ken」に至った。
 法律の方は、冷戦構造によって骨抜きの危機にさらされ続けた後、憲法君よりはよほど遅れて来た国際化の波などによって、一部から「時代遅れ」というような視線を浴びている。
 
○古びない「人間の尊厳」
 しかし、憲法の精神の根幹である「人間の尊厳」は、古びるようなものではない。むしろ、それをより広く実現するために、という観点での見直しや論議が必要だ。
 憲法君の父貢さんは、昨年肺がんで亡くなった。まだ六十九歳だった。四五年八月六日、被爆当日の広島で、兵士として被災者の救援や移送に携わった。被爆者健康手帳を持っており、もう一度広島を訪ねたいとの思いを抱きつつ逝ったという。亡くなる数年前、ワープロを打って自伝的小冊子『半世紀の風景』をまとめた。人生の積分とも言えるその文面からは、温かみのある人間観と共に、あの戦争についても書き残しておきたいという意思が感じられた。
 ちょうど戦後半世紀にあたる来年の秋、国際憲法学会の世界大会が東京で開かれる。世界大会は四度目だが、アジアでは初めての大会になる。日本国憲法の精神が、世界の人々と本格的にこすれあい、その真価が問われるのは、これからだ。


 
 
 
 
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