日本財団 図書館

共通ヘッダを読みとばす


Top > 社会科学 > 政治 > 成果物情報

私はこう考える【憲法改正について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


1993/05/03 朝日新聞朝刊
憲法論争に何が欠けているか(社説)
 
 美しい言葉、威勢のいい言葉は、しばしば人々を駆り立てる。しかし、同時に、しばしば真実を隠してしまう。
 「平和のために汗を流せ」はいい。が、「血を流せ」まで威勢良くなると、どうか。多くの国民がそれを望んでいるとは思われない。
 昨年から今年と、憲法をめぐる論議が続いている。「国際貢献」という美しい言葉を掲げ、世界平和のためには戦争放棄と武力不行使を定めた憲法九条が制約になるという性急な問題提起がきっかけだった。
 憲法は無論、改正できる。しかし私たちは、戦後日本が歩んだ「不戦」の道を否定するような方向の改正が、国民多数の支持を得られるとは考えない。そうした改正論には、私たちは決してくみしない。
 
○「和」の精神と「征」の歴史と
 第二次大戦を通じ「日本人は好戦的で侵略的」というイメージが広く流布された。確かに私たちは、秀吉時代の朝鮮侵略や、ほぼ十年ごとに戦争を繰り返してきた明治以降の数十年のように、「征」の歴史を持っている。
 しかし、先の湾岸戦争の時には、日本人の多くが、イラクの暴挙に怒りつつも、「正義」の名による容赦ない武力行使には、ためらいを感じたのではなかったか。
 歴史を掘り起こして改めて考えてみる。例えば、江戸時代の鎖国は「日本の進歩を遅らせた」と否定的に見られがちだが、半面、二、三千万人の人口を抱えて対外戦争もせず、三百年近くも平和を維持した社会は、世界史的には珍しい。
 その江戸時代の「和」の精神が、戦争の放棄を定めた憲法九条に対する国民の圧倒的支持につながっているのではないか、との説を上智大の藤村道生教授が唱えている。(『司法書士』九二年十二月号「日本歴史の伝統のなかの憲法第九条」)
 とくに、戦後の半世紀に関しては、私たちは世界に胸を張っていい。他国に軍隊を送って他国民を殺したことは一度もなかった。国の意思で自国民を戦いに駆り立てたこともなかった。武器を造って外国に輸出することもしなかった。
 戦後、自衛隊は創設されたものの、野放図な増強は抑制され、海外派兵は禁じられた。これは、決して憲法に一条文があったからではない。戦争の大きな犠牲をはらって一段と強固になった私たちの平和を望む意識があったからだ。カンボジアで始まった国連平和維持活動に対する協力に、武力行使を避けるための様々な制約がつけられたのも同じ気持ちからである。
 
○乏しい国民意識への洞察
 昨今の憲法論議で最も欠けているのは、そうした国民意識への洞察だ。
 改憲派、護憲派とも九条をどうするかだけにとらわれがちで、見直しに意味ありの気分だけが先行した。さまざまな護憲的改憲論も出てきて、いまや護憲派、改憲派といった言葉では旧来の意味を表すのは難しくなってきた。
 「戦争はいやだ」「武力行使は何も生まぬ」という意識が国民にある限り、軍事大国化にブレーキをかけ、海外派兵にストップをかける議論はなくなるわけがない。そのことがまったく見落とされている。
 経済大国となったわが国が、医療や食料の人道援助や経済開発、環境保護など、さまざまな分野で国際的に貢献するのは当然だ。それは、平和を望む多くの国民の声でもあり、憲法上も何の支障もない。
 湾岸戦争以来、国際紛争の表れ方はさまざまで、そこで求められている貢献策の論議も、一様ではない。人道援助に対する武力妨害にも見ぬふりをするのか、といった悩みの深い問題も起きている。
 しかし、争点をつきつめていくと、実質的には「国際紛争への軍事的加担や介入を認めるべきだ」「いや、それには慎重であるべきだ」という、日本の針路をめぐる二つの考え方の対立なのである。
 改憲論、見直し論に立つ一方の極の主張は、国連の軍事活動や多国籍軍に自衛隊を参加させよとか、集団的自衛権の行使に道を開け、である。
 
○危険な「軍事介入容認論」
 過去のあらゆる戦争が「正義」や「平和」の名の下に行われたことを考えると、これは危険な論理だ。それも、組織や活動のあり方についてはほとんど限定や注文もつけず、自衛隊の海外派兵に道を開くというのでは、表向き世界平和を説きつつ、わが国を「征」の国へと方向転換させたいだけではないか、と疑わざるをえない。
 「軍事貢献に道を開く」ような改憲は、多数の国民の支持を得られないばかりか、外国からも決して賛同されまい。アジア諸国には、元々日本が軍事的な力を持つことへの警戒心が極めて強い。
 今年二月のニューヨーク・タイムズ紙の社説は、ガリ国連事務総長による不用意な「改憲要求」発言をとりあげたうえで「日本の一層の国際貢献は望ましいが、軍事力の行使についての歯止めを緩める必要はない」と述べ、「見識ある外国人で憲法改正を声高に要求する人はほとんどいないことを知っておくとよい」と結んだ。
 絶対平和主義に立つ九条は本来、国連による秩序づくりや集団安全保障が理想的に機能することを前提につくられたものだ。 しかし、冷戦の激化で国連の安保機能は事実上まひし、日本は日米安保条約を軸とした冷戦型の防衛政策を選択してきた。自衛隊も強化され、国際社会の厳しい現実の中で、九条は事実上その理念の現実化を停止させられていたのである。
 冷戦構造が崩れ米ソの対立は消滅した。今、九条はようやく、理念を現実に生かす可能性を前にしたというべきだろう。
 
○めざせ、憲法九条の地球化
 しかし、現実の国連は、まだ急激な世界の変化に戸惑っているだけで、冷戦時代の大国主義の枠組みを脱しきれていない。意思決定のシステムや、妥当性や実効性の確保の点でも危うさがつきまとう。
 そこで国際協調主義に立つ日本がとるべき道は何かといえば、世界平和を実現するための包括的なプログラムを、世界に提示することだ。国連を地球時代の平和維持機構とするための改革に、先導的な役割を果たす必要がある。いうなれば、九条の地球化である。
 まず、核廃絶や完全な軍備管理実現への段階的計画がある。冷戦後頻発してきた地域紛争や民族・人権・難民問題の解決についての基本的なルールづくり、国際司法裁判所の位置づけと機能強化策などにも衆知を集めなければならない。
 何より国連を地球社会の公正な執行機関に成熟させる改革が必要だ。決定を実行させるには何らかの「実力」も備えなければならないだろう。ただしそれは、主権国家の意思で動く軍隊であってはならず、国連が指揮をとり、国際公務員で構成する「国連警察隊」とでもいうべき実質を備える必要がある。そうした条件が整いさえすれば、国民意識も受け入れよう。
 現実化は簡単なことではない。だが、一歩を踏み出すことが何よりも重要だ。不戦憲法の存在を世界に示し、恒久平和の構築をねばり強く国際世論に訴えていく。戦後の体験に根ざした日本の最良の国際貢献は、そこから始まるのではあるまいか。


 
 
 
 
※ この記事は、著者と発行元の許諾を得て転載したものです。著者と発行元に無断で複製、翻案、送信、頒布するなど、著者と発行元の著作権を侵害する一切の行為は禁止されています。





サイトに関するご意見・ご質問・お問合せ   サイトマップ   個人情報保護

日本財団会長笹川陽平ブログはこちら



ランキング
注目度とは?
成果物アクセスランキング
27位
(29,202成果物中)

成果物アクセス数
274,033

集計期間:成果物公開〜現在
更新日: 2017年10月14日

関連する他の成果物

1.私はこう考える【北朝鮮について】
2.私はこう考える【中国について】
3.私はこう考える【ダム建設について】
4.私はこう考える【死刑廃止について】
5.私はこう考える【公営競技・ギャンブル】
6.私はこう考える【天皇制について】
7.私はこう考える【国連について】
8.私はこう考える【自衛隊について】
9.私はこう考える【教育問題について】
10.私はこう考える【イラク戦争について】
  [ 同じカテゴリの成果物 ]


アンケートにご協力
御願いします

この成果物は
お役に立ちましたか?


とても役に立った
まあまあ
普通
いまいち
全く役に立たなかった


この成果物をどのような
目的でご覧になりましたか?


レポート等の作成の
参考資料として
研究の一助として
関係者として参照した
興味があったので
間違って辿り着いただけ


ご意見・ご感想

ここで入力されたご質問・資料請求には、ご回答できません。






その他・お問い合わせ
ご質問は こちら から