1991/02/09 朝日新聞朝刊
独の対応は非難されるべきか(社説)
湾岸戦争への貢献をめぐって、ドイツがいくつかの面で、日本とよく似た立場に置かれている。独政府は米国に55億ドルの追加拠出を決めたが、主として米英から、国際協力に「消極的なドイツ」との激しい批判を受けた中での決定だった。
わが国の貢献策が国内で平和憲法との関連でも論じられたように、ドイツでも憲法問題が論点の1つになった。
ドイツは湾岸戦争が始まる前、トルコに戦闘機18機を派遣していたが、さらに対空ミサイル部隊の増派も決めた。トルコには米軍のイラク出撃基地がある。イラク側の報復で、トルコが攻撃を受けた場合、ドイツもトルコ防衛に加わる姿勢を示した。
ドイツは基本法(憲法)により、国防軍の出動は北大西洋条約機構(NATO)の領域内で、防衛的なものに限定するとの立場をとってきた。湾岸戦争は、米軍が多国籍軍の主力であっても、NATOの戦争ではない。ドイツ軍がトルコでイラク軍に応戦する事態となれば、基本法が「明文をもって許す限度」を超えるとの法解釈が与党内にもある。
コール政権は、ためらいながらも、結局、従来の基本法の枠から「はみ出す」道を選んだ。この間、対応が「もたついた」ことで、米英などのマスコミから非難を浴びた。一方で、トルコへの派遣を嫌い、兵役を拒否する若者が続出という事態も生じている。
ドイツの場合、日本とは条件が異なる面もある。昨年の東西統一のさいに国際的な協力、支援を得たことで、関係諸国に恩義がある。加えて、独企業がイラクの持つ化学兵器などにひそかに関与していたことが明るみに出た。国と私企業の行動は別といっても、ドイツたたきの声がつのり、政府の対外的な立場を弱くした。
両国は第2次大戦でともに隣国を侵略し、敗れた。冷戦構造の中でNATO加盟を認めた独基本法と、戦争を放棄した日本国憲法とは内容が違う。しかし、「軍事大国にならない」との基本精神は両国に共通する。ともに経済大国となり、ことあるごとに「繁栄を享受するだけか」との批判にさらされる。
コール首相は、トルコへの増派を決めるにあたり、基本法を改正する意向を示した。現状での枠組みを超える「負担」が、今後とも求められるとの判断からだ。
しかし、湾岸戦争にすぐ対応するための憲法改正ではない、とも強調している。夏休み前に、各党間で改正法案をめぐる協議を始めるが、戦争が続いている間は、国会にも提案しないという。軍事にかかわる国の基本問題を、湾岸の戦況激化による一種の興奮状態が予想される中では決めないというのは、見識であろう。
わが国の政府が、避難民輸送のための自衛隊機派遣問題で、政令の改正という間に合わせの手段を取ろうとしたこととは、大きな差があることを指摘したい。
基本法の改正で、ドイツは軍事紛争で「人」の面でも寄与する道を開くが、国連平和維持軍に参加の形をとる方向ともいわれる。自衛隊機問題で、政府や自民党に「日の丸を中東に掲げるのが目的」とも取れる動きがあったのとも対照的だ。
欧州を中心に、冷戦が終わったと思う矢先に湾岸戦争が起きた。世界は新たな秩序の用意がないまま、虚をつかれたわけだが、いずれにせよ、軍事大国化を避けてきた日独のような行き方が国際的に評価されるようにならない限り、国際社会の安定と繁栄は望めないだろう。そこまでを見通した日本独自の貢献策を考えるべきだ。
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