1990/05/02 朝日新聞朝刊
「改憲」の声ひっそりと 大きな曲がり角に 自民党
3日は憲法記念日。憲法改正を「立党以来の党是」(政策綱領)として掲げてきた自民党内で、このところ憲法をめぐる論議がすっかり影をひそめている。かつて100人以上の委員を擁した党の正式機関である憲法調査会も、今ではわずか14人。今年はまだ1回も会合を開いていない。自民党などの国会議員でつくる自主憲法期成議員同盟は、今年も改憲草案を発表したが、その中身はもっぱら政治改革絡みのもの。内外の政治状況の変化、党内で急速に進む世代交代の波の中で、改憲論は大きな曲がり角にさしかかっている。
○開店休業
憲法調査会は、自民党結党直後の1955年12月に設けられた老舗(しにせ)の党機関。最も強い影響力を持っていたのが、今年2月の総選挙を機に議員を退いた稲葉修氏だ。会長の在任期間は通算16年余にも及んだ。
調査会はこの稲葉氏を中心として、80年代の前半には130−140人のメンバーを抱えた。85年に党が新しい政策綱領をつくった時には「自主憲法制定は立党以来の党是」との言葉を入れるように迫ったこともある。
しかし、今年2月の総選挙後、党が各調査会の入会希望を募ったところ、憲法調査会は人気薄。新会長には、「リベラリスト」を自任し、改憲慎重派として知られた元防衛庁長官の栗原祐幸氏(宮沢派)が就任。栗原氏自身、党執行部の会長指名に「びっくりした」という。
栗原氏は「憲法の見直すべきところを見直していくのは当然だが、戦争の放棄などを定めた9条について議論するつもりはない。大上段に構えた議論でなく、土地の所有権とか、なるべく国民生活に関係した問題を取り上げていく」と語っている。
○世代交代
先の総選挙では、新憲法の下で生まれ育った新顔代議士が数多く誕生した。その憲法観には、先輩議員たちがこだわった「占領下に米国から押し付けられた憲法」といった受け取り方は薄い。当選1回の「戦後生まれの新憲法世代」23人で結成した「センシン倶楽部」の中心メンバーで、憲法調査会委員の今津寛氏(河本派)は「私にとって憲法は、民主主義の象徴のようなもの。押し付けられたものであっても、日本が新しく生まれ変わった原点だから、大事にしたい」。
改憲論議が盛り上がった1950年代から60年代初めにかけては、東西の冷戦、自衛隊の発足などが背景にあった。60年の日米安保改定を機に、自民党政権は憲法論議などで野党と対決するのを避け、経済成長を優先させる政策に転じた。
その後、80年の衆参同日選挙での圧勝や、「戦後政治の総決算」を唱える中曽根康弘首相の登場もあって、改憲論が再び勢いを増した時期もあった。が、いまは東西両陣営が歩み寄り、軍縮の機運が盛り上がっている。「前文の『諸国民の公正と信義に信頼して』の部分は案外、悪くない」(党幹部)との声も聞かれる。
憲法をめぐる空気の変化について、憲法調査会会長代理も務めた改憲派の奥野誠亮氏(無派閥)は「改憲の発議には衆参両院議員の3分の2以上の賛成が必要なのに、自民党が選挙で過半数を取れるかどうかという状況では、どうにもならない。改憲なんて夢物語だ」と語る。
○政治改革
自主憲法期成議員同盟は、保守合同直前の55年7月、当時の自由党、民主党、緑風会などの国会議員で発足。岸信介元首相が69年から87年8月に死去するまで会長を務めた。現在の会長は元参院議長でいまは政界を退いている木村睦男氏。毎年5月3日に、やはり木村氏が会長の自主憲法制定国民会議(69年発足)と合同で自主憲法制定国民大会を開いている。
今年の大会のスローガンは「政治改革の具体案を提唱する」と「皇位継承・大嘗祭(だいじょうさい)の意義を考える」。後者は、11月の天皇陛下の「即位の礼」と「大嘗祭」をにらんだものだが、「政治改革」が取り上げられたのは初めて。リクルート事件に対する反省から憲法の中で政治倫理の確立をうたうのが狙いで、「世論の流れは政治改革。9条だけが問題なのではない」(議員同盟幹部)というわけだ。
具体的には、(1)国会議員は忠実に職務を行うことを宣誓する義務を負う(2)刑法などに触れて有罪が確定した者は被選挙権を失う(3)政治的地位を利用して企業など第三者の利益を図った国会議員は議員の資格を失う――などを、新たに憲法に明記するよう求めている。
〈注〉自民党憲法調査会の現在のメンバー。(敬称略)
会長 栗原祐幸▽会長代理 加藤武徳▽副会長 鯨岡兵輔、福島譲二、原文兵衛、村上正邦▽委員 今津寛、衛藤晟一、小林興起、中川昭一、平沼赳夫、吹田  、板垣正、田沢智治
●自民党内の改憲をめぐる主な動き
1955年7月: |
自主憲法期成議員同盟発足 |
〃 11月: |
自民党結党 |
〃 12月: |
党憲法調査会発足 |
57年8月: |
国の憲法調査会が発足 |
64年7月: |
国の憲法調査会が改憲、改憲不要の両論を併記した最終報告書をまとめる |
68年1月: |
倉石農相、改憲発言で辞任 |
69年5月: |
自主憲法制定国民会議発足 |
72年6月: |
党憲法調査会が稲葉修会長の憲法改正大綱草案を了承 |
75年5月: |
稲葉法相、自主憲法制定国民大会に出席 |
76年5月: |
三木首相、24年ぶりに政府主催の憲法記念日記念式典を開く(この年限りでとりやめ) |
80年8月: |
桜内党幹事長と奥野法相が改憲発言 |
〃 9月: |
鈴木首相が憲法順守を表明 |
81年〜83年: |
議員同盟と国民会議が改憲草案を発表 |
82年7月: |
党憲法調査会の4分科会が中間報告をまとめる。 9条については改正と改正反対の両論併記に |
83年1月: |
議員同盟、中曽根首相に改憲の要請書を提出 |
88年5月: |
議員同盟と国民会議、9条など4項目に絞った改憲草案を発表 |
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