1989/01/10 朝日新聞朝刊
元首はだれか [象徴」に揺れる解釈(政治の中の天皇:3)
外交では政府使い分け
「天皇陛下は元首でもあるが、それ以上に、国民のおとうさんみたいなものだ」。故陛下のご病状が悪化していた昨年9月22日、記者会見で石原慎太郎運輸相(当時)は強調した。
その日の夕方、国会内の自民党国会対策委員会室でこの発言を伝えるテレビニュースを見ていた小渕恵三官房長官は、渋い表情になった。新憲法は「天皇は日本国の象徴・日本国民統合の象徴」と規定し「元首」とはしていない。石原氏の「元首」発言は国会で野党側の追及を受けかねないからだ。
○政治的実権持たず
旧憲法で「国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬(そうらん)シ」とくに外交関係は「戦ヲ宣シ和ヲ講シ及諸般ノ条約ヲ締結ス」と定められていた天皇は名実ともに元首といえた。新憲法は「憲法の定める国事に関する行為のみを行い、国政に関する権能を有しない」と規定された。
学説上でも、元首を首相とする説、天皇とする説、元首は存在しない説などさまざま。元首は一般的には「国家を代表する資格を持つ国家機関」とされ、国内的にも一定の統治権行使の資格を認められる。新憲法で規定された天皇は、政治的実権を持たない点で元首としての要素を欠いている。
天皇制を積極支持する人たちの中には、「天皇を元首とする憲法改正をすべきだ」との要求や「天皇は元首と解釈すべきだ」など幅広い主張がある。
これに批判的な人たちは「天皇の元首化は、国民主権を定めた憲法そのものの否定につながる」として「天皇は単なる象徴にすぎない」と強調してきた。外交使節の任免権や条約締結権を持たない天皇が、大使の信任状を出したり外国の外交使節の信任状を受け取ったりする行為を通じて事実上元首の色彩を強めていくことが「国民主権」の原則を薄めていくのではないか、との危機感からだ。
○外国の見方テコに
1973年(昭和48年)6月、田中角栄首相(当時)は元首論について次のような国会答弁をした。
「元首である天皇にお目にかかりたい、拝謁(はいえつ)を願いたい、という申し入れがございますので、外国人は日本の天皇を元首と考えておる。憲法上も元首ではないというような規定はないわけですし、国民の統合の象徴として代表者であるという意味でそういう二段構えでいうと、その意味では元首といって一向問題はない」
元首か否かの国内規定の問題は棚上げし、外国からの見方をテコに元首的要素を積極的に認めようとする見解だ。政府は新憲法を決めた46年の国会で天皇元首論について「現状の新しき国民思想とは、ぴったりあたらないではないか」(金森徳次郎国務相)としていることからみれば、見解がかなり変化していることがわかる。
外交的に使い分けようとする政府答弁は、昨年9月22日に英国大衆紙2紙の故陛下に関する報道について抗議した中で、外務省が天皇を「わが国の元首(ソブリン)」との表現を使ったことにも表れ、国会でも論議を呼んだ。外務省は「天皇は伝統的な元首の概念にあてはまらないが、外国の大公使の接受など元首の役割を努めており、外国も天皇を実質的に元首扱いしている」というのだ。
だが、外交的には元首のようにみえる天皇が必ずしも、そう振る舞えない場合があるという。国賓などに対する歓迎行事のうち、自衛隊の儀杖(ぎじょう)隊が行う栄誉礼に立ち会われる場合だ。儀杖隊の「捧げ銃(ささげつつ)」を受けるため国賓が受礼台に立っている間も、天皇はもとの位置のままだ。「象徴である天皇は自衛隊に対する指揮・命令権を持っていないため、国賓とともに栄誉礼を受けることが出来ないから」(外務省幹部)とされる。
○影潜めた改憲決議
自民党の前身である自由党の54年の改憲案は「天皇は日本国の元首」と明記。現在の自民党では、地方組織ではなお天皇元首への改憲を決議しているところもあるが、中央では影を潜めてしまった。82年の自民党憲法調査会の改憲案は「象徴天皇は現在では国民の間に広く親しまれており、現行規定の基本精神を改める必要はない」としている。
これらの流れは象徴天皇制が定着していることを物語るとともに、天皇の元首的活動が既成事実化して、いまさら争点にする必要もないという状況になっていることを意味するのかもしれない。
新天皇が即位されたのを機に、天皇の元首論争が再び高まってくるのだろうか。
《メモ》皇室外交
天皇や皇族が外国を訪問されたり、外国からの国賓や公賓を接遇されたりすることは一般には「皇室外交」と呼ばれる。故陛下の晩年は、外国訪問は皇太子の新天皇ご夫妻が中心となられ、40カ国を上回った。「外交」というと政治的色彩を帯びるためか、宮内庁は「外国交際」の用語を使っている。とはいえ、日米安保条約改定後の当時の皇太子ご夫妻の米国ご訪問(1960年)をはじめ「政治」との結び付きが話題となった例は少なくない。
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