1987/05/13 朝日新聞朝刊
草の根の護憲 新たな勢力形づくるか(不惑の憲法:9)
この間の憲法記念日に小野幸子さん(39)は、大分市内の「お散歩デモ」の中にいた。20人ほどのメンバーはほとんどが主婦だ。2、3人ずつが思い思いのコースをたどって、路地裏にまで手製の「護憲・平和」のビラを配り歩く。シュプレヒコールも機動隊とのこぜり合いもない。約2時間かかって、予定のコースを歩き終えた小野さんは、喫茶店に入って、参加者たちと平和について、教育について、夜遅くまで話し込んだ。
○主婦が機関紙発行
大分市には「赤とんぼの会」というグループがある。毎年8月15日に「平和憲法9条を守ろう」という意見広告を新聞に出す。「戦後政治の総決算をめざす改憲論者、中曽根首相が登場したことに不安を抱いた」同市内の主婦たちが昭和57年末に作った。会の目的を月1回の例会、機関紙発行と意見広告掲載だけに絞っている。小野さんは、その「赤とんぼ」の一員でもある。
会の趣旨に共鳴する人は、年ごとに増えている。昨年は九州全域から3000人、300万円余の寄付金が集まり、大分県内の3紙に「ボクたちの憲法9条守られているの」と問いかける1ページ大の広告を載せた。名前を出したくない人を除いて、紙面には100円玉の小遣いを寄せた小学生からお年寄りまで、全員の名前を並べた。
平和や護憲の問題に関心を持ち始めて十数年。小野さんはこれまで、運動の進め方をめぐって社会、共産両党がデモのコース1つをめぐってさえいがみあう、やりきれない光景を何度となく見てきた。だから政党の活動、主張を額面通りに信じる気になれない。夫は社会党員だが「夫婦でも思想は別」と、党活動に直接タッチしたこともない。「赤とんぼ」のゆるやかで、肩に力の入らない運動のしかたや会の代表世話人・小石玲子さん(62)の「私たち市民が退いたら、護憲運動にはもう後がない」という主張に、小野さんは強くひかれている。
○「五十の手習い」で
川崎市の主婦長岡栄子さん(52)はこの春、生まれて初めて選挙運動に飛び込んだ。
女子高を出て就職、結婚。政治活動とは無縁の世界にいた長岡さんが意を決してポスター張り、ビラ配りの仲間に入ったのは、主婦の猪股美恵さん(37)が市民運動グループの一員として市議選に立つ、と聞いたからだ。猪股さんとは一昨年、市主催の平和問題勉強会で知り合った。「平和問題も何も、もうプロの政治家にはまかせておけない」が猪股さんの立候補の弁だった。
4月12日、投票。猪股さんは3693票を集めたが次点に終わった。自民党の有力市議の後援する子ども会にかかわり、親せきからは熱心に社会党候補への支持を頼まれていた自分の選挙運動は及び腰だったかな、と長岡さんは反省もした。
長岡さんは3年前、顔見知りの市職員から「市主催の憲法講座の応募者がたった1人なんですよ、受講してくれませんか」と頼まれた。それがきっかけでつくられた「憲法と教育を学ぶ会」に、いまも名を連ねる。憲法施行の年は中学1年生。「学校で習ったけど、中身はうろ覚え」の長岡さんが「50の手習い」で取り組んだ憲法は、新鮮な驚きだった。最近では親子の対話にも入り込む。都市の公害を当たり前のように書く中学の教科書に「人権感覚がない」と腹を立てた。「考えていくと、憲法の理念を実現できるのは、まず政治の場なんですね」。長岡さんは、もう4年後の選挙のことを考えている。
○政党中心への不満
ここ数年、市民、なかでも主婦らを中心とした草の根「護憲」グループが各地で産声を上げている。これは憲法が国民の間に深く根づいたことの表れというよりも、従来の政党中心の護憲運動へのあきたらなさ、さらには不信の表れという側面が強い。
護憲運動の中心を占めてきた社会、共産両党は政治路線の違いから反目し合い、運動全体のエネルギーを低下させた。その一方で、戦力不保持を定めた憲法9条をはじめとする「解釈改憲」が着々と進められた。そのうえ中曽根内閣の靖国神社公式参拝、防衛費の対国民総生産(GNP)比1%枠突破。自民党の自主憲法期成議員同盟、同党憲法調査会の表舞台への登場。民間団体「日本を守る国民会議」の結成。改憲勢力の活発な動きを目のあたりにしながら、既成の護憲勢力は人々を引きつける言葉と行動を示すことができなかった。
憲法施行から40年。護憲をかかげる社会党の中に、日米安保条約・自衛隊に対する事実上の「容認派」が根づいている。改憲を党是とする自民党には、若手代議士らの護憲勢力が育ちつつある。「憲法9条も自衛隊も支持」と語ることに違和感を持たない国民が数を増している。
小野さん、長岡さんらの草の根護憲運動の広がりは、既成の護憲勢力に刺激を与え、活力を取り戻させるきっかけとなるのか、それとも、さらにすそ野を広げ、新たな護憲勢力を形づくっていくのか。あるいは、結局、既成政党のつばぜり合いの中にのみ込まれてしまうのか。それが「不惑」を迎えた憲法の行方を大きく左右するカギになるのではないか。(田上幹夫記者)
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