1947/05/04 朝日新聞朝刊
日本再建へ発足 新憲法施行・歴史の祭典
願わくば美しい五月の青空の下でと、全国民が希望した新憲法施行の日は、夜来の雨に風を加えて冷気迫る朝となつた、記念式開始近くなつても雨はますます降りそゝぎ、人々のほおをぬらし、コウモリ持つ手を凍えさせる。しかしそれでも日本民族の解放を全世界に宣言する歴史の祭典を見ようとする人々が、近県からも宮城前広場につめかけて来る、それは東京駅の中央口から断続する黒い人の帯となつてつづき、刻々と式場をうめて行く
古びたモーニングに威儀を正し、たくましい復員服姿の青年にともなわれて来る老人、田舎風のおかみさん、若い人、喜ばしげな人、黙々と歩む人、おのおのの人がそれぞれのきようの感慨につゝまれながら二重橋を背景にどつしり構えたアーチをくゞつて来るなかに、わけて嬉しげに見えるのはその権利を封建の圧制から解き放たれた女性の輝かしい顔である
十時コウモリとカツパによそおつた参集の人々は約一万、十時二十一分、国会議員、各閣僚が雨に打たれながらしゆく然と台上、台前に並ぶ、また高松宮、賀陽宮邦壽王両殿下が台上中央にコウモリもさされず礼装を雨にうたせて立たれる、十時三十分、芦田憲法普及会会長低く身をかゞめてマイクの前に立ち「本日この意義深き日に・・・」と生みの親の喜びをのべる開式のあいさつにはじまり、つづいて国会議員を代表して尾崎行雄氏が段上にすゝみ、平調な、しかし多年議場で鍛えたさびと幅のある声で
「私は本日のきびしい天候をこの新憲法施行の日のために喜ぶ、なぜならばこの天候のごとく国家の前途はたとえ新憲法はできても難しい・・・」
と、この老政客独得の激烈な内容を盛つて語られてゆく、祝辞というよりは警告ともいうべきそれらの言葉は、これから新憲法を生かすためにたどらねばならぬ民族の苦難をじゆんじゆんと説き、群衆もまた静かにこれをきく
美辞麗句にいろどられがちな通例の祝辞の仮面をいさゝかも持たないこの言葉、全国民の悲痛な悔恨の中から生れた昭和憲法が、敗戦と破壊の暗黒の中に産ぶ声をあげ、廃墟から起ち上ろうとする民族の意思がさぐり出した一粒の種子であることを思えば、この激しい苦渋の言葉と、春というには余りにきびしすぎるきようの天候と、数こそさほど多くないが、つゝましい、きびしいその表情にこそ旧憲法の下に犯した悔いと恨みを新にし、この新憲法の成立のかげに捨石となつて散つた思想家、政客、兵士ら百万の生命に祈り捧げ、再び過去の過ちをくり返すことなきを誓う“誓い日”にふさわしいともいえよう
つゞいて吉田首相の短い、たんたんたる祝辞がその能面のような顔からマイクに吸いこまれ、さらに都民を代表した安井新都知事の式辞が終ると、新憲法施行記念国民歌「われらの日本」の合唱が、音楽学校生徒の席から起つた、それは雨に冷く打たれて静まりかえつていた民衆の心に華やいだ気持をよみがえらせ、歌声は一節ごとに高くなり、熱を加えていつた、この憲法のために心血をそゝいだ金森国務大臣の閉式のことばが終つたとき、突如、“君ケ代”の奏楽が起り、参列の人々の眼が「二重橋に一せいにそゝがれる、陛下の御出席である、礼服に中折帽−自動車から降り立たれる陛下のズボンに雨がしぶく、そして台上に陛下を迎えたとき、参列の民衆の中から期せずして「天皇陛下万歳」の叫びが起つた、それはついに大波のようなくり返しとなつて式場を包んだ、大臣も議員も民衆もただ何がなしに目がしらを熱くしてこの新生の式場を包む冷雨の下で、力足ふみつゝ、くらい空いつぱい「万歳」をくり返すのであつた(田代)
(日本財団注:●は新聞紙面のマイクロフィルムの判読が不可能な文字、あるいは文章)
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