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中禅寺湖のシロザケ
白旗 総一郎
 
 シロザケはヒメマスのように湖で育つことができるだろうか。図1は1967年10月27日の朝淡水区水産研究所日光支所の7号池排水路トラップで採捕された全長38.1cm、体重310gの成熟した雄のシロザケである(白旗、1976)。この年の10月27、28日の2日間に他に3尾の雄が再捕されている。写真から明かなようにこれらのサケは脂びれが切断標識されており、ふ化から2年11か月経ったいわゆる3年魚として回帰したものである。卵の産地は岩手県大槌川、1964年11月12日採卵の種卵を日光支所に導入、翌年1月初めふ化、同65年8月13日に5,243尾(平均体長15cm、体重21g)が中禅寺湖へ放流された(島田、1966)。
 
図1 
1967年10月27日中禅寺湖から遡上したシロザケの成熟雄3年魚、全長38cm、体重310g。眼球が突出している。
 
 それから1年後の1968年11月27日早朝私はまた同じトラップで脂びれ切断のサケを捕まえた(図2)。かなり消耗したサケで体色黒く両眼白濁が始り、左目突出、鰓蓋骨薄く疲弊し、鰭の擦れが甚だしかった。被鱗体長30.0cm、体重234gの雄で精巣重量4.9g(生殖腺指数2.1%)、腹部を押すと精液が出る状態であった。前年回帰した個体に比べ小さく、成長が悪かったが4年魚である。両年とも雌の回帰はなかった。
 1974年8月30日中禅寺湖へサケの放流が再び行われた。今回も種卵は大槌川産であり平均体重8.4g、4250尾に脂びれ切断標識とテトラサイクリン・アリザリンの経口標識を行った。しかしこの群から産卵回帰親魚の再捕はなかった。放流3か月後から湖の試験釣りで釣獲されただけであった。
 
図2 
1968年11月27日中禅寺湖から遡上したシロザケの成熟雄4年魚、被鱗体長30cm、体重234g。図1と同じく脂びれなく左眼が突出している。
 
図3 
1976年2月16日釣りで採捕された中禅寺湖のシロザケ(上)とヒメマス
 
 図3に1976年2月16日の試験釣りで採捕されたシロザケ(被鱗体長26.2cm、体重182g、尾叉長基準の肥満度0.935)をヒメマスと対比して示した。魚の状態から判断して淡水生活に十分適応していたといえるがヒメマスに比べると明かに痩せ型である。もしこの魚が海洋生活と同じ条件に置かれ7か月後の秋に成熟したとすれば体重は400gになっていたであろう。サケはヒメマスに比べきわめて釣れ易く(島田、1966)、したがって産卵期までに漁獲されてしまったことは十分に考えられる。また1965年の放流群では同年11月から翌年1月の間に流出河川の華厳の滝を落下し下流の発電所取水口の防塵ネットで再捕された個体が22尾あった。しかし今回は中禅寺湖から流下した形跡はなかった。
 図1、2の2尾とも成熟したとはいえ成長が悪く痩せていた。海洋型のシロザケ親魚では、例えば1978年北海道サロマ湖標識放流群の雄3年魚の例では尾叉長59.5cm、体重2.4kgであったから、中禅寺湖のサケは海洋型に比べ1/8の体重しか成長できなかったといえる。肥満度(尾叉長基準)を物差に比較してみると海洋型の1.14に対し図1、2の雄はそれぞれ0.87、0.87ときわめて低かった。
 一方、シロザケの淡水飼育は容易ではあるが、成熟までの長期間飼育となると報告例が少ない。バンクーバーの漁業雑誌の記事によると、1960年秋W.S. HoarとJ.E. McInerney がカラフトマスとシロザケ卵をブリティッシュコロンビア大学に導入し野外池で飼育を始めたところ62年の秋にカラフトマスの半数が成熟産卵した。また3年魚のカラフトマスが出現したが、このことは野生のカラフトマスは満2年で一生を終えるのが通例であるからきわめて珍しいことであった。サケについては再生産まで完全飼育を行う計画ではなかったものの、体長1フィート、体重1ポンド弱に成長したと報じた。Hoarの談として「私は10年以上もの間、カラフトマスとサケは淡水ではいつまでも生活できないものだと書いてきた。しかし今やその誤りを認めざるを得ない」、McInerneyの談として「一番大事なことはこれらサケマスを飼育によって全生活史を全うさせることが可能になり、魚類研究にとって大きな助けになる」と紹介している(Western Fisheries、1963)。日本ではSato & Kashiwagi(1968)が岩手県津軽石川さけふ化場の久保田耕三による3年間に及ぶシロザケの淡水飼育を報告し、1965年秋に平均体長237mm、体重242g(最大個体300mm、400g)の2年魚のうち雄2尾が成熟したが、3年目の魚の成長は様々でほとんどが水腫状症状で死亡したと述べている。日光支所でもこれと同様の結果を得ている。すなわち前述の1965年8月13日放流群と同じサケの飼育群を引続き池中飼育したところ、ふ化後満2年弱で雄が成熟した(島田・白石、1967)。
 以上の事例から、サケが淡水で終生生活し成熟できることは間違いのないことであるが、不思議なことにシロザケが湖沼で繁殖している話しを聞かない。天然湖沼におけるサケの長期滞在の例としては、イワンコフ・ブロネフスキー(1976)による1971‐1974年国後島ラグーンノエ湖の調査がある。湖岸帯で産卵ふ化したシロザケ幼魚は夏まで淡水域に滞留し盛んに摂餌して8月末‐9月初めには体長10.4cmに達した。この成長は同時期樺太沿岸海域で索餌するサケよりも遥かに優れていること、そしてこの陸封性が進めば長期淡水滞留する可能性は十分あると述べている。しかし産卵期まで滞在した報告はない。
 そこで、シロザケの湖への移植の歴史を調べてみた。日光支所の前身帝室林野局日光養魚場では明治15年(1882)から同21年(1888)の間に中禅寺湖のふ化放流事業として鮭卵を北海道から5回にわたり計398,300粒を導入した(田中、1967)。放流数や放流の効果については記載がなかった。ソ連邦は太平洋サケについて太平洋水域から外部への移殖を1932年に初めて試みた。アムール川産シロザケ受精卵をバイカル湖へ移植したが結果は何もでなかった(Isaev、1961)。
 北米大陸について、米内務省地質調査所非在来水族種(NAS)のウエッブページをみると、シロザケの移殖は1930、1940年代にアイダホ、メイン、ミシガン、ネバダ、ユタ州の湖沼や貯水池に対して行われたが全て再生産集団の造成には至らなかったという (Fuller、2000)。1975年6月、産卵期以外の時期にカナダのバンクーバー島南部を流れるゴールドストリーム川の上流ラングフォード湖で面白いサケがドイツの旅行者によって釣り上げられた。Peden & Edwards(1976)によると、この魚は尾叉長365mmのシロザケで少なくも4年魚と思われ年齢の割に小型で痩せており、この魚が適当な成長環境になかったことを示していた。湖から流出する小川が時により閉塞し乾季にこのサケが湖水に閉じ込められたと考えられている。性別も体重も記載されていないが、中禅寺湖のサケ2尾 (図2、3)と共通している点は年齢の割に小型で痩せていたということである。
 ソ連邦によるカスピ海へのシロザケの移殖は成功した。しかしカスピ海は淡水ではなく塩分13‰の湖である。1953‐1958年から1978年の間に流入河川のダム建設など自然環境の変化によって、天然産卵場が消滅し生物相が貧弱になりこの湖の漁業の特性が変わった。例えば高級魚のカスピ海さけ(Salmo trutta caspius)の漁獲量は1936年の4,400トンから1957年には10トンに減少し、低級魚のキルカ(ニシン科)が増えてしまった。そこでカスピ海さけよりも体長が小さく若令で降海するシロザケとカラフトマスが取上げられ、1962-1966年に極東からサケ585万粒、カラフトマス200万粒が移殖された。1964年から回帰遡上が始り多くの河川に遡上した。カスピ海におけるシロザケは極東地方のそれに比べ成長が早く抱卵数が多く肥満度も良好であった。いわゆる3年魚が卓越し、体重は雄が1250‐4800g、雌が1920‐4320gに達し太平洋での成長を凌駕した。カラフトマスは新しい環境に耐えなかった(マゴメドフ、1970)。流出河川がなくカスピ海の塩分は年々濃縮化の傾向を見せているので海水化に強い魚としてシロザケの移殖が考えられたという(白旗ら、1981)。カスピ海の塩分濃度が13‰つまり浸透圧が383mOsmであるということは、血漿浸透圧300‐310mOsmの淡水生活のサケ(中野ら、1985)にとって海水の浸透圧1030mOsm(塩分35‰の場合)に比べ環境水の浸透圧負荷がほとんどなく、海洋型サケより優れた成長を示したのは不思議ではない。
 シロザケはカラフトマスと並んでサケ科の魚の中でも最も海水生活に適応したと考えられている。サケ稚魚を長期間淡水で飼育しても海水に対する浸透圧調節能力に変りはなかった(中野ら、1985; Смирнов и Кляшторин、1988)。しかし成熟段階まで長期間飼育された群についてSato & Kashiwagi(1968)は、飼育2年目と3年目の淡水群の血漿氷点降下度が小さかったことから、淡水群の成長の悪さは魚体の浸透圧調節の負荷が大きすぎるためであろうと考察した。シロザケの湖沼資源造成は成功しなかったが、シロザケよりも海水に適応したと考えられるカラフトマスについては成功している。しかも極めて簡単に、期待もされず、劇的にできたのであった。1956年五大湖のスペリオル湖に計画予定外のカラフトマスが僅か2万尾程度放流されたのが始りとなり、五大湖で世代を繰返すに至った(Schumacher & Hale、1962; Ricker & Loftus,1968)。今では釣り案内に載るほか、奇数年産卵群のみならず偶数年産卵群まで増え、ヒューロン湖に注ぐ川ではカラフトマス雄(pink)とマスノスケ雌(chinook)の自然交雑種”pinook”ができるほどの繁殖をみせている(Great Lakes Fisheries Commission、2002)。このようにカラフトマスが五大湖で自然繁殖し再生産集団ができたのに対し、シロザケにはそれがみられないのはなぜだろうか。サケ属10種のうち淡水生活型をもたない種はシロザケだけである。淡水生活型のシロザケの可能性を否定する理由はないと思われるが、もしあるとすればシロザケとカラフトマスの生理生態的相違が考えられるかもしれない。例えば、環境水の塩分量に対する全生活史にわたる反応や餌料環境の解明が興味ある問題となろう。
 
文献
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