日本財団 図書館


資料II 「ピノキオ問題」
・アピール(全面回収を求める)
・われわれの検討結果
 
(『ちびくろサンボとピノキオ―差別と表現・教育の自由』 青木書店刊より抜粋)
 『ピノキオ』問題は大きく四期に分けることができる。
 まず第一期は、「まず『ピノキオ』を洗う会」の告発により、一部の出版社が回収に応じ、また名古屋市立図書館が『ピノキオ』を閲覧不可能にした時期である。
 第二期は、この問題に対する個人や団体の意見や見解・声明等が続出し、社会問題化した時期である。
 第三期は、種々の団体が、集会や研究会、シンポジウムを開き、この問題を集団的に討論し正しい問題解決をはかろうとした時期である。
 第四期は、名古屋市立図書館が、「ひとまずひっこめた」『ピノキオ』を「ピノキオ・コーナー」を設置し問題解決のための具体的活動をはじめた時期である。
 
アピール―「障害者」差別の童話「ピノッキオ」の全面回収を求める
 幼児・児童向けの図書をたくさん出している(株)小学館発行の「オールカラー版・世界の童話・第九巻・ピノキオ」はじめ五種類の「ピノキオ」には、「身体障害者」を差別する内容があります。
 すでに、お気づきのお父さん、お母さん方もあったと伺いますが、たまたま、小学館の絵本を、子供に読んで聞かせていたある父親が、これは、みんなの問題にすべきである、という提言に端を発し、それに賛同した私たちは、さっそく、「障害者」差別をはじめ、さまざまな差別とたたかう個人・団体があつまって・・・『まず「ピノキオ」を洗う会』を作りました。
 これと同時に、私たちは、まず小学館に対し、数回にわたり、童話「ピノキオ」五つの全面回収を要求しています。
 それらのピノキオ童話には
・びっこのきつねとめくらのねこ・・・といった書き方
・そのきつねとねこがピノキオをだまして木につるし、かねをうばう・・・という話
・松葉づえをついたきつねと黒めがねをかけたねこ・・・の絵
などの内容があります。
 さらに、小学館が、この年末に賭けて売り出し中の、国際版・少年少女世界文学全集・第一巻(第一回配本)「ピノッキオの冒険」にいたっては、きつねとねこに、
 「ピノッキオさん、金貨をぬすんだことはあやまります。どうかどうか、おなさけをおかけください。あわれなねこときつねめに、おかねをめぐんやってください。」
とまで言わせるほど、「障害者」を哀れな者、として描いています。
 この物語で、きつねとねこが、なぜ、わざわざ、びっこやめくらのまねをする、というように描かれなければならないのでしょうか。実際に「障害者」をもったお父さんお母さん、子どもたちが、楽しい読み物として受け入れてくれるでしょうか。むしろ、「障害者」は危なくて、おそろしい人達、また、不幸でかわいそうな哀れむべき人達であるという、差別するこころを、小さな子どもたちにおしえこみ、植えつけてしまいます。
 童話「ピノッキオ」は、イタリアのカルロ・コッロディ(一八八一)の原作で、一九世紀の抑えつけられた「障害者」の状態を、みじめなすがたのきつねやねこにあてはめて書かれたものです。
 現代社会にあっても、「身体障害者」をはじめ、被差別者は、いぜんとして、学校へ行ったり、働いたりする機会をうばわれ、また、「障害者」は「障害者」だけの学校や施設に、おしこめられたりしています。
 小学館など、出版業界は、何百万人の「障害者」への差別を、何十万何百万部、何千万部という図書の発行によって、さらに差別をふやし、たくさんのお金をもうけてきました。そして、何十年と続けてきた歴史的差別は、もはや、ぬぐい去ることのできぬほど、たいへん大きな問題となっています。とりわけ、このような差別図書を、童話として、幼稚園や小学校の小さなこどもたちに読ませているだけに、それは非常に、大きな影響を与えます。ひとたび小さな心の中に入った印象は、大きくなっても、あとあとまでもついてまわるものです。
 今日、子どもから、あそびは、どんどんうばわれ、勉強々々とせかされる子どもは、競争心ばかりあおられるという時代にあっては、さらにさらに、これらの図書は、こどもに差別の思想をあおりたたせるのに役立つでしょう。
 
小学館発行<国際版「ピノッキオの冒険」>の回収を求める
 小学館は、二度の話し合いを通して、以上のような趣旨を充分きいたはずです。しかしながら小学館は国際版「ピノッキオの冒険」を除いた四種類しか回収を認めず、「びっこ」「めくら」といった言葉だけの問題として片付けようとしています。それは、すでに、充分売ってきた、国際版以外の四種類の本は回収できても、今、売り出したばかりの新刊、国際版は、たくさんお金をかけているので回収できないというのです。
 小学館は、ピノキオ童話の差別性はみとめているといっているにもかかわらずこの一冊を残す意味は、やはり、何よりもお金もうけの方が大事だという考え方をかえていない証拠でしょう。
 私たちは、他の四種類より、国際版は、いちばん差別内容をふくんでいると考えています。これまでに売られた五種類は、一冊残らず、すべて回収するよう求めます。
 小学館は、「障害者」差別を深く反省し、残した国際版を即刻回収する行動をおこすよう私たちは強く求めます。
 差別出版物は単に、小学館一社に止まらず、同じピノキオ童話をだしている児童図書出版社の大半も同じです。本日まで。ひかりのくに社、玉川大学出版社は、回収方針を回答してきましたし、これらを含む十一社に、回収要求をしていますが、それぞれの社も、前向きに検討すると約束をしました。
 私たちは、ピノキオ童話に端を発して「障害者」差別の問題が、単なる言葉ではなく、物語の内容に深くその本質が貫かれている背景について、全国の人々とともに考え、「まず、ピノキオ」を洗っていきたいと考えています。
一九七六年十一月二十六日
「障害者」差別の出版物を許さない まず「ピノキオ」を洗う会
 
* 一九七七年八月、ピノキオ問題が社会的に大きな反響をあたえた後、多くの意見を踏まえて「まず「ピノキオ」を洗う会」でも内部的に討論がなされ、『「ピノキオ」を洗う――われわれの検討結果』がまとめられています。
 
* 「シンポジウム“人間の自由を求めて”―「ピノキオ」問題から学ぶ」
(発行 図書館問題研究会)より抜粋
 
「ピノッキオ」を洗う―われわれの検討結果―
「障害者」差別の出版物を許さない! まずピノキオを洗う会
一九七七年六月十九日(ピノキオ討論集会資料)
 
一、ピノッキオは、障害者差別の図書か
 
 (一)そもそも障害者差別を助長・拡大する部分があるとして提起されたのは幼児向けに改作されたピノキオであった。これら改作ものが一部を除いて、おしなべて幼児の興味をつなぐため「びっこ」「めくら」をかわいそうなもの、怖いものとして登場させ、障害者に対する差別意識を植えつけるのに大きな役割を果たしていることは事実である。
 ならば原作はどうなのか。
 われわれの結論はこうである。
 「原作は、期待される子供像として「五体満足のりこうな子」を強くおしだしている反面、障害者を社会の落伍者とする場面がしばしば登場しており、明らかに障害者に対する差別意識を助長・拡大するものである。ピノキオの冒険は十九世紀末に作られた古典であっても、もはや現代に通用する名作童話とはいえない。」
 (二)その具体的なあらわれ
(1)作品をつらぬく思想
 この童話は、一貫して勉強すること・働くこと・親孝行していい子になることがしあわせに通じるのだと教えている。操り人形のピノキオが最後にゼベットじいさんに、親孝行することによって五体満足な人間の子供(いかにも元気でりこうそうな少年)になるというラストシーンはそれを象徴的に現わしている。
 そしてその裏返しとして、親不孝したり、なまけたり、悪いことをしたものは、自らの身体にそれ相当の罰を受けなければならないことが随所にちりばめられている。
 たとえば―
×親の言うことを聞かない子―足が燃えてしまう(一生いざりで歩かなくては・・・)
×めくらのねことびっこのきつね―似合いの不幸せ仲間
×まぬけおとしという名の町―毛の抜けた犬・とさかもなくなったニワトリ・飛ぶことのできぬチョウチョ・しっぽのなくなったクジャク・はずかしそうなこじきやびんぼう人のむれ。
×嘘をつくと鼻がのびる。
×ばかさわぎ・きちがいさわぎ・つんぼになってしまいそうな「おもちゃの国」で遊びほうけていると―慈善病院に行くことになる・耳がのびてロバになる―見世物小屋に売られて―ビッコになり―タイコ屋に売られる。
×嘘をつき悪いことをしたねこときつね―ほんとうのメクラになり、しっぽまでなくす。
 そして、最後の場面で、ピノキオが「あやつり人形だったときのぼくったら、なんておかしなかっこうだったんだろう。でも、いまはいい子になれてうれしくてたまんないや」とつぶやく一方で、めくらの猫の毛がなくなり、おまけにしっぽまでなくなったきつねが「なにかおめぐみくださいませ」ともの乞いしている場面は、まことに対照的な場面である。めくら・びっこは、もともと乞食をするぐらいしか生きていくことのできない不幸せものであり、きつねやねこのように悪事をはたらくと不幸せなものの仲間入りをしなければならないことをまことに「教訓的」に述べているのである。即ち、確かにこの作品は、ピノッキオの冒険を描くことが中心ではあるが、しかし、その冒険を引き立たせるために配された障害者は、すべて因果応報の罰を受けた人生の落伍者としてしか登場していない。
 この作品は明らかに「五体満足にしてりこうな子」本位の思想に貫かれており、障害者差別をしらずしらずのうちに植えつけていくものにほかならない。
(2)なお、最初の場面で、きつねとねこはびっこ・めくらではなく、装っているのだから問題はない、という意見があるから一言付言しておく。
 確かに話の筋からしてびっこ・めくらを装う特段の必然性はない。にもかかわらず「装う」ねこときつねを登場させたのは何故だろうか。(現に、ディズニー版などではびっこでもめくらでもない単なるきつねとねこが登場している)
 我々はこう考える。
 まず、きつねとねこは、メクラ・ビッコ(不幸せな仲間)を装うことでピノッキオの同情をひき、次に読者をして「これは何かあるな」という予感をおこさせようとした。
 現に、この時代には、宝島(一八八三年作)のピューやシルバーのように障害者=悪玉という作品がはんらんしているのである。(昭和三九年小学館「少年少女世界名作文学」第七巻解説―荒正人―では「悪玉にはみにくい人物がえらばれています」となっている。)そして、この物語の制作過程の中で、「装う」場面が結果的に本当のびっこ・めくらになるという最後の場面を強調する布石として描かれていることに注目しておかなければならない。
 さらに、のちに障害者を見た場合、本当かうそかということで一定の距離をおくようになるのではないかという意見もだされている。確かに一番悪いのはきつねとねこである。しかし、そのキツネとネコをしてわざわざ障害者として登場させる所に、不幸せ・要注意者としての当時の障害者観があらわれているのである。
(3)ピノッキオの書かれた背景
 ピノッキオが書かれた十九世紀後半のイタリアは、ようやく国家を統一して資本主義国家として発展しようとしていた。そこでは、旧秩序が否定されると同時に、資本主義を支える新たな秩序(道徳)が求められつつあった。
 既成の枠を超えて自由かったつに行動するピノッキオの姿はまさに旧秩序の崩壊を示し、一方新秩序に合わぬ行動は次々にチェックされ、やがては親の言うことを聞き、勉強し、まじめに働くことによっていい子になっていく(出世。近代社会の可能性!)ピノッキオの姿にこそ、新しい社会を底辺で支える“よき労働者像”“新たな秩序”を見ることができるのである。
 「働かざるもの食うべからず」「一獲千金を夢みてはいけない」「コツコツ勉強し、働けばやがては五体満足な人間になれる」「怠け者は、ロバになる。こじきやびんぼう人のいるまぬけおとしの住人になる」
 こうした社会の中で、勉強の場からも、労働の場からも締め出された障害者が社会の余計者としてまぬけおとしの町におとされていくのは、まさに必然だったのである。たしかに、コロッディは一方でこうした社会の要請を描きつつも、たとえば「びんぼう人の群れの間を金持ちのだんなの馬車がとおっていきます。のっているのはきつねやどろぼうカササギや肉を食べる鳥なのです」と言ったり、「いい服をきているから紳士なんじゃない。汚れのない服をきてはじめて紳士といえる」とのべて新しい社会が生み出しつつあつた支配階級の実態を指摘しようとしているのも事実である。しかし、そのいずれも指摘するにとどまり、それ以上内容を展開し得ない。
 中心は、あくまで資本への貢献度で測られる資本制社会の肯定であり、貧しさの原因を資本の搾取に求めるのではなく、労働者の「怠け」「不勉強」にもとめる道徳の確立だったのである。
 そして何よりも確認しておかなければならないのは、こうした「道徳」が現在にいたるまでもちこされ、労働者間の差別・分断に大きな働きをしており、なかんづく障害者差別の拡大に大きな働きをしているという事実である。
 現に、障害者解放の視点に立つとき、童話ピノッキオの差別性は歴然としているにもかかわらず、「百年来の名作、大切にしたい人類の遺産」(国民融合通信)とよんでいるのは何故だろうか。
 あるいは、ピノッキオの中の障害者差別の場面はおぼえていない。大したことじゃないのではないかという反論が寄せられるのは何故だろうか、
 こうした状況こそが、まさに百年この方資本によって拡大再生産されてきた道徳観、価値観がますます強化されつつあることのあらわれにほかならない。小さい頃から、知能テストを繰り返され、塾に通わされ、選別教育を受け、有名校めざして受験戦争にしのぎをけずる子供たちや、それを奨励する親たちが童話「ピノキオ」の中にある障害者差別に気づかないとしてもそれは不思議ではないのである。
 障害者に対する差別意識は、まるで空気を吸うごとく日常茶飯事に積み重ねられており、童話は、わずかにその一つの場面に過ぎなかったのである。
 こうした現実の反映としてピノッキオは生きつづけているのだが、果たしてそれでいいのだろうか?その答えはすでに述べた。
 ただ、われわれは障害者解放の確かな視点をもたぬ限り、いかなる差別事象も見逃してしまい、そのまま子どもに伝えていくものだ、ということを忘れてはならない。







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