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II マスコミを含めた座談会
実施目的
 今まで、6回の落語上演会・各回で簡単な検討会そしてアンケート調査を行ってきました。簡単な検討会及び各アンケート調査の結果(アンケート結果(集計)参照)では、上演禁止の古典落語について『障害者に対する偏見差別を感じにくい』『地域の中で障害者を受け入れている』『何故、上演禁止なのか?』と言う意見が多く出されています。
 そこで、現在のマスメディアの状況、落語家等の現状などを把握しながら、偏見、差別問題に関する今後の展開について、障害当事者(今まで参加の得られなかった視覚障害の方)及び、関係者を含めて話合うと言うことで、下記座談会を企画いたしました。
 
実施記録
日時
2002年1月18日〔金〕 14:00〜16:30
場所
日本財団ビル2階第1会議室
 
 
東京都港区赤坂1−2−2
 
 
<連絡先> 03−6229−5558〔東京ビーエムシー〕
主催
特定非営利活動法人 障害者自立生活支援センター あゆみかん
助成
日本財団
出席者
AK 氏
<57才>テレビ局番組審査部
 
 
 
2000年6月23日(第2回落語会参加・・・東京都北区・・・)
 
 
 
 
 
 
WT 氏
<39才>新聞社医療情報部記者
 
 
 
2001年11月22日(第6回落語会参加・・・東京都渋谷区・・・)
 
 
 
 
 
 
MS 氏
<30才>新聞社社会部記者
 
 
 
2001年9月30日(第5回落語会参加・・・名古屋市中区・・・)
 
 
 
 
 
 
OK 氏
<44才>全国精神障害者家族会連合会
 
 
 
 
 
 
SI 氏
<53才>障害者支援団体代表
 
 
 
(団体=障害を持つ人も、そうでない人も共に働き、共に生活する場。パン・菓子製造、販売・印刷・農業・ヘルパー派遣等)
 
 
 
・高等技術専門校委託校校長(知的・精神障害対象)兼務。
 
 
 
・「障害者」差別の出版物を許さない!まずピノキオを洗う会活動(1976〜1979)
 
 
 
2001年9月30日(第5回落語会参加・・・名古屋市中区・・・)
 
 
 
2001年11月22日(第6回落語会参加・・・東京都渋谷区・・・)
 
 
KY 氏
<38才>落語家 真打
 
 
 
事故により2年間車椅子生活
 
 
 
1999年10月〜2001年11月まで、計6回「あゆみ会」及び「あゆみかん」と共に差別用語の為上演禁止の古典落語会を開催。
 
 
YG 氏
<32才>針・灸・マッサージ師
 
 
 
先天性全盲 盲学校卒業
 
 
 
スキーサークル「シー・ハイル」に所属。ガイドボランティアの参加経費捻出のため、自らも落語上演。夏季には北海道のアマチア落語会に毎年参加。「金明竹」の上演経験あり。
 
 
OO 氏
<28才>福祉機器開発会社倒産のため現在失業中
 
 
 
4才より全盲 盲学校卒業後、大学にて心理学専攻
 
 
 
障害者リハビリセンター指導員を経て、福祉機器開発会社入杜。
 
 
 
スキーサークル「シー・ハイル」に所属。落語好き。
 
 
KR 氏
<76才>1971年「あゆみ会」創立・会長
 
 
 
(「あゆみ会」=自宅を開放して、重度知的障害者の就労の場としての、作業所・小規模授産・精神障害者の作業所・ホーム・支援センター=当NPO設立)
 
 
 
重度知的障害者(長男)家族
〔進行〕
 
SM 氏
<69才>「NPOあゆみかん」副理事長・あゆみ会参与
 
 
 
(「NPOあゆみかん」=平成5年「あゆみ会」の各施設で抱えていた、制度外の活動を集結。障害を持つ人・高齢の人・そして関わる人の生活支援及び、それぞれの持てる力を発揮しての社会参加の場=ボランティア活動等)
 
 
 
全国精神障害者職親会事務局長兼務
 
 
 
精神障害者(長男)家族
 
 
 
海上保安庁、全国精神障害者家族会連合会総務部長歴任後、 1999年より「あゆみ会」「あゆみかん」へ関わる
 
マスコミを含めた座談会実施記録
進行:落語を通して偏見差別を考えるということをこの3年間行ってまいりました。東京都北区にあります「特定非営利活動法人障害者自立生活支援センターあゆみかん」、通称「NPOあゆみかん」の副理事長をしております。この活動は落語を主題に置いているのではありません。古典落語をひとつの題材として偏見差別とはどういうものなのかを真正面から捉え考えております。このため、もう少し皆さんからご意見を聞かせていただくことで更に内容が深めるのではないかと思い座談会を企画しました。どうぞよろしくお願い致します。
 
テレビ番組の現場では・・・
AK氏:私はテレビ社の番組審査部という部署で仕事をしております。番組審査部は、放送する内容や表現についてチェックをしたり、放送したものに表現上の問題があった場合どう対応したらいいかを考えたり、あるいは事前に問題を含んでいることが分かっているものについては、相談を受けて制作現場のディレクターやプロデューサーに改善案を伝える仕事をしております。メディアを見る目が厳しい時代でもあり、この所とみに忙しくなってきています。
 福祉落語第2回目の時に、産経新聞の記事を読んで、お電話をいたしました。次の会には、私の部のスタッフを連れて、KYさんの福祉落語を聞かせていただき、その後の座談会にも出させていただきました。
 非常に面白かったので、その後、日頃言葉による差別について番組審査部に相談に来ている制作、情報番組の現場の人達に是非聞かせたいと思って、「古典落語と差別表現」と題した落語セミナーをやっていただきました。KY師匠に直接質問できるチャンスでもありましたので、会議室に60人ぐらい集まりました。
 演目の中に「心眼」がありましたが、労作でありながら一般のところでは上演できない。どうして上演できないのかと思うほど、非常にすばらしい古典落語でした。落語を楽しむと同時に、意見交換もおこないました。テレビ局のセミナーとしては異色の企画でしたが、おかげさまで参加者には大変印象に残ったセミナーになりました。次は何時やるのか、という話が出ているところです。
 仕事のつながりでいいますと、KY師匠のオリジナルの落語の中で、車椅子の話がありますが、あるドラマ番組に、車椅子の人物が出てくる話があります。ある事件の犯人ではないかと疑われている夫婦のご主人は、車椅子で生活しています。奥さんは健常者です。そこで「その二人が怪しい」ということで女性の刑事達が話をしています。そのセリフで、一人の刑事が「だってこの奥さん怪しくありませんか。二人が結婚したのは7年前ですよ。そんな女盛りに、いくら金持ちとはいえ、車椅子の人と結婚しますか。二人には性生活もないんですよ」と言います。すると、もう一人の刑事が「ちょっとやめてよ、下品な想像するのは」というふうになっています。「いくら金持ちでも、車椅子の人と結婚するか」というセリフは、いくらなんでもまずいのではいかと、最初に台本を読んだときに思いました。
 それで、台本を読んでいくと、その女性が若い頃に義理の父親に性的虐待を受け、それが回想シーンとして出てくる。そのことが原因で、その女性は一度結婚するけれど、性に対する恐怖から性生活ができないということで、結局離婚します。その後、今の車椅子のご主人と結婚するという設定です。
 ドラマの最後には、実はこの夫婦は犯人ではなかったことが分かります。別の犯人がいたわけです。そして、性生活がなくても夫婦は愛し合っている、二人は幸せになっていくという風に話は展開します。そんなに車椅子の人を差別しているわけではないんです。ただし、途中に出てくる先のせりふはどう考えても・・・。後ほどフリートークの時にこの話をしようと思いましたが、今ご紹介しました。皆さんの御意見を伺いたいと思います。
進行:落語を通じてと言う話でしたが、新しい問題が出てきました。最初、自己紹介と上演禁止落語についてのお話をしていただき、後で掘り下げて話をしたいと思います。続いてよろしくお願いします。
 
新聞記者の現場では・・・
WT氏:新聞の医療の担当をしていますWTと申します。以前、精神障害者の特集に協力していただきまして、そのとき以来のお付き合いで声をかけていただいたと思います。上演禁止落語の、言葉狩り的な差別防止のあり方と、それが本当に差別を無くすことに繋がって行くのかという話だと思います。
 私どもの新聞の仕事から紹介させていただきますと、今、新聞などのメディアは言葉に非常に敏感で、今のシステムですと、差別用語は自然に字にならないようになっています。しかも、それを支える全体の気持ちというのは、とにかく何らかの不快感を示す方が想定されるような言葉は使わないで、できるだけ分かる意味の言葉の中で、趣旨を正確に伝えていこうということが考え方の中にあります。
 その中では、それはどういう意味かを考える前に、差別用語と出ていればとにかく排除していくという現状になっています。記者になると一年目からの訓練は、いわゆる不特定多数を相手にするメディアとして、現場の毛羽立った言葉を殺菌して、差障りのない様な言葉の中で正確に物事を伝えていくところにあります。
 それはそれとして、不特定多数に提供する以上は、言葉の制約は考える必要があります。こうした問題提起があるにしても、そこは譲れないところだと思います。それは時代の精神ですし。それが、いわゆる高座のようなところでも出来ないというのは、僕も初めて聞きました。ある程度対象を限定して、不愉快な言葉、こういう内容が含まれていると、相手に材料を提示する事であれば構わないだろうと思います。ただ落語のほうから見ると、そこをあげてしまうと文化のあり方の中で牽制が生じて、窮屈になってくる面があるのかもしれません。基本的には、不特定多数を相手にする場合には、そういう言葉は制約する必要があると思います。
 たとえば報道の中では「精神障害者の通院歴」だとか「分裂病」という言葉、そういったものについては少し配慮が足りないとか、いろいろな問題提起を受けています。それは反省点として考えるべきことが多くあります。こういった言葉は本質を見ているようですが、一面ではそこを配慮して社会に伝えていくというやり方は、決して間違ってはいないと思います。記者個人、あるいは全体としてそういう思想を持っているということです。
MS氏:私の場合は、実際に新聞社でいろいろ議論をした経緯があります。名古屋で行った当日の記事には「めくら」という言葉を使わずに、「視覚障害者等」としました。「こういう言い方じゃ怒られる」から使ってはいけない、あるいは、社内規定では使わないようにしようという癖がつい出て。特別な時には使っても良いが、その際には議論をした上でということになっています。そのことがきっかけで、今回、コラム的な欄を担当することになりました。
 その前に、あえて私は「めくら」という言葉を何ヶ所か入れてみました。これは、今までの私の経験からすると、結構勇気のいることでした。名古屋の社会部にとどまらず、東京学芸部、東京社会部、あるいはもう少し上の方とか、かなり議論を呼びました。結局、ご覧になった方はお分かりですが、1〜2週間議論した挙句、KYさんの落語の中の「めくらは、寝ている時ほどよく見える」その部分だけを使用するという結論となりました。
 障害者の現状をよく分かっているみなさんがあえて提起している事で、逆に使わないほうが何も考えていないと思われるし、自分たちもそう考えなければいけないだろうと思ったものですから、あえて使おうと思いました。しかし、その中ではかなり議論があり、なかなかこちらの言い分は通りません。趣旨は分かるが、それは使ってはいけないという一点張りの人もいました。社内でも統一見解はできていません。まさにこの問題に関して、そういう経験をしました。
進行:最初、マスコミの方の発言を受けました。次に、上演にずっと関わってきたKY師匠にお話をしていただきます。







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