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スピリチュアル・ペインと援助者の姿勢
丸屋真也
ライフ・プランニング・センター臨床心理ファミリー相談室長
 
スピリチュアル・ペインとスピリチュアル・ケア
 私は臨床心理をアメリカで学び、臨床に従事していましたが、3年ほど前に日本に帰国し、ライフ・プランニング・センターで臨床心理ファミリー相談室を開設して、実際にカウンセリングを始めました。最近では、1年に1,000件以上のケースを扱っていますが、毎日、精神的・情緒的な問題を抱えておられる方々に心理療法を行っています。その中で、たびたび直接的あるいは間接的にスピリチュアル・ペインの問題を扱うことがあります。相談には、心理的な問題だけではなく、人生における信仰の問題を抱えた方、あるいは神とのさまざまなかかわりについてみえるケースもありますので、ほとんど毎日のようにスピリチュアルの問題について扱っているともいえます。
 今回は、スピリチュアル・ペインの心理的な側面とスピリチュアル・ケアへの方向性について、臨床の現場での体験を含めてお話ししたいと思います。
 
 スピリチュアル・ペイン・サイクルとは?
 多くの方々がさまざまなスピリチュアル・ペインを経験していると思われますが、このようなクライアントに対して援助者のなすべきことは、スピリチュアル・ケア・サイクルに入れるような援助が必要だということです。その援助というのは、簡単にいうと、患者との癒しの関係を築いていくプロセスです。
 それでは、スピリチュアル・ペイン・サイクルとはどういうものなのでしょうか。
 
1. スピリチュアル・ペインと自己充足
 まず、スピリチュアル・ペインとは何かについてお話ししたいと思います。
 
スピリチュアル・ペインの定義
 スピリチュアル・ペインを臨床心理学的な面から定義しますと、これは私自身の人間観や臨床の現場、あるいは文献的な研究に基づくものですが、「スピリチュアル・ペインとは、自己充足の破綻から生じる苦痛、あるいは痛みである」ということです。
 
自己充足とは?
 では、自己充足とはどういうことかということですが、「自分ひとりで大丈夫だ。何か問題が起こっても自分で何とかできる。自分のことは自分でやれるので、あなたには関係ありません」という態度で生きていること、これが自己充足的な生き方といえます。最近は、自己責任ということが強調され、自立が求められています。確かに、現代ほど自立の必要な時代はないかもしれません。それは、少子化が進み、日本の大家族的な価値観が変わってきて、自分で考え、決断をしなければならなくなってきました。黙って待っていれば誰かが何とかしてくれる社会でも家庭でもなくなっているのです。
 しかし、このような社会の変化の中で求められるようになった自立を自己充足と同じ意味で理解していることが多く、このような人々は真に自立することはできません。遅かれ早かれ自己充足的な生き方は破綻するときがくるのです。そうなるとスピリチュアル・ペインを体験することになります。
 
2. 自己充足的な生き方の特徴
 それでは、自己充足的な生き方というのは、具体的にいえばどのようなものなのでしょうか。
 
無責任な自由
 第1は、「無責任な自由」ということです。つまり、責任の伴わない自由のことです。たとえば、返済の目途のない借金を繰り返すというようなことです。返済の目途がなければ、家族や周りの人たちにも迷惑をかけるようになります。当人に代わって借金を返さなければならないとか、取り立てられて身の不安を感じるとか、さらには、家族の基本的なニーズさえ満たせなくなるとかの間題が生じるかもしれません。
 また、責任の伴わない自由のもうひとつはギャンブルです。最近は、ギャンブルの問題を抱えてカウンセリングを求める方々もかなりいます。多くの場合、本人が望んで来るのではなく、家族が無理に連れてきます。ギャンブルをしている人は、「自分の楽しみなのに何が悪いのか」という思いでギャンブルを繰り返しています。はじめは、「誰にも迷惑をかけない」というのですが、ギャンブルを続けていけばどういう結果になるかということは自明のことですが、ギャンブルをしている人はほとんど自分のした行動の結果(借金など)に対して責任をとることは不可能です。つまり、責任のない自由を主張して無責任な行動を繰り返すのです。これが、自己充足的な生き方をしている人の姿です。
 このような自己充足を別の言葉では、「偽りの万能感」ともいうことができます。“自分は何でもできるという思い込み”のことですが、これは自己充足と同じ意味にとっていいでしょう。そのような思い込みをもっていると、無責任な自由を主張し、行動をとってしまうのです。たとえば、警察や官庁の不祥事等は、典型的な偽りの万能感からくる無責任な行動です。あるいは、家庭などでの例をあげるなら、「お茶!」といえば、すぐにおいしいお茶が出たり、「飯!」といえば、ただちに温かい食事が食べられるという思いで生活しているなら、おそらく偽りの万能感に浸っているといってよいでしょう。もちろん、そのような環境を提供している誰かがいるのですが、その方々も自立はしていません。
 
自己過信
 第2は、自己充足は「自己過信」という形で現れてきます。自分の能力や体力の限界がわかっていないということです。したがって、過度な責任を負うという形で出てくることがあります。自分の能力とか体力の限界がわからないために、自分しかできないというような思いになって、過度な責任を負ってしまうのです。そのひとつがワーカホリックといわれるものです。日本人は“働き蜂”といわれたりしますが、「自分がしなければ」というところから、自己過信に陥って、早朝から夜中まで仕事をして、それ以外の生活がほとんどない状態になるのです。人間関係も犠牲にしますし、また、家庭生活も形だけしかありません。







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