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第一部 アイコウボウ・USA
第一章 アイコウボウ・フランス、アイコウボウ・アメリカ
東京の藍工房の壁には三つの時計が掛かっている。ごくシンプルな掛け時計だが、三つの時計はそれぞれ別の時刻を指している。真ん中の時計は日本時間、左の時計はアメリカ西海岸。では、右の時計はどこか?藍工房を訪れたことのある方はお分かりと思うが、答えはフランスである。では、なぜフランスなのか?
アメリカのアイコウボウについて語るためには、まず物語をフランスから始めなければならない。舞台は十五年前の、フランスはパリである。
一九八六年十二月、私たちはクリスマスを前に華やぐシャルル・ド・ゴール空港に降り立った。
障害者十名を含めた総勢二十名の一行である。目的地はパリ。パリはシャンゼリゼ大通りで藍染めの展示会を開くためである。
藍工房の施設長竹ノ内は、以前からフランスに興味を持っていた。そもそも藍工房が作業として藍染めを選んだのは、藍染めが世界に通用する芸術であると考えたからである。芸術といえば何といっても芸術の都パリ。ゆくゆくはパリに拠点を置き、日本の障害者たちに本物の芸術を見せてあげたい、そう考えていた。そんな時、藍工房に奇妙な電話がかかってきた。
藍染めの風呂敷が欲しいというようなことを話していた電話の相手は、唐突に「何か話題になることはないか?」と言った。
突然の言葉に面食らっていると、自分はNHKのプロデューサーだという。そして、ニュースの話題を探しているのだと話した。
竹ノ内は一ヵ月後に予定していた藍工房のフランス旅行の話をした。
「じゃあ、パリで展示会をすることにしてくれ。二日待つから、パリで会場の手配をしてくれ」無茶な話である。急に展示会をしろと言われても、そう簡単に出来るわけがない。しかし、猶予は二日しかないのである。すぐさま竹ノ内はパリに住む丸山さんご夫妻に連絡を取った。
丸山さんご夫妻は竹ノ内の古い知り合いで、話を聞くとすぐにあちこちを駆け廻ってくれた。そして、なんと二日で会場を手配してくれたのである。
約束どおり、六時半のニュースで藍工房がパリで展示会を開くという話題が流れた。そして、私たちはこうしてフランスにやって来たのである。
展示会は十二月十九日から二十二日まで四日間行なわれた。まず、シャンゼリゼ大通りの在仏日本人会で二日間、続いてPLのパリ教会で二日間。
在仏日本人会はシャンゼリゼ大通りに面した有名カフェ、フーケの最上階にある。立地条件は最高なのだが、なんせ建物の最上階なので、中で藍染めの展示会が開かれていることなど通りからは分からない。私たちは(まったくフランス語が話せないにも関わらず)シャンゼリゼ大通りで藍のハッピを着てビラ配りをした。
展示会の会場はかなりの広さがあった。会場には、壁中に藍染めの洋服やタペストリーが飾られ、テーブルには藍染めの小物や刺し子の小物、染め糸や染め布なども並べられた。また変わったところでは、藍染めに刺し子をしたこたつ掛けなども売られていた。
だが会場で行なったのは展示即売だけではなかった。なんと驚くべきことに、会場では藍染めのデモンストレーションもやっていたのである。
これはなかなか大変だった。会場でのデモンストレーション自体も大変だったが、準備も相当に大変だった。特に、クリスマスのイルミネーションに賑わうシャンゼリゼ大通りを、藍染めに使う大きなバケツを何個も抱えてうろうろした時の恥ずかしさは忘れようにも忘れられない。
そんなみんなの苦労のおかげで、展示会は両日とも大盛況。そのあと続いて行なわれたPL教会での展示会も好評のうちに終わり、フランスでの藍染め展は予想以上の大成功を収めた。
さすが芸術の都パリである。フランス人の藍染めへの関心は非常に高く、特に染色をやっている人たちには絶大な支持を得ることが出来た。また、展示会を通して多くの在仏日本人の方々と知り合うことが出来たのも大きな収穫だった。みんな藍工房のフランス進出を支持し、「ぜひ、フランスにおいで」と言ってくれた。
この展示会で、私たちはフランス進出の確かな手ごたえを感じた。そして、アイコウボウ・フランス設立を決意したのである。
アイコウボウ・フランス設立を決意してから一年後の八八年二月、私たちは再度フランスはパリの地を訪れた。目的は家探し。
このとき家探しに参加したのは四名。十日間の滞在であった。
宿泊先は、昨年展示会でお世話になった丸山さんご夫妻が提供してくれた。私たちは丸山さん宅を拠点として、パリ市内の物件をあたることにした。
希望物件は三階建ての一軒家。まず部屋数が多くなくてはならない。日本からツアーを組んで来るわけだから、どうしてもまとまった部屋数が必要なのである。それに加えて、利用者が障害者であるということも考慮しなければならない。障害者が生活しやすい造りであることも大事なのである。そして最後に予算。自主運営であるわけだから、経済的な余裕はないのである。
そうしたことを考慮に入れながら、私たちはメトロを乗り継いでパリ市内を動き回った。もちろん今回もフランス語は丸っきりの私たちだったので、丸山さんご夫妻をはじめ、昨年の展示会で知り合った人たちのお世話になりながら。
しかし実際に動き回って、私たちは家探しの難しさを痛感した。三階建ての一軒家などパリ市内にはどこにもないのである。あるのはアパートばかり。しかたなく私たちは目的の物件を一軒家からアパートに変更することにした。
パリは古い街である。したがって建物も古い。アパートを何軒か見ていくにしたがって、私たちの気分はどんどん暗くなっていった。
パリのアパートはどこも古いため、生活音がやけに響くのである。ドアの開け閉め、廊下を歩く音、トイレや洗面所の排水。すべてに気をつけて生活しなければならないのである。ちょっとうるさくしたり、夜中に音を立てたりすると容赦なく苦情が舞い込む。障害者が暮らすには、あまり適した場所ではないのである。
また、建物が古いせいで、いろいろと手入れをしないと住めないところが多く、そうした修理費は借り手の負担になるそうなのである。これも痛い。なんせ私たちには経済的余裕はないのである。
それに、アパートを探しながらフランス人と接していて、痛切に感じたことがあった。フランス人、ことにパリの人は、芸術の都だけあって藍染めに強い関心を持ってはくれるが、障害者、ことに日本の障害者に対しては、まったくと言っていいほど無関心で冷たいのである。これには少なからずがっかりした。
帰国日はどんどん迫ってくる。私たちは日を追うごとに途方にくれていった。そして、それに追い討ちをかける出来事が起こったのである。
藍工房は設立以来、何度となく朝日新聞の取材を受けていた。今回のフランス進出に際しても、私たちは朝日新聞パリ支社に大きな期待をかけていた。ところが、私たちがわらをもつかむ思いで朝日新聞パリ支社を訪れたときのことである。応対に出たパリ支社の人がこう言ったのである。「あなたたちのやっていることは無謀です。フランス語も話せないあなたたちが、日本から障害者を連れて来て何が出来るというのです。フランスでは、あなたたち自身が言語的な障害者なんですよ」
この言葉に打ちのめされた私たちは、傷つきながらもフランスを後にした。
しかし、まだあきらめたわけではなかった。藍工房は逆境にめげないのである。
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