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平成14年函審第12号
件名

漁船きく丸転覆事件

事件区分
転覆事件
言渡年月日
平成14年8月16日

審判庁区分
函館地方海難審判庁(工藤民雄、安藤周二、古川隆一)

理事官
大石義朗

受審人
A 職名:きく丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
船外機を濡損
甲板員1人が行方不明、のち溺死と検案

原因
気象・海象に対する配慮不十分

主文

 本件転覆は、定置網の網起こし作業を開始する際、うねりの変化状況の監視が不十分で、網起こし作業を中止して帰航する措置がとられなかったことによって発生したものである。
 なお、乗組員が死亡したのは、救命胴衣を着用していなかったことによるものである。
 受審人Aの一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年8月18日07時00分
 北海道能取岬西方

2 船舶の要目
船種船名 漁船きく丸
総トン数 1.95トン
全長 7.64メートル
1.80メートル
深さ 0.65メートル
機関の種類 電気点火機関
出力 22キロワット

3 事実の経過
 きく丸は、昭和54年5月に進水した、さけます定置網漁業に従事する水密甲板のないFRP製漁船で、船首端から約2.17メートルの区画が物入庫、その後方約3.17メートルの区画が魚置き場で、魚置き場下方の船縦方向中央には幅約36センチメートル(以下「センチ」という。)深さ約15センチのビルジ導水溝があり、ビルジが同溝を伝わり船尾側に設けられた長さ約60センチ幅約36センチ深さ約48センチのビルジだめに流れ込むようになっており、凹状船尾中央部に船外機が取り付けられていた。また物入庫及びビルジだめには、それぞれ1個のかぶせ蓋が設けられていた。
 きく丸は、4人が乗り組み、操業の目的で、船首尾とも0.2メートルの喫水をもって、平成13年8月18日04時30分北海道能取漁港(湖口地区)(以下「湖口地区」という。)を発し、同時35分ごろ湖口地区東北東方900メートル付近の、網走市美岬地先沖合に設置された網さけます定第4号と称する定置網漁場(以下「定置網漁場」という。)に至り、A受審人ほか2人が乗り組んだ総トン数0.9トンの睦丸とともに定置網の網起こし作業に従事し、漁獲物が一杯になるごとに湖口地区に帰航して水揚げを行い、乗組員の一部が交代したのち再び定置網漁場に引き返すことを繰り返していた。
 ところで、定置網漁場は、7月1日から9月10日までの間、能取岬灯台から253度(真方位、以下同じ。)3,650メートルの地点を基点として003度方向に延びる、幅200メートル長さ500メートルの長方形区域に設定され、同区域内には陸岸から長さ約205メートルの垣網が沖に延び、その先に丘網と称する東西に延びる幅約14メートル長さ約48メートルの身網(以下「丘網」という。)が、更に同網の東端から垣網が沖に約265メートル延び、これに沖網と称する幅約15メートル長さ約70メートルの身網(以下「沖網」という。)がそれぞれ設置されていた。
 一方、定置網が設置された美岬地区海岸は、オホーツク海に面した東西に延びる遠浅の砂浜で、丘網付近の水深が約4メートルで沖に向かって深まり、沖網付近の水深が約8メートルとなっており、北寄りのうねりが押し寄せるときには、丘網付近の水深の浅い海域でうねりや波浪が一段と隆起しやすい状況となっていた。
 また、8月18日当時の北海道北東岸海域は、低気圧がオホーツク海東部に去った後、サハリン中部に中心を持つ高気圧に覆われて風が弱かったものの、前日やや強い北風が吹いた余波で北寄りのうねりが残り、海岸近くには、時折、波高2メートル前後のうねりが打ち寄せていた。
 A受審人は、8月18日朝丘網で2回、更に沖網で1回の網起こし作業を行って漁獲したますをすべて睦丸に積み、同船に山口敏雄を船長として乗り込ませ先に帰航させた後、きく丸だけを漁場に残し、丘網に移動して網起こし作業を開始することとし、06時40分ごろきく丸に自らが船長として甲板員5人とともに乗り組み、船外機を操作して操船に当たり丘網に向かった。
 06時43分A受審人は、丘網に到着したとき、水深の浅い海域に移動して折から下げ潮の末期が加わり、操業開始時と比べ高まっているうねりを認めたが、翌日が市場の定休日で水揚げできないことが気になり、この程度なら操業を続けて大丈夫だろうと思い、うねりの変化状況を十分に監視しなかったので、うねりが次第に危険な状況となっていることに気付かず、網起こし作業を中止して帰航する措置をとらないまま、丘網の袋網部に近い中渡り綱と称する綱に左舷側を付け、船外機を停止してプロペラを海面から上げた状態とし、同受審人ほか1人が作業用救命衣を着用しただけで、他の4人がこれを着用しないで網起こし作業を開始した。
 A受審人は、船首をほぼ北方に向けた状態で網を手繰って徐々に西方に移動し、06時48分袋網部に至り、漁獲したますを魚置き場に落とし込み、約500匹の約750キログラムに相当するますを魚置き場にほぼ半載して操業を終え、船体中央部の乾舷が23センチとなった状態で帰航することにした。
 06時58分A受審人は、物入庫に蓋をかぶせた状態で、北方に向首して浮子綱を手繰り寄せ同綱伝いに後退したあと、網の外に出たところで船外機のプロペラを海面に下げ、甲板員1人を船尾左舷側でビルジだめの蓋を外してビルジのくみ出しに当たらせ、また他の乗組員が船首部に位置し、自らは船尾右舷側に腰を掛け船外機を始動して操作に当たった。
 そして、A受審人は、網を固定する南側綱の浮玉をかわすため、機関を後進にかけ船首をうねりに立てるように努めながら後進したものの、思うように船首が浮玉をかわる状況にならないことから、前進及び後進をそれぞれ数回繰り返しているうちに船首が北西方に向きながら船体が東方に流れ、船尾が型枠固定用の錨綱に接近するようになり、これを避けようとしていたとき、高さ約2メートルのうねりを右舷方から受け、大量の海水が船内に打ち込み右舷側に傾いた後、続けてきたうねりで左舷側に大傾斜して復原力を喪失し、きく丸は、07時00分能取岬灯台から258度1.95海里の地点において左舷側に転覆した。
 当時、天候は曇で風力3の北北東風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、転覆地点付近海域には北方からの高さ約2メートルのうねりがあった。
 転覆の結果、A受審人ら乗組員全員は、海上に投げ出されて4人がきく丸の船体に、ほかの1人が定置網のロープにそれぞれつかまっていたところ、帰りが遅いことに不審を抱き様子を見にきた睦丸に救助されたものの、甲板員K(昭和23年10月13日生)が行方不明となり、のち遺体で収容され溺死と検案された。また、きく丸は、船外機に濡損を生じた。

(原因)
 本件転覆は、北寄りのうねりがある、オホーツク海に面した北海道能取岬西方のさけます定置網漁場において、網起こし作業を開始する際、うねりの変化状況の監視が不十分で、網起こし作業を中止して帰航する措置がとられず、高まったうねりを受けて大量の海水が船内に入り、大傾斜して復原力を喪失したことによって発生したものである。
 なお、乗組員が死亡したのは、救命胴衣を着用していなかったことによるものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、北寄りのうねりがある、能取岬西方のさけます定置網漁場において、沖網から丘網に移動して網起こし作業を開始する際、操業開始時に比べ高まっているうねりを認めた場合、丘網付近の水深の浅い海域はうねりや波浪が一段と隆起しやすいところであるから、うねりが危険な状況となっているか見極められるよう、うねりの変化状況を十分に監視すべき注意義務があった。ところが、同人は、この程度なら操業を続けて大丈夫だろうと思い、うねりの変化状況を十分に監視しなかった職務上の過失により、うねりが次第に危険な状況となっていることに気付かず、網起こし作業を中止して帰航する措置をとらないまま、高まったうねりを受けて大量の海水が船内に入り、大傾斜して復原力を喪失し転覆する事態を招き、船外機に濡損を生じさせたほか乗組員1人が溺死するに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の一級小型船舶操縦士の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。 





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