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 海難審判庁裁決録 >  2002年度(平成14年) > 乗揚事件一覧 >  事件





平成14年広審第41号
件名

引船天常丸引船列乗揚事件(簡易)

事件区分
乗揚事件
言渡年月日
平成14年6月12日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(竹内伸二)

副理事官
神南逸馬

受審人
A 職名:天常丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:天常丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)

損害
天常丸・・・船底に擦過傷
台 船・・・船首に凹損

原因
天常丸・・・船位確認不十分、操船の指揮不適切

裁決主文

 本件乗揚は、船位の確認が十分でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。

適条

 海難審判法第4条第2項、同法第5条第1項第3号

裁決理由の要旨

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年6月13日02時50分
 広島県尾道糸崎港沖合 細ノ州

2 船舶の要目
船種船名 引船天常丸 台船KY−1号
総トン数 79トン 1,486トン
全長 25.5メートル 63.9メートル
機関の種類 ディーゼル機関  
出力 456キロワット  

3 事実の経過
 天常丸は、造船資材を載せた台船の曳航業務に従事する鋼製引船で、広島県千年港を基地として主に瀬戸内海を航行し、A、B両受審人ほか2人が乗り組み、ハッチカバーを載せて船首尾とも0.8メートルの等喫水となった無人の非自航型台船KY−1号(以下「台船」という。)を長さ60メートルの曳航索で引いて全長139メートルの引船列を構成し、船首1.8メートル船尾3.0メートルの喫水をもって、平成13年6月12日15時10分山口県平生港を発し、千年港に向かった。
 A受審人は、数年前から天常丸に船長として乗り組み、瀬戸内海の狭水道通航経験が豊富で、9日前千年港で初めて天常丸に乗船したB受審人とは一緒に乗船したことがなく、船橋当直を同人及び無資格の甲板長と自らの3人がそれぞれほぼ4時間ずつ単独で行うこととしたが、狭水道通航時には自ら当直に就いて操船にあたるようにしていた。
 A受審人は、出航操船に引き続き、単独の船橋当直に従事して上関海峡を通航し、16時30分から1時間ばかりB受審人と交替して夕食を済ませ、その後平郡水道及びクダコ水道を経て安芸灘に入り、22時00分斎島南方で甲板長に同当直を引き継いで休息した。
 翌13日01時00分A受審人は、大崎上島東岸沖合の三原瀬戸で甲板長と交替して再び船橋当直に就き、大小多数の島が集まり、水路が屈曲した同瀬戸を東行して大三島、大久野島間の水路を通り、その後平素は青木瀬戸から柄鎌瀬戸を経て細島、小細島間の狭い水路を通り布刈瀬戸に入っていたが、このときは目的地まで時間的に余裕があったことから、水路幅が1,000メートル前後で比較的広く、屈曲も少ない尾道糸崎港沖を経て布刈瀬戸に向かうこととした。
 01時50分A受審人は、高根島灯台南西方2.5海里の地点に達したとき、02時から06時までの船橋当直に就くため昇橋したB受審人に、海図台に用意した海図第103号(三原瀬戸及付近)上に指で予定進路を示し、尾道糸崎港沖の長太夫礁灯標北方から布刈瀬戸に向かい、途中不安を感じたら報告するよう指示したところ、B受審人から、18年ほど前に昼間2度ほど三原瀬戸を西行したことがあるのみで最近は通航したことがなく、夜間、同瀬戸を単独で通航するのは初めてである旨告げられたが、比較的水路幅が広いところで天候も良く、同人に対して不安があれば報告するように指示したので、その後の当直を単独で任せることができると思い、自ら操船の指揮を執ることなく、同人に当直を引き継ぎ、自室で休息した。
 こうして船橋当直に就いたB受審人は、夜間、不慣れな三原瀬戸を初めて通航するので、再度海図第103号を見てA受審人から指示された進路のほか、細島北方に広がる干出砂州の細ノ州や、予定転針地点の南方に設置された北方位標識の長太夫礁灯標を確かめ、三原市沿岸に沿って青木瀬戸を通航して三原湾沖を通過したあと、同灯標北方で右転すれば因島大橋の明かりが見えるので水路を間違うことはないと考え、その後3海里レンジのレーダーで陸岸の映像を見ながら青木瀬戸を東行したのち須波港沖を北上した。
 02時34分B受審人は、三原湾沖の、小佐木島灯台から030度(真方位、以下同じ。)1,400メートルの地点に達したとき、前方に細ノ州北西方灯浮標のモールス符号Aの赤光と、その少し左遠方に長太夫礁灯標の連続急閃白光をそれぞれ認めたので、海図第103号を見て長太夫礁灯標の位置を確かめたものの、同海図が古くて少し汚れていたうえ老眼のため、海図に記載された灯質を読み取ることができなかったが、眼鏡を使用して同灯標の灯質を確かめるとか、レーダーで前方の岩子島など付近の陸岸までの距離を測定するなどして船位を十分に確認せず、赤光が転針目標の長太夫礁灯標で、連続急閃白光は漁船か陸岸の明かりだろうと考え、針路を細ノ州北西方灯浮標の北方350メートルに向く087度に定め、機関を回転数毎分320の前進にかけて6.0ノットの対地速力で進行した。
 02時42分B受審人は、長太夫礁灯標から282度1,650メートルの地点に達したとき、右舷船首50度450メートルとなった細ノ州北西方灯浮標の赤光を見てほぼ予定の転針地点に達したと思い、実際には同地点の約1,300メートル西方に位置していたことから因島大橋の橋梁灯を視認することができず、しかも右方に黒く見える細島や因島と前方の岩子島及び向島の各島影が重なり合っていることから布刈瀬戸に入る水路が判然とせず、更にレーダー映像を見てもどこが細島かよく分からなくなって船位に不安を感じたが、依然長太夫礁灯標や佐木島灯台など付近に見える夜標の灯質を海図記載の灯質と照合するなどして船位を十分に確認しないまま、ゆっくり右転しながら進めばやがて因島大橋の橋梁灯が見えてくるものと思い、速やかにA受審人に報告して昇橋を求めることなく、細ノ州北西方灯浮標を長太夫礁灯標と誤認したまま、右舵を少しとって右転を開始した。
 その後B受審人は、レーダーを見ないで、曳航索が横引き状態とならないよう船尾方の台船を監視しながら舵中央と右舵5ないし10度を適宜繰り返して続航した。
 こうして天常丸は、ゆっくり回頭しながら細ノ州に向かって進行し、やがてB受審人は、前方間近に迫った細島の島影を見て進路を誤ったことに気付いたが、機関の回転を下げて減速すれば主機関で運転中の発電機が停止するので減速、後進をかけることができず、そのまま右転して細島西方の水路に入るつもりで進行中、02時50分長太夫礁灯標から234度840メートルの地点において、船首がほぼ180度に向いたとき、原速力のまま、水深約2.8メートルとなった細ノ州に乗り揚げた。
 当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の末期であった。
 A受審人は、船体が停止したとき衝撃を感じて昇橋し、事後の措置にあたった。
 乗揚の結果、天常丸船底に擦過傷が生じるとともに、台船が天常丸に惰力で衝突して同船左舷船尾及び台船の船首にそれぞれ凹損が生じ、来援した引船によって引き下ろしを試みたものの離礁せず、その後海水バラストを排出し、翌14日早朝の高潮時に引船により引き下ろされて千年港に引きつけられ、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件乗揚は、夜間、大小多数の島が集まり、水路が屈曲した三原瀬戸において、尾道糸崎港沖合を布刈瀬戸に向け東行中、船位の確認が不十分で、長太夫礁灯標の西北西方で転針し、細島北西の細ノ州に向かって進行したことによって発生したものである。
 運航が適切でなかったのは、夜間、三原瀬戸を通航中、船長が、自ら操船の指揮を執らなかったことと、同瀬戸の夜間通航経験がない船橋当直者が、船位に不安を感じた際、船長に報告して昇橋を求めなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、大小多数の島が集まり、水路が屈曲した三原瀬戸を通航する場合、船橋当直者から、夜間の同瀬戸通航経験がないことを告げられたのであるから、自ら操船の指揮を執るべき注意義務があった。しかし、同人は、比較的水路幅が広いところで天候も良く、船橋当直者に対して、不安を感じたら速やかに報告するよう指示したので単独で操船を任せることができると思い、自ら操船の指揮をとらなかった職務上の過失により、同当直者が、船位に不安を感じながら細ノ州北西方灯浮標を長太夫礁灯標と誤認したまま転針し、細ノ州に向け進行して乗揚を招き、天常丸の船底に擦過傷並びに同船左舷船尾及び台船の船首にそれぞれ凹損を生じさせるに至った。
 B受審人は、夜間、通航経験がない三原瀬戸において、単独で船橋当直に従事して尾道糸崎港沖合を布刈瀬戸に向け東行中、細ノ州北方に至り、付近の島影が重なり合って布刈瀬戸に入る水路が判然とせず、またレーダーに映った付近の島がよく分からなくなって船位に不安を感じた場合、速やかに船長に報告して昇橋を求めるべき注意義務があった。しかし、同人は、ゆっくり右転しながら進めばやがて因島大橋の橋梁灯が見えてくるものと思い、速やかに船長に報告して昇橋を求めなかった職務上の過失により、細ノ州北西方灯浮標を長太夫礁灯標と誤認したまま転針し、細ノ州に向け進行して乗揚を招き、前示の損傷を生じさせるに至った。





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