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 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 死傷事件一覧 >  事件





平成13年門審第9号
件名

漁船第七宮地丸漁船第1宮地丸乗組員負傷事件

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成13年10月2日

審判庁区分
門司地方海難審判庁(西村敏和、橋本 學、島 友二郎)

理事官
千手末年

受審人
A 職名:第七宮地丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
B 職名:第1宮地丸船長兼漁ろう長 海技免状:一級小型船舶操縦士

損害
甲板員1人が頸椎環推後頭脱臼及び右外転神経麻痺(2箇月半入院加療)、甲板員3人が打撲傷

原因
第7宮地丸・・・漁労作業(大手網の状況確認不十分)の不適切
第1宮地丸・・・甲板作業における安全措置不十分

主文

 本件乗組員負傷は、第七宮地丸及び第1宮地丸がまき網漁業に従事中、第七宮地丸が第1宮地丸に接近する際、大手綱の状況確認が不十分であったことと、第1宮地丸が甲板作業における安全措置が不十分であったこととによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年5月13日04時50分
 福岡県小呂島北北東方

2 船舶の要目
船種船名 漁船第七宮地丸 漁船第1宮地丸
総トン数 17トン 14トン
登録長 16.48メートル 14.89メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
漁船法馬力数 180 160

3 事実の経過
 第七宮地丸は、中型まき網漁業に従事するFRP製漁船(運搬船兼灯船)で、A受審人ほか1人が乗り組み、操業の目的で、船首0.3メートル船尾2.2メートルの喫水をもって、また、第1宮地丸は、同漁業に従事するFRP製漁船(網船)で、B受審人ほか12人が乗り組み、操業の目的で、船首0.5メートル船尾1.5メートルの喫水をもって、平成11年5月12日17時20分両船のほか5隻の付属船(以下「宮地丸船団」という。)とともに福岡県大島漁港を発し、同漁港沖合の漁場に向かい、大島から小呂島にかけての玄界灘において、各船がそれぞれ魚群探索を開始した。
 宮地丸船団は、第1宮地丸及び第七宮地丸のほか、第八宮地丸、第11宮地丸、伸洋丸及び海久丸(いずれも運搬船兼灯船)並びに第6宮地丸(灯船)の計7隻で構成され、毎年5月から12月にかけてはまき網漁業に従事しており、平成11年は5月初旬から操業を始め、毎日夕刻大島漁港から一斉に出漁し、夜間、玄界灘であじ・さばの漁獲を目的とした操業を行い、翌早朝博多漁港などで水揚げする操業形態を採っていた。
 第1宮地丸の漁ろう設備は、船首部中央に大手綱巻き揚げ用のウインチ(以下「大手巻きウインチ」という。)が、右舷船首のフェアリーダに向けて設置され、同フェアリーダを介して大手綱を巻き揚げるようになっており、船首甲板左舷側には、環締ワイヤ巻き揚げ用のウインチ(以下「環巻きウインチ」という。)2台がいずれも右舷側に向けて設置され、右舷側ブルワーク上のガイドローラを介して環締ワイヤの両端を巻き締めるようになっていた。また、船尾甲板には、船尾端にネットホーラが設置されているほか、網さばき機、サイドローラなどの漁ろう機械が設置され、巻き揚げた漁網を船尾甲板上に収納するようになっていた。
 同船のまき網漁具は、漁網が長さ約430メートル網丈約150メートルで、その上端には浮子綱(あばづな)を付け、下端の沈子方(ちんしほう)に取り付けた環には長さ約1,000メートルの環締ワイヤを通しており、浮子綱の一端から、直径35ミリメートル(以下「ミリ」という。)長さ50メートルの大手綱を取り、同綱は、浮子綱側から35メートルまでが浮揚性のないポリエステル製で、網船側に連なる残り15メートルが浮揚性のあるポリエチレン製となっていて、網船側の索端に直径14ミリ長さ1.5メートルの先取索が繋(つな)がれていた。一方、環締ワイヤの一端からは、直径28ミリ長さ50メートルの浮揚性のないビニロン製の導索を取り、これに直径16ミリ長さ12メートルの同じくビニロン製の先取索が繋がれていて、大手綱及び導索の各先取索の先端には、1箇所に切り込みが入った長径100ミリ短径60ミリのステンレス製連結金具(以下「C環」という。)が取り付けられていた。また、漁具の標識として、セールボードのマストを転用した、基部の直径が80ミリ及び長さ3.5メートルのグラスファイバ製主柱の中央部に発泡スチロールの浮体と基部に鉛の重りを、先端部に簡易点滅灯3個をそれぞれ取り付けた、「タンポ」と称する標識灯(以下「標識」という。)を使用しており、同標識には直径14ミリ長さ1メートルの索が2本取り付けられ、その先端にはそれぞれC環が取り付けられていて、大手綱及び環締ワイヤの各先取索のC環と連結するようになっていた。
 また、宮地丸船団の操業方法は、魚群を探知したところで、灯船に集魚灯を点灯させるなどして魚群の監視を行わせ、操業に加わる運搬船の準備が整ったところで投網を開始することにしており、網船である第1宮地丸が先ず標識を投入し、これに連なる大手綱及び環締ワイヤの導索をそれぞれ繰り出した後、魚捕部の付いたおもて網から投網を始め、灯船を中心にして右回りに円を描くようにとも網まで順次投網し、投網を終えると標識投入地点に戻ってこれを右舷船首部から取り込み、標識と環締ワイヤの先取索とを繋いでいたC環を切り離して同先取索を環巻きウインチに取り、次いで標識と大手綱の先取索とを繋いでいたC環を切り離して同先取索を大手巻きウインチに取ってそれぞれ巻き始める。
 そのころ、運搬船は、網船の左舷船首方から接近し、網船の左舷側を約5メートル隔てて通過しながら、網船から投げられる直径32ミリ長さ約120メートルのこぎ綱の先端を受け取り、揚網中に網船が漁網の上に乗らないように、「うらこぎ」と称して網船の左舷側をほぼ直角方向に引き始める。
 一方、網船は、大手巻きウインチで大手綱を巻いて浮子綱端を引き寄せ、同端を右舷船首のたつに取り、同時に2台の環巻きウインチで環締ワイヤを巻き締めて沈子方を絞り、魚が網底から逃げることができないようにして環を揚げ、船尾のネットホーラでとも網から揚網を始め、やがておもて網まで揚網が進むと、灯船が漁網内から外に出て運搬船とうらこぎを交替し、運搬船は、網船の右舷側に位置して浮子綱を取り上げ、両船が平行な状態で網の両端を保持し、魚捕部に入った魚をたも網ですくい揚げ、運搬船の魚倉内に入れて氷蔵していた。
 この一連の操業には、標識の投入から投網を終えて標識投入地点に戻るまでが約5分、同標識を揚収して大手綱及び環締ワイヤを巻き始めるまでが2ないし3分、環締ワイヤを巻き終えるのに15ないし20分、揚網開始から運搬船に漁獲物を取り込み始めるまでが約30分、漁獲物の取り込みを終えるのに10ないし15分をそれぞれ要し、1回の操業に1時間10ないし20分を要して一晩に数回の操業を繰り返していた。
 B受審人は、翌13日00時00分ごろから小呂島の北北西方3.7海里の地点において、2回目の操業を始め、01時10分ごろ揚網を終え、同島北東海域において広範囲に魚群探索を行っていたところ、04時20分同島の北北東方約8.5海里の水深約64メートルの海底に存在する沈船の上部にあじの魚影を探知したので、灯船の第6宮地丸を呼び寄せ、集魚灯を点灯させずに魚群の監視を行わせ、更に自船の南方にいた第七宮地丸を呼び寄せて3回目の操業を行うことにした。
 A受審人は、02時30分ごろ小呂島港西防波堤灯台から034度(真方位、以下同じ。)7.2海里の地点において、魚影を探知したので錨泊して集魚灯を点灯していたところ、04時20分第1宮地丸からの無線連絡を受け、同船まで約5.5海里の距離があったものの、各運搬船のうち自船が第1宮地丸に比較的近かったので、3回目の操業には自船が加わることにして直ちに揚錨に取り掛かり、同時26分同地点を発進し、針路を003度に定め、機関を全速力前進にかけ、18.0ノットの速力で投網予定地点に向けて北上した。
 第1宮地丸は、投網するに当たり、潮上に向かって投網する、「おとし」と称される投網方法を採ることが多かったが、潮流の流向と風向とが反対方向の場合には、海面下の大手綱が潮流によって潮下に、標識が風下にそれぞれ圧流され、加えて環締ワイヤが沈下して同ワイヤの導索が張り気味となり、大手綱に取った先取索の結び目部分が内側に引かれ、大手綱が弛んで大きく潮下にわん曲することがあった。
 A受審人は、長年、第七宮地丸の船長として乗船し、まき網漁業に従事していたので、このことを知っており、このため、第1宮地丸からこぎ綱を受け取るときには、予め投網地点付近で待機し、標識の位置や網なりなどから大手綱の状況を確認した上で、第1宮地丸に対してできるだけ平行な針路で接近することにしていた。
 ところが、A受審人は、04時44分小呂島港西防波堤灯台から034度7.2海里の地点に達し、第1宮地丸までの距離が約1.5海里となり、あと約5分で投網予定地点に到着できる見込みとなったとき、第1宮地丸が投網に約5分を要することから、その時点で同船が投網を始めると、自船の到着と同船の標識揚収とがほぼ同時機となり、予め投網地点付近に待機して大手綱の状況を確認する時間的な余裕がなかったが、これまでも待機せずにそのままこぎ綱を受け取ることがあり、特に問題はなかったので今回も大丈夫と思い、B受審人に対して投網を始めてよい旨の無線連絡をした。
 B受審人は、操業全般を指揮するとともに自ら第1宮地丸の操船に当たり、乗組員を船首尾甲板に配置して投網準備を終えたころ、第七宮地丸からの連絡を受けて投網を始めることにし、04時45分小呂島港西防波堤灯台から029度8.5海里の地点において、灯船の南西方に標識を投入し、機関回転数毎分900の7.0ノットの速力で潮上に向けて航走を始め、標識の投入に続いて大手綱及び環締ワイヤの導索を繰り出し、灯船を中心にして網の中央部が潮上側に向くよう、右舵5度をとって右回りに円を描くように投網した。
 B受審人は、とも網を投入し終えたところで機関回転数毎分600の3.0ノットの速力に減じ、船首を300度に向けて標識を右舷船首方に見るように接近し、標識まで約10メートルとなったところで微速力後進にかけて行きあしを止め、作業灯を点灯して船首甲板を照明し、同甲板に配置した甲板員H邦雄ほか3人に標識の揚収作業などに当たらせた。
 ところで、B受審人は、標識の揚収、各先取索の切り離し及びウインチへの取り込みなど、一連の甲板作業を行わせるに当たり、大手綱には通常大きな張力がかかることはなく、標識の揚収から各先取索のウインチへの取り込みまでの一連の作業が短時間であるので、同作業に従事する乗組員に危害を及ぼすことはないものと思い、乗組員に対し、標識を揚収した後は、同標識と右舷舷側との間(以下「標識の内側」という。)に位置して作業することのないよう、同標識を右舷舷側に沿わせて置くなど、同作業における安全措置について指示していなかった。
 A受審人は、見通しのよい操舵室上部左舷側の操縦席で操船に当たり、04時49分小呂島港西防波堤灯台から029度8.45海里の地点において、おもて網の浮子綱まで約100メートルとなったとき、暗くて浮子を視認することができなかったものの、第1宮地丸からの距離などから推測してほぼ浮子綱端に向くよう、針路を040度に転じたところ、第1宮地丸を右舷船首23度115メートルに見るようになり、このころ同船が標識を揚収したのを視認し、徐々に減速しながら浮子綱端に接近した。
 A受審人は、潮流の流向と風向とが反対方向であり、海面下の大手綱が潮下にわん曲している状況であったが、第1宮地丸に対する投網を始めてもよい旨の連絡が早過ぎたため、投網地点付近に待機して大手綱の状況を確認することができなかったので、海面下の大手綱が潮下にわん曲していることに気づかずに浮子綱端に向けて続航した。
 一方、B受審人は、標識を右舷船首から揚収できるように操船し、04時49分甲板員2人が右舷船首から標識を揚収したが、このとき乗組員に対し、標識の内側に位置して作業することのないよう指示せず、甲板作業における安全措置を十分にとることなく作業を続行し、揚収した標識を船首側の環巻きウインチの近くに置き、環締ワイヤ先取索のC環を外して環巻きウインチのC環と連結して環締ワイヤの巻き揚げ準備を終え、続いて同標識を大手巻きウインチ側に移動し、標識の先端を左舷側に向けて船首甲板のほぼ中央部に置き、H甲板員ほか3人がいずれも標識の内側に位置し、大手綱先取索のC環を外しやすくするため、甲板員2人が右舷船首ブルワーク上にあるたつの付近に立ち、同たつを介して舷外に出ていた大手綱を手繰って先取索を弛ませ、H甲板員が標識の内側で同先取索のC環を外す作業に取り掛かった。
 A受審人は、04時49分少し過ぎ浮子綱端までの距離が約50メートルとなったとき、極微速力前進の4.5ノットの速力として浮子綱端にほぼ直角に接近し、同時49分半、同距離が約30メートルとなったところで、依然として大手綱が潮下にわん曲していることに気づかないまま、右に大きく転舵して右回頭を始めた。
 こうして、B受審人は、甲板作業を続行中、04時50分小呂島港西防波堤灯台から029度8.5海里の地点において、第七宮地丸が右に大きく転舵したことにより、船尾が左方に振れて同船の推進器翼が大手綱に接触し、同綱が急激に緊張して標識が右舷側に強く引かれ、同標識の内側でC環の取り外し作業を行っていたH甲板員ほか3人が同標識に強打された。
 当時、天候は晴で風力1の南西風が吹き、潮流は微弱な南西流があった。
 B受審人は、沈子方の沈下状況を確認するため、操舵室左舷側にあるネットゾンデのスイッチを入れたとき、大声を聞いて事故の発生を知り、また、A受審人は、第1宮地丸の左舷側を約5メートル隔てて進入し、こぎ綱を受け取って同船を通過した直後にB受審人からの無線連絡によって事故の発生を知り、それぞれ事後の措置に当たった。
 その結果、大手綱のほぼ中央部が切損し、H甲板員が2箇月半の入院加療を要する頚椎環椎後頭脱臼及び右外転神経麻痺などを負ったほか、甲板員3人が打撲傷などの軽傷を負った。

(原因)
 本件乗組員負傷は、夜間、福岡県小呂島北北東方の玄界灘において、第七宮地丸及び第1宮地丸がまき網漁業に従事中、第七宮地丸がこぎ綱を受け取るために第1宮地丸に接近する際、大手綱の状況確認が不十分で、第七宮地丸の推進器翼が大手綱に接触してこれを緊張させたことと、第1宮地丸が標識の揚収などの甲板作業を行う際、同作業における安全措置が不十分で、乗組員が緊張した大手綱に取り付けた標識に強打されたことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人が、夜間、福岡県小呂島北北東方の玄界灘において、第七宮地丸及び第1宮地丸がまき網漁業に従事中、こぎ綱を受け取るために第1宮地丸に接近する場合、予め投網地点付近で待機して大手綱の状況を十分に確認すべき注意義務があった。しかしながら、同人は、これまでも自船の投網地点到着と標識の揚収とが同時機となることがあったが、特に問題はなかったので、予め投網地点付近で待機して大手綱の状況を確認しなくても大丈夫と思い、投網予定地点まで約5分となったところで第1宮地丸に対して投網を始めてもよい旨の無線連絡を行ったため、投網時に到着することができず、大手綱の状況を十分に確認しなかった職務上の過失により、海面下の大手綱が外側にわん曲していることに気づかず、同綱の付近で大きく右転したことにより、船尾が左方に振れて推進器翼が同綱に接触してこれを緊張させ、第1宮地丸で大手綱に取り付けた標識の切り離し作業を行っていた乗組員が同標識によって強打され、乗組員1人に2箇月半の入院加療を要する頚椎環椎後頭脱臼及び右外転神経麻痺を、乗組員3人に打撲などの軽傷をそれぞれ負わせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B受審人は、夜間、福岡県小呂島北北東方の玄界灘において、第七宮地丸及び第1宮地丸がまき網漁業に従事中、標識の揚収及び切り離し作業などの甲板作業を行う場合、大手綱が緊張すると、これに連結した標識により同作業に従事する乗組員に危害を及ぼすおそれがあったから、揚収した標識の内側に位置して作業することのないよう、同標識を右舷舷側に沿ったところに置くよう指示するなど、同作業における安全措置を十分にとるべき注意義務があった。しかしながら、同人は、大手綱は通常強く張ることはなく、標識の揚収から各先取索のウインチへの取り込みまでの一連の作業が短時間であるので、同作業に従事する乗組員に危害を及ぼすことはないものと思い、揚収した標識を右舷舷側に沿ったところに置くよう指示するなど、同作業における安全措置を十分にとらなかった職務上の過失により、乗組員が、揚収した標識を船首甲板中央部に置き、その内側で同標識と大手綱先取索の切り離し作業を行っていたところ、第七宮地丸の推進器翼が大手綱に接触してこれを緊張させ、同標識が乗組員を強打して前示の傷害を負わせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。





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