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平成13年広審第58号
件名

貨物船第三十五芸予丸漁船蛭子丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年11月28日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(竹内伸二、坂爪 靖、中谷啓二)

理事官
黒田敏幸

受審人
A 職名:第三十五芸予丸一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)(履歴限定)

損害
芸予丸・・・右舷船首部に擦過傷
蛭子丸・・・右舷側外板とブルワークに亀裂、転覆
船長が溺水により死亡

原因
芸予丸・・・居眠り運航防止措置不十分、各種船間の航法(避航動作)不遵守(主因)
蛭子丸・・・警告信号不履行、各種船間の航法(協力動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、第三十五芸予丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、トロールにより漁ろうに従事している蛭子丸の進路を避けなかったことによって発生したが、蛭子丸が、汽笛不装備で警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aの四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成13年4月2日13時30分
 瀬戸内海 備後灘西部

2 船舶の要目
船種船名 貨物船第三十五芸予丸 漁船蛭子丸
総トン数 499トン 4.5トン
全長 59.96メートル 14.30メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 735キロワット  
漁船法馬力数   15

3 事実の経過
 第三十五芸予丸(以下「芸予丸」という。)は、専ら瀬戸内海において砂利や石材などの運搬に従事する船尾船橋型貨物船で、船長Y及びA受審人ほか3人が乗り組み、空倉で、船首0.9メートル船尾3.0メートルの喫水をもって、平成13年4月2日11時45分愛媛県三島川之江港を発し、広島県竹原市沖合の佐組島に向かった。
 ところでA受審人は、平成5年芸予丸に乗り組み、約2年前から一等航海士の職務を執っていたところ、10日ほど前から佐組島で積んだ雑石を三島川之江港の埋立地に運搬する航海に従事し、狭水道の通航経験が十分でないことから、ほとんど備後灘と燧灘の広い海域で船橋当直に就いていたが、高井神島西方を航行する際、低速力で網を引いている漁船を何度も見かけ、同海域が底引き網漁船の操業海域であることを知っていた。
 A受審人は、出航2日前の3月31日夜入港した愛媛県壬生川港から広島県三原市の自宅に戻って休養をとり、翌4月1日23時ごろ帰船し、出航当日は05時半ごろから出港作業に従事して壬生川港から三島川之江港に入港し、その後他の乗組員とともに揚荷作業にあたった。そして12時から船橋当直に就く予定であったので11時ごろ昼食をとり、揚荷作業を終えたあと昇橋し、12時00分三島川之江港外の鍋磯東灯浮標の東方約1海里の地点で単独の船橋当直に就いたが、前日十分休養をとっていたので眠気や疲労はなかった。
 当直交替後A受審人は、前直者から引き継いだ針路のまま自動操舵とし、船橋前面の窓際に立って持参した果物などを食べながら見張りにあたり、12時40分高井神島灯台から148度(真方位、以下同じ。)6.6海里の地点に達したとき、針路を315度に定めて機関を全速力前進にかけ、自動操舵のまま12.0ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
 12時53分ごろA受審人は、魚島南方約2.4海里のところで果物のほかピーナッツ少しを食べ終り、その後舵輪後方の背もたれ付き肘掛け椅子に腰掛け、両足を前方のコンパスや主機遠隔操縦装置などが配置されたコンソール上に乗せて周囲の見張りを行った。
 13時09分A受審人は、高井神島灯台から202度1.6海里の地点で、伯方瀬戸入口の南方に向けるため、自動操舵の針路設定ダイヤルを回して288度に転針し、その後近くに漁船など航行中の他船を見かけず、再び椅子に腰掛けて両足をコンソール上に乗せ、仰向けに近いくつろいだ姿勢で見張りにあたっているうちに気が緩み、眠気を感じるようになったが、十分休養をとっていたのでまさか居眠りすることはあるまいと思い、速やかに椅子から下りて船橋内を歩くなど居眠り運航を防止する措置をとることなく、同じ姿勢のまま当直を続けるうち、いつしか居眠りに陥った。
 13時25分A受審人は、高井神島灯台から261度3.7海里の地点で、左舷船首3度1.2海里のところに底引き網をえい網して東行中の蛭子丸が存在し、その後衝突のおそれのある態勢で接近し、同船が所定の形象物を掲げていなかったものの、船尾にえい網ワイヤロープが見え低速力で移動していることから、高井神島付近でしばしば見かける、トロールにより漁ろうに従事している船舶と分かる状況であったが、居眠りをしていたのでこのことに気付かず、同船の進路を避けることなく続航中、13時30分芸予丸は、高井神島灯台から267度4.6海里の地点において、原針路、原速力のまま、右舷船首が蛭子丸の右舷後部に前方から21度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で、風力1の西風が吹き、潮候は上げ潮の中央期にあたり、付近には微弱な東流があった。
 A受審人は、居眠りをしていたうえ衝撃が軽かったので、蛭子丸と衝突して同船が転覆したことに気付かず、居眠りをしたまま航行を続け、13時35分六ツ瀬灯標から085度1.4海里の地点に達したとき、次直のY船長が昇橋した気配で目覚め、同人に当直を引継いで降橋した。
 Y船長は、衝突の事実を知らないまま目的地に向かい、15時00分佐組島に到着して積荷を終えたあと同島を出航し、20時43分三島川之江港に入港し、翌3日朝から揚荷を行い、その後再び佐組島に向かい、同日午後同島で雑石を積込み中、来船した今治海上保安部の海上保安官からA受審人とともに事情聴取を受け、蛭子丸との衝突を知った。
 また、蛭子丸は、愛媛県宮窪漁港を基地として小型底びき網漁業に従事するFRP製漁船で、汽笛を備えず、船体中央部にある操舵室後方の船尾甲板に揚網用櫓とネットローラーが設置され、専ら宮ノ窪瀬戸東口と高井神島の間の、海図記載の推薦航路線北側を操業区域とし、船長F(以下「F船長」という。)が1人で乗り組み、操業の目的で、船首0.5メートル船尾1.4メートルの喫水をもって、同月2日01時30分ごろ宮窪漁港を発して漁場に向かい、02時ごろトロールにより漁ろうに従事する船舶が表示する形象物を掲げないで操業を開始した。
 F船長は、ビームを取り付けた長さ約20メートルの漁網を長さ約250メートルのワイヤロープ2本で船尾方に引き、機関を前進にかけ、潮流の流れる方向に約2ノットの速力で1時間半ほどえい網したあと網を揚げて魚とごみを選別し、その後再びえい網を繰り返して操業に従事した。
 12時10分F船長は、六ツ瀬灯標から226度1,000メートルの地点で、前示のように底引き網を引き、針路を087度に定めて機関を前進にかけ、付近で操業中の僚船2隻とともに、折からの潮流に乗じて2.0ノットの速力で進行した。
 13時25分F船長は、六ツ瀬灯標から096度2.1海里の地点に達したとき、右舷船首18度1.2海里に西行中の芸予丸が存在し、その後同船と衝突のおそれがある態勢となり、同船が漁ろうに従事中の自船を避航する気配がないまま接近したが、警告信号を行うことができず、更に間近になっても機関を停止して行きあしを止めるなど衝突を避けるための協力動作をとらず、原針路、原速力のままえい網中、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、芸予丸は右舷船首部に擦過傷を、蛭子丸は右舷側外板とブルワークに亀裂を生じたほかプロペラ及び舵が曲損して転覆し、F船長(昭和23年2月12日生、一級小型船舶操縦士免状受有)が溺水により死亡した。

(原因)
 本件衝突は、備後灘西部の高井神島西方において、芸予丸が、居眠り運航の防止措置が不十分で、トロールにより漁ろうに従事している蛭子丸の進路を避けなかったことによって発生したが、蛭子丸が、汽笛不装備で警告信号を行わず、衝突を避けるための協力動作をとらなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、単独で船橋当直に従事し、高井神島西方を航行中、近くに漁船など航行中の他船を見かけず、くつろいだ姿勢で椅子に腰掛けて見張りにあたっているうち、眠気を感じた場合、速やかに椅子から下りて船橋内を歩くなど居眠り運航の防止措置をとるべき注意義務があった。しかるに、同人は、十分休養をとっていたのでまさか居眠りすることはあるまいと思い、速やかに椅子から下りて船橋内を歩くなど居眠り運航の防止措置をとらなかった職務上の過失により、同じ姿勢のまま当直を続けて居眠りに陥り、前路でトロールにより漁ろうに従事している蛭子丸の進路を避けないで進行して同船との衝突を招き、芸予丸の右舷船首部に擦過傷を、蛭子丸の右舷側外板とブルワークに亀裂及びプロペラと舵に曲損をそれぞれ生じさせるとともに蛭子丸を転覆させ、また、F船長を溺水により死亡させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用し、同人の四級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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