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 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 死傷事件一覧 >  事件





平成11年第二審第16号
件名

漁船第五地洋丸乗組員死亡事件[原審門司]

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成13年12月18日

審判庁区分
高等海難審判庁(田邉行夫、宮田義憲、山崎重勝、吉澤和彦、岸 良彬)


理事官
参審員(宮崎芳夫、加藤正義)
安藤周二

受審人
A 職名:第五地洋丸一等航海士 海技免状:二級海技士(航海)
指定海難関係人
R機械工業株式会社 業種名:機器製造業

損害
甲板手及び甲板員が急性呼吸困難、ガス中毒により死亡

原因
汚水処理装置を保管するため空漕にする際、保管作業の手順不適切
機器製造業者・・・汚水処理装置の取扱者に対し、有毒ガス発生の危険性について注意喚起不履行

二審請求者
補佐人沖田哲義

主文

 本件乗組員死亡は、汚水処理装置を保管するため空槽にする際、保管作業の手順が不適切で、同装置内に大量の汚水が残留し、汚水と汚泥とから硫化水素が発生し、同装置を開放修理中の乗組員が硫化水素を吸引したことによって発生したものである。
 機器製造業者が、汚水処理装置の取扱者に対し、同装置からの有毒ガス発生の危険性についての注意喚起を行わなかったことは、本件発生の原因となる。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成5年5月3日11時45分(現地標準時)
 チリ共和国沖

2 船舶の要目
船種船名 漁船第五地洋丸
総トン数 3,086トン
全長 93.5メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 3,603キロワット

3 事実の経過
1 第五地洋丸
(1)船体構造
 第五地洋丸(以下「地洋丸」という。)は、昭和61年1月山口県下関市の林兼造船株式会社において建造された、遠洋底びき網漁業に従事する船首楼付全通二層甲板型の船尾トロール式鋼製漁船で、船首楼甲板上に二層からなる甲板室があり、上層が船橋、下層が甲板部士官居住区となっており、船楼甲板の船首部が機関部士官居住区、中央部から船尾スリップウェイにかけてが漁労作業用暴露甲板となり、上甲板の船首部が部員居住区、中央部が急速冷凍室、船尾部が漁獲物の加工場となっていた。また、上甲板の下方には、船首から順にフォアピークタンク、錨鎖庫、汚水処理室、燃料タンク、魚倉及び機関室が配置されていた。
(2)汚水処理室
 汚水処理室は、前示部員居住区の最船首部右舷側に設けられた便所のほぼ直下に位置し、出入口として便所内にハッチを設け、垂直梯子によって昇降するようになっておりハッチ蓋は常時開いたままとしていた。同室は、右舷壁が船首部外板のフレアー部、左舷壁が船首尾方向中心線の縦通壁となっていて、室内の形状は床面より上方に向かって拡大し、船尾方から船首方に向かって縮小しており、その寸法は、高さ3.73メートル、長さ2.60メートル、床面の船首端幅2.12メートル、船尾端幅3.00メートル、天井の船首端幅3.96メートル及び船尾端幅5.03メートルで、同室内の左舷船尾寄りに汚水処理装置が据え付けられ、同室前壁及び右舷壁に床面からの高さ1.22メートル幅0.65メートルのストリンガーを利用した中段が設置されていた。
 汚水処理室のビルジは、右舷後部に設けられたビルジだまりから上甲板に備えられたエゼクタによって排出されるようになっていた。
 また、同室の換気装置として呼び径80ミリメートル(以下「ミリ」という。)の空気抜管が船首楼甲板上に導かれており、自然通気方式となっていた。

2 汚水処理装置
(1)処理方式の概要
 汚水処理装置(以下「処理装置」という。)は、乗組員のし尿(以下、「汚水」という。)を接触酸化槽内に貯留し、汚水中の有機性汚濁物質を好気性微生物により生物化学的酸化処理させて、ほとんど臭気のない透明茶褐色の状態とし、これを消毒室に送って消毒剤で滅菌したのち、ポンプで船外に排出する方式のもので、便器の流し水として海水を、消毒剤として塩素系錠剤をそれぞれ使用し、浄化能力は、生物化学的酸素要求量が50百万分率(以下「ppm」という。)以下、浮遊物質が50ppm以下及び大腸菌群数が100ミリリットル中200個以下となっており、処理能力は65人分/日であった。
(2)本体構造
 本体は、内法で長さ幅ともに1.3メートル高さ1.6メートルの鋼板製溶接構造の箱型タンクで、タンク中心部に同じ高さで内径298ミリの円筒を配置し、その周囲を四角筒状の仕切壁で囲み、円筒内部が消毒室、外部が接触酸化槽となり、頂板を接触酸化槽及び消毒室の上面に載せて周囲をボルトナットで取り付ける構造となっていて、本体内面全体にタールエポキシ系塗料が塗られていた。
 また、処理装置の付属機器として、容量7立方メートル毎時の立型遠心式のカッター付き汚水排出ポンプ(以下「排出ポンプ」という。)が、タンクの船首側板下部の右舷寄りで底板から5センチメートル(以下「センチ」という。)の高さにインペラが位置するように設置されていたほか、風量0.98立方メートル毎分のルーツ式曝気ブロワが排出ポンプの上方に設置されていた。
(3)接触酸化槽
 接触酸化槽(以下「酸化槽」という。)は、好気性微生物を生成させ、これに汚水を接触させて酸化処理するところで、同微生物の付着生成と汚水との接触を図る接触材として、表面積を増すための複雑な凹凸加工を施した厚さ0.25ミリ高さ1メートルの硬質塩化ビニール製シートを用い、タンク底面から高さ20センチまでを空間部分として、33ミリ間隔で同槽内全体に垂直に配列し、その総表面積は164.3平方メートルであった。
 酸化槽と消毒室との連絡は、消毒室内に垂直に配管された呼び径50ミリのインターナルパイプを通じて行われ、同パイプの入口及び出口の各高さがそれぞれ底面から20センチ及び1.3メートルとなっており、同槽内の水位を1.3メートルに保って接触材全体を常に水没させる仕組みとなっていた。また、頂板には、同槽内の点検や掃除用水を注入するための、蝶ナット締め式の直径355ミリの点検蓋を備えていた。
(4)消毒室
 酸化槽で酸化処理された汚水は、同槽内の水位が上がると、消毒室内の前示インターナルパイプから溢れ出し、同パイプの上部に水平に取り付けられた消毒筒の下に設けられた受け皿を通過する際、消毒剤に触れて滅菌されたのち落下し、消毒室に貯留されるようになっていて、底面からの水位が1,062ミリで排水ポンプ運転指令、312ミリで同ポンプ停止指令及び1,212ミリで高水位警報を発する静電容量式液面検出器を備えていた。
 消毒筒は、外径42ミリ高さ320ミリの塩化ビニール製の円筒状のもので、厚さ3ミリの底板が接着剤で貼り付けられ、汚水が消毒剤と接触するよう、底部に通過孔を4個設け、2本の消毒筒が受け皿に垂直に据えられ、底部から順に溶解した消毒剤を、頂板に突き出た消毒筒のキャップから補給するようになっていた。
(5)本体付属諸管弁
(ア)汚水排出系統
 船内5箇所の便所から流下してきた汚水は、呼び径150ミリの汚水入口管、汚水入口弁、酸化槽及び消毒室へと至り、呼び径40ミリの消毒室排出弁から排出ポンプにより吸引されて船外に排出されるようになっていたほか、処理装置を経由せずに直接船外に排出する経路も備えていた。
(イ)洗浄水系統
 洗浄水系統は、処理装置内に海水を張り込むために設けられているもので、船内の雑用海水系統から送られてきた海水が洗浄水入口弁及び呼び径40ミリの酸化槽排出弁を経て同槽及び消毒室に導かれるようになっていた。
(ウ)空気系統
 曝気ブロワから送り出された空気は、エアリフト弁を経て酸化槽内の仕切壁下部内側各隅の4箇所に1個ずつ設置された空気吹出ノズルに至る経路と、空気逆洗弁を経て同槽底部の空間にコの字状に配管された多数の穴を有する散気管に至る経路とがあり、同ノズルから噴出した気流は、同槽内全体に汚水の循環流を生じさせて、汚水、空気及び好気性微生物の効率的な気液接触を促進する曝気作用を有し、一方、散気管から放出した気泡は、各接触材のすき間を上昇する際、同材表面に堆積した分解生成物などの汚泥を振動で剥離落下させる作用を有していた。
(エ)空気抜管及びオーバーフロー管
 酸化槽は、頂板に呼び径80ミリの空気抜管を備え、同管が消毒室の空気抜管と合流して船首楼甲板上に導かれていた。このほか、処理装置の船首側板の上部右舷寄りに取り付けられた、呼び径50ミリのオーバーフロー管がU字型トラップを介して汚水処理室のビルジだまりに導かれていた。
(オ)酸化槽排出管及び消毒室排出管
 酸化槽及び消毒室の各排出管は、いずれも呼び径が40ミリのステンレス製のもので、タンク底板の船首側左舷寄り及び中心部にそれぞれ位置する、排出口から底板の下方を這って船首側板よりわずか前方まで導かれていた。
(カ)酸化槽排出弁、消毒室排出弁及び交通弁
 酸化槽排出弁及び消毒室排出弁の両弁は、同槽及び同室の各排出管にそれぞれ接続し、両弁の出口側が、タンク底板の下方5センチで、タンク船首側壁の前方約20センチのところを船横方向に水平に配管された、排出ポンプ吸入管につながり、同吸入管の両弁との接続部の間に呼び径40ミリの交通弁を設け、同吸入管の右舷端が排出ポンプに、左舷端が雑用海水系統にそれぞれ接続していた。また、酸化槽排出弁、消毒室排出弁及び交通弁の3弁(以下、これら3弁を総称して「底部3弁」という。)と配管の接続方式は、いずれもねじ込み式となっていたので、弁を取り替える際、底部3弁及び配管を一体の仕組みとしたまま取り外さなければならず、排出ポンプ吸入管両端部及び両排出弁入口側各端部の計4箇所のフランジを取り外す必要があったが、取外し作業は1人で行えるものであった。
(6)操作手順
(ア)運転準備及び運転
 運転準備は、洗浄水系統の海水を酸化槽及び消毒室に張り込み、満水となったことを高水位警報で確かめ、排出ポンプを自動運転させて消毒室の海水を排出したのち、次いで空気吹出ノズルから空気が出ていることを点検蓋から水面を見て確かめ、最後に消毒剤の量を確認することで終了し、その後、汚水入口弁を開弁することで運転段階に入るが、好気性微生物が発生して安定するまでの期間いわゆる馴致期間が約1週間となっていた。
(イ)逆洗及び汚泥引抜き
 処理装置の連続運転中1箇月ごとに逆洗及び汚泥引抜き(以下、逆洗及び汚泥引抜きを「逆洗作業」という。)を、行うことになっており、同作業は、空気逆洗弁から30分間空気を送り続けて接触材表面を洗ったのち、消毒室排出弁を閉じ、交通弁と酸化槽排出弁を開け、排出ポンプにより酸化槽内の汚泥を汚水とともに引き抜き、同ポンプ圧力の急低下によって完全に引き抜かれたことを確認し、その後、運転準備と同様の手順に従って運転を再開することとなっていた。
(ウ)保 管
 処理装置を長期間にわたり休止状態とする際には保管作業を行うことになっており、同作業は、酸化槽及び消毒室の汚水を排出し、点検蓋を外して掃除用水で洗浄したのち、底部3弁を開弁し、これを排出する操作を2ないし3回繰り返して、装置内が空になったことを確認するものであった。

3 硫化水素の特性及び発生機構
(1)硫化水素の性状
 硫化水素は、気体比重が1.19と空気よりも重く、水に溶けやすい性状を有し、腐卵臭のある無色の気体で強い毒性を有し、これを吸引すると、低濃度では、臭覚疲労、頭痛、胸部圧迫感等が起こり、高濃度では、瞬時に昏倒し呼吸麻痺を起こして窒息死に至ることがある。
(2)硫化水素の発生機構
 硫化水素は、酸素がなくしかも有機物が存在する条件下において、嫌気性微生物による生物化学的還元処理によって生成され、汚水が酸素のない条件下に長期間置かれた場合も高濃度の硫化水素を発生するおそれがある。

4 受審人A
 A受審人は、昭和39年3月T漁業株式会社に入社し、同63年7月以来、数回にわたり同船に乗船し、平成5年1月安全担当者を兼ねる一等航海士として再び地洋丸に乗り組み、処理装置の取扱責任者となり、甲板員B及び同Cの両人を取扱担当者に指定して同装置の運転保守管理に当たっていた。
 ところで、A受審人は、処理装置の取扱説明書に、使用時に曝気ブロワを停止すると微生物が死滅して汚物が浄化されず悪臭を放つため、曝気ブロワの電源を絶対に切らないようにとの記載があることを承知していたものの、致死性の有毒ガス発生の危険性のあることが明記されていなかったので、同ガスが発生することがあることには思いも及ばなかった。

5 指定海難関係人R機械工業株式会社
 指定海難関係人R機械工業株式会社(以下「R機械」という。)は、昭和31年に設立され、当初は主として各種ポンプ類を製造していたが、同46年に舶用処理装置の製造を始め、その後、小型化したうえ国際的な技術基準を満たすものとしてSBT型シリ−ズを開発し、地洋丸建造の際、SBT−65型を同船に納入した。
 R機械は、処理装置内に汚水が存在しているとき、曝気ブロワを停止したまま長期間放置すると、好気性微生物が死滅して腐敗が進行し、やがて硫化水素が発生して高濃度に達することがあることを知っていたが、取扱説明書に致死性の有毒ガス発生の危険性について具体的に明記していなかった。

6 本件発生に至る経緯
 地洋丸は、A受審人ほか39人が乗り組み、操業の目的をもって、平成5年1月27日00時00分(現地標準時、以下同じ。)チリ共和国タルカワノ港を発し、南大西洋フォークランド諸島沖の漁場に向かった。
 発航に先立ち、A受審人は、処理装置の底部3弁がハンドル車の割損で工具を使用しないと開閉が困難であったので、タルカワノ港内のアスマール造船所(以下「造船所」という。)の手により、3弁全数をコックハンドルを備えたボール弁と新替えさせていた。また、A受審人は、前任者からの申し送りがあったことから、これより前年の同4年1月造船所において、同装置の頂板を取り外すなどの大掛かりな内部掃除を行わせていた。
 ところで、地洋丸は、毎年入渠工事完了後の1月末にタルカワノ港を発し、フォークランド諸島沖でのいか漁と南極海でのおきあみ漁とにそれぞれ4箇月ずつ従事しており、この間4月末と7月末にはマゼラン海峡のチリ共和国プンタアレナス港に寄港して乗組員の休養と資材調達を行い、10月に同国コキンボ港に入って係船したのち、翌年1月に再び入渠工事のためタルカワノ港に戻る運航を繰り返していた。
 また、おきあみ漁は、中層びき網で行われることから、乗組員便所の汚水が操業海域の海水に混入するのを防止する必要があり、同漁期には処理装置を運転していた。
 地洋丸は、2月2日漁場に到着していか漁を続け、3月に入っておきあみ漁に従事することとなり、同月3日処理装置が運転されたが、いつしか消毒筒の底板が2個とも外れて消毒室底部を移動して、ときおり消毒室排出口を塞ぐようになり、排出ポンプの吸入側に乱流が起きてキャビテーションによる気泡を生じ、同ポンプに空気が滞留して排出機能が低下し、高水位警報が頻発するようになった。
 A受審人は、高水位警報発生時には排出ポンプをいったん手動に切り替えて停止させ、呼び水として洗浄水系統から海水を送ったのち手動運転すると排出できたことから、その都度この方法で対処していたところ、消毒室排出弁の入口側ねじ部から微量の漏水のあることを発見した。そこで同人は、排出ポンプが漏水箇所から空気を吸引しているものと考え、また、造船所で新替えした底部3弁のコックハンドルがタンク船首側壁に接触して操作しにくかったこともあり、ついでに底部3弁をハンドル車型の弁に取り替えることを思いつき、加工場の日直作業に従事していた甲板手Dを現場に同行し、4箇所のフランジを外すなどの具体的な作業手順を教え、処理装置の休止時機を見計らって修理するよう指示した。
 その後、A受審人は、排出ポンプに異音が生じていたので、3月25日機関部に依頼して予備ポンプに取り替えたが、高水位警報は依然として頻発していた。
 地洋丸は、4月4日南極海サウスオークニー諸島付近の海域で荷揚げのため仲積船に接舷したのち、投錨地点を変更することとなり、接舷したまま移動中に乗り揚げて船底部を損傷したので、操業を打ち切ってタルカワノ港に向け帰途についた。
 翌5日08時30分A受審人は、処理装置を運転する必要がなくなったので、汚水入口弁を閉弁して直接船外排出とし、引き続きC甲板員とともに保管作業にとりかかることとしたが、手間を省こうと思い、所定の保管作業手順をとることなく、これに代えて逆洗作業を5回行うこととした。
 A受審人は、09時00分同甲板員とともに逆洗作業を始め、終了前に底部3弁を開弁して装置内の汚水を排出するうち、酸化槽に比べて容積の少ない消毒室が先に空になり、排出ポンプに空気が滞留して圧力計指針が振れたのを見て、酸化槽内が空になったものと判断して同ポンプを停止したうえ、同槽内に大量の汚水が残留していることに気付かないまま曝気ブロワを停止し、10時30分1回目の逆洗作業を終えた。
 A受審人は、B及びC両甲板員に命じて1回目と同様の手順で逆洗作業を行わせ、翌6日午後4回目の逆洗作業を終えたのち、損傷した船底部から漏れた燃料油のC重油が雑用海水系統に混入していることが判明したので、処理装置内に油分の侵入を避けるため逆洗作業を中断した。
 4月8日地洋丸は、プンタアレナス港に寄港して船底部の応急修理を行い、12日同港を発しタルカワノ港に向かった。
 発航後、A受審人は、国立公園のマゼラン海峡やパタゴニア水道を通航中に処理装置の汚泥がひとかたまりとなって排出されるのを懸念して、同装置の逆洗作業を見合わせることとし、越えて16日09時00分チリ共和国アンクード港を通過したのち、C甲板員とともに5回目の逆洗作業を始め、10時30分に終了したが、依然として点検蓋を開けて装置内が空になったことを確認しなかったので、酸化槽に1トンを超える汚水が残留していることに気付かず、曝気ブロワを停止したまま、同装置が保管される状態となった。
 その後、処理装置は、曝気ブロワが停止され、かつ、乾燥状態とならずに保管されているうち、好気性微生物が死滅し、嫌気性微生物が活発となり、汚水及びタンク内の壁面等に付着した汚泥に残存する有機性汚濁物質の生物化学的還元処理が促進され、硫化水素が発生して日ごとにその濃度を増す状況となった。
 地洋丸は、4月17日タルカワノ港に入港し、造船所で船底部の本修理を行ったのち、おきあみ漁の目的で、船首4.9メートル船尾6.2メートルの喫水をもって、5月3日03時00分同港を発し、再び南極海の漁場に向かった。
 同日08時00分A受審人は、C甲板員とともに航海当直を終え、同時50分加工場を見回り中、弁と工具を手にしたD甲板手に出会い、同人から処理装置の底部3弁の取替えを行う旨の報告を受けてこれを了承し、その際、念のため排出ポンプを運転してから作業にかかることと異状があれば報告することの指示を与え、自室に戻って休息した。
 D甲板手は、単独で汚水処理室に入り、指示に従って作業に取りかかり、底部3弁の仕組みのフランジの取り外しにかかったところ、フランジの合わせ面から硫化鉄混じりの黒い汚水が出てきて顔や衣服などにかかったので、居住区に戻って洗顔や着替えをすることにし、09時40分ごろ汚水処理室を離れた。
 その後、C甲板員は、D甲板手を手助けするために汚水処理室に赴き、ほどなく戻ってきたD甲板手とともに仕組みを外して床面に置き、中段で汚水の出具合を見守るうち、汚水が出尽くしたころ処理装置内に滞留していた高濃度の硫化水素が流出し、両人がこれを吸引して意識を失い、同所において昏倒した。
 11時45分南緯37度39分西経73度57.5分の地点において、昼食を知らせるために探していた乗組員が両人を発見した。
 当時、天候は晴で風力1の西風が吹いていた。
 D甲板手(昭和26年2月16日生)及びC甲板員(昭和34年4月8日生)の両人は、酸素呼吸具を装着した乗組員により12時10分汚水処理室から搬出され、応急救命措置が施されたが効なく蘇生せず、同日16時08分最寄りのチリ共和国レブ港において医師の検案により、いずれも急性呼吸困難によるガス中毒死と診断された。
 R機械は、その後、処理装置の取扱説明書の冒頭に、安全上の警告として、処理装置内に汚水が溜まったまま曝気ブロワーを停止して放置すると、汚水が腐敗して致死性の有毒ガスが発生し、これを吸引すると死亡することがある旨の警告文を明記したほか、処理装置本体に同旨の警告板を貼り付けた。

(主張に対する判断)
1 硫化水素の発生源及び流出経路
 沖田補佐人は、硫化水素の発生源が各便所から処理装置に至る汚水管であり、その発生機構は、同管に付着した汚泥とゆっくりと流下する汚水とが長時間嫌気性条件下におかれるうち、高濃度の硫化水素が同管に滞留したというもので、その流出経路は、処理装置の底部3弁を取り外したことによって残留水が一気に排出されてサイフォン現象が起き、各便所の汚水管の空気抜管、これらが通じている処理装置の空気抜管及び処理装置を順に経て汚水処理室に流出したものであると主張する。
 しかしながら、汚水管は、ストーム弁を介して直接船外に通じており、管内に気体比重1.19の硫化水素が発生しても下方に流下し、便器の流し水とともに船外に放出されるので、硫化水素が管内に滞留しがたい構造となっている。また、各便所の汚水管の空気抜管は、上方に向けて配管されており、空気より重い硫化水素が、いったん上方に向けて吸い込まれたのち下方の処理装置に引き込まれるためには、同装置に強い吸引力が生じていることが必要である。沖田補佐人はこの吸引力がサイフォン現象によって生じたものであると主張するが、サイフォン現象は、配管内に強い負圧を生じたときに起きる現象であり、残留水の流出による液面低下がもたらす負圧は同現象を引き起こすほど強いものとは考えられず、また、船首楼甲板上に導かれた空気抜管頭が外気に通じており、同現象が起こる可能性は極めて低いと考えられることから、同補佐人の主張を認めることはできない。
2 逆洗作業5回実施後の処理装置残存汚水の濃度
 R機械代理人同社技術本部長F(以下「F代理人」という。)及び大本補佐人の両人は、逆洗作業実施前の汚水の汚物濃度を100パーセントとみなしたとき、逆洗作業の回数を重ねるごとに順次希釈されるので、5回の逆洗作業後には0.0005パーセントとなって、有毒ガス及び黒いコールタール状のものが発生することは考えられないと主張する。
 しかしながら、F代理人作成の残留汚水濃度の作成資料によると、1回目から4回目までの残水量を、残水量報告書写中の消毒室排出弁を閉弁した状態で排出したときの残水量である105リットルを算出の根拠としている。ところが、A受審人の原審審判調書中、「1回目から5回目までいずれも長期保管の手順どおり底部3弁を全て開弁した状態で排出した。」旨の供述記載があり、この手順によると毎回の逆洗作業終了時には本件時と同様の約1,000リットルの残水量があったと推認できるので、計算どおりに希釈されているものと認めることは相当でない。
 また、F代理人の原審審判調書中、「逆洗作業をしても酸化槽の内壁等に付着している汚物を100パーセント除去することはできないので上から掃除用水を入れて洗い落とすのである。」旨の供述記載から、逆洗作業では洗い落とすことのできない汚泥が残存しているものと考えられ、これが硫化水素の発生にも関与しているといえる。
 一方、コールタール状のものについては、山口証人の当廷における、「酸化処理過程で海水中あるいは配管の鉄分が硫化鉄となって沈殿し、これが黒い汚水となって飛び散った。」旨の供述のほか、B甲板員の質問調書中、「汚水処理室に流出した汚水のサンプルを採取したとき、汚水は色が付いておらず澄んでおり臭いもなかった。」旨の供述記載及びO司厨長の陳述書中、「D甲板手はバルブを取り外したら汚水が顔に飛んできたといっていた。同人とは1メートルしか離れていなかったが、全く何の臭いもしなかった。」旨の記載があり、コールタール状のものは、極めて少量であったものと認められるうえ、フランジを外し始めたときに出てきたものと考えるのが自然であって、フランジまたは配管に生じた硫化鉄であったと認めることに不合理な点はない。
 以上のことから、F代理人及び大本補佐人の両人の主張は、これを認めるに足りる証拠も存在せず、首肯することはできない。

(原因に対する考察)
 本件は、処理装置の底部3弁の取り替え作業中、同装置から有毒の硫化水素が流出し、作業に従事していた乗組員2人が死亡したものである。以下、その原因について考察する。
1 処理装置が空になったことの確認について
 そもそも、硫化水素等の有毒ガスは、有機性汚濁物質が嫌気性微生物の活発となる環境下におかれて発生するものであり、乾燥した状況では発生しない。そこで、長期保管時は処理装置内を空にしておくことが求められている。
 取扱説明書は、逆洗作業要領の項目中、「消毒室排出弁を閉じ、交通弁及び酸化槽排出弁を開け、排出ポンプスイッチを手動「運転」にして酸化槽内の汚泥を引き抜き、汚泥が完全に引き抜かれるとポンプ圧力が急に低下するので、確認後直ちに排出ポンプスイッチを手動「切」にする。」旨の記述がある。一方、保管上の注意の項目中、「運転状態のまま底部3弁を全て全開にして装置内の汚水をポンプで排出し、点検蓋を外して掃除用水を入れてはポンプで排出する操作を2ないし3回繰り返し、装置内を空にする。」旨の記述がある。
 逆洗作業の場合は、例え酸化槽内に汚水が残っていたとしても、引き続き曝気ブロワを運転するので有毒ガスの発生に至ることはないが、長期保管の場合は、曝気ブロワを停止するので残留水から有毒ガス発生の危険性がある。したがって、保管上の注意として、確実に装置を空にして保管するよう記述しているのである。
 ところが、A受審人は、上から掃除用水を入れて汚泥を洗い落とすかわりに、逆洗作業を5回実施することで十分な洗浄効果が得られると思っており、終了時にポンプ圧力が低下したことをもって、処理装置内が空になったものと判断したが、底部3弁を開けて洗浄作業を実施したので、消毒室が空になっただけで、酸化槽内に大量の汚水が残っており、このことに気付かず、同装置を保管して有毒ガスが発生したのである。
 したがって、A受審人が、保管作業を行う際、点検蓋を外して処理装置内を目視しながら作業を行い、空になったことを確認するなど、取扱説明書に記載されたとおりの保管上の作業手順をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
2 有毒ガス発生の危険性の認識について
 R機械は、本件発生直後の平成5年5月10日に大洋マリン株式会社からの有毒ガス発生の可能性についての問い合わせに対し、「汚泥を引き抜かずに放置するといずれは腐敗して硫化水素が発生し、ガスの濃度によっては死亡事故を引き起こすことがある。」旨回答し、取り扱いによっては硫化水素が発生することを承知していたものと認められる。ところが、取扱説明書中には、微生物に関するものとして、「曝気ブロワを止めると微生物が死に、汚物が浄化されずに悪臭を放つので、使用中は曝気ブロワの電源は絶対に切らないこと。」及び「便器洗浄薬品(塩酸・殺虫剤・防臭剤等)が装置内に入ると汚物が浄化されない。」のほか、「便器の流し水は海水と淡水を交互に切り替えると微生物によくないのでいずれか1種類のみ使用すること。」の注意文が明記されているのみで、F代理人の質問調書中、「使用中は曝気ブロワを運転し、保管するときは内部を洗浄後空とするので注意を喚起しなかった。当社としては不具合があればユーザーから問い合わせがあるだろうと思っていた。」旨の供述記載のとおり、有毒ガス発生の危険性についての注意文が一切記載されていない。
 一方、A受審人は、同人の原審審判調書中、「普通のタンクのように汚水を溜めるのであればガスが発生するかもしれないが、処理装置は汚水が入ってもポンプを回して排出するときに通過するだけなのでガスの発生はないと思っていた。」及び「取扱説明書によると曝気ブロワを止めると微生物が死ぬということは知っていた。」旨の供述記載でも明らかなように、取扱説明書に明記された注意文の内容は認識していたものの、有毒ガス発生の認識はなかったと認められる。
 したがって、取扱説明書に致死性の有毒ガス発生の危険性についての注意文が明記されておれば、同人はこれを認識し、保管上の作業手順について慎重な取り扱いを期すことができたものと認めるのが相当である。
 以上のことから、R機械が、処理装置内に大量の汚水が残ったまま曝気ブロワを停止して放置すると致死性の有毒ガスが発生する危険性のあることを、取扱説明書に明記していなかったことは、処理装置の取扱者に対し、致死性の有毒ガス発生の危険性についての注意喚起を行っていなかったものといわざるを得ない。

(原因)
 本件乗組員死亡は、汚水処理装置を保管するため空槽にする際、保管上の作業手順が不適切で、同装置内に大量の汚水が残留し、汚水と汚泥とから高濃度の硫化水素が発生し、同装置を開放修理中の乗組員が硫化水素を吸引したことによって発生したものである。
 機器製造業者が、汚水処理装置の取扱者に対し、同装置からの致死性の有毒ガス発生の危険性についての注意喚起を行わなかったことは、本件発生の原因となる。

(受審人の所為)
 A受審人が、汚水処理装置を長期間休止するための保管作業を行う際、同装置頂板の点検蓋から掃除用水を入れて洗浄したうえ、同水の排出を繰り返し、終了時に内部が空になったことを確認するなど、取扱説明書に記載された所定の作業手順をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
 しかしながら、このことは、取扱説明書に致死性の有毒ガスが発生する危険性のあることが明確に記載されていなかった点に徴し、A受審人の職務上の過失とするまでもない。
 R機械が、汚水処理装置内に大量の汚水が残ったまま曝気ブロワを停止すると致死性の有毒ガスが発生する危険性のあることを、取扱説明書に明確に記載するなど、同装置の取扱者に対し、有毒ガス発生の危険性についての注意喚起を行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 R機械に対しては、その後、取扱説明書の冒頭に、安全上の警告として、致死性の有毒ガスが発生する危険性のあることを明確に記載した点に徴し、勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。

(参考)原審裁決主文平成11年3月24日門審言渡
 本件乗組員死亡は、汚水処理装置を保管する際、汚泥引抜き作業が不十分で、汚泥を含む汚水が残ったまま曝気ブロワが停止されて保管中、同装置内に有毒ガスが発生したことと、同装置の付属弁の取替え作業を行う際、強制的に換気をする措置がとられなかったことによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。


参考図
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