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平成12年広審第88号
件名

漁船日の出丸乗組員死亡事件

事件区分
死傷事件
言渡年月日
平成13年9月27日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(西林 眞、高橋昭雄、中谷啓二)

理事官
安部雅生

受審人
A 職名:日の出丸漁労長 海技免状:五級海技士(航海)

損害
甲板員が頸椎骨骨折による頚髄損傷で死亡

原因
揚収した浮標の落下防止措置不十分

主文

 本件乗組員死亡は、荒天下、揚収した浮標の落下防止措置が十分でなかったことによって発生したものである。
 受審人Aの五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年12月9日09時30分
 島根県隠岐諸島西方沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船日の出丸
総トン数 66.06トン
登録長 26.08メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 330キロワット

3 事実の経過
 日の出丸は、昭和52年6月に進水した、沖合底引き網漁業に従事する幅5.63メートル深さ2.31メートルの一層甲板中央船橋船尾トロール型の鋼製漁船で、甲板上は船橋より前部が魚倉区画に、船橋直下より後部が作業区画となっており、同区画は、船首尾方向に配置したインナーブルワークによって、漁倉区画から船尾のスリップウェイに通じる中央作業区画と、船楼後部に引き綱などを巻き取るためのロープリール1台をそれぞれ備えた両舷作業区画に仕切られていた。
 日の出丸の漁法は、たるかけ回し式と称するもので、操舵室からのマイクロホンでの指示により、投網開始地点で片方の曳網索の先端に取り付けた浮標を左舷船尾部から海上に投下し、次いで風上に向かってほぼひし形上を右回りで航走しながら曳網索を繰り出し、中間地点でスリップウェイから漁網を海中に投じ、続いて左舷側から先端を船体に固定したもう一方の曳網索を繰り出しながら同地点に戻って浮標を回収したのち、30分ないし1時間曳網して揚網する方法で行われ、1回の操業に2時間ないし2時間半要していた。
 また、浮標は、直径約1.2メートル長さ約1.6メートルの赤色樽状となった重量約60キログラムの軟質プラスチック製で、表面全体を目の粗い網で覆い、その一端に取り付けられた金具と右舷側曳網索の先端とを、回収時に使用するための直径約5センチメートル長さ約15メートルの水に浮く化繊ロープ(以下「浮き綱」という。)で接続してあり、左舷作業区画船尾部の高さ約1.5メートルのブルワーク上縁に設置された鋼管製半円筒状で可倒式の浮標置台(以下「置台」という。)に収納するようになっていた。
 ところで、操業中の浮標は、投網開始時に置台を舷外に倒して投下し、揚収時にはスリップウェイから引き揚げ、内側に倒した置台に乗組員数人の手作業によってもたせかけ、置台を上向きに戻したのち、浮き綱を浮標と置台とのすき間に前後数回折り返しながら通して納めることが繰り返されていたが、置台に載せたあと固縛しておかないと、船体の動揺が激しいときなどに落下するおそれがあった。
 A受審人は、平成2年9月に日の出丸を購入して船舶所有者となり、鳥取県境漁港を基地と定め、自ら船長と漁労長を兼務して、毎年9月初めから翌年5月末までの間、1回の出漁期間が3日ないし6日の操業を繰り返していたところ、甲板員として乗り組んでいた息子のBが同7年に海技免状を取得したので、履歴をできるだけ付けさせるため船長として乗船させたものの、その後も同人(以下「B船長」という。)には専ら甲板作業を行わせ、引き続き自身が漁労長として操業中の指揮を執り、風速が毎秒18ないし20メートル、平均波高が5メートルを超えるようになると操業を中止するようにしていた。
 こうして、日の出丸は、A受審人、B船長及び甲板員Cほか4人が乗り組み、操業の目的で、船首1.8メートル船尾2.0メートルの喫水をもって、同11年12月7日18時00分境漁港を発し、翌8日00時15分隠岐諸島西方沖合の漁場に至り、徐々に風波が強くなるなか、昼夜を問わず操業を繰り返した。
 翌9日A受審人は、前日に引き続いて操舵室で操業を指揮しながら操船に当たり、乗組員には上下の防水用合羽、ヘルメット、ゴム手袋及びゴム長靴を着用させて作業を行わせていたところ、明け方ごろから北西寄りの風が更に強くなり、09時00分ごろ投網に取り掛かった際、浮標が風波により流されて片方の曳網索が回収できず、曳網態勢に入れなかったことから、投網をやり直すことにした。
 そして、A受審人は、投網時とは逆回りに航走しながら、乗組員に命じて漁具類を引き揚げさせたのち、機関を中立運転として風波を左舷方から受ける状況下、回収した浮標を置台に揚収する作業に当たらせることにしたが、早く投網作業に入ろうと思い、浮標を同台に載せたあと直ちに固縛するよう指示するなど浮標の落下防止措置をとることなく、同作業を乗組員に任せたまま、付近で操業中の同業船間の無線交信を聴取し、他船の動向を看視していた。
 一方、甲板上の作業に就いていたB船長は、09時25分過ぎ他の乗組員4人とともに浮標の揚収作業に取り掛かり、1人を浮標の船首側に、2人を浮標の右舷側に配置し、自らは船尾側に位置して浮標を持ち上げ、置台に浮標を載せて上向きに回転させたものの、浮標が置台に密着すると浮き綱が通せなくなると思い、浮標を固縛することなく作業を続けた。
 このため、日の出丸は、浮標と置台とのすき間に浮き綱を通す作業を行っていたところ、隆起した高波を受けて右舷側に大きく傾き、浮標が乗組員の手で支えきれずに置台から甲板上に落下し、同日09時30分三度埼灯台から真方位263度23海里の地点において、置台の右方甲板上でほかの作業を行っていたC甲板員(昭和11年6月5日生)の頭部を強打した。
 当時、天候は曇で風力7の北北西風が吹き、海上にはかなり高い波があり、雷・強風・波浪注意報が発せられていた。
 A受審人は、浮標を載せた置台が上向きになったのを確認し、投網地点に向けるため機関を使用しようとしたとき、操舵室に駆け上がってきたB船長から事態を知らされ、直ちに船尾甲板に赴いてC甲板員が意識不明になっているのを認め、関係先に医師の派遣などを要請したのち、最寄りの島根県恵曇港に向った。
 C甲板員は、同日14時10分恵曇港に入港した日の出丸から、待機していた救急車で病院に搬送されたが、ほどなく、頸椎骨骨折による頚髄損傷で死亡した。

(原因)
 本件乗組員死亡は、荒天下の隠岐諸島西方において、底びき網の操業中、重量物の浮標を左舷船尾ブルワーク上の置台へ揚収するにあたり、落下防止措置が不十分で、隆起した高波を受けて船体が右舷側に大傾斜した際、固縛しないまま置台に載せられた浮標が甲板上に落下し、付近で作業中の乗組員の頭部を強打したことによって発生したものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、荒天下の隠岐諸島西方において、操舵室で操業の指揮に当たり、投網作業をやり直すため浮標を置台へ揚収させる場合、隆起した高波の影響で浮標が落下するおそれがあったから、置台に載せたあと直ちに固縛するように指示するなど浮標の落下防止措置をとるべき注意義務があった。ところが、同人は、早く投網作業に入ろうと思い、浮標の落下防止措置をとらなかった職務上の過失により、隆起した高波を受けて右舷側に大傾斜した際、固縛しないまま置台に載せられた浮標が甲板上に落下して乗組員の頭部を強打し、同人を頸髄損傷で死亡させるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第2号を適用して同人の五級海技士(航海)の業務を1箇月停止する。

 よって主文のとおり裁決する。





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