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 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 衝突事件一覧 >  事件





平成13年広審第12号
件名

旅客船芸予旅客船契陽衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年9月27日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(高橋昭雄、勝又三郎、横須賀勇一)

理事官
黒田敏幸

受審人
A 職名:芸予船長 海技免状:四級海技士(航海)(旧就業範囲)
C 職名:契陽船長 海技免状:四級海技士(航海)
指定海難関係人
B 職名:L自動車航送船組合運航管理者
D 職名:S運輸株式会社運航管理者

損害
芸予・・・船首外板に擦過傷、プロペラ翼に曲損
契陽・・・船首外板に凹損

原因
芸予・・・船舶運航管理の不適切、狭視界時の航法(信号・レーダー・速力)不遵守
契陽・・・船舶運航管理の不適切、狭視界時の航法(信号・レーダー・速力)不遵守

主文

 本件衝突は、芸予が、運航管理と運航基準の遵守とが不十分で、視界制限状態における運航が適切でなかったことと、契陽が、運航管理と運航基準の遵守とが不十分で、視界制限状態における運航が適切でなかったこととによって発生したものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Cを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年6月1日06時50分
 広島県竹原港内

2 船舶の要目
船種船名 旅客船芸予 旅客船契陽
総トン数 699トン 43.76トン
全長 59.54メートル  
登録長   18.35メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 2,206キロワット 84キロワット

3 事実の経過
(1)指定海難関係人B
 L自動車航送船組合は、広島県竹原市と愛媛県越智郡波方町との出資により昭和35年3月に設立され、竹原、波方両港間の旅客及び自動車輸送を目的とした定期航路事業を営み、平成12年6月現在就航船舶数4隻をもって運航にあたり、業務課長B指定海難関係人が運航管理者として運航管理業務にあたっていた。
 B指定海難関係人は、平素運航管理業務として日々の気象情報や関係当局から入手した指導文書等必要な情報を各船に配布していたほか、年に3ないし4回船機長会議及び月に1ないし2回の安全会議を開き、乗組員に対して安全教育を行っていたものの、乗組員に対する運航基準の遵守についての指導を徹底しておらず、視程が運航管理規程に定めた運航中止条件の500メートル以下になった際の運航中止については、船長の判断に任せるなど視界制限時における運航管理を十分に行っていなかった。平成12年5月31日21時ごろテレビによる天気予報で広島県全域に濃霧注意報が発表されていたことを知り、就航中の芸予のA受審人にその旨を電話連絡したが、同人に対して視程が運航管理規程に定めた運航中止条件の500メートル以下になった際の運航中止に関する指示あるいは協議についての指導を行わなかった。
(2)指定海難関係人D
 S運輸株式会社は、昭和43年1月資本金3,000万円で設立され、広島県契島と竹原港間の東邦亜鉛株式会社契島精錬所の従業員等旅客及び自動車輸送の定期航路ほか一般航路の事業を営み、平成12年時には就航船舶数6隻をもって運航し、総務課長D指定海難関係人が運航管理者として運航管理業務にあたっていた。
 D指定海難関係人は、平素運航管理業務として関係当局から入手した書類を各船に配布したり、毎月安全衛生会議を開催していたものの、乗組員に対して運航基準の遵守についての指導を徹底しておらず、自らは乗船経験もなかったことから、現場のことについては各船船長に任せてその報告を受けるようにし、視程が運航管理規程に定めた運航中止条件の500メートル以下になった際の運航中止についての指導を徹底していなかった。平成12年5月31日19時ごろテレビの天気予報で広島県全域に濃霧注意報が発表されていたことを知ったが、就航中の契陽のC受審人に対して同気象情報を知らせることも運航基準に定められた視程500メートル以下となった際の運航中止に関する指示あるいは協議についての指導も行わなかった。
(3)衝突に至る経緯
 芸予は、平成1年5月に進水し、船橋に主機遠隔操縦装置、レーダー2台及び音響信号装置として自動吹鳴式モーターホーンを備えた船体前部船橋型の旅客兼自動車航送船で、竹原と愛媛県波方両港間の定期航路に就航していたところ、同12年6月1日05時10分発第2便としてA受審人ほか5人が乗り組み、波方港を発して竹原港に向かった。途中、折から広島及び愛媛両県全域に濃霧注意報が発表され安芸灘東部海域に至って霧のため視界が制限されるようになり、竹原港入口付近に達した時点では視程が約1,000メートルに狭められた状況で、定刻より20分遅れて06時40分同港専用岸壁の中四国フェリー岸壁に入港着岸した。続いて折り返し同時45分発第4便として波方港に向かう予定で、着岸後直ちに旅客及び車両の積込が行われた。
 当時港内の視界は、引き続き濃霧注意報が発表されたまま沖合から濃霧が流れ込み視界の回復が早急には望めそうもなく、むしろ視界が更に狭められる状況であり、視程が着岸岸壁から650メートル離れた竹原港竹原外港防波堤灯台(以下「防波堤灯台」という。)及び同灯台から西方300メートル延びた明神ノ波止(以下「防波堤」という。)の灯台寄り約3分の1程度がぼんやりと視認される程度であり、同灯台から北西方約250メートルで着岸岸壁から南南西方約450メートルにあたる港内北西方に位置する新明神岸壁を視認することができない状況であった。
 そのため、A受審人は、離岸にあたって同視界状況の下で出航することに迷いがあったが、例年この時期には視界が制限されることであり、霧の中に防波堤灯台など港口付近を辛うじて視認することができ、また05時55分波方港発第3便が出港して竹原港に向かっている旨の連絡も受けていたので、同便の着岸岸壁を空けておく必要もあり、仮に出航後に視界が一層狭められた状況となっても港外で仮泊することもできるので、防波堤灯台を視認することができるうちに出航しようと思い、運航管理者または運航管理補助者に連絡をとって運航中止の措置をとることなく、そのまま出航することとした。
 こうして、芸予は、A受審人ほか5人が乗り組み、旅客8人、車両6台を載せ、船首2.00メートル船尾2.90メートルの喫水をもって、06時45分竹原港発第4便として、A受審人が計器類操作盤上の機関操縦スイッチの操作とレーダーによる見張りを兼ねて操船指揮にあたり、操舵に甲板長、船首甲板に一等機関士ら2人及び船尾甲板に一等航海士がそれぞれ配置に就き、同時43分離岸作業を開始し、航行中の動力船が掲げる灯火を表示して波方港に向かった。
 ところで、離岸するころ、A受審人は、契陽が防波堤灯台付近を入航中で、その後港内を北西方に向かったことに気付かないまま、船尾が岸壁を替わったところで、船首部の出港配置体制を残して船尾配置の一等航海士を昇橋させた。そのころすでに沖合から濃霧が流れ込み視界が著しく狭められ、防波堤灯台など港口付近を視認することができない状況であったが、直ちに運航中止の措置をとらず、手動で霧中信号を1回行ったものの、その後自動吹鳴式に切り換えるなどして連続して同信号を吹鳴することなく、一等航海士に見張りを行うように指示し、自らも左舷側の0.75マイルレンジにしたレーダーを使用して見張りを行いながら港口に通じる水路筋に向かった。
 06時45分半A受審人は、防波堤灯台から010度(真方位、以下同じ。)550メートルの地点で、サイドスラスターを使用して徐々に左転し、レーダーで針路をほぼ防波堤灯台に向首する190度に定め、機関を微速力前進と停止を適宜繰り返しながら約3.0ノットの速力で進行した。同時47分同灯台まで420メートルのところに達し、視界が一層狭められて視程が100メートル以下となったころ、レーダーで右舷前方近距離に新明神岸壁前面水域を移動中の契陽の航跡と船首少し左500メートルで防波堤端沖に入航する漁船と後続船の各映像をそれぞれ認め、右舷側のレーダーで見張り中の一等航海士に肉眼で同入航船を確かめるように指示し、自らは左舷側のレーダーを使用してその動静を監視し、新明神岸壁方に対する見張りを十分に行わないまま続航した。
 06時48分少し過ぎA受審人は、同入航する漁船のレーダー映像が防波堤端に近づいたところでレーダースコープ上の偽像に紛れてこれを見失い、いったん機関を停止したものの、同入航船が港内西側奥の防波堤と新明神岸壁との間に設けられた漁船船溜りに向かったものと考え、霧中信号も行わないまま引き続き約3.0ノットの速力で進行した。
 ところが、06時48分半A受審人は、防波堤灯台から010度290メートルの地点に達したとき、右舷船首5度230メートルのところに契陽が存在し、その後フェリー岸壁に向けて入航する同船と著しく接近する状況であったが、機関操作や操舵操船に気を取られ、レーダーによる見張りを十分に行わなかったので、契陽に気付かないまま続航中、同時50分少し前船首部甲板で見張り中の一等機関士からトランシーバーを通じて「前方30メートルに船がいる。」との報告を受け、急いで機関を全速力後進にかけた直後に船首少し右に契陽を視認したが及ばず、06時50分防波堤灯台から010度150メートルの地点において、芸予は、わずかな前進行きあし状態で、その右舷船首が契陽の船首に前方から13度の角度で衝突し、その後後進行きあしが効いて船尾部が港口から北東方陸岸付近の浅瀬に底触した。
 当時、天候は霧で風力1の南西風が吹き、視程は約30メートルで広島及び愛媛両県下全域に濃霧注意報が発表されていた。
 また、契陽は、昭和36年4月に進水し、船橋に主機遠隔操縦装置、レーダー1台及び音響信号装置として手動式モーターホーンを備えた船体前部船橋型の旅客船で、主として東邦亜鉛株式会社契島精錬所従業員の輸送のために契島と竹原港間の定期航路に就航していたところ、C受審人及び機関長の2人が乗り組み、旅客2人を乗せ、船首1.30メートル船尾1.50メートルの喫水をもって、同日06時30分契島専用桟橋発の第1便として竹原港に向かうにあたり、折から広島県全域に濃霧注意報が発表されて契島から竹原方面海域にかけて霧のため視界が制限され視程が運航管理規程に定めた運航中止条件の500メートル以下の状況であった。
 ところが、C受審人は、夜勤明けの精錬所従業員を何とか運ぼうと思い、また仮に視界制限状態の下で竹原港に入航しても、そのころ同港出航予定のフェリー芸予が欠航して同港に入港し易いと考え、運航管理者または運航管理補助者に連絡をとって出航中止の措置をとることなく、06時27分定刻より早目に離桟を始め、航行中の動力船が掲げる灯火を表示して竹原港に向かった。
 C受審人は、離桟すると機関長を見張りに就け、レーダーで竹原港港口に向け、機関をほぼ全速力前進にかけて約9.5ノットの速力で手動操舵により出航した。06時40分防波堤灯台まで約600メートルに近づいたところで、機関を半速力に減じて約5ノットの速力とし、同灯台を視認することができず、引き続き視程が運航管理規程に定めた運航中止条件の500メートル以下の状況であったが、竹原港内に入れば多少明るくなると考え、速やかに港外で投錨仮泊して運航中止の措置をとらないまま港口に向かった。
 こうして、06時43分C受審人は、防波堤東端を左舷側約100メートル離して港口を通過したとき、見張り中の機関長から防波堤の東端部が見えた旨を告げられて霧中信号を1回吹鳴し機関を微速力前進に減じて2.0ノットの速力とし、その後港内の視程の大きさを確かめるために左転して港内北西方奥に位置する新明神岸壁に近づき、前方約70メートルでこれを視認し、続いてその場回頭して防波堤に近づいて視程がほぼ同じであることを認めたのち、06時48分半防波堤灯台から351度60メートルの地点に至り、レーダーで針路をフェリー桟橋方を向く023度に定めたとき、左舷船首8度230メートルのところに出航中の芸予が存在し、その後同船と著しく接近する状況であったが、同船が欠航して港内からの出航船がないものと思い込んでいたので、霧中信号を行うこともレーダーで見張りを十分に行うこともなく、芸予に気付かないまま機関を微速力前進と停止を繰り返しながら約2.0ノットの速力で進行中、06時50分少し前機関長から「前方に船がいる。」と告げられた直後に船首至近に芸予を初めて視認し、急いで機関を全速力後進としたが及ばず、契陽は、わずかな前進行きあしのまま、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、芸予は船首外板に擦過傷と衝突後の底触でプロペラ翼に曲損を、また契陽は船首外板に凹損をそれぞれ生じたが、のちいずれも修理された。
(4)本件後の措置
 B指定海難関係人は、関係当局から運航管理体制の強化及び乗組員に対する安全教育の徹底等の指導要請を受け、運航管理補助者を増員して運航管理規程に定められた運航基準の遵守、運航管理者の職務の確実な実施、船舶間の情報交換体制を確立するなどし、適宜船機長会議及び安全衛生会議を開き、視界制限状態における乗組員の安全運航についての意識を向上させるための船員教育を行った。
 また、D指定海難関係人は、関係当局から旅客船の安全確保についての指導要請を受け、運航管理についての改善報告書を提出し、その中で運航管理規程に定める安全に関する教育を確実に実施することを挙げて、10回に及ぶ船員教育を行い、更に運航管理体制の見直しと強化を図り、気象・海象及び港内の状況等の情報の把握と船舶へのこれらの情報連絡体制の強化を図ることを挙げるなどして改善を行った。

(原因の考察)
 芸予及び契陽両船は、旅客を輸送する定期航路事業に従事する目的で運航され、そのため海上衝突予防法に定められた視界制限状態における航法を十分に遵守し、更により安全運航を図るために、具体的に運航を中止する条件などの運航基準を運航管理規程に定めていたにもかかわらず、その措置がいずれもとられなかった。
 このことは、両船の船長が運航基準を遵守しなかったことによるものであるが、運航管理者が運航管理業務を十分に行っておらず、乗組員に対して安全運航についての指導が徹底していなかったことになり、このことも本件発生の原因となる。

(原因)
 本件衝突は、芸予が、竹原港を出航して波方港に向かうにあたり、霧のため視界が運航基準に定められた視程以下に制限される状態であった際、運航管理と運航基準の遵守とが不十分で、運航を中止することなく出航したばかりか、霧中信号を行わず、レーダーによる見張り不十分で、入航する契陽と著しく接近することを避けることができない状況となった際、速やかに行きあしを止めなかったことと、契陽が、契島を出航して竹原港に向かうにあたり、霧のため視界が運航基準に定められた視程以下に制限される状態であった際、運航管理と運航基準の遵守とが不十分で、運航を中止することなく出航したばかりか、竹原港外でも投錨仮泊せずに同港内に入り、霧中信号を行わず、レーダーによる見張り不十分で、出航してくる芸予と著しく接近することを避けることができない状況となった際、行きあしを止めなかったこととによって発生したものである。
 芸予の視界制限状態における運航が適切でなかったのは、運航管理者の運航管理及び乗組員に対する運航基準の遵守の指導が十分に行われていなかったことと、船長の運航基準の不遵守及び運航が適切でなかったこととによるものである。
 契陽の視界制限状態における運航が適切でなかったのは、運航管理者の運航管理及び乗組員に対する運航基準の遵守の指導が十分に行われていなかったことと、船長の運航基準の不遵守及び運航が適切でなかったこととによるものである。


(受審人等の所為)
 A受審人は、竹原と波方両港間の定期旅客輸送にあたり、竹原港を発航する際、霧のため視界が運航基準に定められた視程以下に制限された状態であった場合、同基準を遵守して出航中止の措置をとるべき注意義務があった。しかし、同人は、運航管理者と出航中止の協議も行わないまま、一時的に港口の防波堤灯台を視認したことで同灯台の見えているうちに出港しようと思い、出航中止の措置をとらなかった職務上の過失により、離岸するや視界が更に狭められた港内を出航して、契陽との衝突を招き、芸予の船首外板に擦過傷さらに衝突後の船尾部底触でプロペラ翼に曲損及び契陽の船首外板に凹損をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 C受審人は、契島と竹原港間の旅客輸送にあたり、契島から竹原港に向かう際、霧のため視界が運航基準に定められた視程以下に制限された状態であった場合、同基準を遵守して運航中止の措置をとるべき注意義務があった。しかし、同人は、何とかして夜勤明けの従業員を運ぼうと思い、視界制限状態下では竹原港発航予定のフェリー芸予等も欠航し自船にとって同港に入航し易いと考え、運航管理者と運航中止の協議も行わないまま、出航中止及び竹原港外での投錨仮泊等の運航中止の措置をとらなかった職務上の過失により、視界が運航基準に定められた視程以下に制限された竹原港に入航して、芸予との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B指定海難関係人が、運航管理者として竹原と波方両港間の旅客等の定期輸送業務にあたる際、乗組員に対して運航基準の遵守についての指導及び広島県全域に濃霧注意報が発表されたことを知りながら、視界制限状態における運航に関する管理のいずれもを十分に行わなかったことは本件発生の原因となる。
 B指定海難関係人に対しては、本件後、関係当局等からの指導を受けて、運航管理体制の強化並びに乗組員に対して運航基準の遵守についての教育及び指導等に関しての改善策を講じたことに徴し、勧告しない。
 D指定海難関係人が、運航管理者として契島と竹原港間の旅客等の定期輸送の業務にあたる際、乗組員に対して運航基準の遵守についての指導及び広島県全域に濃霧注意報が発表されたことを知りながら、視界制限状態における運航に関する管理のいずれもを十分に行わなかったことは本件発生の原因となる。
 D指定海難関係人に対しては、本件後、関係当局等からの指導を受けて、運航管理体制の強化並びに乗組員に対して運航基準の遵守についての教育及び指導等に関しての改善策を講じたことに徴し、勧告しない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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