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 海難審判庁裁決録 >  2001年度(平成13年) > 転覆事件一覧 >  事件





平成12年函審第61号
件名

漁船第五龍寶丸転覆事件

事件区分
転覆事件
言渡年月日
平成13年3月9日

審判庁区分
函館地方海難審判庁(酒井直樹、大石義朗、長谷川峯清)
参審員(稲葉恭人、烏野慶一)

理事官
東 晴二、熊谷孝徳

指定海難関係人
A 職名:第五龍寶丸甲板長
S水産株式会社 業種名:水産業

損害
龍寶丸・・・沈没して全損、乗組員14人は死亡又は行方不明

原因
復原性の確保についての配慮不十分、操船不適切、開口部取扱不良

主文

 本件転覆は、かけ回し式沖合底びき網漁を行うに当たり、復原性の確保についての配慮が不十分で、出漁時に二重底タンクに燃料油が十分に積載されなかったこと、揚網作業中に上甲板下の漁獲物処理場のガベージシュート開口部と上甲板上のコンパニオン出入口の各鋼製風雨密扉が閉鎖されていなかったこと、及び多量の漁獲物が入網したコッドエンドを船上に取り込む際、コッドエンドを複数のウインチで吊り上げながら取り込んで頭部過重になったこと、並びにこのような状態のまま、急激な回頭発進が行われたこととにより、船体が旋回による大角度の外方傾斜を生じ、開放されたままのガベージシュートとコンパニオンの両開口部から、海水が漁獲物処理場、後部居住区などに流入して復原力を喪失したことによって発生したものである。
 船舶所有者が、かけ回し式沖合底びき網漁を行うに当たり、出漁時に二重底タンクに燃料油を十分に積載することや、操業中は開口部の閉鎖に留意することなど、乗組員に対して復原性を確保するための指導及び監督を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 多数の行方不明者が発生したのは、かけ回し式沖合底びき網漁に従事する乗組員が、揚網作業中、作業用救命衣を着用していなかったことによるものである。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成12年9月11日06時12分
 北海道浦河港沖合

2 船舶の要目
船種船名 漁船第五龍寶丸
総トン数 160トン
全 長 37.33メートル
7.40メートル
深 さ 4.66メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出 力 860キロワット

3 事実の経過
1 指定海難関係人
(1)指定海難関係人S水産株式会社
 指定海難関係人S水産株式会社(以下「S水産」という。)は、昭和35年1月12日に設立され、本店を北海道浦河郡浦河町萩伏町88番地に置き、事業内容を底びき網、刺網、棒受網、一本釣り及び延縄等各種漁業のほか、魚肥製造業、水産加工業などとし3隻の漁船を所有して運航する水産業を営んでいた。その後同社は、数回の増資を行い、同58年には代表取締役T(以下「T代表」という。) ほかいずれも親族の取締役2人、監査役1人が役員に就き、同61年に陸上の事務担当者として総務部長E(以下「E部長」という。)を採用して同3隻の漁船を運航していたが北部太平洋におけるいか流網漁業の禁止に伴い、平成7年以降は沖合底びき網漁船第五龍寶丸(以下「龍寶丸」という。)及びいか一本釣り漁船第八十八龍寶丸(総トン数138トン)の2隻の漁船を運航していた。
 S水産は、平成12年3月にK代表が急逝したことにより、同4月にそれまで同社の経営に携わった経験のない同代表の息子のT(以下「T代表」という。)が急遽代表取締役社長に就任し、母と妹の2人を取締役に就かせて監査役はそのまま留任させ、E部長を引き続き陸上事務担当者とし、T代表と同部長の2人で同社の陸上業務に当たることになり、龍寶丸ほか1隻の運航管理業務のほか、室蘭機船漁業協同組合や浦河及び地元の荻伏両漁業協同組合並びに水揚げを行う魚市場等、経営上の関係者との会合への出席や、同社が作成した就業規則に基づく乗組員の福利厚生、雇用及び配乗などの所有者業務に当たっていた。
 また、S水産の組織は、社長、総務部長、漁撈長、船長及び船長の下に機関長と甲板長以下各部乗組員という職掌順位になっていた。
(2)指定海難関係人A
 A指定海難関係人は、底びき網漁船の乗船経験が約30年あり、平成5年6月龍寶丸に甲板員として乗り組み、同9年から甲板長の職務に就き、操業中は作業甲板の指揮者として投揚網作業に当たり、入渠に際しては甲板部の修理工事責任者としての業務に従事していた。
2 龍寶丸
(1)建造の経緯
 S水産は、昭和57年7月に水産庁が漁業法に基づいて制定した「沖合底びき網漁業の許可等に関する取扱方針」を受け、同社の経営の安定を図る目的で龍寶丸を建造することとし、同方針に基づき、総トン数を126トン以上に大型化する場合の漁業許可における制限又は条件中の操業区域を制限することにより、総トン数35トンを上限とする大型化を図るよう同許可申請して農林水産大臣の許可を受け、株式会社X(以下「X社」という。)に、「新トン数適用船舶」として総トン数160トン(以下「160トン型」という。)の底びき網漁船龍寶丸を発注した。
 X社は、それまで総トン数124トン(以下「124トン型」という。)までの沖合底びき網漁船の建造実績があったものの、160トン型の同漁船建造は初めてであったことから、124トン型の設計を基に160トン型の基本設計を同社新潟造船工場設計室に行わせ、設計された一般配置図と計画要目表に基づいてS水産と何回か打ち合わせの後に建造仕様が決定され、同58年4月に起工して翌5月に進水し、同7月に竣工して海上公試運転を行い、運航上の注意事項を説明したのちS水産に龍寶丸を引き渡したもので、その後160トン型の同型船を同59年に3隻、同60年、平成2年及び同10年に各1隻、合計7隻の建造を行った。
 引き渡しを受けたS水産は、龍寶丸を襟裳岬付近から西方の北海道南岸沖合において、かけ回し式沖合底びき網漁業に従事させ、その後平成7年8月にX社において第4回目の定期検査を受ける際に外板の板厚測定を行い、その衰耗は大きいところでも約4パーセントで、同11年8月に釧路重工業株式会社において第5回目の定期検査を受けた結果も良好であった。
(2)計画主要目
 主要目は前示のほか次のとおりであった。
 登録長 31.90メートル
 垂線間長  31.00メートル
 計画満載喫水  3.20メートル
 夏期乾舷  1.30メートル
 初期トリム 1.08メートル
 舵面積 3.72平方メートル
 従業制限 第2種
 漁業種類 沖合底びき網漁業
 最大搭載人員 18人
 主 機 関 ニイガタ6MG28BXE 1基
 推 進 器 かもめ4翼可変ピッチプロペラ 1軸
 直 径 2,800ミリメートル
 なお、昭和59年3月に推進器翼を次のものに交換した。
 推進器翼 かもめハイスキュー型4翼可変ピッチ
 直 径 2,900ミリメートル
(3)船体の構造及び配置
 龍寶丸は、球状船首及び船尾斜路を備えたフレーム間隔が50センチメートル(以下「センチ」という。)の船首船橋全通二層甲板型鋼製漁船で、上部から上甲板、第二甲板及び二重底になっており、上甲板両舷船首から船尾にわたってブルワークが設けられていた。
 各甲板上の配置は、上甲板上に操舵室、トロールウインチ設置場所、作業甲板、コンパニオン、煙突及び鳥居マストなどが、第二甲板上に甲板長倉庫、漁獲物処理場、前後部各居住区及び網庫などが、第二甲板下に諸タンク、魚倉及び機関室がそれぞれ配置され、魚倉及び機関室船首側下部が二重底構造になっていた。
ア 上甲板上の配置
 上甲板上には、船首から順に船首暴露甲板、操舵室、同室外の両舷側通路、トロールウインチ設置場所及び同場所後部から船尾斜路までの長さ約18メートルに作業甲板が設けられ、漁獲物処理場ハッチ、漁撈ハッチ、鳥居マスト、左舷側コンパニオン、右舷側通風機・煙突室、船尾両舷網庫ハッチ、ギャロース、船尾斜路及び同波除扉が配置されていた。また、両舷に放水口が設けられたブルワーク及び船尾端から船尾斜路を挟んで船首方の作業甲板にインナーブルワークがそれぞれ設けられていた。
(ア)操舵室は、船首端から後方約7.4メートルのところに、長さ約3.1メートル幅約4.5メートルで設けられ、船首側の丸窓下部に主機遠隔操縦装置、操舵スタンド及び航海計器などが、船尾側角窓下部に魚群探知器及びトロールウインチ制御盤(以下「制御盤」という。)などがそれぞれ設置されていた。また、同室後壁の船体中心線位置にコッドエンド(以下「コッド」という。)巻き込み用支柱(以下「コッド巻支柱」という。)が設けられていた。
(イ)トロールウインチ設置場所は、操舵室後壁から船尾方約5.0メートルまでの幅約6.0メートルの区域で、油圧駆動のトロールウインチ1式及び船首側に上甲板上高さ(以下、本項の高さは上甲板上の高さをいう。)約1.2メートルの同ウインチ機側操作台兼通路がそれぞれ設置されていた。
(ウ)作業甲板は、トロールウインチ設置場所後端から船尾斜路までの両舷側ブルワークと左右インナーブルワークとで囲まれた区域で、木甲板が張られ、船首側から漁獲物処理場ハッチ、漁撈ハッチ、船尾斜路頂部ランプエンドローラー(以下「横ローラー」という。)、船尾斜路波除扉及び右舷側通風機・煙突室後部に投樽装置が設けられていた。
(エ)ブルワークは、両舷側の船首から船尾まで及び船尾斜路部を除く船尾端に約1.1メートルの高さで設けられ、主として上下約15センチ、前後約80センチの大きさの放水口が、その上辺が高さ約20センチになるよう、両舷ほぼ対称の位置の13箇所に設けられていた。
(オ)インナーブルワークは、船尾端から船首方に船尾斜路から連続して幅約2.6メートルで、横ローラーまでが高さ約1.0メートル、同ローラーから船 首方に約9.0メートルまでが高さ約70センチ、そこから高さ約50センチと なって左右それぞれ漁撈ハッチ横付近から外側に屈曲して各舷側のブルワー クに接続されていた。
(カ)船尾斜路は、横ローラーから船尾方に傾斜角30度から緩やかに同36度まで下方に傾斜して船尾端に至るもので、操業時には油圧駆動の波除扉を同斜路上に倒して平滑面にして使用されていた。
(キ)鳥居マストは、ほぼ楕円断面の左右両支柱がそれぞれ上方に向かって内側に約10度傾斜して取り付けられ、高さが約5.6メートルであった。両支柱の船首側には、高さ約2.0メートルにグーズネックピンがある長さ約8.0メートルのデリックブーム(以下「荷役用ブーム」という。)が各1本及び同船尾側には、高さ約3.0メートルに同ピンがある長さ約9.0メートルのデリックブーム(以下「漁撈用ブーム」という。)が各1本それぞれ装備されていた。
(ク)漁撈ハッチは、その後端が横ローラーから船首方に約11.0メートルの上甲板中央部に設けられた長さ約1.0メートル幅約1.8メートルの開口部に、上甲板と同一面の油圧駆動で下方に開閉する1枚の木甲板張り鋼製倉口蓋が設けられた漁獲物落とし口で、右舷側通風機・煙突室後部に操作場所があった。
(ケ)コンパニオンは、左舷側鳥居マスト支柱に接続して船尾側に設けられた甲板室で、作業甲板側の出入口から踊場を経て船尾側に第二甲板との昇降階段出入口が設けられ、同室頂部に漁撈用ホイスト1台が設置されていた。
イ 第二甲板上の配置
 第二甲板上には、船首から順に甲板長倉庫、前部居住区、漁獲物処理場、同処理場の左舷側外板にガベージシュート及び同船尾側に魚溜まり、機関室囲壁、同囲壁の左舷側に工作室兼後部居住区通路、同右舷側に機器室及び同船尾側に食堂を含む後部居住区、同通路の左舷側にバッテリー室と通風機室及び同船尾側に合羽掛場とそれに続く賄室が、後部居住区と賄室の船尾側に舵機室及び左右両舷側網庫がそれぞれ配置されていた。
(ア)漁獲物処理場は、船首側が前部居住区及び操舵室昇降階段室に、船尾側が工作室、魚溜まりを経て機関室囲壁に、並びに廊室を経て機器室にそれぞれ接続し、これらと左右両舷側外板とに囲まれた区画になっていた。
(イ)ガベージシュートは、漁獲物処理後の雑魚等を海中投棄するための開口部で、漁獲物処理場左舷側外板のフレーム番号44番を中心に設けられていた。
(ウ)工作室兼後部居住区通路は、漁獲物処理場、バッテリー室、通風機室、合羽掛場及び機関室に接続しており、各室の出入口にそれぞれ鋼製風雨密扉が設けられ、機関室出入口には同室内側に木製扉が設けられていた。
(エ)後部居住区は、合羽掛場に接続する食堂の船尾側及び右舷側にそれぞれ船員室が設けられ、合羽掛場の船尾側にある賄室及び食堂との間、並びに食堂と各船員室との間にそれぞれ木製扉が設けられていた。
(オ)賄室には、直径304ミリメートル(以下「ミリ」という。)の丸窓を下縁が第二甲板上1.35メートルの位置に取り付け、また、右舷船尾側にそれぞれ全容積950リットルの乾物庫及び非乾物庫が設けられていた。
ウ 第二甲板下の配置
 第二甲板下には、船首から順に、船首水槽(以下「F.P.T.」という。)、第1燃料油槽 (以下、燃料油槽については「F.O.T.」という。)、第1魚倉、第2魚倉、機関室、左右両舷側に清水槽(以下「F.W.T.」という。)、船尾端左右両舷側にバラスト水槽(以下「W.B.T.」という。)及び同中央部に第5F.O.T.が配置されていた。
エ 二重底タンク等の配置
 二重底には、第1F.O.T.後壁から船尾方に向かって順に、左右第2F.O.T.、左右及び中央第3F.O.T.、左右第4F.O.T.、左舷側に潤滑油槽(以下「L.O.T.」という。)及び油圧作動油槽並びに船体中心線左舷寄りに潤滑油溜め槽(以下「L.O.S.T.」という。)がそれぞれ配置され、その他第1魚倉下部にビルジウエル、第2魚倉下部に電路区画、ログ区画及びビルジウエル、機関室船首部床鋼板下部にシーチェストなどが設けられていた。
オ 漁獲物処理場及びコンパニオンの各開口部
 漁獲物処理場のガベージシュートは、上甲板下面から32.5センチ下方に設けられた縦45センチ横70センチの開口部で、内側にバタフライナットで閉鎖する下開き式の鋼製風雨密扉が、外面に上甲板から昇降させる鋼製落とし蓋がそれぞれ設けられていた。
 コンパニオンには、作業甲板側のほぼ中央部に鋼製引き戸が設けられた踊場出入口及び同踊場の船尾側に鋼製風雨密扉が設けられた昇降階段出入口の各開口部が、それぞれコーミング高さ約40センチ縦約1.2メートル横約70センチで設けられていた。
(4)漁撈機械等の装備状況
 操業に使用される漁撈機械等は、上甲板上にトロールウインチ1式、左右両舷荷役用ブーム下部に漁撈兼荷役ウインチ(以下「漁撈ウインチ」という。)各1台、横ローラー1本、漁撈ハッチ1個、投樽装置1式、船尾端のギャロース下部左右にトップローラー各1個、鳥居マストの左右支柱の内側に中間トップローラー各1個、右舷側荷役用ブームに雑用ホイスト1台、左右漁撈用ブームに漁撈用ホイスト各1台、コンパニオン頂部に漁撈用ホイスト1台、コッド巻支柱にセンターワイヤ巻き込み用2枚シーブの定滑車及びその先に2枚シーブの動滑車各1個が、並びに漁獲物処理場にベルトコンベア2基がそれぞれ設置されていた。
ア トロールウインチ
 トロールウインチは、主機直結の油圧ポンプによる分離型駆動方式で、上甲板を長さ約1.6メートル幅約5.0メートル深さ約30センチ掘り込んだ同ウインチ設置場所に、ひきづな用リールドラム(以下「メインドラム」という。)及び同ドラムの船尾側にロープさばきシフター(以下「シフター」という。)をそれぞれ船横に左右各2基、同ドラム船首側の中央部にセンターワイヤドラム(以下「センタードラム」という。)1基及びその左右に各駆動部のクラッチ及びブレーキ機構が配置されていた。
(ア)メインドラムは、左右各ドラムともロープ巻き込み容量が、根付けから直径34ミリ長さ400メートルのコンパウンドロープ(以下「C.P.R.」という。)及び直径55ミリ長さ2,400メートルのC.P.R.で、巻き込み能力が8層目で9トン毎分140メートルであった。
(イ)センタードラムは、巻き込み容量及び能力がそれぞれワイヤ直径26ミリ長さ100メートル及び2層目で14トン毎分90メートルで、コッド巻支柱の上甲板上高さ約3.6メートルに取り付けた呼び径430ミリ使用荷重21トンの定滑車と、同荷重の動滑車とによりツー・フォールド・パーチェスによる 4倍力のテークルでコッド取り込みに使用されていた。
(ウ)トロールウインチの操作は、機側操作盤のほかに操舵室内船尾側に制御盤があり、機側の切替弁で操縦位置の切り替えが行われるようになっており、投網から揚網までは制御盤により、また、操業最後の作業である漁獲物取り 込み時には機側操作盤により行われていた。
イ 漁撈ウインチ
 左右各漁撈ウインチは、主機直結の油圧ポンプによる駆動方式で、巻き込み容量及び能力がそれぞれカーゴワイヤ直径18ミリ長さ33メートル及び5トン毎分60メートルで、左右荷役用ブームをそれぞれ仰角45度鳥居マストからの開き角65度として固定し、両ブーム先端のアイプレートに取り付けられた呼び径280ミリの定滑車を通して使用され、同ワイヤ先端には使用荷重2トンの鋼製フックが取り付けられていた。同ウインチの操作は、左右各機側で両ウインチの同時操作が可能であった。また、定滑車の荷重の作用点は上甲板上高さ約7.5メートルであった。
ウ 漁撈用ホイスト
 左右各漁撈用ホイストは、出力10キロワット毎分回転数900の電動機による押しボタン制御方式で、巻き込み容量及び能力がそれぞれワイヤ直径16ミリ長さ22メートル及び1.5トン毎分32メートルで、左右漁撈用ブームをそれぞれ仰角45度鳥居マストからの開き角76度として固定し、両ブーム先端のアイプレートに呼び径240ミリの定滑車を取り付け、ワイヤ先端には使用荷重2トンの鋼製フックが取り付けられていた。
エ コンパニオン頂部漁撈用ホイスト
 コンパニオン頂部漁撈用ホイストは、巻き込み容量及び能力がそれぞれワイヤ直径16ミリ長さ30メートル及び0.9トン毎分30メートルであった。
3 完成時の復原性能
 龍寶丸は、X社において仕様書のとおり建造され、昭和58年7月5日及び6日に海上公試運転が、同6日に復原性試験がそれぞれ実施された。
 X社は、傾斜試験及び動揺試験を行った結果をもとに、重心試験成績書及び復原性報告書と題して、軽荷、出港、漁場着、漁場発及び帰港の各航海状態における重量重心計算書、重心試験成績表、環動半径計算書、C係数計算書、復原力曲線図、操業中の復原てこ計算書及び同図、C係数=1における乾舷の限界曲線図及び同作成資料、海水流入角曲線図、風圧側面積比曲線図、各航海状態の積み付け状態表並びに復原性能計算書を作成し、S水産及び乗り出しの船長及び漁撈長など乗組員幹部に手渡した。
 龍寶丸の復原性能は、復原力が最小となる漁場着状態でも、沖合底びき網漁具の重量10トン、燃料油58.93トン、漁獲物0トン、着氷23.61トンとして排水量442.72トン、平均喫水3.10メートル、乾舷2.01メートル、横メタセンター高さ0.74メート、風圧側面積の著しく大きい漁船として荒天時のC係数3.230、最大復原てこ0.685メートル、復原力消失角45.20度及び復原性範囲90度以上と算出されており、160トン型漁船の復原性規定値を充足していた。
4 X社の運航上注意すべき事項の説明
 X社は、龍寶丸の引き渡しを行う際、S水産及び乗組員幹部に対し、同じ排水量においても船内の積荷重量を上方に移せば復原力が減じ、下方に移せば復原力が増加することなど復原力と重心位置について、燃料油を半載状態にすることは復原力を低下させることになること、及び船内に海水が流入すると復原性に極めて悪い影響を生じるのでハッチや暴露部の扉、特にガベージシュートは見えにくい箇所にあるので常に留意し、海水浸入を生じないよう閉鎖装置を入念に確認することなど、復原性能面を中心に運航上の注意事項について文書を作成して説明を行った。
また、喫水計測上の注意として、龍寶丸が大口径のプロペラを装備しているため、船尾材がフォールスキールより下方に突出しており、喫水文字を船体に記入する際、船首喫水の0メートルを船首垂線のフォールスキール下端とし、船尾喫水の0メートルを同キール下端と船尾材下面とを結ぶ仮想線の延長線と船尾垂線との交点にしていること、初期トリムが計画トリム80センチと同仮想線のキールトリム28センチとを合わせた1.08メートルであること、並びに喫水標零点を、設計の基準となる基線から、それぞれ船首垂線で上方に10センチ、船体中央で下方に44センチ及び船尾垂線で下方に98センチの各点とし、喫水標を船体に描いていることを併せて説明した。
5 竣工後増設された機器
(1)GMDSS関連機器
 平成7年から同10年にかけてGMDSS(全世界的な海上遭難・安全システム)関連機器の設置工事を行った。操舵室内に、ナブテックス受信機及び同電源整流器、レーダートランスポンダ、持運式双方向無線装置及び同充電器を、同室頂部にEPIRB(非常用位置指示無線標識)及び同自動離脱装置を、並びに同室船尾側上方のレーダーマストにナブテックス受信機空中線をそれぞれ設置し、それまで使用していた遭難信号自動発信器を同室床上に保管した。
(2)コンパニオン頂部漁撈用ホイスト
 平成10年7月から8月に釧路重工業株式会社に入渠した際、船主支給品の漁撈用ホイスト1台がコンパニオン頂部のフレーム番号15番を中心に、船首尾線に対して約40度の角度で船尾斜路に向け、高さ50ミリの架台を設けて装備された。同ホイストは、型式が明電舎製Y−F2FH出力6キロワットの電動機による押しボタン制御方式で、重量がホイスト本体310キログラム及び同取付け架台18キログラムであった。
6 龍寶丸のかけ回し式底びき網漁具の構成
 漁具は、ひきづな、やまづな、手木、ペンネント、浮子方構成、沈子方構成、漁網及びコッドで構成され、ひきづなを除く完成網の総重量が約7トンであった。
(1)ひきづな
 ひきづなは、左右各メインドラムの根付け部に巻き込まれた直径28ミリ長さ380メートルのセキマキしたワイヤ(以下「元ワイヤ」という。)に、直径55ミリ長さ2,550メートルのC.P.R.をスプライス、カップリング、シャックル及び撚り戻し等を適宜使用して接続した構成になっており、全空中重量が19.63トンであった。
(2)やまづな
 やまづなは、ひきづなとペンネントとの間に設けた手木の上下に取り付けられ、空中重量が左右で40キログラムであった。
(3)手木
 手木は、直径約90ミリ長さ1.2メートルの鋼管の上下前後にアイプレートを溶接して取り付けたもので、空中重量が左右2本で46キログラムであった。
(4)ペンネント
 ペンネントは、左右の手木と荒手網との間にそれぞれ設けられた直径18ミリ長さ15メートルあるいは30メートルのC.P.R.5本で構成され、空中重量が左右で333キログラムであった。
(5)漁網の種類と抱水率
 漁網は、ジャンボ型と称する8枚網であった。
 網地は、全て素繊維太さが400デニールのポリエチレン製網糸が使用され、素繊維数が、18本、30本、39本、45本、57本、90本及び150本並びに網地の目合が、75ミリ、90ミリ、150ミリ、300ミリ及び600ミリで、各部分網ごとに網糸の太さと目合が複雑に組み合わされており、網地の総重量は約1,275キログラムであった。
 また、ポリエチレン製400デニール60本の網地の抱水率は、水から引き上げて30秒後には網地重量の約40パーセント、3分後で同約30パーセント及び5分後以降は同約27パーセントであった。
(6)コッドの構成及びコッド入網漁獲量
ア コッド
 コッドは、長さ15メートルの上部、下部及び両脇部各網の4枚構成で、ほぼ中央部から尻寄りに同じ網地のすれ網を取り付けて二重コッドとし、網地の総重量は約414キログラムであった。
イ 筋縄と浮子玉
 上部、下部及び両脇部各網の接続部には、C.P.R.直径26ミリの筋縄のほか、同筋縄に沿わせて直径11ミリのチェーンが取り付けられ、上網部の両側筋縄には、それぞれ7個の耐圧1,200メートル直径240ミリ空中重量2.5キログラムの浮子玉(以下「240浮子」という。)が取り付けられていた。
ウ コッドバンドとチャック編み開口部
 コッドには、頭部から尻部に向かって約1.5メートル間隔にコッドを構成する4枚の網を取り囲むようにC.P.R.直径26ミリ長さ7メートルのコッドバンドが9本、尻部にワイヤ直径14ミリ長さ約4.5メートルのコッドライン1本がそれぞれ取り付けられ、上部網に3箇所及び下部網に4箇所のそれぞれ横方向にチャック式で編み合わせた開口部を設け、漁獲物が多量に入網した際に漁獲物を作業甲板上に放出できるようにしていた。
エ 足しコッド
 コッドの前方に、網地及び筋縄がコッドと同じもので長さ4.2メートルの足しコッドがチャック式で接続されており、網地の総重量は約123キログラムであった。
オ コッド入網漁獲量
 龍寶丸は、これまでに1操業で約60トンの漁獲量を無難に取り込んだことを何回も経験しており、コッドバンド間の網地が膨らんでインナーブルワークから上方に半月上に盛り上がってコッドの高さが上甲板上約1.5メートルとなった状態では、水揚げ結果からその入網量が約5トンとなることを知って漁獲量の目安としていた。そのときの重心位置は同甲板上0.65メートルである。
 また、足しコッドの入網漁獲量は、上甲板上高さ約1.0メートルの状態で約10トンであった。
(7)漁網に使用された綱類
 浮子綱は、C.P.R.直径20ミリ全長150メートルで、両端アイ加工部を除く空中重量が約94キログラムであった。
 筋縄は、全てC.P.R.で、直径24ミリが約360メートル、同20ミリが約333メートルで、両端アイ加工部を除く空中重量が約528キログラムであった。
 沈子綱は、全てC.P.R.で、直径28ミリが長さ86.04メートル、同24ミリが長さ82.75メートルで、両端アイ加工部を除く空中重量が約189キログラムであった。
(8)浮子方構成
 浮子方構成は、荒手網部浮子綱に240浮子が84個、袖網部に同浮子60個、間口部に耐圧1,200メートルで直径360ミリ空中重量10キログラムの浮子玉(以下「360浮子」という。)17個、荒手網部の筋縄に240浮子28個、脇網部の筋縄に360浮子8個がそれぞれ取り付けられ、浮子玉の全空中重量が約680キログラムであった。
(9)沈子方構成
 沈子方構成は、沈子綱に割鉄沈子、割ゴム沈子及びゴムボビンなどをそれぞれ貫通させて取り付け、グランドロープと称する間口を挟む両奥袖先端までの長さ28.11メートルには、直径24ミリのC.P.R.に割ゴム球及び多量のゴム沈子を貫通させて重量増大を図り、チェーンで沈子綱に取り付けられ、全空中重量が約1,740キログラムであった。
7 かけ回し式底びき網の投揚網手順
(1)投網
 右回りの投網の場合、投網針路を定めたら速力を約10ノットとして樽を投入し、出綱と称するメインドラムに巻かれた片舷のひきづなの投入を開始する。出綱を11丸投入したところで、速力を約7ノットに落として出肩折れと称する約80度の右転を行い、更に出綱を1丸投入したのち、速力を約4ノットに落とし、投網前に約10度右転して右側荒手網から投網を開始し、左側荒手網まで投入して投網が終ると同時に、更に10度右転して速力を約7ノットに上げ、入れ綱と称する反対舷のひきづなを1丸投入したところで入れ肩折れと称する約80度の右転を行い、速力を約10ノットに上げ、その後入れ綱6丸を投入したところで、樽肩折れと称する樽に向かう進路とする転針を行うとともに、速力を約7ノットに落として入れ綱5丸を投入したところで可変ピッチプロペラ(以下「CPP」という。)の翼角を0度とし、惰力で進行して樽を揚収する。
(2)曳網
 投網終了からひきづなの巻き揚げ開始までの間が肩寄せと称する曳網状態の初期に当たり、CPP翼角を上げて速力を約6ノットに上げ、ひきづなが平行になるまで前進する。
(3)ひきづなの巻き揚げ
 曳網開始地点から約1海里前進し、ひきづなが平行になって魚群の駆集効果がなくなった時点で巻き揚げを開始する。CPP翼角を10度としてメインドラムの巻き込みを始め、3丸巻いた時点で、同ドラムの巻き込み回転数を上げるとともにCPP翼角を4度に落とす。この時点で行きあしが止まることから通称ストップ巻きといい、その後トロールウインチでのひきづなの巻き揚げによる船体の後進速力が機関による前進速力を上回って船体が後方に引き寄せられ、巻き揚げを始めて約0.5海里後退して揚網に移る。
(4)揚網
 手木が船尾トップローラーに来たらメインドラムの巻き込みを止め、ストップ巻きのまま、左右の手木にやまづなを掛けて一本に絞り、同やまづなに右舷漁撈ウインチのカーゴワイヤのフック(以下「カーゴフック」という。)を掛けて同ワイヤを巻き、次に横ローラーの船首側で、通称たまこというC.P.R.直径18ミリ長さ約7メートルを輪状にして2つ折りにしたストロップ(以下「たまこ」という。)をペンネントに巻き付け、左舷漁撈ウインチのカーゴフックを掛けて巻き、この操作を交互に繰り返して取り込んだ手木、ペンネント及び漁網をトロールウインチ船尾側中央に落として積み上げながら、足しコッド頭部が横ローラーの位置に来るまで行う。
(5)漁獲物の取り込み
 足しコッド頭部が船尾斜路に来たら、海面にあるコッドの浮き具合を観察して経験から漁獲量を推定し、同量が30トン以下であれば、左右両漁撈ウインチのほか、左右両漁撈用ホイスト及びコンパニオン頂部漁撈用ホイストの各ワイヤを使用して巻き込み、コッド頭部が樽の横に来たときいったん巻き込みを停止し、コッド下部のチャックを解いて漁獲物を上甲板上に流出させ、引き続き各ワイヤを巻き込みながら流出した漁獲物を漁撈ハッチから魚溜まりに落とし込み、次々にチャックが同じ位置に来たらこれを繰り返し、最後にコッドラインを開放して漁獲物を魚溜まりに落とす。また、漁獲量が30トンを超えるときには、センターワイヤ用動滑車を船尾に移動し、横ローラーの船首側でコッドを左右両カーゴワイヤで支えながら、直径26ミリのC.P.R.を5本束ねて長さ約7メートルにしたたまこ(以下「コッド用たまこ」という。)をコッドに巻き付け、動滑車のフックを掛けてセンタードラムを巻き込み、チャックを次々に解放しながら漁獲物を取り込む。
(6)操業所要時間
 樽投入から同揚収までの時間が約20分、曳網時間が約15分、ひきづな巻き揚げ時間が約15分、揚網から漁獲物の取り込みまでの時間が約15分ないし20分で、多量の漁獲物が入網したときにはコッド取り込みに更に10分ないし20分の時間を要した。
8 操業時の指揮系統
(1)船長の職務
 船長Iは、四級海技士(航海)免状を受有し、第五十二恵久丸(以下「恵久丸」という。)及び龍寶丸の船長歴各8年の経験があったが漁撈長の経験はなく、出入港時及び漁場との往復航海時の各船橋当直のほか、操業中には樽投入から同揚収までの投網作業時の操舵、CPP翼角操作及び見張りなどに当たるとともに、樽揚収ののち揚網開始前まで自室又は食堂で待機し、揚網作業時には作業甲板上の指揮者であるA指定海難関係人の指示に従って同甲板上で同作業に従事し、揚網終了後漁獲物の整理が終われば再び船橋に戻って漁場移動及び投網時の操船に当たっていた。
(2)漁撈長の職務
 漁撈長兼次席通信士Y(以下「Y漁撈長」という。)は、長年龍寶丸で通信長の職にあり、無線従事者の免許を有していたが航海の海技免状は受有せず、平成9年に漁撈長職の見習いとなり、前任の漁撈長に付いて約1年間修行し、翌年から漁撈長としての職に就いたもので、出港及び操業の可否、操業地点などを、船籍港を北海道浦河町とする恵久丸及び北海道様似町とする第三十一一心丸(以下「一心丸」という。)の2隻の同業種漁船(以下「僚船」という。)の各漁撈長と相談して決め、操業中は船橋にあって操業指揮と操船に当たりながらトロールウインチの操作を行うとともに、漁獲物取り込み後に次の操業地点に向かう発進、増速などCPP翼角操作及び操舵による操船を、I船長が昇橋するまでの間、自ら行っていた。
(3)機関長の職務
 昭和63年6月から平成11年2月までの間、F(四級海技士(機関)(機関限定)免状受有)(以下「F元機関長」という。)が機関長職を執り、その後U(四級海技士(機関)(機関限定)免状受有)(以下「U前機関長」という。)が同職を引き継いで同12年漁期初めの運航に就いていたが、同年9月6日に浦河港で燃料油移送中に漏油事故が起こり、その際U前機関長の海技免状が同年3月30日で失効していたことが明らかとなり、急遽G(三級海技士(機関)(機関限定)免状受有)(以下「G機関長」という。)が同8日付けで同職に雇い入れされ、U前機関長は機関員として乗船していた。操業時の機関長の職務は、機関当直室にて監視を行い、多量の漁獲物が取り込まれたときには漁獲物処理場にて処理作業を手伝っていた。燃料の補給については、これまでの習慣から特に連絡しなくても冨士石油株式会社が毎週2回浦河港に入港中の龍寶丸に来て、機関長が流量計で読みとった消費量を機関室の黒板に記載しておくことで、油送船の乗組員がその量を補給量として補給していた。S水産は、後日請求書により同量を確認できることから、機関長に報告を求めることをしないまま、このことを了解していた。
(4)指揮系統
 操業時の指揮系統は、漁撈長、作業甲板指揮者の甲板長、甲板作業乗組員の順で、機関長、司厨員以外の乗組員が全員甲板作業に当たっており、揚網作業時には船長も甲板長の指揮下という立場にあった。
 操業中の操舵室と作業甲板との連絡は、同室からは漁撈長がマイクを使用して操舵室頂部のスピーカーにより、甲板上からは手や声により合図する方法が採られていた。
9 S水産の安全管理模様
(1)S水産の安全管理
 S水産は、同社の就業規則に船長の職責を定めていたが、同規則中に船長及び漁撈長が同一人でない場合は、漁撈作業上の運航及び安全管理についての指揮及び監督の職務を漁撈長に任せることを明記し、船内における安全管理を漁撈長に任せていた。
 S水産は、漁撈長に任せておけば操業や運航が安全に行われるものと思い、出漁時に二重底タンクに燃料油を十分に積載するよう指示したり、操業中は漁獲物処理場のガベージシュートなど開口部の閉鎖に留意するよう指導したりするなど、復原性を確保するための指導及び監督を十分に行わなかった。
(2)作業用救命衣着用についての指導
 S水産は、正代表が存命中には、安全運航に貢献して北海道知事表彰を何回も受賞し、毎年春秋に浦河地区で行われる作業用救命衣着用のパレードに率先して参加するなど、同救命衣着用の必要性を深く認識し、乗組員採用時に同救命衣着用の誓約書を提出させるなど、乗組員に対して同救命衣の着用についての指導を行っていた。
10 平成12年漁期開始前後の龍寶丸の動静
(1)入渠工事
 平成12年5月末の漁期終了後、翌6月から8月までの間、一般修理工事の目的で新潟県新潟市のX社に入渠し、8月13日に浦河港に帰港した。
(2)漁期開始前の作業
 A指定海難関係人は、入渠のための回航に乗船してX社到着後、複数の乗組員とともに帰省し、ジャンボ網展開図に基づいて漁撈長の意見を採り入れながら、予めS水産に依頼して購入しておいた漁具資材を使用して完成網3ヵ統の製作を行った。また、漁期開始直前の8月29日には、浦河漁業協同組合が主催した底びき船漁獲物販売会議が催され、T代表、E部長、Y漁撈長、I船長、通信長井上保及びA指定海難関係人が出席し、北海道南岸の日高沖合漁場に出漁する他の2隻の僚船の漁撈長ほか幹部乗組員並びに様似漁業協同組合、北海道漁業協同組合連合会、水産物卸問屋及び運送会社などの出席者と、投樽開始を05時00分とすること、最終入港時刻を19時00分とすること及び1日の漁獲量の目途を各船100トンとすることなどが取り決められた。
(3)漁期開始後の操業模様
 平成12年9月1日から同年漁期が始まり、同日出漁してスケトウダラ主体に約82.5トンを漁獲し、その後同2日には112.2トン、同3日及び同4日が時化休漁、同5日が109.3トン、同6日が105.9トン、同7日及び同8日が漏油事故処理のため休漁、同9日が67.8トン及び同10日には出航したものの時化模様のため操業に至らず帰港した。Y漁撈長は、漏油事故を起こして2日間出漁できず、僚船2隻の水揚げ量及び同金額に差がついていたことから、一刻も早くその差を縮めたいとS水産ほか一部の乗組員に話していた。
(4)漏油事故
 8月13日に入渠工事から帰港後、U前機関長の指揮の下で燃料油を同24日に16.2キロリットル、9月2日に7.3キロリットル、同4日に3.1キロリットル及び同6日に8.8キロリットル積み込み、同6日の積み込み後、船首トリムを修正する目的で燃料油を移送するとき、バルブ操作を誤り、約1.5キロリットルを船外に漏油した。
11 発航時の積込品と発航状態
 発航時の重量重心計算書を別表1に示した。
(1)乗組員携帯品
 乗組員は、龍寶丸の運航が日帰り航海であったことから、日用品や清涼飲料水など1人約10キログラムを自室に置いており、作業用の合羽、長靴、ゴム手袋及びヘルメットなどを身に着けて作業に従事していた。
(2)食料品及び甲板長倉庫搭載品
 米は、漁獲物処理場の主食庫に約40キログラムが貯蔵され、乾物類や調味料は、10キログラム単位で購入して消費した残り約43キログラムが、食器や什器類約50キログラムとともに賄室に保管され、副食物は、毎日出航前に浦河漁業協同組合などから納品されており、発航時には約17キログラムが納品された。
 甲板長倉庫には、係船索のほかに漁具の予備品として浮子玉、補修用反網など約1.5トンが、床から約1.6メートルの高さで格納されていた。
(3)漁具(使用中)
 使用中の漁具は、横ローラーから漁撈ハッチの後部までの作業甲板後部インナーブルワーク内に、すぐに投網できるように整理して甲板上約70センチの高さで置かれていた。
(4)漁具(完成予備網)
 平成12年漁期開始前に作製した使用中と同構成の完成予備網は、トロールウインチ後部右舷側から、右舷漁撈ウインチとインナーブルワークとの間を経て投樽装置の船尾側まで、甲板上約1.5メートルの高さで、また、荒場漁場用の完成予備網は、左舷側のコンパニオン出入口後部から横ローラー付近までのインナーブルワークの外側に、上甲板上高さ約70センチで、いずれも移動しないように固縛されていた。
(5)漁撈用具及び補修用反網類
 樽は、右舷船尾の投樽装置に設置されていた。マキリやはさみ等の道具類は、左舷側漁撈ウインチ後部にすぐに使えるように置かれていた。右舷網庫に、補修用反網類が使いかけの合成繊維ロープやセンタードラム用予備ワイヤなどと一緒に合計約1.2トンが床から約50センチの高さで、また、左舷網庫に、補修用反網がワイヤ直径18ミリ及び同16ミリ各2丸と一緒に合計約1.1トンが床から約50センチの高さでそれぞれ格納されていた。
 工作室には、直径18ミリのC.P.R.1丸及びたまこなど合計約186キログラムが床から約1メートルの高さで、合羽掛場には、シャックル等金物類及び滑車など合計約530キログラムが床から約50センチの高さで格納され、合羽掛に定員分の作業用救命衣が吊り下げられ、食堂の長椅子の下には使用荷重2トンのフック、スパイキ及びワイヤカッターなど合計約45キログラムが床から約30センチの高さで格納されていた。
(6)魚箱、同固縛用具及び魚箱入り砕氷
 操舵室頂部に、1個の寸法が縦60センチ横39センチ高さ14センチで重量0.3キログラムの発泡スチロール魚箱10個を1束にして15束が、同頂部全面に飛散防止の網を被せて固縛されていた。操舵室右舷後部に、1個の寸法が縦60センチ横35センチ高さ12.5センチで重量1.8キログラムの木箱30個が、飛散防止の網を全体に被せて固縛されていた。漁獲物処理場の左舷側外板寄りに木箱500個及び1個の寸法が縦62.5センチ横39センチ高さ14センチで重量1.8キログラムのプラスチック製魚箱50個が積み上げられ、移動しないように最上部の箱を立てるなどして床と天井との間に固定されていた。同処理場右舷側には、前日積み込まれた発泡スチロール魚箱250個が積み上げられ、同魚箱にはそれぞれ約3キログラムの砕氷が入れられて高さ4センチの蓋が被されていた。第1魚倉には発泡スチロール魚箱150個が移動しないように格納されていた。
(7)魚倉内の砕氷
 第2魚倉の船首側中央の差し板で仕切られた区画に、砕氷約4トンが床から約80センチの高さで平積みされていた。
(8)燃料油、潤滑油等、清水及びバラスト
 F元機関長が乗船していたころの燃料油積載状況は、合計約60キロリットル(以下、本項において「キロ」という。)であったが、発航時にはF.P.T.と第1F.O.T.左右両舷とも空、第2F.O.T.が左右両舷各3.2キロ、第3F.O.T.が左右両舷各5.6キロ中央2.1キロ、第4F.O.T.が左舷4.0キロ右舷6.0キロ、第5F.O.T.が空の合計29.7キロで、同元機関長が乗船していたころの半量以下であった。また、L.O.T.が1.55キロ、L.O.S.T.が2.21キロ及び油圧作動油タンクが0.89キロ並びにW.B.T.左右両舷に清水各6.90トンとF.W.T.両舷各3.44トンを満タン状態にしていた。
(9)デリックブームの状態
 荷役用ブームが、左右とも仰角45度鳥居マストからの開き角65度で、漁撈用ブームが、左右とも仰角45度同開き角76度でそれぞれトッピングワイヤ及びガイロープで固定されていた。
(10)喫水と乾舷
 喫水標による船首喫水1.18メートル船尾喫水4.71メートルで、乾舷が2.16メートルであった。
(11)開口部の閉鎖状況
 ガベージシュートは、出漁当日1回目の投網中に甲板員が漁獲物処理準備の一環として開放し、同日最後の操業を終えて帰航中に閉鎖していた。また、コンパニオンの両出入口及び第二甲板の各扉は、機関室出入口を含め、全て常時開放されていた。
(12)漁獲物処理場の遊動水の状況
 漁獲物処理場内の遊動水は、揚網終了後漁獲物処理を終えた後に、海水ポンプからの甲板洗浄海水を使用して同処理場内の洗浄作業を行っていたので、同処理終了まで遊動水はなかった。
12 本件発生に至る経緯
 龍寶丸は、I船長、Y漁撈長及びA指定海難関係人ほか15人が乗り組み、すけとうだら漁の目的で、船首1.18メートル船尾4.71メートルの喫水をもって、平成12年9月11日01時00分浦河港を発し、主機の制限出力を超える機関最大出力である1,323キロワットで、同港南方沖合約16海里の漁場に向かった。
 02時30分I船長は、漁場に到着して操船指揮をY漁撈長に任せ、自ら操舵及びCPP翼角操作に就き、同漁撈長が魚群探知器により漁場探索を行いながら同船長に針路及び速力の変更を指示した。
 Y漁撈長は、投網地点を決めて恵久丸及び一心丸と取り決めていた同日1回目の投網時刻の05時00分を待った。
 04時55分Y漁撈長は、ベルにより投網準備の合図を行い、同漁撈長指揮の下にI船長及びN通信長を船橋配置に、発航後各自自室で休息していた乗組員12人を作業甲板の投網配置にそれぞれ就けたのち、05時00分襟裳岬灯台から266度(真方位、以下同じ。)21.4海里の地点で、針路を300度として投樽したのち右回りで一連の投網要領により投網を行い、同時20分樽を揚収して針路を140度に定め、CPP翼角を前進12度として対地速力6.0ノットで曳網を開始した。この間に甲板員R及び同Wらは、常時開放されているコンパニオン出入口を経て漁獲物処理場に降り、ガベージシュートを開放してベルトコンベアを同シュートから船外に約30センチ突き出し、同シュートの外蓋も開けたまま、発泡スチロール魚箱を第1魚倉から取り出して氷詰めするなど漁獲物処理の準備作業を行った後、樽の揚収を終えたA指定海難関係人ほか甲板作業に就いていた乗組員とともに朝食をとりに食堂に向かった。また、I船長も、曳網開始と同時にY漁撈長に操舵とCPP操作を委ねてN通信長とともに食堂に向かった。
 05時35分Y漁撈長は、襟裳岬灯台から264度21.0海里の地点で、左右のひきづなが平行になったとき、同じ針路のまま、CPP翼角を前進10度に落として操舵室後部の制御盤を操作し、メインドラムを駆動してひきづなの巻き揚げを開始し、その後同翼角を4度に落として巻き揚げを続けた。
 05時45分食堂で待機していたA指定海難関係人及びI船長ほか12人の乗組員は、ウインチの音でひきづなが半分ほど巻き揚げられたことを知り、それぞれヘルメット、合羽、長靴及びゴム手袋を身に着けたが、海上が穏やかで、漁撈長から特に作業用救命衣着用の指示もなかったことから、同救命衣を着用しないまま作業甲板に向かい、G機関長及びU前機関長は機関当直室に、また、司厨員Oは朝食の片付けのため賄室にそれぞれ移動した。
 A指定海難関係人及びI船長ほか12人の乗組員は、ひきづなを巻き揚げ中に作業甲板に出て、同指定海難関係人が右舷側漁撈ウインチ機側操作場所に、機関員Lがトロールウインチ機側操作台に、甲板員Zが漁撈ハッチ操作場所に、及び他の乗組員もそれぞれ揚網配置に就いた。
 05時53分Y漁撈長は、手木がギャロースのトップローラーまで来たとき、行きあしをなくしてひきづなの巻き揚げを終えたのちL機関員にトロールウインチ操作場所を制御盤から機側操作盤に切り替えるよう指示し、操舵室後部窓越しに揚網状況の監視に当たり、その後同機関員が同ウインチ操作に当たった。
 A指定海難関係人は、右舷漁撈ウインチのカーゴフックが左右の手木を絞ったやまづなに掛けられたのを確認して巻き込みを始め、その後左右の同ウインチを交互に操作して荒手網、袖網及び胴網まで巻き揚げているうち、同ウインチのワイヤの張り具合から相当量の漁獲量であることを知り、L機関員やO甲板員らにセンターワイヤの準備を指示した。
 06時05分A指定海難関係人は、胴網の2の胴と足しコッドのつなぎ目(以下「足しコッド頭」という。)が横ローラーに来たとき、2の胴に巻き付けたたまこに左右のカーゴフックを両方掛けてコッドを保持し、コッド用たまこの巻き付けが終わるのを待った。
 06時10分L機関員は、船尾後方海面に浮き揚がったコッドの状況を見て漁獲量が60トンを超えるものと推定し、コッド用たまこに動滑車のフックが掛けられたのを確認した後、センタードラムの巻き込み操作ハンドルを全速力の3分の1として毎分約7メートルの速度で巻き込み始めた。また、このときA指定海難関係人は、動滑車が裏返しにならないよう右舷カーゴフックを同滑車に掛け、同カーゴワイヤのたるみを取る程度の速度で右舷漁撈ウインチを巻き始め、Z甲板員が漁撈ハッチを開けた。
 06時10分半少し過ぎA指定海難関係人は、足しコッド頭が樽の船首側まで取り込まれたとき、コッドの高さが上甲板上約1.5メートルになっている状況を見て、これまでの経験からコッドチャックを解放しながら巻き込まないといけないと感じてL機関員にセンターワイヤの巻き込み停止を指示し、同機関員も同様に感じて巻き込みを停止した。このときY漁撈長は、コッドの状況を見て大漁であることを確信し、2回目も同じ場所で操業するつもりで、漁獲物の取り込みが終わったら直ちに前示投網地点付近に向かおうとしていたところ、センターワイヤの巻き込みが停止したことから、マイクを使用して「巻け。」と指示した。
 06時11分少し前A指定海難関係人は、L機関員がY漁撈長の指示に従ってセンターワイヤの巻き込みを再開したとき、右舷カーゴワイヤのたるみを取ると同時に、足しコッド寄りの1番目のコッドバンドのリングにフックが掛けられた左舷カーゴワイヤを操作ハンドルをいっぱいに上げて巻き込んだ。
 06時11分わずか過ぎY漁撈長は、足しコッド頭がコンパニオンの船尾側に来たとき、ゆっくりした速度で巻き込まれているコッドを見て、コッドチャックを解きながら巻き揚げた方が早く取り込めると感じ、マイクを使用して「網を切れ。」と指示した。
 このとき、Y漁撈長は、センタードラム及び左右の漁撈ウインチの各ワイヤでコッドと動滑車とを吊り上げながら巻き込むと、センターワイヤ及び左舷カーゴワイヤで保持されたコッドの両部分並びに動滑車が、作業甲板から少し浮き上がって左右に移動する状況となり、見掛けの重心が上昇して復原性が悪化し、その状態のまま大舵角で急発進すると、内方傾斜に続いて旋回による大きな外方傾斜に伴う転覆のおそれがあったが、一刻も早く前示投網地点付近に向かうため、右舵一杯とし、網を切るよう指示すると同時にCPP翼角を前進12度に上げ、行きあしのないストップ巻き状態から急発進し、機関に急激な負荷がかかって煙突から黒煙が上がり、同翼角が徐々に上がって増速しながら右旋回を始めた直後、右舷側に内方傾斜し、これに気づいたL機関員が右舷傾斜を直すよう「船を立てろ。」と叫んだ。
 06時11分半わずか過ぎA指定海難関係人は、内方傾斜による右舷傾斜が元に戻って直立の状態になり、右回頭が落ち着いて煙突の黒煙が収まり、センタードラム及び左舷漁撈ウインチにそれぞれ定格能力分の荷重が掛かるとともに、右舷同ウインチで動滑車が吊り上げられながら、足しコッド頭が漁撈ハッチの船首側に来るまで巻き込まれ、動滑車が上甲板上約1.2メートル、コッド用たまこがその後方約80センチのところで上甲板上約1.0メートルとなったとき、漁撈長の指示のとおり網を切るように甲板員住岡一憲に指示し、同甲板員が鳥居マスト横に置いてあったマキリで、足しコッド頭部の下網を約30センチ切り開いた。
 その後龍寶丸は、船体が右旋回による外方傾斜により左舷側に傾斜を始め、コッドのセンターワイヤ及び左舷カーゴワイヤで保持された両部分並びに動滑車が左舷方に移動する状況となり、右回頭しながら前進速力が8.5ノットに上昇したとき、強まった遠心力により船体が左舷側に大傾斜し、開放していたガベージシュートやコンパニオン出入口両開口部から海水が漁獲物処理場及び後部居住区などに流入し、06時12分襟裳岬灯台から265度21.2海里の地点において、船首が約230度に向いたとき、復原力を喪失して元に戻らないまま、取り込んだ漁網やコッドなどが移動して転覆し、甲板上で作業に従事していた乗組員14人が海中に投げ出された。
 当時、天候は曇で、風力3の南南東風が吹き、潮候は下げ潮の末期にあたり、転覆地点付近には南南東方に向かう微弱な海潮流があった。
13 乗組員の救助模様及び龍寶丸の沈没
 06時00分一心丸漁撈長Kは、前示発生地点の南東方約4海里の海域で同日1回目の操業を終えたとき、無線による船間連絡でY漁撈長から龍寶丸の大漁の情報を得たことから、同船の近くで2回目の操業を行うこととして移動を開始し、4海里レンジに設定したレーダーで龍寶丸を確認し、その後ときどき同レーダーを監視しながら同船の方向に向かって約1.6海里移動した。
 06時13分K漁撈長は、投樽を開始しようとしてY漁撈長を何回か呼び出したが応答がなく、同時17分それまで映っていた龍寶丸のレーダー映像が認められなくなったことから、恵久丸漁撈長Cにこの旨伝えたところ、同漁撈長も約5分前からARPA(自動衝突予防援助装置)で捕らえていた龍寶丸を捕捉できなくなったという情報を得た。そこでK漁撈長は、双眼鏡により同船の方角を望遠したところ、オレンジ色の救命筏を認め、同船が沈んだことを知り、恵久丸にこの旨を伝えて救助に向かった。
 06時20分C漁撈長は、K漁撈長からの情報を受け、船舶電話により浦河漁業協同組合に龍寶丸がレーダーから消えた旨伝えた後、救助に向かった。
 この結果、龍寶丸は、沈没して全損となり、また、A指定海難関係人、O及びD両甲板員は一心丸により、L機関員は恵久丸によりそれぞれ救助されて浦河港に戻り、総合病院浦河赤十字病院で診察を受け、同指定海難関係人が燃料油を飲み込んで嚥下性肺炎等により9日間及び他の3人が同症状により3日間それぞれ入院した。
 救助された4人以外の乗組員14人は行方不明となり、その後第一管区海上保安本部が巡視船つがるなど6隻、航空機おじろ2号など3機を出動させたほか、北海道漁業取締指導船、水産庁漁業取締船及び多数の地元漁船により捜索活動が続けられたが、行方不明のまま、同月24日捜索が打ち切られた。
 行方不明となった乗組員は、I船長(昭和38年9月6日生)、Y漁撈長(昭和23年8月21日生)、G機関長(昭和24年10月4日生)、U前機関長(昭和32年4月27日生)、N通信長(昭和40年10月24日生)、V甲板員(昭和20年3月1日生)、Z甲板員(昭和26年3月2日生)、甲板員H(昭和21年11月25日生)、同M(昭和39年5月14日生)、同J(昭和24年11月18日生)、同P(昭和44年5月18日生)、機関員Q(昭和48年4月23日生)、同B(昭和55年12月9日生)及びO司厨員(昭和25年3月31日生)で、平成13年1月29日までにG機関長及びB機関員以外の12人が死亡と認定された。

(原因に対する考察)
 本件発生時の積み付け状態で、コッドが上甲板上に取り込まれた際の重量重心計算書を、別表2に揚網用ウインチで吊り上げずに取り込む場合、別表3に同吊り上げながら取り込む場合、別図に同吊り上げながら取り込む場合の復原てこ曲線図及び別表4に燃料油を60キロリットル搭載した状態で、同吊り上げながら取り込む場合をそれぞれ示した。
 以下、本件発生に至る経緯から本件発生の原因について考察する。
1 燃料油搭載量
 別表4に示したように、F元機関長が乗船していたころの燃料油搭載量は、W.B.T.に搭載した同油も含めて合計60キロリットルで、L.O.T.、L.O.S.T.及びF.W.T.を全て満タン状態にしていた。
 この状態において、揚網用の各ウインチでコッドを巻き込みながら、右舵一杯で急発進して増速した場合、以下に示した遠心力による静的な状態の外方傾斜角を求めると、
 GoM=見掛けの横メタセンター高さ:0.36メートル、
 d=基線上の平均喫水:2.74メートル、
 KGo=見掛けの重心高さ:3.45メートル、
 であるから、
 θ2=外方傾斜角:21.3度
 となる。
 この状態のとき、ガベージシュート下端の海水流入角が25.6度、コンパニオン出入口下端の海水流入角が36.5度となるから、F元機関長の燃料油積載状態であれば、静的にはガベージシュートからもコンパニオン出入口からも海水が流入しない傾斜角になる。
2 コッドの巻き込み状況
 龍寶丸は、これまでに何回も1操業で約60トンの漁獲量を上甲板上に取り込んだ経験があり、その際にはコッドチャックを次々に解いて漁獲物をコッドから放出し、漁撈ハッチから魚溜まりに落とし込みながら取り込んでいた。このときには、常時上甲板上には10ないし15トンの漁獲物が搭載された状態であったが、当時、A指定海難関係人が、いつものように足しコッド頭が樽の横に来たとき、同チャックを解放して漁獲物を放出しながら取り込もうとしたところ、Y漁撈長が、同チャックを解放しないまま取り込みを続けさせ、同チャックを解放する時機を失し、複数の揚網用ウインチでコッドを吊り上げながら取り込んだ結果、見掛けの重心を上昇させて頭部過重の状態になり、復原性を悪化させたものと認められる。
3 本件発生時の操船模様
 Y漁撈長は、平素から揚網直後、まだコッド尻が船内に取り込まれる前でも、次の操業地点に向かって急発進、大舵角による回頭を行っていたとの供述もあることから、本件発生時もいつもと同じ操船模様であったことが推認される。
4 複数のウインチによりコッドを吊り上げながら取り込んだときの見掛けの重心上昇量及び横メタセンター高さの変化量
 コッドの取り込みに使用したウインチは、センタードラム及び左右漁撈ウインチの2種類3台であった。このときセンタードラムが鉛直下方からの角度76度で足しコッド頭を、及び左舷漁撈ウインチが同角度63度で1本目のコッドバンドをそれぞれ定格巻き揚げ能力で吊り上げ、また、右舷漁撈ウインチが同角度33度で動滑車を吊り上げていたものとして見掛けの重心上昇量を求めると、これら吊り上げによる同重心上昇量が5センチとなり、燃料油等液体の自由表面による見掛けの重心上昇量14センチと相まって、横メタセンター高さGMを19センチ減少させたことになる。
5 本件発生時の船体傾斜及びガベージシュートからの海水流入
 船舶は、転舵すると初めにプロペラ後流による舵直圧力により転舵側に内方傾斜し、その後遠心力が働いて外方傾斜に移行する。
 本件発生時、龍寶丸の機関出力を1,323キロワット、主機直結の油圧ポンプユニットに消費される出力を220キロワットとすれば、プロペラの推進出力は約1,100キロワットとなり、船速0ノット、CPP翼角前進12度、舵角35度のときのプロペラ後流による舵直圧力及び推進出力がそれぞれ5.51トン及び1,070キロワットとなり、静的な状態における内方傾斜角θ1は、

 sin θ1=F×cos δ×h / W×GoM

 F=舵直圧力(トン)
 δ=舵角(度)
 W=排水量(トン)
 GoM=見掛けの横メタセンター高さ(メートル)
 h=舵直圧力中心から浮心位置までの鉛直距離(メートル)
 P=軸芯延長線と船尾垂線との交点の喫水線下の深さ(メートル)
 dA=基線上船尾喫水(メートル)
 c=軸芯延長線と船尾垂線との交点の基線上高さ(メートル)
 Q=浮心位置の喫水線下の深さ(メートル)
 により、各値が、F=5.51トン、δ=35度、W=474.62トン、GoM=0.27メートル、dA=4.18メートル、c=0.75メートル、Q=1.18メートルであるから、
 P=dA−c=4.18−0.75=3.43メートルで、
 h=P−Q=3.43−1.18=2.25メートル
 となり、
 θ1≒4.5度
 となる。
 一方、静的な状態における遠心力による外方傾斜角θ2は、定常旋 回における一般公式

 sin θ2=V2×(KGo−d/2)/ 37×r×GoM

 V=定常旋回中の船速(ノット)
 r=定常旋回半径(メートル)
 d=基線上の平均喫水(メートル)
 KGo=基線上の重心高さ(メートル)
 GoM=横メタセンター高さ(メートル)
 により、各値が、
 V=8.5ノット海上公試運転成績書中の前後進力試験成績結果により、CPP翼角19度の全速力前進13.4ノットから船体停止までの所要時間が30秒であるから、翼角と速力の関係が直線的に変化するものとして停止状態から同翼角前進12度としたときの30秒後の速力は8.5ノットとなる。
 r=31.0メートル
 海上公試運転成績書中の右旋回試験結果により、90度回頭時の所要時間及び旋回径が24.5秒及び90.5メートルであり、本件発生時にはCPP翼角前進12度で加速旋回していたことから旋回径が船の長さの2倍になったものとして、旋回半径は31.0メートルとなる。
 d=2.65メートル
 KGo=3.55メートル
 GoM=0.27メートル
 となり、
 θ2≒31.3度
 となる。
 以上のことより、本件発生時の状態(別表3)におけるガベージシュート下端の海水流入角が27.5度、コンパニオン出入口下端の同角が36.5度及び復原力消失角が55度であるから、コッドを複数の揚網用ウインチで吊り上げながら取り込んでいるときに、急発進して増速しながら大舵角で旋回した際、遠心力による外方傾斜により、閉鎖されていなかったガベージシュートから海水が流入したものと認められる。
 また、コッドを揚網用ウインチで吊り上げずに取り込むときには、GoM=0.32メートル、d=2.64メートル、KGo=3.50メートルとなるから、外方傾斜角θ2=25.4度となり、急発進して増速しながら大舵角で旋回した際、静的な状態では、ガベージシュートが閉鎖されていなかったとしても、海水が流入せずに復原したものと認められる。(別表2)
6 考察の総括
 燃料油搭載量が60キロリットルの状態であれば、コッドを複数の揚網用ウインチで吊り上げながら取り込んでいるときに大舵角で急発進して増速しながら旋回しても、静的な状態では遠心力による外方傾斜でガベージシュートから海水が流入することはなかった。
 多量の漁獲物が入網したコッドを取り込む際、コッドのチャックを次々に解いて漁獲物を魚溜まりに落としながら取り込めば、コッドを複数の揚網用ウインチで吊り上げながら取り込んで見掛けの重心を上昇させることも、頭部過重の状態にすることもなく、復原性を悪化させることもなかった。
 Y漁撈長が大舵角で急発進して増速しながら旋回しなければ、遠心力による外方傾斜が生じることはなかった。
 ガベージシュートが閉鎖されていれば、コッドを複数の揚網用ウインチで吊り上げながら取り込んでいるときに大舵角で急発進して増速しながら旋回しても、船内に海水が流入することはなかった。
 以上のことから、いずれも復原性の確保についての配慮が不十分で、二重底タンクに燃料油が十分に積載されていなかったこと、ガベージシュートが閉鎖されていなかったこと、及び多量の漁獲物が入網したコッドのチャックから順次漁獲物を放出しながら取り込まずに、コッドを複数の揚網用ウインチで吊り上げながら取り込んで頭部過重になったこと、並びにこのような状態のもとで急激に回頭発進して増速旋回が行われたことが同時に生起した結果、船体が旋回による大角度の外方傾斜を生じ、開放されていたガベージシュートから海水が流入し、その直後に、開放されていたコンパニオン出入口からの海水の流入、上甲板上に取り込まれた漁網やコッド上部の移動などが傾斜を助長することになり、流入海水が漁獲物処理場及び後部居住区などの、扉が開放された各出入口を通って船内に浸入し、復原力を喪失して転覆に至ったものと考えられる。

(原因)
 本件転覆は、北海道浦河港南方沖合において、かけ回し式沖合底びき網漁を行うに当たり、復原性の確保についての配慮が不十分で、出漁時に二重底タンクに燃料油が十分に積載されなかったこと、揚網作業中に上甲板下の漁獲物処理場のガベージシュートと上甲板上のコンパニオン出入口の各鋼製風雨密扉が閉鎖されていなかったこと、及び多量の漁獲物が入網したコッドを船上に取り込む際、コッドに設けた複数のチャックから順次漁獲物を放出して上甲板下の魚溜まりに落としながら船内に取り込む措置がとられず、コッドを複数のウインチで吊り上げながら取り込んで頭部過重になったこと、並びにこのような状態のまま、急激な回頭発進が行われたこととにより、船体が旋回による大角度の外方傾斜を生じ、開放されたままのガベージシュートとコンパニオンの両開口部から、海水が漁獲物処理場、後部居住区などに流入して復原力を喪失したことによって発生したものである。
 船舶所有者が、かけ回し式沖合底びき網漁を行うに当たり、出漁時に二重底タンクに燃料油を十分に積載することや、操業中は開口部の閉鎖に留意することなど、乗組員に対して復原性を確保するための指導及び監督を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 多数の行方不明者が発生したのは、かけ回し式沖合底びき網漁に従事する乗組員が、揚網作業中、作業用救命衣を着用していなかったことによるものである。

(指定海難関係人の所為)
 S水産が、浦河港南方沖合において、かけ回し式沖合底びき網漁を行わせる際、乗組員に対して、出漁時に燃料油を十分に積載するよう指示したり、操業中は開口部の閉鎖に留意するよう指導したりするなど、復原性を確保するための指導及び監督を十分に行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 S水産に対しては、本件発生後、所有船舶の乗組員に対して、船舶の運航及び操業時の安全について積極的に指導及び監督を行っていることに徴し、勧告しない。
 A指定海難関係人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。





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