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平成12年広審第56号
件名

貨物船三皇丸貨物船第十大栄丸衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年3月22日

審判庁区分
広島地方海難審判庁(竹内伸二、工藤民雄、内山欽郎)

理事官
上中拓治

受審人
A 職名:三皇丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
B 職名:第十大栄丸一等航海士 海技免状:五級海技士(航海)

損害
三皇丸・・・船首部に凹損及びハンドレールに曲損
大栄丸・・・左舷側船尾甲板、船側外板等に破口と凹損

原因
大栄丸・・・狭い水道の航法(右側通航)不遵守、船員の常務(衝突回避措置)不遵守(主因)
三皇丸・・・警告信号不履行(一因)

主文

 本件衝突は、第十大栄丸が、狭い水道の右側端に寄らなかったうえ、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、三皇丸が、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Bを戒告する。
 受審人Aを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年3月30日18時09分
 備讃瀬戸 濃地諸島沖合

2 船舶の要目
船種船名 貨物船三皇丸 貨物船第十大栄丸
総トン数 598トン 498トン
全長 68.82メートル 71.04メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 1,176キロワット 735キロワット

3 事実の経過
 三皇丸は、船尾船橋型のケミカルタンカーで、岡山県水島港から瀬戸内海各地に液体化学薬品類を輸送する運航に従事し、A受審人ほか5人が乗り組み、アセトンシアンヒドリン500.03トンを積載し、船首2.3メートル船尾3.7メートルの喫水をもって、平成11年3月30日17時45分水島港三菱化学桟橋を発し、広島県大竹港に向かった。
 発航後A受審人は、日没前で視界が良かったので可航幅が約350メートルの太濃地島、上濃地島間の狭い水道を通航することとし、自ら手動で操舵にあたり、機関長に主機遠隔操縦装置の操作を行わせて港内航路を南下していたところ、18時00分ごろ出港作業を終えて昇橋した一等航海士から、濃地諸島西方に東行船が見えた旨の報告を受け、同航海士にその動向に注意するよう指示するとともに、同じく出港作業を終えた甲板員にも船橋で見張りにあたらせ、同時03分六口島灯台から349度(真方位、以下同じ。)1.6海里の地点で、針路を168度に定め、機関を全速力前進にかけ、10.5ノットの対地速力(以下「速力」という。)で進行した。
 18時06分A受審人は、水島港港内航路第3号灯浮標(以下「第3号灯浮標」という。)が右舷船首方200メートルとなったとき、同灯浮標を100メートルばかり離して航過するつもりで右転を開始し、太濃地島南岸の浅瀬に近づかないよう、レーダーの可変距離マーカーを150メートルに設定し、ときどきレーダーを見て同島陸岸が同マーカーの内側に入らないよう留意しながらゆっくり回頭を続けた。
 18時07分少し前A受審人は、六口島灯台から349度1.0海里の地点で、同灯浮標を右舷側100メートルに見てゆっくり右に回頭中、211度に向いたとき、右舷船首40度1,050メートルのところに太濃地島と上濃地島間の狭い水道に向けて東行中の第十大栄丸(以下「大栄丸」という。)を初認し、その後同船が同水道の右側端に寄らず太濃地島側に近寄る状況であることが分かったが、自船が水道の右側を航行しているので、同船がそのうちに右転するだろうと思い、警告信号を行わず、機関を5.0ノットの微速力前進に減じ、その後汽笛で短音1回を吹鳴し、太濃地島南岸に沿って右転しながら続航した。
 18時08分少し過ぎA受審人は、六口島灯台から342度1,660メートルの地点でゆっくり右に回頭中、239度に向首したとき、右舷船首25度340メートルに近づいた大栄丸が左転していることに気付き、衝突のおそれが生じたことを知り、同時08分半全速力後進を令して右舵一杯としたが及ばず、18時09分三皇丸は、同灯台から336.5度1,700メートルの地点において、265度に向首したとき、その船首が、大栄丸の左舷船尾に前方から80度の角度で衝突した。
 当時、天候は曇で風力1の東風が吹き、潮候は上げ潮の初期で、付近には弱い西流があった。
 また、大栄丸は、主に砂利・石材を運搬する船尾船橋型の貨物船で、B受審人ほか3人が乗り組み、空倉のまま、船首1.3メートル船尾2.9メートルの喫水をもって、同日04時35分福岡県苅田港を発し、水島港に向かった。
 B受審人は、大栄丸の実質的な船主で、船長ほか2人の乗組員とともに船橋当直に従事し、入出港時や狭水道通航時には船長に代わって自ら操船にあたっていたところ、17時00分佐柳島西方沖合において単独の船橋当直に就き、同時59分六口島灯台から282度2.0海里の地点に達したとき、針路を太濃地島と上濃地島のほぼ中央に向首する077度に定め、機関を全速力前進にかけ、折から北西方に流れる潮流のため左方に約2度圧流されながら10.3ノットの速力で、手動操舵によって進行した。
 そのころB受審人は、左舷前方に水島港港内航路を南下中の三皇丸ほか1隻の貨物船を初認したが、間もなく濃地諸島にさえぎられてこれら2船が見え隠れするようになり、18時03分六口島灯台から294度1.5海里の地点に達し、太濃地島まで1海里ばかりとなったとき、潮流のため北西方に圧流されて太濃地島側に近寄る状況であったが、狭い水道の右側端に寄る進路としないまま続航した。
 18時07分少し前B受審人は、六口島灯台から317度1.1海里の地点に達したとき、左舷船首6度1,050メートルの、太濃地島、上濃地島間の狭い水道の東口に三皇丸を再び視認し、同船が同水道に向けて右転中で、そのまま航行すれば同船と同水道内で出会う状況であったが、同船前方を航行していた貨物船が同水道を通航したあと右舷対右舷で航過したので、三皇丸も同様に右舷側を航過するものと思い、速やかに右転して狭い水道の右側端に寄らず、太濃地島側に近寄る進路のまま進行した。
 18時08分B受審人は、三皇丸が右舷船首4度450メートルとなったとき、同船が水道に沿って徐々に右転していたものの、その右舷側を航過するつもりで左舵少しをとって左転を始めたところ、同時08分少し過ぎ右転中の同船と衝突のおそれが生じたことを知ったが、直ちに機関を後進にかけて行きあしを止めるなど衝突を避けるための措置をとらず、機関を極微速力前進に減じ、右舵一杯に転じて回頭中、大栄丸は、165度に向首したとき、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、三皇丸は、船首部に凹損及びハンドレールに曲損が生じ、大栄丸は、左舷側船尾甲板、船側外板等に破口と凹損を生じたが、のちいずれも修理された。

(原因)
 本件衝突は、岡山県水島港沖合の太濃地島と上濃地島間の狭い水道において、東行する大栄丸が、同水道の右側端に寄らなかったうえ、同水道の右側端に寄って西行する三皇丸と間近に接近した際、衝突を避けるための措置をとらなかったことによって発生したが、三皇丸が、同水道の左側に寄って接近する大栄丸に対し、警告信号を行わなかったことも一因をなすものである。

(受審人の所為)
 B受審人は、濃地諸島西方沖合において、太濃地島と上濃地島間の狭い水道に向けて東行中、同水道東口に西行中の三皇丸を認めた場合、速やかに右転して同水道の右側端に寄って航行すべき注意義務があった。しかし、同人は、三皇丸が右舷側を航過するものと思い、速やかに同水道の右側端に寄って航行しなかった職務上の過失により、同水道の右側端に寄って航行中の三皇丸との衝突を招き、同船の船首部に凹損などを、大栄丸の左舷側船尾甲板等に破口などをそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 A受審人は、岡山県水島港を出航し、太濃地島と上濃地島間の狭い水道を西行中、太濃地島西方に認めた大栄丸が、同水道の右側端に寄らず、太濃地島側に近寄って東行する状況であることを知った場合、同船に対し、警告信号を行うべき注意義務があった。しかし、同人は、自船が狭い水道の右側を航行しているから、そのうち同船が右転するだろうと思い、警告信号を行わなかった職務上の過失により、太濃地島に近寄ったまま接近した大栄丸との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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