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平成12年神審第111号
件名

貨物船白隆丸漁船第三十八住宝丸衝突事件
二審請求者〔補佐人田川俊一、佐々木吉男、土井三四郎〕

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年3月8日

審判庁区分
神戸地方海難審判庁(黒岩 貢、阿部能正、西林 眞)

理事官
野村昌志

受審人
A 職名:白隆丸船長 海技免状:三級海技士(航海)(旧就業範囲)
B 職名:白隆丸一等航海士 海技免状:三級海技士(航海)
C 職名:第三十八住宝丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
D 職名:第三十八住宝丸一等航海士 海技免状:四級海技士(航海)

損害
白隆丸・・・左舷側中央部のランプウェイに凹損
住宝丸・・・船首部に曲損

原因
白隆丸・・・速力不適切、報告の不適切、狭い水道の航法(避航動作)不遵守(主因)
住宝丸・・・狭い水道の航法(避航動作)不遵守(一因)

主文

 本件衝突は、強潮流時の鳴門海峡最狭部において、両船が出会う状況となった際、潮流に抗して南下する白隆丸が、潮流による速力低下の確認が不十分で、潮流に乗じて北上する第三十八住宝丸の通過を待たなかったことによって発生したが、潮流に乗じて北上する第三十八住宝丸が、大鳴門橋直下で難航状態となった白隆丸を認めた際、広い海域に退避しなかったことも一因をなすものである。
 受審人Aを戒告する。
 受審人Bを戒告する。
 受審人Cを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成9年1月26日06時46分
 鳴門海峡

2 船舶の要目
船種船名 貨物船白隆丸 漁船第三十八住宝丸
総トン数 5,195トン 402トン
全長 115.00メートル 61.35メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
出力 4,471キロワット 735キロワット

3 事実の経過
 白隆丸は、専ら広島県福山港で積んだ鋼材を各地に運送する中央船橋型ロールオンロールオフ船で、主機を最適な負荷状態に保つため、風、波、潮流などの外乱に応じて可変ピッチプロペラの翼角を自動的に制御する、オートマチックローディングコントロール(以下「ALC」という。)と称する機関制御装置を備え、A、B両受審人ほか10人が乗り組み、鋼材2,331トンを積み、船首5.00メートル船尾5.10メートルの喫水をもって、平成9年1月26日01時20分福山港を発し、所定の灯火を表示して鳴門海峡経由で千葉港に向かった。
 A受審人は、福山港から備讃瀬戸東航路を通過するまで在橋し、その後1時間20分ほど自室で休息したのち、05時55分鳴門海峡通峡の操船指揮を執るために昇橋し、当直中のB受審人をレーダー監視に、甲板手を手動操舵にそれぞれ就けて同海峡に向かった。
 ところで、鳴門海峡は、淡路島南西部と四国北東部の間にある海峡で、そこに架かる大鳴門橋付近からその600メートル南にある飛島にかけての水域が、双方から拡延する浅礁などで可航幅約360メートルの最狭部となっており、潮流の最盛期には、その幅一杯に強く流れ、両側には複雑な渦流が発生することから、強潮流時には、同部の中央に寄って航行することになり、白隆丸のように同海峡の通航船としては大型の船舶が他船と最狭部で出会うときには、航過距離が狭くなって衝突のおそれが生じるところであった。
 また、A受審人は、通常航海中、ALCを効かせた状態で航行しており、逆潮時の鳴門海峡をそのまま通峡した場合、機関負荷の増加に伴って可変ピッチプロペラの翼角が減じられ、潮流の影響に加えて更に船速が低下することを理解していたが、満船時、逆潮流7ノット未満であればそのまま通峡し、それ以上では潮待ちするという制限を自ら設け、これまで強い逆潮流でも、最低5ノット程度の対地速力(以下、速力は対地速力である。)を維持することができたうえ、今回、予定どおりの時刻に同海峡最狭部に到着すれば、約6ノットの逆潮流で通峡できることから、いつものようにALCを作動させていた。
 06時00分ごろA受審人は、孫埼灯台から320度(真方位、以下同じ。)2.5海里の地点に達し、鳴門海峡に進入する針路に転じる状況となったが、同海峡を北上する数隻の船舶を認めたため、06時10分ごろ大鳴門橋の北1.8海里となる、鎧埼の南西方1,600メートル付近に至り、3回ほど旋回してそれらをやり過ごすこととした。
 A受審人は、時間の経過とともにこのまま鳴門海峡に向けるとかなり強い逆潮流となることを承知していたが、揚地の入港予定時刻が迫っていたことから、06時20分同海峡最狭部で出会う反航船がなくなったとき同海峡に向け南下を始めた。
 06時28分半A受審人は、孫埼灯台から009度1,800メートルの地点に達したとき、針路を大鳴門橋橋梁灯(L2灯)(以下、同橋橋梁灯については「大鳴門橋橋梁灯」を省略する。)の少し左を通って鳴門飛島灯台(以下「飛島灯台」という。)に向首する175度に定め、機関を14.5ノットの全速力前進にかけ、2.5ノットの潮流に抗し、12.0ノットの速力で5度左方に圧流されながら進行した。
 やがて白隆丸は、孫埼に接近するにつれ次第に増勢する北流と機関負荷の増大による可変ピッチプロペラ翼角の減少などにより、速力が徐々に低下したが、A受審人は、針路の保持に気を取られていたうえ、これまで強い逆潮流でも5ノット程度の速力を維持していたという意識があったことから、速力の低下について特に意識せずに続航した。
 06時37分A受審人は、孫埼灯台から085度560メートルの地点で同灯台に並航したとき、ALCが正常に作動しているにもかかわらず、速力が3.0ノットまで低下していたが、依然、針路の保持に気を取られ、潮流による速力の低下を十分に確認しなかったので、これに気付かなかった。このころ同人は、左舷船首24度1.6海里に北上中の第三十八住宝丸(以下「住宝丸」という。)の白、白、緑3灯を初めて認め、自船の現在の速力を考慮すると、同船と鳴門海峡最狭部で出会い、衝突のおそれがあることが分かり、潮流に抗し南下する自船が反転して北方の広い海域に戻るなりして住宝丸の通過を待つべき状況となっていたが、飛島の南の広い海域で出会うものと判断し、その措置をとらなかった。
 一方、B受審人は、鳴門海峡の通航経験が少なく、時折、レーダーから離れ、ウイングに出て大鳴門橋や渦流の様子を興味を持って見ていて、A受審人同様、潮流による速力の低下を十分に確認していなかったので、その著しい低下に気付かず、A受審人に報告することができなかった。
 その後A受審人は、潮流がますます増勢したことから、針路保持のため頻繁に左右10度ないし15度の舵操作を指示していたところ、速力が急激に落ち始め、06時40分孫埼灯台から100度600メートルのC1灯直下に達したとき、ついに失速状態となったが、しばらくの間このことに気付かず、同時41分ようやく左右の橋脚の見え具合から失速したことを知ったものの、再び行き脚がつくことを期待して船首方向を維持していたとき、同時42分B受審人からわずかずつ後退しているとの報告を受け、間もなくその速力が増すようになり、同時43分には船首が徐々に右方に振られ始めたことを知った。
 そのころ住宝丸は大鳴門橋の南900メートルに接近していたが、A受審人は、窮状に陥った自船への対応で住宝丸の存在を失念しており、左舵一杯として懸命に体勢の立て直しを図っていたところ、06時45分半飛島灯台から007度800メートルの地点まで後退し、船体が大鳴門橋と30度ばかりの交角となっていたとき北方への圧流が止まり、同じ船首方向を維持したまま西方に進み始めた。そのときA受審人は、他船の汽笛を聞いてふと左舷方を見たところ、左舷船首70度150メートルに自船の船首に向首する住宝丸を認め、同時46分少し前驚いて機関停止としたが及ばず、06時46分白隆丸は、飛島灯台から001度800メートルの地点において、3.0ノットの速力で224度を向首した左舷側中央部に、住宝丸の船首が90度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴で風はほとんどなく、潮候は上げ潮の中央期で、衝突地点付近には7.0ノットの北流があり、日出は07時02分であった。
 また、住宝丸は、鋼製の船尾船橋型活魚運搬船で、C、D両受審人ほか5人が乗り組み、空倉のまま、船首3.20メートル船尾5.40メートルの喫水をもって、同月24日16時30分千葉県富浦港を発し、翌25日15時05分時間調整のため和歌山県串本港に寄せたのち、同日22時25分同港を発進し、所定の灯火を表示して鳴門海峡経由により徳島県折野港に向かった。
 C受審人は、航海当直をD受審人と2人による6時間交替制とし、翌26日01時00分市江埼沖合で同人と交替して単独の当直に就き、06時00分鳴門海峡における機関操作のため機関長を昇橋させ、06時28分半飛島灯台から139度2.75海里の地点に達したとき、針路を同灯台に向首する319度に定めて自動操舵とし、機関を全速力前進にかけ、10.5ノットの速力で進行した。
 定針したころC受審人は、右舷船首12度4.0海里に白隆丸のレーダー映像を初めて認め、06時30分ごろ大鳴門橋の東側橋脚付近に同船の白、白、紅3灯を認めるようになり、近づくにつれ、その船影からときどき見掛ける白隆丸か、同型のその僚船であることが分かり、同時37分には右舷船首12度1.6海里に接近したが、平素、14ないし15ノット程度の速力で航行している白隆丸が、その時点で速力が3.0ノットまで低下しているとは思わず、強い逆潮流時でも同船であれば飛島の南の広い海域で出会うものと判断してそのまま進行した。
 06時40分C受審人は、白隆丸が右舷船首16度1.0海里となり、大鳴門橋直下に差し掛かったのを認め、同時41分飛島灯台から139度1,000メートルの地点で手動操舵に切り換え、針路をC1灯のわずか右に向首する340度に転じたが、そのころ白隆丸が、同橋直下から動かなくなり、失速状態となって難航していることを初めて知った。
 このときC受審人は、白隆丸の状態に不安を感じたことから機関を停止するとともに、ちょうど入港準備作業の確認のため昇橋したD受審人に命じ、相手船の意図を確かめる目的で警告信号を吹鳴し、その後転針地点付近から急激に増勢する潮流により11.0ノットとなった速力で続航した。
 06時42分C受審人は、白隆丸が、依然同じ状態で停留しているのを認めたものの、そのうちに前進を開始し、左舷対左舷で航過できるものと思い、同船が再び航行を開始しても鳴門海峡最狭部で出会い、衝突のおそれがあることに思い及ばず、直ちに右転して東側の広い海域に退避するなどの措置をとることなく、同船の動静を見ながら続航した。
 06時43分C受審人は、白隆丸が船首方向を保持したままわずかずつ後退し始めたことを知り、そのうち徐々に船首を右方に振り、同時44分には本来の針路より明確に右を向いた状態となり、体勢の立て直しが困難であることが分かったが、そのころ自船はすでに飛島の北東方370メートルの地点に達し、中瀬から延びる浅瀬の南端に300メートルまで接近して右側には大きな渦流も見えたことから、左右どちらにも退避することができず、時折、保針のため機関を前進にかけて進行した。
 間もなくC受審人は、白隆丸の船尾がC1灯より東方にせり出し、東寄りに後退しているように見えたため、同船の船尾方の通航をためらい、その船首方を通過することとし、06時45分飛島灯台から020度550メートルの地点において、針路を333度に転じ、機関を微速力前進にかけ、潮流に乗じて11.5ノットの速力で進行した。
 06時45分半C受審人は、それまで東寄りに圧流されていると思っていた白隆丸が、右舷船首30度150メートル付近から西方に進み始めたことに気付いて驚き、汽笛と発光による信号を発するとともに、左舵一杯として機関を後進にかけたが及ばず、314度を向首し、9.0ノットの速力となったとき、前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、白隆丸は、左舷側中央部のランプウェイに凹損を生じ、住宝丸は船首部に曲損を生じたが、のち両船とも修理された。

(原因)
 本件衝突は、夜間、強潮流時の鳴門海峡最狭部において、両船が出会う状況となった際、潮流に抗して南下する白隆丸が、潮流による速力低下の確認が不十分で、潮流に乗じて北上する住宝丸の通過を待たなかったことによって発生したが、住宝丸が、大鳴門橋直下で難航する白隆丸を認めた際、広い海域に退避しなかったことも一因をなすものである。
 白隆丸の運航が適切でなかったのは、船長が、潮流による速力の低下を十分に確認せず、潮流に乗じて北上する住宝丸の通過を待たなかったことと、一等航海士が、潮流による速力の低下を十分に確認せず、船長に報告しなかったこととによるものである。

(受審人の所為)
 A受審人は、夜間、強潮流時の鳴門海峡を潮流に抗して南下中、北上する住宝丸を認めた場合、同船と同海峡最狭部で出会うかどうか判断できるよう、潮流による速力の低下を十分に確認すべき注意義務があった。しかるに、同人は、針路の保持に気を取られ、潮流による速力の低下を十分に確認しなかった職務上の過失により、自船の著しい速力の低下で住宝丸と同海峡最狭部で出会うようになったことに気付かず、そのまま同海峡に進入したうえ、大鳴門橋直下で難航状態に陥って住宝丸との衝突を招き、自船の左舷側中央部ランプウェイに凹損及び住宝丸の船首部に曲損をそれぞれ生じさせるに至った。
 以上のA受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 B受審人は、夜間、強潮流時の鳴門海峡において、A受審人の補佐としてレーダー監視に当たり潮流に抗して南下する場合、北上船と同海峡最狭部で出会うかどうか判断できるよう、潮流による速力の低下を十分に確認し、A受審人に報告すべき注意義務があった。しかるに、同人は、周囲の渦流を見ることに気を奪われ、潮流による速力の低下を十分に確認し、A受審人に報告しなかった職務上の過失により、住宝丸と出会うことに気付かないまま同海峡最狭部に進入したうえ、大鳴門橋直下で難航状態に陥って同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のB受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 C受審人は、夜間、強潮流時の鳴門海峡を潮流に乗じて北上中、同海峡を南下中の白隆丸が大鳴門橋付近で難航状態となったのを認めた場合、同船が体勢を立て直したとしても同海峡最狭部で出会うこととなり、衝突のおそれがあったから、直ちに右転して広い海域に退避すべき注意義務があった。しかるに、同人は、そのうち同船が体勢を立て直すから左舷対左舷で航過できるものと思い、直ちに右転して広い海域に退避しなかった職務上の過失により、同船との衝突を招き、両船に前示の損傷を生じさせるに至った。
 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して同人を戒告する。
 D受審人の所為は、本件発生の原因とならない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
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