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平成12年横審第102号
件名

貨物船第八栄福丸・漁船第五 三菱合同丸漁船第一 三菱合同丸漁具衝突事件

事件区分
衝突事件
言渡年月日
平成13年3月28日

審判庁区分
横浜地方海難審判庁(西村敏和、猪俣貞稔、向山裕則)

理事官
葉山忠雄

受審人
A 職名:第八栄福丸船長 海技免状:四級海技士(航海)
C 職名:第五 三菱合同丸船長 海技免状:一級小型船舶操縦士
指定海難関係人
B 職名:第八栄福丸甲板員
D 職名:第一 三菱合同丸漁ろう長

損害
栄福丸・・・損傷なし
第五合同丸・・・転覆、沈没、甲板員1人がショック死

原因
栄福丸・・・動静監視不十分、各種船間の航法(避航動作)不遵守(主因)
第五合同丸・・・動静監視不十分、注意喚起信号不履行(一因)
第一合同丸・・・動静監視不十分、注意喚起信号不履行(一因)

主文

 本件漁具衝突は、第八栄福丸が、動静監視不十分で、船団で漁ろうに従事中の第五三菱合同丸及び第一 三菱合同丸を避けなかったことによって発生したが、第五 三菱合同丸及び第一 三菱合同丸が、動静監視不十分で、早期に適切な方法により注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 受審人Cを戒告する。

理由

(事実)
1 事件発生の年月日時刻及び場所
 平成11年2月5日04時52分
 房総半島野島埼沖合

2 船舶の要目
船種船名 貨物船第八栄福丸
総トン数 499トン
登録長 66.09メートル
機関の種類 ディーゼル機関
出力 1,471キロワット

船種船名 漁船第五 三菱合同丸 漁船第一 三菱合同丸
総トン数 19.95トン 14トン
登録長 17.56メートル 14.94メートル
機関の種類 ディーゼル機関 ディーゼル機関
漁船法馬力数 160 160

3 事実の経過
 第八栄福丸(以下「栄福丸」という。)は、球状船首を備えた船尾船橋型の鋼製貨物船兼砂利運搬船で、A受審人及びB指定海難関係人ほか3人が乗り組み、砂利1,200トンを積載し、船首3.30メートル船尾4.30メートルの喫水をもって、平成11年2月4日16時10分福島県久之浜港を発し、神奈川県横須賀港第7区久里浜湾に向かった。
 A受審人は、船橋当直を、航海時間が12時間未満の場合には、荷役作業においてクレーンの操作に当たるB指定海難関係人を休息させるため、自らと一等航海士とによる単独2直制とし、航海時間が12時間を超える場合には、乙種甲板部航海当直部員としての認定を受けた同指定海難関係人が、船橋当直業務を無難に遂行できることから、単独の船橋当直に組み入れて甲板部航海当直部員が行うことができる職務の範囲全般を委ね、自らが8時から0時、一等航海士が0時から4時及び同指定海難関係人が4時から8時までの単独3直制としていた。また、A受審人は、同指定海難関係人に対して、船橋当直中における遵守すべき事項について口頭で指示していたほか、同事項を記載した当直心得を船橋後部壁面に掲示して周知し、船橋当直者から視界制限状態時などにおける報告があった場合には、自ら操船の指揮を執っていた。
 A受審人は、同日19時30分茨城県日立港沖合において、B指定海難関係人と交替して船橋当直に就き、鹿島灘では視界が良好で、銚子漁港沖の出漁船も少なかったことから、翌5日00時00分犬吠埼沖合において、特に指示事項もなく、一等航海士に船橋当直を引き継ぎ、同時30分降橋して自室で就寝した。
 一方、B指定海難関係人は、03時30分野島埼灯台から065度(真方位、以下同じ。)16.4海里の地点において、特に引継事項もなく、一等航海士から船橋当直を引き継ぎ、航行中の動力船の灯火(以下「航海灯」という。)を表示して、引き続き針路を237度に定め、機関回転数毎分670の全速力前進にかけ、12.0ノットの対地速力で、自動操舵により進行した。
 04時15分B指定海難関係人は、野島埼灯台から074度7.9海里の地点に達したころ、雪が降り出して視界が著しく制限された状態となったが、約5分後には雪も降り止み、気温の低下により海面上には蒸気霧が立ち込めていたものの、船橋からの視界が回復したので、A受審人に対し、天候及び視界の状況を報告せずに続航した。
 04時22分B指定海難関係人は、野島埼灯台から077度6.6海里の地点において、6海里レンジとしたレーダーで、船首方向6.0海里のレンジマーカ上に数個の映像を探知し、間もなく船首方向の水平線付近に光芒(ぼう)が視認できたので、同映像が漁船群(以下「合同丸船団」という。)の映像であると判断し、その後同映像がレーダーの中心に近付くのを認めた。
 04時37分B指定海難関係人は、野島埼灯台から093度3.9海里の地点において、合同丸船団まで3.0海里となった時、正船首及び正船首わずか右方に、それぞれ明るい作業灯が視認できたので、いずれも漁ろうに従事中の漁船であることを知り、同時42分同灯台から104度3.1海里の地点に達して、ほぼ正船首2.0海里のところに第一三菱合同丸(以下、合同丸船団各船の名称については「三菱」を省略する。)及び第二合同丸の作業灯を、右舷船首4度2.0海里のところに第五合同丸の作業灯をそれぞれ視認した。しかし、同指定海難関係人は、レーダーを短距離レンジに切り換えて船間距離を測定しなかったので、第一合同丸と第五合同丸との間の距離が約300メートルしかないことに気付かず、目測で両船の間隔からしてそれぞれ別個に操業していて、第一合同丸とは約600メートル及び第五合同丸とは約800メートル隔てて両船の間を通過することができるものと思い、目視による動静監視を行いながら進行した。
 04時47分B指定海難関係人は、野島埼灯台から120度2.6海里の地点において、第一合同丸が左舷船首2度1,750メートル及び第五合同丸が右舷船首8度1,600メートルのところに接近した時、いずれもトロール以外の漁法により漁ろうに従事している船舶の灯火(以下「漁ろう灯」という。)を表示していなかったものの、作業灯などの状況、各船の配置及び船間距離並びに各船がいずれも停留状態であったことからして、船団で漁ろうに従事していることを認識し得る状況であった。しかし、同指定海難関係人は、作業灯が明瞭に視認できていたことから、レーダーを使用せずに目視による動静監視に頼って続航し、時折双眼鏡を使用したものの、前路を一見しただけで操業状況を十分に確認しなかったので、第一合同丸と第五合同丸との間の距離が約300メートルしかなく、船団で操業していることも、こぎ綱の存在を示す灯火や探照灯などの照射がなかったことから、両船間に漁具が存在することにも気付かず、その後も両船は別個に操業しているものと思い込み、それぞれ両船から十分に距離を隔てて通過できるものと誤信したまま、合同丸船団の外側を避けずに、漫然と両船間に向けて進行した。
 こうして、B指定海難関係人は、04時49分少し過ぎ、野島埼灯台から129度2.4海里の地点に達し、第一合同丸が左舷船首4度1,040メートル及び第五合同丸が右舷船首12度890メートルのところに接近して、正船首方のこぎ綱まで1,000メートルとなったが、依然として、動静監視を十分に行っていなかったので、船団で操業していることに気付かず、合同丸船団の外側を避けずに続航中、04時52分少し前、左舷船首20度170メートルのところの第一合同丸が、自船の方に向けて探照灯を照射し、注意喚起信号を行ったのを認めたものの、同船の至近に接近しさえしなければよいものと思い、第一合同丸と第五合同丸との間にこぎ綱を取っていることに気付かず、直ちに行きあしを止めて状況を確認することもしないまま進行し、04時52分野島埼灯台から143度2.3海里の地点において、栄福丸は、原針路、原速力のまま、第一合同丸と第五合同丸との間に進入し、長さ約300メートルのこぎ綱のうち、第一合同丸側から約100メートルのところに、前方から57度の角度で衝突した。
 当時、天候は晴一時雪で風力2の北風が吹き、降雪に伴う気温の低下により海面上2ないし3メートルのところまで蒸気霧が発生していたものの、視程は約3海里あり、流速0.8ノットの南西流があった。
 B指定海難関係人は、異音や衝撃を感じなかったことから、こぎ綱に衝突したことに気付かず、第一合同丸と第五合同丸との間を通過した後も後方の確認を行わずに航海を続け、同日08時ごろ横須賀港第7区久里浜湾に入港し、その後、海上保安庁からの連絡によって事故の発生を知った。
 また、第五合同丸は、合同丸船団の運搬船として中型まき網漁業に従事するFRP製漁船で、C受審人及び甲板員Hほか1人が乗り組み、船首0.60メートル船尾1.80メートルの喫水をもって、一方、第一合同丸は、同船団の網船として同漁業に従事するFRP製漁船で、船長G及びD指定海難関係人ほか12人が乗り組み、船首1.00メートル船尾1.30メートルの喫水をもって、いなだ漁の目的で、両船のほか網船1隻及び付属船2隻とともに、同月5日01時50分千葉県千倉漁港を発し、房総半島沖合の漁場に向かった。
 ところで、合同丸船団は、第一合同丸及び第五合同丸のほか、第二合同丸(用途網船、総トン数14トン、乗組員12人、以下同順)、第十七合同丸(運搬船、19.97トン、3人)及び第十八合同丸(運搬船、19.97トン、3人)の5隻(いずれも汽笛不装備)で構成され、第一合同丸を主船及び第二合同丸を従船として、主にいなだ漁を目的とした2そうまきと称する中型まき網漁業に従事し、荒天の日を除いてほぼ毎日02時ごろ千倉漁港を出港して、房総半島沖合の漁場で操業し、同日07時ないし08時ごろ帰港して水揚げを行う操業形態を採っていた。
 D指定海難関係人は、漁ろう長として合同丸船団の操業全般の指揮を執り、野島埼南方から洲ノ埼南方にかけての距岸約2海里の海域において、各運搬船に魚群探索を行わせ、両網船は第一合同丸が右側に、第二合同丸が左側に位置してもやい索を取ったまま、運搬船の後方約400メートルのところを同航し、04時00分第十七合同丸から魚群を探知した旨の報告を受け、直ちに投網を開始することにした。
 D指定海難関係人は、G船長ほか第一合同丸の乗組員全員を甲板上での作業に就け、自らは在橋して操業の指揮と操船に当たり、漁ろう灯を表示せずに、航海灯を引き続き表示したほか、投網開始時に所属漁業協同組合所定の操業を開始したことを示す500ワットの赤色全周灯(以下「操業灯」という。)1個を船橋上部のマストに、及び合同丸船団の識別灯として40ワットの赤色全周灯3個を船尾のマストにそれぞれ掲げ、04時05分野島埼灯台から147度2.2海里の水深約70メートルの地点において投網を始め、第一合同丸及び第二合同丸に分載していた浮子綱の長さ約1,400メートル及び網丈約200メートルの漁網を、第一合同丸は左回りに、第二合同丸は右回りに、それぞれ魚群を中心にして潮上の北東方向に直径約400メートルの円を描くように投網し、同時12分投網を終えて再度船首もやい索を取って結合した後、直径18ミリメートル(以下「ミリ」という。)の環締ワイヤを巻き締めて漁網下端の絞り込みを始めた。
 C受審人は、第五合同丸での作業指揮に当たるとともに、自ら手動操舵に就き、航海灯のほか、投網開始時に船橋上部のマスト頂部に所属漁業協同組合所定のこぎ綱を引くことを示す緑色回転灯1個を、その下方に漁ろう灯のうち紅灯だけを、更に紅灯の下方に操業灯2個をそれぞれ掲げるとともに、船橋上部に取り付けた500ワットの作業灯5個(船首甲板照射用3個及び船尾甲板照射用2個)を点灯し、保護帽及び救命胴衣などを着用させたH甲板員を船尾甲板中央部にある油圧駆動のロープリールの操作に就け、伝馬船を降下して他の甲板員を乗せ、同リールから引き出した直径38ミリのポリエチレン製こぎ綱の先端を第一合同丸まで運ばせた。
 04時20分D指定海難関係人は、環締ワイヤの巻き締めを終えて環が揚がったところで、船橋上部に取り付けた500ワットの作業灯7個(船首甲板照射用1個、左舷側照射用2個及び船尾甲板照射用4個)を点灯し、第五合同丸の伝馬船からこぎ綱を受け取り、右舷側船首尾のビットにY字型に係止して、第五合同丸にこぎ綱を引くよう指示し、他方、第二合同丸は、第一合同丸とほぼ同時に作業灯を点灯し、少し遅れて第十七合同丸からこぎ綱を受け取ってビットに係止した。ところが、このころから急に吹雪模様となり、視界が著しく制限された状態となったことから、D指定海難関係人は、他船から視認しやすいように船橋上部に設置している1キロワットの探照灯を点灯したところ、約5分後に雪が止み、船団全船の灯火はもとより、千葉県乙浜漁港付近の陸上灯火を視認することができるようになって、船橋からの視程が約3海里まで回復したものの、海面付近では海面上2ないし3メートルのところまで蒸気霧が発生して視界が悪く、作業灯などの余光によってもこぎ綱や漁網の浮子を視認することができない状況となっていた。
 C受審人は、H甲板員にこぎ綱を繰り出させながら、風上の北方に向けて前進し、いつものように同綱の300メートルのところにある直径約25センチメートルの環がロープリールから出たところで繰り出しを止め、船橋後部上端の固定金具に一端を固定した直径12ミリ長さ約8メートルのワイヤロープの他端に取り付けた直径約6センチの木製丸棒を、こぎ綱の環に通してこぎ綱とワイヤロープとを繋ぎ、こぎ綱を引く準備を終えた。
 04時24分C受審人は、H甲板員をこぎ綱の監視に就け、第一合同丸が圧流されないよう、機関を毎分700ないし800回転の微速力前進にかけ、北風に抗して000度方向にこぎ綱を引き始め、第一合同丸は北風を右舷正横から受け、船首を270度に向けた状態となり、一方、第十七合同丸は、風下側のこぎ綱を取っていたので、第二合同丸の動きに合わせて徐々に船首が風下に向くようにこぎ綱を引き始めた。
 04時25分D指定海難関係人は、第五合同丸がこぎ綱を引き始めたことを確認したうえで、袋状となった漁網の巻き揚げを始め、潮流により、徐々に南西方に流されながら揚網を続けた。
 C受審人は、こぎ綱を引きながら1.5海里レンジとしたレーダーで見張りを行っていたが、船首を北風に立てることやこぎ綱の方向・張り具合を確認することに気を取られていたことから、合同丸船団に接近中の栄福丸に気付くのが遅れ、04時46分少し過ぎ野島埼灯台から139度2.2海里の地点において、ようやくレーダーで右舷船首64度1.0海里に栄福丸の映像を探知し、同船が合同丸船団に向けて南西方に進行しているのを認めたので、D指定海難関係人に対して無線で「東から船がくるぞ。」と報告したが、その後はこぎ綱を引くことに気を取られ、レーダーによる動静監視を行わなかった。
 報告を受けたD指定海難関係人は、栄福丸に対して注意を喚起するつもりで、点灯していた探照灯を右舷後方に向けたが、合同丸船団は作業灯や操業灯などを多数点灯して漁ろうに従事しているので、いずれ同船の方で同船団の外側を避けるものと思い、揚網が後半に差し掛かっていたことから、船橋左舷前部で立ったまま左舷側での揚網作業の状況に気を取られ、自らレーダーを活用するなどして同船に対する動静監視を十分に行わなかった。
 04時49分少し過ぎC受審人及びD指定海難関係人は、栄福丸が合同丸船団まで1,000メートルのところに接近し、第一合同丸と第五合同丸との間に向首していたが、両人とも栄福丸に対する動静監視を十分に行っていなかったので、このことに気付かず、こぎ綱への進入を防止するため、早期に探照灯によりこぎ綱の方向を照射する方法によって、こぎ綱の存在を示すための適切な注意喚起信号を行わず、また、D指定海難関係人は、漁獲物の積込み準備のために第一合同丸の東方で待機中の第十八合同丸に指示して、栄福丸に対する動静監視や注意喚起信号を行わせることなく、C受審人に同船の動静監視を任せたまま揚網を続けた。
 04時49分半C受審人は、右舷船首71度800メートルのところに栄福丸の白、白、緑3灯を初めて視認し、合同丸船団の南方を避けるものと思っていたところ、同時50分少し過ぎ、右舷船首78度500メートルのところに接近した同船に避航する気配が認められず、自船と第一合同丸との間に進入する態勢となっていたことに危険を感じ、直ちにD指定海難関係人に無線で「危ないぞ。」と2回目の報告を行ったところ、D指定海難関係人から「ライトを振ってろ。」と指示があり、探照灯を右舷側に向けて上下左右に振り、注意喚起信号を行ったものの、船尾から引いていたこぎ綱の方向を照射する方法によって、こぎ綱の存在を示すための適切な注意喚起信号を行わなかった。
 このころ、合同丸船団は、漁網も全体の3分の2が揚がり、南端の第十七合同丸がほぼ南方に向いてこぎ綱を引き始めたことにより、北端の第五合同丸の船首から南端の第十七合同丸の船首までの距離が約660メートルの操業態勢となり、第十八合同丸は、作業灯を点灯せずに、引き続き第一合同丸の東方に位置し、伝馬船を降下して漁獲物の積込み準備にあたった。
 D指定海難関係人は、揚網が最終段階に入っていたことから、船橋左舷前部で立ったまま左舷側での揚網作業を注視していて、栄福丸の動静監視を十分に行っていなかったので、同船が合同丸船団の外側を避けずに第一合同丸と第五合同丸との間に進入する態勢で接近していることに気付かず、依然として、探照灯によりこぎ綱の方向を照射する方法によって、こぎ綱の存在を示すための適切な注意喚起信号を行わず、また、第五合同丸にそのことを指示することもせずに揚網を続けるうち、04時50分少し過ぎ、C受審人から2回目の報告を受けて、ようやく危険を感じ、直ちに全船に対して「ライトを振ってろ。」と指示し、自らは探照灯を左右に振るとともに、船橋左舷前部から右舷後部に移動して、目視により右舷後方から接近する栄福丸の確認に当たった。
 こうして、D指定海難関係人は、船首を270度に向けて揚網中、04時52分少し前右舷正横後28度170メートルのところに、第一合同丸と第五合同丸との間のこぎ綱に向けて進行している栄福丸の船体左舷側を視認し、同船は行きあしを止める気配がなく、こぎ綱を乗り切られることが避けられない状況となっていたので、探照灯を栄福丸に向けて左右に振るとともに、C受審人に対して後進をかけるよう指示し、第五合同丸は、直ちに後進をかけてこぎ綱を弛ませたものの、その直後に前示のとおり衝突した。
 衝突の結果、栄福丸は損傷がなく、同船が海面に浮いていたこぎ綱を球状船首部に引っ掛かけたまま進行したことにより、こぎ綱が緊張して第一合同丸及び第五合同丸が引かれ、第五合同丸の船首が左に約90度振れて西方に向いた時、左舷側に大きく傾斜してそのまま復原力を喪失して転覆し、C受審人及びH甲板員が海中に投げ出され、間もなくこぎ綱が切断して右舷側に傾斜していた第一合同丸は復原した。
 D指定海難関係人は、第十七合同丸から第五合同丸の灯火が視認できなくなった旨の報告を受け、直ちに捜索・救助に当たり、C受審人は、転覆した第五合同丸の船底に這い上がっていたところを救助され、H甲板員(昭和6年9月26日生)は、約1時間後に海面に浮いていたところを収容されたが、ショック死し、第五合同丸は、同日08時ごろ野島埼灯台から147度2.2海里の地点において、浮力を喪失して沈没した。

(原因)
 本件漁具衝突は、夜間、野島埼沖合において、西航する第八栄福丸が、動静監視不十分で、漁ろうに従事中の合同丸船団を避けなかったことによって発生したが、合同丸船団が、動静監視不十分で、早期に適切な方法により注意喚起信号を行わなかったことも一因をなすものである。
 第八栄福丸の運航が適切でなかったのは、船長の船橋当直者に対する漁ろうに従事中の船舶から十分に距離を隔てて避航することについての指示が徹底していなかったことと、船橋当直者の動静監視が不十分であったばかりか、探照灯の照射による注意喚起信号を認めた後も、行きあしを止めるなどの措置をとらなかったこととによるものである。

(受審人等の所為)
 C受審人は、夜間、野島埼沖合において、船団で漁ろうに従事中、第一 三菱合同丸から取ったこぎ綱を引くにあたり、合同丸船団に向けて接近する第八栄福丸を認めた場合、第五 三菱合同丸と第一 三菱合同丸との間の距離が約300メートルあり、第八栄福丸が両船間に進入するおそれがあったのであるから、同船に対してこぎ綱の存在を示すことができるよう、探照灯により自船の船尾から引いていたこぎ綱の方向を照射する方法によって注意喚起信号を行うべき注意義務があった。しかしながら、同人は、探照灯を振って注意喚起信号を行えば、第八栄福丸が合同丸船団の外側を避けるものと思い、探照灯を上下左右に振って注意喚起信号を行っただけで、早期にこぎ綱の方向を照射する方法によって注意喚起信号を行わなかった職務上の過失により、第八栄福丸に対してこぎ綱の存在を認識させることができず、第八栄福丸が第五 三菱合同丸と第一 三菱合同丸との間に進入してこぎ綱への衝突を招き、第五 三菱合同丸を転覆・沈没させ、乗組員1人をショック死させるに至った。
 以上のC受審人の所為に対しては、海難審判法第4条第2項の規定により、同法第5条第1項第3号を適用して、同人を戒告する。
 A受審人が、夜間、野島埼沖合において、甲板部航海当直部員の認定を受けた者に船橋当直を委ねる場合、漁ろうに従事中の船舶から十分に距離を隔てて避航するよう、船橋当直者に対する指示が徹底していなかったことは、本件発生の原因となる。
 しかしながら、以上のA受審人の所為は、日ごろから同当直者に対して口頭で漁ろうに従事中の船舶から十分に距離を隔てて避航するよう指示しており、同当直者もそのことをよく承知していたことに徴し、職務上の過失とするまでもない。
 B指定海難関係人が、前路で漁ろうに従事中の漁船群を認めた際、同漁船群に対する動静監視が不十分で、同漁船群の外側を避けなかったばかりか、同漁船群に接近したところで、同漁船群が行った注意喚起信号を認めた後も、行きあしを止めるなどの措置をとらなかったことは、本件発生の原因となる。
 以上のB指定海難関係人の所為に対しては、海難審判法第4条第3項による勧告はしないが、漁ろうに従事中の漁船群を認めた場合には、レーダーや双眼鏡を有効に活用して、操業状況を十分に確認するとともに、漁船群の外側を十分に距離を隔てて避航し、また、探照灯の照射による注意喚起信号を認めた場合には、行きあしを止めるなどして、その状況を十分に確認し、事故防止に努めなければならない。
 D指定海難関係人が、夜間、野島埼沖合において、合同丸船団の操業の指揮を執り、船団で漁ろうに従事中、第八栄福丸が同船団に接近中である旨の報告を受けた後、レーダーを活用するなどして自ら動静監視を十分に行わなかったばかりか、船団各船に動静監視を十分に行うよう指示することもせず、更に同船が接近するに至り、探照灯を振って注意喚起信号を行っただけで、早期にこぎ綱の方向を照射する方法によって注意喚起信号を行わなかったことは、本件発生の原因となる。
 以上のD指定海難関係人の所為に対しては、海難審判法第4条第3項の規定による勧告はしないが、船団で漁ろうに従事中、他船が接近中である旨の報告を受けた場合には、動静監視を十分に行うとともに、早期に探照灯により漁具の出ている方向を照射する方法によって漁具の存在を示し、事故防止に努めなければならない。

 よって主文のとおり裁決する。


参考図
(拡大画面:70KB)





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