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ありがとう!サドバリーバレースクール
後藤 由美子
 SVSとは、30年という月日をかけて、人が「自由」というものの中でどのように成長するかについての基本法則を証明した場なのだと思う。とにかく「自由」がとてもわかりやすい具体的な場として出現したことが貴重だ。
 それは一人ひとりの「自由」を求める願いに支えられながら、様々な試行錯誤を繰り返し生み出された、完成度の高いサドベリーのシステムそのものであり、デモクラシー精神の、みごとな結晶のように感じられる。
 ミムジーさんを我が家に迎え、親しく接する機会をいただき、彼女からありのままでいる人の心地よさを感じさせてもらった。言葉によるコミュニケーションが十分にできなかったが、かえって彼女のオープンなハートの波動が、私の胸に直に伝わってきた。
 セッションにおいても、特別気を回したりせずご自分の思われるところを率直に話してくださることがよかった。内容はもちろんだが、彼女の、相手にぜひともわからせようとする努力の少ないあり方・・・変な言い方かもしれないけれど、それはつまり、相手に判断は任せる、相手の自由を保障するということなのだと理解した。
 事実私は彼女のセッションから参考になることをたくさん得たが、押し付けられたとか否定されたと感じることはなかった。もちろん意見が違うところはあったが「ミムジーさんはそう思うんだな」と感じさせてもらえた。つまり私は自由を守られていた。
 これはすごいことだと思う。「自由」であることは、違いを発見できるし、それを認めることができる。威圧感や押し付けがあれば人は、内容が素晴らしければ余計に、なんとなく居心地が悪いとか、何か違うと感じても、冷静に何が自分と違うのか把握できにくかったり、逆に反発を感じ否定的になってしまったりするかもしれない。
 自分を振り返れば、何と押し付けがましいんだろう。素直に反省できるそれも自由な中で自分で発見したからだろう。ミムジーさんが言葉や考えを越え、そのあり方でとても大切なことを私に教えてくれたと思う。
 そして彼女の基調講演は素晴らしい内容の深さを持っていた。改めてSVSのベースとなる精神性にふれた想いだった。その存在は、今この国のこども達が置かれている状況がどのようなものであるかを照らし出す光だと思う。又そこで明らかになったことは学校とかこどもの教育というワクを超えて、様々な問題を解決していくカギともなり得るし、人と人、個と全体との間にある平和を実現する基本的な姿勢のモデルとして様々な場で応用できるものだと考えられる。
 SVSのような学校が増えるのはもちろん喜ばしいことだが、私自身はむしろこの「サドバリー精神」が私たちの日常の中ですぐに使われればいいと思う。
 ミムジーさんは家庭のみでは充分ではないと考えられるようだが、家庭での人間関係は子どもの育ちに最も影響の大きいベースであるのだから、そういったことを意識した家庭同士の連携の中でデモクラティックな教育環境はある程度手作りできると思うし、完全ではなくても親子でよりよき道を模索することはとても大切なことだ。
 SVSのような学校はそういう創造的な家庭や個人の生き方がベースになって成立するのだと思う。そして逆にそこで明らかになる事実は家庭や個人の狭さを開き、縛りをほどいて、より自由で創造的なそれを育てる力となる。
 SVSという光に照らされながら、ありのままの今と湧き起る願いをアレンジして何か新しい形を生み出したい。「障害」に関してや、「地球と調和する暮らし」も子ども達の日常にあってほしいと思うからそんな所はこれから自分で考えていきたい。
 この冊子作りに係わるチャンスを得て今改めて思うことは、それぞれ自分の領域があり、それが犯されることなく犯すことなく、重なる部分は双方納得のいくように分け合うという意識、そして個を超えた共存する世界への気付きがあれば、人は平和に楽しく暮らせるのではないかということだ。
 それさえあれば人は争いではなく創造にエネルギーを注ぐ存在だとSVSは証明してくれた。そこからは、私たちがこれまで経験したことのない、素晴らしい世界が開かれていくと思う。
 ありがとう、ミムジーさん。そしてSVS。その存在に心から感謝します。
 
2001年4月24日
サドベリーバレースクールを1日体験して
中橋 文子
 駐車場から校内に入って、まず感じたことは「天国にいるみたい!」。その一声で始まり、広い庭に大きな木、古い伝統のある建物、ゆったりとして時間が止まってしまったのかと思うような空間。
 その中で、小さな子ども達は川で水遊びをし、木の上で本を呼んでいる子、おしゃべりしている子、ブランコに乗っておしゃべりしながら笑っている子、バスケットボールをしている子、好きな所で4〜5人集まってギターを弾きながら歌っている高学年の子ども。
 校内では、ままごと・ごっこ遊び、何人か集まっていたるところでおしゃべりを楽しんでいる。どこを見ても、皆、よく話をしている。何を話しているのか、けっこう一生懸命真剣に話している。(日本の学校ではちょっと見られない!)そして、笑い声がいろんな所から聞こえてくる。「話し合う」ということで自分と他者との違いを知り、自分に気付き、自分を生かす練習をし、さらに、自分をしっかり、表現する場だと思った。
 日本では「私語はつつしむように!」と私は教育され、充分に「話す」・「聞く」と言う礼儀が身についていない。
 特に今の大人たち(私も含め)は、自分の考えや意見をはっきり「話して」、きちんと相手の考えを「聞く」という、お互いに尊重しあったコミュニケーションができていないことに気づいた。
 上下関係もなく、批判や圧力をかける会話ではなく、お互いが自分を表現し、それを認め、他の意見も「聞く」ことで向上し合い、安心して成長していくことを確信した。
 次に、司法会議も見せて頂いた。ここでは、小さい子も、大きい子も、スタッフも、同じ存在で、1個の人間として、きちんと自分の思ったこと、出来事を表現し、皆が、納得のいくまで話し合い、決して、スタッフやダニエルさんの思いのままになるのではなく、主役はすべて、一人ひとりの子ども、一個の人間として認め合い、困ったこと、自分のしてしまった過失にたいしては、罪をもらって、自分の責任をとる。
 これはこの学校で生活する限り、この世で生きていく限り、自分の責任は自分でとるということが基本であるこういう習慣がついていたら、人のせいにしたり、自分のやったことを認めずごまかしたり、自分にうそを付いたりせずに自分と言う人間を知ることができていくと思う。
 子どもの頃から自然にこういう習慣を身につけて生きていくということは素晴らしい!
 ダニエルさんもおっしゃっていましたが、「子ども達の問題を皆で話し合い、判断し、罪を受ける、自分のやったことの責任はきちんと受ける」この習慣、つまり子どもは親や先生に裁かれるのではなく、同じ子ども達で問題を解決することは、罪悪感とか否定されたというような気持ちのプレッシャーがなく、自分がしたことで嫌だと思う人がいることを、皆の前ではっきりと認識する。
 そして、次の行動をしっかり考え、実行する練習をし、一人ひとりの対応を皆でする事で、自分と他者の違いと、人を認める習慣も自然に身につくのでしょう!
 子どもの力の無限性に感動しました。大人や先生が教えようとしなくても、子どもはもっと公正な目を持っているし、知恵もある。
 これを素直に表現できる空間さえあれば子どもの見えない力は、どんどん発揮され、広がりを持って、誰も知らない、未知なる可能性を実現できる子ども、人が生まれだすことを確信しました。
 そして夕方5時から卒業生の卒業判定会に参加させていただきました。これは子ども達が卒業生の論文を聞き、それについて質疑応答をして、子ども達が卒業を決定します。
 これは、外部の人は見学できないそうなのですが、児島さんとの信頼関係のおかげで体験させていただき、心より感謝しています。
 このような慎重な場面、時を皆さんとともにできたことは本当に幸せでした。英語がよく解らなかったのですが、卒業生を皆(スタッフの先生、後輩達)が愛し、その人のために、真剣に質問し、卒業生は一生懸命答え、スタッフの先生方の愛情いっぱいの難しい質問に必死で、自分の言葉を探し、表現していました。
 そして質問がなくなれば、卒業の判定を紙に書いて、皆で決定します、そして決定されれば、卒業生を心から祝福し一人一人が抱き合って祝い、労をねぎらい握手、拍手、歓声がまき起こり、会場内で卒業を祝います。
 この素晴らしい光景を見せていただいて、これだけの事をしっかりできる子(人間)に育つことを目の前で見て、日常の生活とサドベリー・バレーの人間教育の賜物であると確信しました。
 天国のような自由で心地よい空間であるためには、一人一人の心の安らぎと、競争しないでお互いを認める精神、公正な視点で話し合う、そして、やりたい事は、飽きるまでやり抜く、するとそのときの欲求は満たされ、次の興味が生まれてくる。スタッフも、じっくり待って、その時その時の対応をきちんとされる。
 いつも満足して、自分の思いをどう実現するか、自分に常に向き合い、自分の思いを実現、実行し、自分の夢に近づいている姿は、本当に「自分を生き」、輝いた人生を過ごしているように思えました。
 
 ミムジーさんが、今回、日本にこられ、お話を聞かせていただき、日本文化では、理解しがたい所、特に質問の中でもかなりのギャップがあることを感じ、ミムジーさんの言葉、表現が皆さんにご理解できない所はSVSに身を置かなければ解らないのではないかと感じ、体験記を書くことにしました。少しでもSVSの素晴らしさを感じていただければ幸せです。
 とにかく親や先生、社会が主体ではなく、子ども本人が自分を生きるために、自分の教育を自分の責任で、実行しているということが基本だと思います。それが「自立への道」なのでしょう!子ども本人の人生なのですから・・・。
 親や大人は、子どもの人格を尊重し、どんな小さな子どもにも、自信を持って考え選択し、実行できるよう、信じ、認め、任せる、寛大な心と、じっくり、見守る優しさ、助けを求められた時だけ、一緒に考えて、子ども本人が、選択するように心がけると、親子の良い関係も生まれてくるでしょう!







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