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○「国土保全の今後のあり方」について
 
今後の国土保全の担い手については、集落周辺環境整備とか保全を通じて、国土保全的に集落を守っていくという中での取り組みというのは、集落だけではなくて、いろいろな任意団体とか、あるいは住民団体、あるいは環境保全ですとNPO、かなり担い手が多種多様な形になってきている。
 
水野委員:集落周辺環境整備とか保全を通じて、そういったものの活動を通じて国土保全的に集落を守っていくという中での取り組みというのは、集落だけではなくて、いろいろな任意団体や住民団体、あるいは環境保全ですとNPO等、かなり担い手が多種多様な形になってきているなという印象を受けています。
 同じように、やはり森林整備・保全に対してもそうでして、その背景にはこれだけ厳しい林業事情、そういうものもあるでしょう。それから、森林作業というのは、健康的とか、あるいはいろいろな体力づくりとか、そういういい面も一方では、言われるのですが、現実的には、作業としてかなりきついものでして、なかなかそういったものを過疎化や高齢化がすすんだ地元の中で手当てをしていくのが難しくなっている。やはり何らかの仕組みで都市なり、あるいはボランティアの方なり、あるいはNPOの方なりがそういった仕組みをつくっていくという大きな動きが随分きれいに出てきたのではないかと思います。
 農業振興、それから農地保全についてですが、やはり実際にこういった農業の振興とか、農地を保全していく担い手というのは、農家であって、あるいはその集落であるというのが、当然なのですけれども、ただ近年の傾向としては、都市農村交流を通じて休耕田や耕作放棄地を守っていく、あるいは手当てしていくという都市住民、あるいはこれもいろいろな住民団体、任意団体が直接的・間接的に役割を担って、そこに活躍の場が実現しているというあたりは、一般的に言われていることであっても、整理してみると、今回の新しい担い手としての傾向の中でも、はっきり見えたかと思います。
 農村のNPOが自分たちの農村をどう活性化するかという、そういった取り組みも随分ありますが、一方では、NPOの中でも比較的多いのがまちづくりのNPOとか地域づくりNPOでして、都市にいるNPOの方、特に商店街の活性化とか、あるいは伝統的な産業とか、都会の中にある文化遺産の保護・活用のためにどういう知恵が考えられるか、あるいは町の魅力再発見とか、そういうまちづくりNPOというのはたくさんあるわけです。そういったまちづくりNPOのノウハウというのが、一方では農山村が今活性化や集落対策、集落づくりというのを求めている中で、農山村のNPOと何かそういったノウハウなり技術移転みたいなものが、NPO同士の交流を通じてできないかというのも、これからの農山村の活性化に向けて、一つかぎになってくるのではないかと思います。
 どちらかというと、これまでのNPOは、農村側に交流者を送り出していくという、そういう都市での交流窓口をやっているケースですが、そうではなくて、もう少し農山村に入っていったりしながら、いわば村づくりを村の内部だけではなくて、外部の知恵も引き入れながらやっていくと、その村の中にある魅力の再発見や、何でこういう地域資源を使わなかったのでしょうとか、そういう形でつながるのではないかと思います。
 それから、国土保全の担い手というのは、いろいろな担い手が、様々な活動や交流を通じて出現してきてはいるのですが、基本となるのはやはり直接的担い手としての集落だったり、住民であったりという、そこに住んでいる人たちがまだまだかなりがんばらないと、ほかの外部からの支援に、多くを期待するのは現実的には無理ではないかと思います。12年度の調査でも、いろいろな集落を現地調査させていただきました。その中でかなり国土保全の機能が低下して厳しい、むしろ存続すら厳しくなっている集落と、戸数は少なくてもかなり一生懸命そこで元気に集落を継続して維持している、そういった元気集落というのでしょうか、そういうものを見てまいりました。大体私が見てきた中の特徴として、この元気集落の代表的なものの特徴としては何があるかというと、一つは知的なリーダーの層が厚かったということがあります。もう一つは、集落内の自治組織が、それが集落内だけではなくて、集落を超えて旧村単位での自治組織など、重層的に構成されていて、集落内の問題というのは集落内で解決するのだけれども、それを超える問題というのは旧村単位での、そういった自治組織の中で話し合いながら、つまり集落間調整というのでしょうか、そういった調整や相互支援の仕組みができているところはかなり戸数が少なくとも、元気でいたのではないかと思います。
 3点目の特徴としては、伝統的な農山村の経営手法であります多角的な経営というのを集落の中でも知恵を出し合いながらがんばっている。つまり、農業とか林業、農業だけではなくてそれを加工・生産したり、あるいは交流販売したり、いわゆる一次産業だけではなくて、いろいろなところに知恵を出し合いながら複合的にやっているところが生産所得の向上だけではなくて、いろいろな形での就業の場や、交流の場というものをつくり出して元気にやっているようです。そして、最後は農業主体でも堅実で意欲のある専業農家、第一種兼業農家、こういった方が熱意を持って生産活動をしている、そういった集落でもかなり元気な集落が見られたということがあります。
 こうやってみますと、2点目の重層的なそういう自主組織なりをこれからうまくそういう枠組みの中でつくっていくという意味では、「わがまちづくり支援事業」というのは非常にいい契機になる事業ではないかと思いますし、先ほども冒頭申し上げました本来伝統的な農山村の経営手法というのは多角的な経営だったわけでして、そういったあたりでこれからもう少しまちづくりNPOや都市のNPO、そういった方たちの地域づくりの知恵も交流し、深めていきながらいかに農山漁村集落を活性化していくかというあたりが、一つの課題になってくるのではないかという印象を受けました。
 
岡委員:国土保全という観点からの森林の取り扱いについては、多様な要請なり期待にこたえるような政策展開が必要になってきたのではないだろうか。
 確かにNPO法人の森林に対する理念を見ますと、それこそピンからキリまでございまして、最も先端的な部分についてはまさに生物多様性そのものを森林に求めるというところもございますし、もっと心理的なことで考えている方もいる。そういうものにどうこたえていくかということが多分国土保全という観点から見た森林のとらえ方としても必要ではないだろうか。というのは、あれだけの広大な森林を、もはや森林所有者だけで支えるというのはだんだん難しくなってきております。どうしても国民大衆の力をかりないと、国土保全という観点からの森林の管理・維持はできそうもないと感じておりまして、そういう意味ではボランティア活動とかNPO法人の活動を尊重しなければいけないし、貴重な担い手として位置づけていく必要があるのではないか。そういう場合には、多様な森林に対する期待、それにこたえるような森林づくりであり森林の維持方策であり森林政策であるということが必要ではないか。今、先生のお話を聞いておりまして多様な期待にこたえる森林づくりとして、ボランティア活動は極めて重要だという思いを改めて強くしました。
 
赤川地域振興課長:基本的にはこれまで集落あるいは地元の方が担っていただいていた国土保全の役割を、集落の力がいわば弱ってきているという状況かと思いますので、となれば外の人の力をかりてくる必要があるのではないかということで、フルタイムでリクルートしてくる、あるいはボランティア等の力をかりるという必要性が出てきて、そこにNPOに期待するということも必要になってきているという現状ではないかと認識しております。
 定性的にはそんな感じですが、施策としてはどういう施策を講ずればどれだけの効果があるのかというところを見きわめなければならないわけですけれども、そこがなかなか難しいところかなというふうに認識をしている段階でございます。しかも行政の施策といいましても市町村でやっていただけるレベルの事柄と、それから国がやらなければいけない事柄、間の都道府県もありますし、これもNPOを相手にやるというときにはかなり違ってきてしかるべきではないかという感じがしておりまして、これもまだこれからの検討課題かなというふうに考えているところでございます。
 
森委員長:NPOあるいは森林ボランティアの話もそうですけれども、NPOにもいろいろあることは確かですが、もちろんもっと国は積極的に支援すべきだという議論があると同時に、反面で国があれこれ言うべきではない。それがいやだから我々はこういうNPOをつくったという意見があることもまたつけ加えておきたいと思います。
 
農業及び林業の違いについて、農業は生産の側面と交流の側面、地域の生活水準の向上、国土保全・コミュニティとしての安全性の確保として、重なっているのに対し、林業の場合は多少生産の空間として独立している部分がある。
 
生源寺委員:農業・林業の違いというのは、これはもっと難しい問題のようで、私自身それほど具体的には森林のことを承知しておりませんので的外れのことを申し上げることになるかもしれませんけれども、日本の農村、あるいは、乱暴なんですけれどもヨーロッパの農村も同じだと言っているのですけれども、古くから開発された、古くというのは1000年、2000年のオーダーという意味ですけれども、そういう国でいわば資源の開発が随分早い段階で、過剰開発と言っていい状況までいっている国の農村というのは、空間の多目的利用という特徴を持っているというふうにつかまえているわけです。つまり生産に利用しますし、それから非常に密度の高いコミュニティがそこにさらに重なって、それから都会の人といいますか、よそからの人がアクセスするようなレクリェーションのための空間でもある。これらがいわば重なっているというのが古い国、資源に余裕のなくなった国の空間利用のあり方だろうというふうに思います。
 逆に新しい国、つまりオーストラリア、アメリカ、カナダ及びニュージーランド、こういう国には、うらやましい話ですけれどもまだ資源があるわけですね。したがって、農場は農場でプライベートな生産の空間としてそれだけで済むわけでありますし、アクセスの空間は、これは今申し上げた四つの国はいずれも19世紀中に国立公園ができた国です。つまりまだ私有地でないところがあって、そこを私有地になる前に国が押さえたという、そういう形の国立公園をつくった国であって、つまりアクセスの空間を別に用意しているということがあります。コミュニティはコミュニティで農場といっても2,000ヘクタールや500ヘクタールとか、こういうオーダーの農場ということになれば、コミュニティはちょっと別のところにできる。つまりいろいろな機能が空間的に分化している。こういうことだろうと思うのです。
 これに対して日本は重なっているわけです。水野さんの御報告にあったいろいろな機能というのも、分ければこういうことですけれども、実は相互にかなり支え合っているところがあると思います。生産の側面と交流の側面と、それから地域の生活水準の向上なり国土保全、コミュニティとしての安全性の確保というのは、実はそういうふうに重なっているわけです。そこに日本やヨーロッパの農山村の特徴があるのだと思います。
 その観点からいうと、農業はその重なりの中のど真ん中に位置しているというところがあると思います。林の場合は多少生産の空間として独立している部分があって、人はその近隣の集落なりにいて、確かにいるのだけれども、また農業生産もあるし、人も訪れることはあるけれども、山は荒れているということは起こり得るわけです。もちろんこれは程度の問題で農業でも起こるわけですけれども、林業の場合には非常に広大な土地を対象にしますので、その辺があるいは難しいかなと思います。ただ、これは程度の違いという気がしないでもありません。恐らく新しく開発された国々の空間保全のロジックなり方法論と、日本あるいはヨーロッパの保全のロジックは根本的にやはり違うところがあると思います。その観点からいえば、林と農の違いというのは程度の違いぐらいだろうと思いますけれども、あえてみつけ出すとすれば多少の違いはあるかなと、こんな感じがいたします。
 
国土は、水土保全機能、新鮮な空気を人間や動物のために提供する他、都会の人の癒し系としての位置づけ等、いろいろな恵みをもたらしてくれている。
 
吉中委員:国土とは一体何なのかと思ったので、広辞苑を開いてみました。「国の統治権の行われる境域、領土、土地、大地」とありました。仏教で言う衆生、「命あるもの、生きとし生きるものの住む領域、世界」というふうになっておりましたけれども、その中で農地、これは弥生時代というか縄文の末期から連綿と続く日本の稲作文化といいますか、そういう水田ですね、水田が先ほどからいろいろお話も出ていますけれども、洪水だとか旱魃を調整して、大水で増水した雨を、河川から一気に海へ流れないように調整をするようなダムの役目もしているといったような、大変な役割をしている。当然基本的には、いずれ食糧危機は来るものと私は実はほくそ笑んでいるのですけれども、食糧生産の財産ですね、夏場のあの緑のジュウタンといいますか、冷たいさわやかな風を送ってくれたり太陽の熱を吸収したりするといったようなことだとか、秋の稲穂の黄金色といったいわゆる田園風景の美しさ、いわゆる景観ですね。あとは水生昆虫だとかさまざまなバクテリア、微生物をそこで育てて、地球の中のいろいろなかかわりを持たせているという大変な役割を持っているものというふうに思っています。
 河川はもちろん、昔からいいますと、米だとか、木炭だとか、たたらだとかといった水上輸送、交通の大変重要な位置を占めておりましたし、当然水の恵みということでいろいろな農産物を育ててくれますし、古くは洗濯であるとか漁、今でもなりわいとして下流域では漁業をしている人がいます。そういったことだとか、釣りだとか、今アウトドアの遊び、時には暴れ川ともなりますけれども、歴史・文化としての生活との深いかかわりを今でも密接に持っているという河川があります。
 山としては、今でこそ経済としての森林機能としての位置づける価値がないというふうに言われておりますけれども、水源だとか、土砂崩れ、流出を防ぐとか、いわゆる水土保全機能、新鮮な空気を人間や動物のために提供してくれたりとか、あとは登山、山野草とか野生生物、動物、あとは温度調節、いわゆる都会の人の癒し系としての位置づけだとか、いろいろな恵みをもたらしてくれている。
 川も山もですけれども、環境が悪くなれば例えば美しい月見だって日本の情緒というか風情というか、できないでしょうし、そういった魚がいないと川は死んでしまうということで、近いところで言えば数年前、テムズ川がサケののぼらない死の川になっていたらしいのですけれども、人為的な努力でテムズ川にまたサケがのぼるようになった。あそこではいわゆる釣り人のために河川を守るリバーキーパーという職業があるといったようなことも聞いていますので、すごい河川工法も含めて国がやるべきなのだろうなと思いました。
 今、国土の中で、では都市というのは何なのだろうかと思いまして、国土という文字の中での位置づけでは都市が私はわかりません。では、国土がだれのものかといえば、森林を初めとして国土は大きな約束の中で、ある意味では固有の財産でもありましょうし、国が持つ財産ではないかというふうに思いますけれども、最終的には個人のものではなくて国民が共有するかけがえのない財産なのだろうというふうに思っています。なぜならば、人間や動植物が生きていくために必要な水や空気をつくるということで、特に森林資源はかけがえのないものだろうというふうに思っておりまして、その疲弊した森林であり農村を、では、だれが守るかというと、やはり住んでいる者では守りきれないところを国が守るしかないというふうに思っております。
 保全すべきものは土地であったり歴史であったり文化であったりということで、無形の財産ということなのかなと。その中で、都市の位置づけがわからない。そういう意味では都市と地方の関係がどうあるべきなのかということと、ここでは都市住民という表現ですけれども、国土保全の担い手という、すなわち農山村の関係だというふうに思っています。
 
吉中委員:あと、やはり国民全体の意識改革がないとどうしようもないということで、その意味では住んでいる者の誇りももちろんですけれども、大人はだめですが、都市住民の正しい認識といいますか、都市に住んでいる方に田舎への感謝の気持ちとあこがれと正しい認識を持ってもらうことが必要だろうと思っております。そういう意味では国民的アイドルの一月とか半年の全国の田舎体験とか、それは国の金である程度見てもらうとか、幼児教育、一番大事なのは都会に住む特に小学校ぐらいの感性の豊かな何でも吸収できる年代の方に、学問的なことも含めて、遊びとかそういう体験も含めた、田舎がなかったら都会は成り立たないということを小学校時代からきちんと、これは全国民的レベルで、教育の場で、いわゆるふるさと教育をやっていくことこそ大事ではないかというふうにも私は思っております。







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