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◎今日の暮らし◎
 今日では、住居はさらに雑居然としている。それは、一九五〇年に発布された士地改革法によるところが大きい。特に厦門では、一九五八年の「私房改造」が影響を与えた。「私房」とは私有家屋であり、これに対するのが国の所有である「公房」である。この政策により、私有家屋の一部が国によって管理され、老朽化した住居を修理して、非血縁者に貸し出されたのである。住居内の分割はそれ以前から起きていたとはいえ、かつてのように所有者の権限は存在しなかった。
 一九五八年の時点で、厦門における私有家屋の割合は、全家屋の四分の三程度を占めていた。そのうち、六割が賃貸されていた。この中には、華僑・華人が所有していたものも多かったのである。
 では、こうした分割により住居にはどのような変化が生じたのだろうか。
 まず、四合院については、それほど大きな変化はなかった。その理由に、もともと分割が可能であったことが挙げられる。また、原所有者が建物を完全に手放すことがなかったことも大きな要因だろう。
 分割される場合、多くは護から分割が進む。次に棟ごと、そして部屋ごとに分割される。しかし、広間が部屋となることはきわめて少なかった。こうした分割は血縁関係のなかで世帯ごとに住んでいた従来の住まい方と変わらない。ただ、非血縁者が住んだということが大きな変化である。したがって、住居内の最低限のプライバシーは保たれた。改築がひどいのは原所有者が残っていない住居の場合である。寝室を広間に張り出して増築され、原形をとどめていないものも見られる。しかし、全体の中では、ほんの一握りに過ぎない。
 一方、街屋は変化が大きかった。特に、厦門では一つの棟で多層化したものが多かったため、階ごとに分割が進んだ。もともと、室内にあった階段は街路から直接上階ヘアプローチできるように街路に面して付け替えられた。こうした変化は社会体制の変化により商業活動が停滞したことも要因であろう。しかし、前方に広間、後方に寝室という空間構成は比較的保たれた。なかには、細かく細分化され間仕切り壁だらけの住居もあるが。
 住居は、このように分割が進んだ。信仰に対する弾圧が和らいだ昨今、祠廟が回復してきているのと同様に、住居の中には祖先や神仙が祀られるようになった。写真(10)(11)現在では、位牌はないが、祖先の遺影が掲げられるのである。もちろん、それは広間に祀られる。かつての住まい方がなされてきたからこそ、可能なのである。街屋のような小さな居住面積の住戸では簡易な壁掛けの神棚が登場する。写真(12)そして、その場所は家族の共有する空間であり、食事や団欒の空間なのである。
 さて、ぼくが留学していた五、六年前はちょうど旧市街の開発が進められているころであった。現地の新聞である厦門日報には毎日のように開発のための移転要請の記事が掲載されていた。街を歩くと、建物にはセンスのない字で殴りつけるように書かれた「拆」の文字が氾濫した。写真(13)「この建物は壊しますよ」という意味だ。
 また、私房改造からすでに四十年が経過している。建物の老朽化も免れられない。そういう建物は「危房」とされる。写真(14)危房とは、倒壊の恐れがある建物である。危房が増えるのにはいくつかの要因が考えられる。まず、住居が国有であるため、住人が自ら修理しようとしないのである。また、私有の場合でも、所有者の多くが海外にいるということだ。つまり、定期的なメンテナンスが行われていないのである。
 拆や危房とされた建物に住んでいる場合、当然移転することになる。ぼくの関心事はやはり、住人が移転することをどう考えているのかだ。結果は、移転を望んでいる人が多かった。それも頷ける。伝統的な家屋の多くは設備の面で遅れているからだ。未だに、便所は馬桶であるし、浴室もない。なかには、街路で水浴びをしている人もいる。写真(15)当然、空調などない。住人が移転を望むのも無理はない。かといって、こうした伝統的な住居が全てなくなってしまうのは惜しい気がする。どうすればいいのだろうか。
 一方、移転先の集合住宅やマンションはどうなっているのだろう。不動産屋を覗くと、「四房一庁」、「三房一庁」という文字が躍る。日本でいうところの、四LK、三LKだ。ダイニングは基本的にない。「庁」、すなわちリビングが兼ねる。間取りは、玄関を入ると庁になる。そして、そこから各部屋に接続する。当然、シャワー、便所も備えている。でも、リビングには祖先が祀られていたりする。
 
写真(10)祖堂に祀られた祖先たち・・・かつては位牌が並べられていたが、文化大革命期に消失した。現在では、遺影が祀られる。
 
写真(11)護の広間に祀られた祖先・・・四合院が分割され、護に住む家族は護の広間に祖先を祀っている。護の広間に祖先を祀る場合、扉と正対する位置ではなく、その四合院の大門からみて奥となる壁に祀られている。
 
写真(12)壁掛け式の神棚・・・近年では仏具屋も多くみられ、こうした壁掛け式のものでも様々な大きさのものが売られている。
 
写真(13)開発により壊される建物・・・拆のお墨付きを頂戴したのならば、その建物の寿命も残すところわずかだ。
 
写真(14)屋根の落ちた危房・・・厦門は台風の通過地点である。この建物は古風で尾根が吹き飛ばされた。台風一過のたびに、危房は増える。
 
写真(15)道端で身だしなみを整える・・・たっぷりと水を汲んだバケツを用意し、街路で頭を洗う。男性の中には、海パン着用で水浴びをする姿も見受けられた。
 
 二〇〇二年秋、ぼくは再び厦門を訪れた。その変化はあまりにも大きかった。厦門島を一周する環状道路が完成し、港町風情あふれる港の姿は大きく変貌した。三回にわたる連載の中で紹介した建物には、すでに現存しないものもある。頑なに入ることを拒まれた住居がなくなっていたりすると、なんかもの悲しい気分になる。
 調査では、見知らぬ外国人であるぼくを住居に快く招き入れてくれ、なかには食事をもてなしてくれた人もいた。彼らの中には現在どこに住んでいるのかわからなくなってしまった人も多い。連載の最後にお世話になった住民の方々にお礼を言いたい。感謝(ガムシャ)、感謝(ガムシャ)!
 
 本連載は、日本科学協会の笹川科学研究助成による研究成果の一部を含んでいる。ここに記して謝意を表したい。
・・・〈都市史〉
 
財団法人日本ナショナルトラストからのメッセージ
昭和初期名邸の保存を喜ぶ・・・竹之下久義
 昭和初期における和洋折衷の名建築として知られ、京都市の指定有形文化財にもなっている故駒井卓博士・静江同夫人の私邸が、今般、所有者である駒井喜雄氏から当財団に寄贈された。ご寄贈の主旨は、「この建物と景観並びに駒井卓・静江夫妻の事績を未来に伝えたい」というものである。次世代に引き継ぎたい貴重な建築物が次々と姿を消していく昨今、文化財としての駒井家住宅がご遺族の英断により後世に残されることとなったことは誠に喜ばしい。当財団では、「駒井卓・静江記念館」として一般公開しつつ、大切に保存していきたい。
 駒井卓博士(1886〜1972)は京都大学で教鞭をとられ、わが国遺伝学の先達であり、昭和天皇に生物学を教授された学者としても知られている。静江夫人は積極的にクリスチャン活動をした先進的な女性であったが、洋行した際の見聞が駒井邸の設計にあたり大きな影響を与えたことが憶測される。
 さて、駒井家住宅は、外観はスパニッシュを基調とした意匠、内部は居間、食堂、書斎が洋風、寝室が和風であることに加えサンルームが階下と2階に設えてあるなど、行き届いた設備と優れたデザインが注目される。腰掛付出窓やステンドグラスなどのハイカラなデザインが随所にみられるかと思うと炬燵や作りつけの箪笥があるなど、生活本位で機能的な設計は、往時、文化住宅のモデルハウスとして注目されていたことを窺わせる。本邸は一九二七年に建築されているが、設計者は米国人建築家W.M.ヴォーリズ(1880〜1964)である。彼は、一九〇五年に滋賀県立商業学校の英語教師として来日した教育宣教師であったが、その三年後に京都に建築事務所を開所して以来、日本全国に教会、学校、社屋、私邸など五百を上回る建物を建築した。ヴォーリズに詳しい山形政昭大阪芸術大学教授は、「ヴォーリズが建築した同時期同傾向の住宅と比較するなかにおいても、現在の駒井邸に認められる静謐で温柔な空間には際立つものがある。それは本邸の立地する環境と建築主の住宅感から導かれた表現であったろうと思われる」と評している。因みに、彼は、滋賀県の近江兄弟社を創設した人でもある。
 なお、本邸は京都市左京区北白川伊織町64にあり、電話予約(075−724−3115)により見学希望者を受付けている。
・・・〈(財)日本ナショナルトラスト専務理事〉
 
編集雑記 『漢聲雑誌』51号からの転載については、発行人である黄永松さんの協力をえて実現した。この特集号をはじめて見たのは十年前のことで、取材で台北を訪れたとき書店で購入した。アジアブームはすでに最高潮を迎え数年を経ていたのだが、伝統的でしかも民俗的な文化を紹介する雑誌は少なかった。そんななか中国大陸まで調査団を派遣し、現地の研究者とともに取材し、その成果を漢聲雑誌でまとめる。デザインも力強い東洋を表現したもので、いつかこのような編集ができたらいいなと願っていた。今回、この夢が半ばかなった。『漢聾雑誌』は英語版から刊行されていたことも今回知った。それは海外の中国研究者に向けての出版であった。私のもう一つの夢は、取材した先のアジアの人々に読んでもらうための多言語版雑誌作りだ。そして読む人、書く人、作る人が自然体に交流できることだ。(眞島







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