二〇〇二年、東チベットの変化・・・野町和嘉
私がチベットヘ集中的に通ったのは、一九八八年から九三年にかけてのことであった。
九四年に集大成の写真集(「チベット−天の大地」集英社)をまとめたことで、その時点で一区切りとしていた。
その後もたらされる様々な情報によって、年とともにチベットが、中国による支配の深みにずるずると引きずり込まれていることが知れた。
なかでも、西チベットの最果てにある、あの聖山カイラスの巡礼基地である標高四七〇〇メートルのタルチェンに、漢人の娼婦が住み着いたという話を聞いたときには、思わずのけぞってしまった。
その噂を耳にしたのは四〜五年前のことであったが、私も昨年、東チベット辺境の町のあちこちで成都近辺から流れてきたという、あっけらかんとした彼女たちと会っている。
侵入してきた異文化が根付く過程というのは案外こういうことなのかも知れない。
また中国当局が、スペインの登山隊にカイラスへの登山を許可したという、耳を疑うニュースが報じられたのは、昨年のことだったと思う。
登山隊は賢明にもそれを辞退したそうだが、人間が登るなぞ到底許されぬ聖山から下山してきた日には、チベット人たちに袋叩きにされたに違いない。
中国では今、西部大開発プロジェクトが大車輪で進行している。
これは沿海部と、開発から取り残された内陸部の経済格差を埋めようとするもので、経済発展により、少数民族の独立志向といった不安定リスクを軽減するのもそのねらいのひとつである。
いずれにせよ中国辺境の開発が国家プロジェクトによって加速されはじめた今、チベットはどんなことになっているのか、久しぶりに見てみたいと思った私は、昨年夏と今年の冬に東チベットを訪れたのである。
二月後半、チベット正月モンラム(大祈願会)で賑わう甘粛省のラブロン寺を訪れた。
チベット文化圏の東北端、中国との境界線上に位置するゲルグ派六大寺のひとつ、ラブロン寺は夥しい数の巡礼者で賑わっていた。
ラサでは、観光目当てにモンラムを開催させようとした当局と僧たちが揉め、それが八九年のラサ戒厳令に到る騒乱へと拡大したこともあって、それ以後、モンラムは一切行われていない。
その点、漢人との交流の長かった東チベット一帯ではトラブルもなく、モンラムは以前から盛大に行われている。
私は八九年のモンラムにこの寺を訪れているが、一三年後に再訪して先ず目に付いたのは、遊牧民たちの身なりの変化である。
氷点下一五度という寒さの中、以前は、ヤクの分厚い毛皮の汚れたコート(チュバ)を着け、阿修羅か餓鬼のような凄まじい形相の男女が憑かれたように参道を巡っていたが、経済的にゆとりができたのか、おおむね服装もきれいになり、表情も垢抜けしていた。
もう一つの変化は、相当数の漢人たちがお参りに来ていることであった。
チベットの寺に漢人が来るなぞ以前はあり得なかったことだ。
昨今の矛盾だらけの経済発展の裏で心が荒んでゆく(すさんでゆく)漢人たちにとっても、信仰は最後の拠り所なのであろう。
ただ、元来それほど深い信仰心を持たず、共産主義支配下で宗教から遠ざかっていた漢人たちには、自前で寺を再建するといった情熱はないのであろう。
度肝を抜かれたのは、祭に群がる夥しい数の中国人カメラマンたちである。
名の知れた祭であるとはいえ、北京や上海あたりからどっと押し掛けてくるなぞ、以前は想像だにできなかったことである。
アマ、プロ入り乱れているが、その大半が、平均的中国人の年収を軽く超す日本製の最新機材を装備しているのである。
カメラマンたちは、着飾った娘や、典型的なチベット老人でも見つけようものなら、稀少動物にでも群がるように、相手の迷惑など眼中になくカメラの砲列で迫ってゆく。
中華思想丸出しというか、少数民族に対する歴史的な偏見そのままの視点であった。
僧侶たちの中にまで携帯電話が普及し始めており、またチベット寺院の門前街頭にも公衆電話が設置されてあった。
そして、なんとそこから、テレカで日本直通コールができるのである。
東京都内での通話かと錯覚させるクリアーな電話の声に感嘆しながらふと路上に眼を移すと、二人の女性巡礼者が挨を巻き上げながら、五体投地で参道を巡ってゆくところであった。
チベットは急激な変化の渦中に晒されていた。
過去に行われた、共産主義の仮借のない弾圧はチベット人たちを結束させたかも知れないが、今押し寄せている、豊かさという甘い蜜に対しては拒む理由など無いのである。
東チベットの遊牧民たちの間にはソーラーパネル電池が普及しつつあった。
現在は夜間に電灯を灯す程度であるが、すぐにカラーテレビが普及し大草原のテントの中でも、北京や上海からの、あのド派手なCFに彩られた衛星放送が視られるようになるはずだ。
実は、多くの家畜を所有する遊牧民たちは、山間の漢族農民よりもはるかに豊かなのである。
チベットでは今、青海省とラサを結ぶ鉄道建設が、二〇〇七年の開通を目指して急ピッチで進行している。
チベット全域で、チベット人全人口六〇〇万であるのに対して、すでに中国人は七五〇万人に達しているといわれる。
◎写真集・・・『サハラ悠遠』『モロッコ』『サハラ縦走』岩波新書カラー版『メッカ」以上岩波書店、『チベット』『メッカ巡礼』『神よ、エチオピアよ』集英杜、『ナイル』情報センター出版局、『ヴァチカン』共著、世界文化社
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