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通信使と頼 山陽(らい さんよう)
 朝鮮通信使の中にはすぐれた学者や詩人がたくさんいました。日本の学者は異国の文化に触れようと通信使の宿舎をたずね、筆談(共通の文字である漢字を書いて会話をする)をしたり、漢詩を交換しあったり、質問しあったりしました。江戸後期の歴史学者で詩人でもあった広島ゆかりの頼 山陽も、朝鮮通信使にあこがれた一人でした。山陽はじかに通信使に会うことはできませんでしたが、対潮楼をたびたび訪れて通信使の漢詩を繰り返し読み、感動しました。
 また、最後の朝鮮通信使が対馬までしか来なかったため、日本の学者や画家はわざわざ対馬にわたり、通信使と交流を深めました。そのときの両国の絵画や漢詩が「観水声画」という書画集に収められています。この書画集の終わりの言葉「跋(ばつ)」を頼 山陽が書いています。この時代を代表する学者・頼 山陽も朝鮮通信使の文化を学んだ一人だったのです。
 
 
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頼山陽の書(福山城博物館蔵)
 頼 山陽が対潮楼を訪れ、朝鮮通信使の詩や書を見て作った詩です。この詩は、通信使の詩に使われた漢字5文字を同じように使って作っています。
 注)の通信使の字を頼 山陽も使っています。
 
 
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「観水声画」書画帖より 通信使の書記の画
 
 
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頼山陽がこの書画帖の跋を書いている。







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