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 アマによる潜水漁の歴史は古く、館山市にある縄文時代遺跡の鉈切洞穴遺跡からは、アワビを海中の岩から引き剥がすための道具で鹿角で作ったアワビオコシが発見されています。3世紀の中頃に中国で書かれた『魏志』の中のわが国のことを述べた部分は、俗に『魏志倭人伝』と呼ばれますが、この中にも海に潜って漁をするアマの存在を記した部分が見られます。また、『日本書紀』の安閑天皇元年の記事の中に、千葉県の夷隅地方の豪族が真珠を貢納することが記されてあり、アマによるアワビ等からの真珠の採集をうかがわせます。さらに奈良時代、平城京跡から発見された荷札の木簡には、房総から海藻類のほかアワビが貢納されたことが記されており、これらを採集したアマの存在を強くうかがわせます。このように潜水による貝漁は古くからあったことが知られます。
 
141. 大日本物産図会 伊勢国鮑採之図
(千葉県立安房博物館)
 
 アマは、海女や海士と表記するように、女性と男性とがあります。副業的な性格を有することから、女性が多く従事していたようです。アマが使う道具には、イソガネのほかに水中メガネや獲物を入れる道具などがあります。水中メガネは、金属の枠にガラスを嵌め(はめ)こんだもので、アマの顔の輪郭に合うようにオーダーメイドで作られました。その形状からヒトツメガネ・フタツメガネと呼ばれます。また、メガネの中には、水中深く潜ったときの水圧を逃がすためにフウシと呼ぶ圧抜きのゴム風船をつけたものもありました。
 
135. ヒトツメガネ(千葉県立安房博物館)
 
133.サガリイシ(千葉県立安房博物館)
 
 アマの作業は、素潜りによって行われますが、そのために海底での漁の時間を少しでも長くする工夫を行いました。サガリイシやフンドンイシは、重さ10数kgあり、潜水する際にこれを抱きかかえて早く海底に到達するものです。主には岩石を使いましたが、後に鉄の塊も使われるようになりました。これにはロープがついており、海上から引きあげて何度も使いました。
 
138. ウケダル
139. タマリ
140. ツイシ
(千葉県立安房博物館)
 
 アマが、海中で採集した貝を作業中に一時入れておくものとしてタマリと呼ぶ網の袋があります。これは浮木としてのウキ(ケ)ダル、重しとしてのツイシからなっており、海上に浮かせて使いました。また、見突き漁は、ミヅキデンマ・キャシャギデンマなどと呼ばれるミヅキブネの上から、浅海底の獲物を獲る漁法ですが、これによっても貝類を採集することが行われました。長い柄を持ったサザエバサミと呼ぶ道具で、海底付近にいるサザエを挟み込んで採集しました。
 
110. サザエバサミ(千葉県立安房博物館)
 
(本吉 正宏)
 
コラム
第三の漁場 ―水田―
 水産資源を得るための場所としては、海が最も多く河川湖沼がこれに次ぎます。かつてはこれに第三の漁場として、水田がありました。農薬を多用する前の水田とその水路は、多くの漁獲物を得ることのできる漁場でした。かつての水郷地帯は、エンマとよばれる水路が用排水路および交通路の役割を担い縦横に走っていました。水田と段差のないこの水路と水田は、ウナギ・ナマズ・ドジョウ・フナ・ムツゴ・タナゴなどの生息域であり、タニシ・ザリガニなども得ることのできる漁場でした。
 この漁場で行われる漁撈は、農作業の合間に行われたもので、ドジョウズはその典型的な漁具です。朝農作業の前に仕掛け、夕方帰りに取り上げる。仕掛ける場所も農作業の内容によって生ずるドジョウの動きにあわせるというものでした。また、かつて水郷地帯の農村で使われていたコシサゲザルはこうした水田における農作業の一部に組み込まれていた漁撈を如実に示しています。コシサゲザルは春の田起こしの時から腰に下げられ、マンノウで起こされた土の中から顔を出したドジョウ・タニシが次々と放り込まれました。田の草取りなどの折々にも目に付いた漁獲物は入れられたのです。
 こうしたことによって得られる漁獲物は一度の量としては決して多いものではありません。また、漁獲物として売買の対象となるものでもありませんから統計に計上されることもありません。しかし、その日の夕餉(ゆうげ)のオカズには欠くことのできないものであり、自給性の高い生活においては重要な生計活動の一部でした。
(大原 正義)
 
コシサゲザル







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