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イカ漁(出漁)
 
 
撮影:昭和40年
 
 
■イカの全盛期―昭和15〜40年の記録―
 泊の前沖は、三陸海岸第一の豊漁地で、7月〜12月頃まで、午後3時半頃、イカ釣り漁船がエンジンの音を響かせ、いっせいに出港しました。
 男性は船に乗り、女性、子供、老人はオカで見送りました。
 イカ釣り漁船には1000kw以上の電球が何十個もつけられ、泊の前沖は何百隻のいさり火で明るく照らされました。エンジン、ラジオ、無線の音が交わり、その情景は一大歓楽街に例えられました。
 一晩漁をした船は、夜明けとともに大漁旗をなびかせ、家族の出迎える港へ帰ります。普通は朝4時頃戻りますが、運良くイカの群れに当たると、出漁から2時間くらいで戻ることもありました。船が港に着くと、エンジンの響きやかけ声が騒然となり、急にあわただしくなります。百姓でも関係なくみんな手伝いに浜に集まりました。中学生も女性も重要な労働力で、リヤカーや背負いかご(もっこ)で船からイカを荷上げし、家まで運びました。
 昭和40年頃までは、中学以上の男子はほとんどが船に乗り、一家の経済負担を担っていました。
 
 
港の様子
撮影:昭和48年
 
 
撮影:昭和46年
 
 
 港がまだ整備されていない頃で、現在のように船を海に係留しておくことができず、基本的に浜に上げていました。なぎの時には、夜の出漁まで、日中ずっと海に浮かべたままにしていました。
 船に縄をかけて、コロを敷いて、人力で、カグラサン(ろくろのようなもの)で浜に上げる作業は1時間以上かかる大変な仕事でした。
 このころは、ほとんどの船が、陸上げするのに都合がいいように、スクリューが上げ下げ出来る造りようになっていました。(上下装置付きの船)また、台ずりするので、船の底の部分がすり減らないように、固いカシの木のスベリを取り付けました。







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