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二席
 
”観光の実験室”モナコ公国に学ぶ観光立国
 
臺 純子
 
キーワード:
モナコ公国(The Principality of Monaco)
観光の発展(Tourism Evolution)
インバウンド・ツーリズム(Inbound Tourism)
 
1. はじめに
(1)研究の背景と目的
 経団連が2000年に発表した「21世紀のわが国観光のあり方に関する提言」1、2001年の東京都による「東京観光産業振興プラン」2、さらに2002年7月に政府が発表した「観光振興に関する副大臣会議報告書」3と、それに基づいて「総合的な観光振興対策の推進」4を目的とした国土交通省の観光に関する事業費1555億円、国費1145億円という2003年度予算概算要求など、21世紀に入り、官民ともに、観光振興に期待・関心が集中している。
 世界各国では、観光を一大産業として位置付け、特に外客誘致のために予算や人材を投入してきたのに比べ、日本が大きく立ち遅れたことは否めず、トラベルジャーナル2002年9月9日号に掲載された表「主要国・地域の公的観光宣伝機関の事業規模」5からも、GDP(国内総生産)に占める観光予算の割合が、ヨーロッパやアジアの主要国と比べて、日本は極端に少ないことが分かる。
 
1 (社)経済団体連合会が、2000年10月17日に発表したもの。1. 産業としての重要性 2. 地域振興 3. 社会の安定化 4. 国際的な相互理解の促進 という4つの柱から、観光の意義と重要性を認め、21世紀におけるわが国観光のあり方を提言している。
2 2001年11月に東京都が発表したA4版で約70ページにも及ぶプラン。千客万来の世界都市・東京をめざして、というサブタイトルの通り、「東京への外国人旅行者277万人を、5年で倍増の600万人にする。」という目標を掲げている。
3 2002年7月4日に発表された報告書。従来、観光が個人の余暇活動であるとして、観光振興が軽視されていたことへの反省を踏まえ、1. 「観光」から「観光交流」への役割・価値の変換 2. 文化・観光大国へのイメージ改革と訪日外国人旅行者誘致の強化 3. 休暇の長期連続化、分散化を通じた日本型長期家族旅行の普及、定着 4. 地域の多様な資源を活用した観光交流の空間づくりの推進 5. 観光振興に関する関係府省の施策の連携・協力の推進が提言されている。
4 主な新規事業内容としては、「ビジット・ジャパン・キャンペーン」(30億円)の実施、外客受入重点地域整備促進事業と外客受入人材育成事業の実施、観光交流空間づくりモデル事業の創設、ITを利用した観光ポータルサイトの整備、連続体暇取得による旅行需要創出のための環境整備(1億円)がリストアップされている。事業ごとの予算規模については、トラベルジャーナル2002年9月9日号、「観光部、3つの柱で概算要求」pp.19から引用。
5 「外客誘致策の真価が問われる」、トラベルジャーナル2002年9月9日号、pp.17中の表。出典はJATA「インバウンド・ツーリズムの拡大に関する提言」。
 
 こうした状況に対して、冒頭のように官民揃って、観光への期待・関心が高まり、予算的な裏づけが得られることは、観光振興の上で、歓迎すべき状況であることは間違いない。さらに政府の総合規制改革会議では、「規制改革特区、構造改革特区」構想の一つとして「国際交流型経済特区」6を議論しているが、これに関連して「カジノ特区構想」が浮上してきた。これは東京や大阪などの大都市や沖縄などにカジノをつくって経済活性をはかろうというアイディアで、カジノ建設は、石原慎太郎東京都知事の選挙公約になっていたこともあり、特に東京都が熱心に、カジノ合法化を国に要請している。
 規制改革特区の法的・実務的課題と問題については、内閣府政策統括官(経済社会システム担当)付総括参事官補佐の白石賢が個人的見解として「規制改革特区の提案を巡る論点について」7を発表し、その中で、具体的に提案されている特区の例としてあげられているカジノ特区については「これは刑法の賭博罪を合法化しようとするものである。刑法の一部合法化についても公営競馬等が許されているように可能であるが、刑法は単なる行政罰ではなく、国民の現在の道徳観を反映していることからその合法化(規制緩和)についてはより慎重な検討が必要」と性急な合法化については慎重な立場を述べている。
 カジノ推進派8がラスベガスを成功事例として取り上げているのに対し、犯罪学の立場からラスベガスについて研究している谷岡一郎は、「カジノをつくったら、「ギャンブラーの落とす金でウハウハ儲かる世界になる」と、正しいとはいいがたい主張を平気でする人がいる。」9と、前述のカジノ推進派とは一線を画し、「むしろ雇用を含めた総合的な経済効果で考えるべき」であるとして、アメリカ・ニュー・ジャージー州のアトランティック・シティを例に雇用効果を試算10している。
 しかしカジノは本来ヨーロッパで始まった。カジノを含めた観光振興について論議するにあたっては、ヨーロッパの事例も研究されるべきであろう。ヨーロッパでカジノを有している国といえば、たとえばモナコ公国が挙げられる。ソウルやプサン、済州島、ケニア・ナイロビでカジノを経営しているパラダイスグループの日本における広告コピーが「モナコでもない。ラスベガスでもない。」であることからも、ラスベガスだけでなくモナコについて研究することは意味のあることと考えられる。
 
6 2002年4月24日の経済財政諮問会議において、有識者議員が提出した地方公共団体の特区に関する構想例の中に、国際交流型経済特区があり、観光ビザ発給要件の緩和、特定免税店制度などが議論されているが、カジノについては言及されていない。
7 JCER DISCUSS10N PAPER, NO.78, pp.8-9
8 石原東京都知事は、「お台場にカジノをつくれば1万人の雇用を創出できる」とし、東京都は既に、臨海副都心の都有地を予定地とした青写真を作成していると言われる。また日本カジノ学会(理事長:室伏哲郎)は30万人の雇用のほか、お台場で1兆〜1兆5千億円、沖縄で5千億〜1兆円というシンクタンクの売上予測を主張、国会議員有志の「公営カジノを考える会」(会長:野田聖子)も発足した。
9 谷岡一郎(2002)pp.51
10 公設民営2軒のカジノで、テーブルゲーム100台、マシン類2000台として、年間収益(粗利益)328億5000万円、ディーラーなどの直接的雇用は1400名、差引き230億円が税引き前利益になると試算している。このほか周辺産業での雇用効果、経済効果にも触れているが、具体的な試算はない。
 
 モナコ公国は、フランス南東部のコート・ダジュールエリア(図1)に位置する、世界で2番目に小さな国であり、1297年以来、グリマルディ家が統治してきた。一般には、現在もカジノで儲かっている国ととらえられているが、その近代・現代史をたどると約150年前に「観光」を国の産業と位置付け、時代や社会の変化の中で、カジノだけでなく様々な観光開発を継続的に行い、「観光の実験室」のような歴史が残されてきた11国である。
 
 
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図1 フランス南東部
出典:Michelin, France, Provence, Cote d' Azur Guideより作成
 
 
 モナコは1789年のフランス革命、さらにナポレオンの登場によって続いたヨーロッパの政治、経済、外交の混乱の影響を受け、1861年、領土の95%を失う事態に直面した。この政治的・経済的な危機を打開するために、モナコが選んだ道が「観光」であった。しかも1861年当時、人口わずか1200人になってしまった国にとっての観光振興とは、国内需要を対象としたものであるはずがなく、すべて外客誘致、つまりインバウンド・ツーリズムであったのである。
 本論文では、約150年にわたりモナコ公国が行ってきた多元的な観光開発を整理し、その中で、カジノの役割についても考察する。これにより、観光が「カジノを造れば儲かる。すべてうまく行く」といった単元的発想ではとらえられない複雑な現象であり、真摯に取り組まなければならない課題であることを明らかにすることが本論の目的である。
 
11 臺 純子(2002)pp.120-121
 
(2)研究の方法
 観光地の発展段階については、商品のライフ・サイクルの考え方を応用したButler(1980)のモデル(図2)が代表的なものと言えるだろう。Butlerは、観光地の発展過程に関して、「探検」「参加」「発展」「完成」「停滞」「衰退」の6つの段階をたどるとしている。そして「特定の観光地を対象とする曲線を描いたり、基礎となる仮設を検証する際の大きな障害は、長期間にわたる観光地への来訪客データを入手することが難しいことである。長期間のデータを入手できる例はまれであり、とくに観光客が訪れ始める初期段階まで遡るということは不可能に近い。」12と述べている。
 しかし、本論で取り上げるモナコ公国は、観光地としてのスタートを切ったのが1856年と特定できること、開発初期から19世紀末までの来訪者数、および1970年代以降のアライバル数のデータがあること。さらに補完データとしてモナコの観光施設である熱帯公園の開業以来の入場者数が利用できることなどから、分析にあたって有効なモデルとなると考えられる。
 
 
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図2 Butler(1980)の観光地の発展モデル
 
 
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12 Butler(1980)/毛利公孝・石井昭夫訳(2002)pp.102
13 S.B.M.は、オテル・ド・パリ(1864年開業)、オテル・エルミタージュ(1900年開業)などのホテル、グラン・カジノを含めたモナコ国内4カ所のカジノ、カフェ、レストラン、ゴルフクラプ、タラソテラピーセンターなどを所有・運営し、売上高20億フラン以上、常勤雇用者3000名前後を抱える。現在は、モナコ公国が株の69%を所有する半官半民の企業となっている。
14 現在のS.B.M.の前身となった民間企業で、1856年に設立された。
 
 同時にモナコ政府観光会議局(本局および東京)、S.B.M.の広報、セールス・マーケティング、歴史遺産部の担当者、さらに海洋博物館、先史人類学博物館、熱帯公園の広報担当者などへのインタビューを行い、統計資料などを入手するとともに、1)来訪者の属性はどのように変化してきたか 2)滞在スタイルはどのように変化してきたか 3)それに対応してどのような取り組みを行ってきたかなどを聞き取り調査した。
 モナコヘの来訪者の属性変化、滞在スタイルの変化についての分析資料としては、様々な写真集、モナコがアーティストに依頼した観光ポスター、映画、文学作品なども用いた。時代背景や社会背景など、より広範な考察を行うために、主にヨーロッパ貴族のライフスタイル、あるいは社会動向、世相背景などについて参照する資料、文献を収集するとともに、モナコに滞在したことのある有名人の自伝、伝記なども参照した。
  





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