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私はこう考える【イラク戦争について】

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


2003/04/21 朝日新聞朝刊
周到に弱体化、一気に決着(検証・大統領の戦争 その戦略)
 
 フセイン政権の24年間の独裁体制は、圧倒的な米英の軍事力を前に、3週間であっけなく崩れ去った。意表をつく作戦、ハイテク兵器の大量投入、従軍メディアによる戦場中継と、従来の常識を破る「新しい戦争」だったが、大勢の市民を巻き添えにし、命を奪った。開戦から1カ月がたったイラク戦争を、4回にわたって検証する。
◆奇襲 米、「破滅的反撃」封じる 圧倒的軍事力変わらず
 圧倒的な軍事的優位に立ちながら、米英軍は「奇襲」にこだわった。
 ブッシュ大統領が設定した最後通告期限の切れる前に、北部などへ特殊部隊を投入(Sデー=イラク現地時間3月19日)、フセイン大統領らを直接狙った限定攻撃で戦争開始を宣言(Dデー=同20日)、おおかたの予想を覆して大規模空爆より前の本格的な地上戦に踏み切った(Gデー=20日)。そして「衝撃と恐怖」の大規模空爆(Aデー=21日)が続いた。
 「彼ら(イラク側)が想定したのは、『第2次湾岸戦争』だったと思う。長い空爆の後に地上戦がくると」。ラムズフェルド米国防長官は15日、イラク側の予測を超えた「スピードと柔軟性」こそが、短期決戦のカギだったと強調した。空爆開始後39日目に地上戦に突入した湾岸戦争とは全く異なる手順を、今回の米英軍は踏んだ。
 地上戦の主力と米が頼む陸軍第4歩兵師団は、Gデーの当日は地中海にいた。当初は同師団がトルコ経由でイラクに攻め入り、クウェートから侵攻する第3歩兵師団とともにイラクを南北から攻める計画だった。しかし、トルコの拒否で仕切り直しを余儀なくされた。
 第4師団の到着を待たずに、地上戦を始めた。ラムズフェルド国防長官の唱える「スピードと柔軟性」が、湾岸戦争時のパウエル統合参謀本部議長(現国務長官)のうち出した「常に相手を圧倒する兵力を投入する」軍展開理論を、押しのけた瞬間だった。
 フランクス米中央軍司令官は開戦後、軍事作戦の目的としてフセイン政権の打倒、大量破壊兵器の除去、油田の確保など8項目を掲げた。国防総省は、イラク復興の財源を奪う油田の破壊や、ダムの決壊、人間の盾を使った市街戦など、イラク側の「破滅的戦術」に関する情報を得ていた。いまだ見つからないものの、イラク側が生物・化学兵器を使う可能性があるとみていた。
 圧倒的な兵力が整うのを待てば、破滅的戦術に訴える時間をフセイン政権に与えてしまう。それを許さず、常に相手の一歩先を行く必要があった。「フランクス司令官のやり方だったから、こうした事態は起こらなかった」とラムズフェルド長官は称賛した。
 陸軍第3歩兵師団、海兵隊は、南部の拠点を攻めずに迂回(うかい)し、一気にバグダッドに向かった。
 虚をつかれたイラク側は十分な防衛線を築けず、特殊部隊や空からの支援を受けた米軍部隊がカルバラ、首都の国際空港、バグダッドと、次々に制圧した。
 「圧倒的な戦力」の使用を説いたパウエル理論は、効率性を高めたラムズフェルド理論によって葬り去られたのか。
 ブルッキングス研究所のオハンロン上級研究員は「ラムズフェルド理論は軍事技術面で、新たな分野に踏み込もうとした。パウエル理論と矛盾するものではなく、延長線上にある」と指摘する。
 今回の米英軍は湾岸戦争時の地上軍50万人より少ないものの、地上軍10万人を含め約30万人、米空母も湾岸戦争の6隻に準じる5隻を投入した。特殊部隊は、9千人以上が投入されたとみられる。精密誘導弾の使用比率は湾岸戦争時の1、2割から7、8割に達し、地上軍に空からの攻撃を加えれば「圧倒的な戦力」に変わりはなかった。
(ワシントン=石合力)
◆イラク精鋭隊 指揮系統断たれる
 米英軍に比べて戦力で劣るイラク側に、通常の戦闘では勝ち目はない。最精鋭の共和国特別防衛隊がバグダッドで市民を盾にした接近戦に持ち込み、米兵と市民に被害を出そうとする――。米軍事専門家らのほぼ一致した見立ては結局、実現しなかった。特別防衛隊は、どこに消えたのか。
 首都防衛に当たる特別防衛隊は、4旅団で推定1万5千〜2万5千人。反乱鎮圧などの治安維持も担当する部隊で、忠誠度が最も高いとされた。対戦車、対空ミサイルや暗視装置を持ち米英軍の脅威になるとみられた。
 しかし、戦略国際問題研究所(CSIS)のコーデスマン上級研究員は、「湾岸戦争後の経済制裁で武器の更新ができず、精鋭部隊の装備でも欧米の基準から見れば陳腐化していた」と指摘する。
 米陸軍第3歩兵師団は首都攻防戦の中で、特別防衛隊の本部とみられる大統領宮殿を制圧。戦闘車両やT72型戦車など60両以上を破壊した。
 米軍は、イラク指導部や同防衛隊の拠点など指揮命令系統を徹底的に空爆した。組織的な行動がほとんど取れず、メンバーの大半は首都に潜伏したとみられる。
 ブルッキングス研究所のポラック中東研究部長は、イラク側が今回(1)軽武装の民兵が群衆の中から攻撃する「ソマリア」型(2)米英軍に接近したうえで自爆攻撃で損害を与える「パレスチナ」型――の2手法を使おうとしたと分析する。米軍やイスラエル軍を苦しめた実績のある戦法だ。
 ただ、イラク国民に盾になる忠誠心はなかった。大統領自身、共和国特別防衛隊以外を身近に配置しなかったのは、部隊の反乱を恐れていたためだといわれる。
 「殉教(自爆)攻撃」の志願兵としてイラク入りした外人部隊も、組織的な行動はほとんどなかった。本格的な戦闘を経ずに「不戦敗」した形の共和国特別防衛隊員らは、いったん地下に潜り再編を図る計画だったとも伝えられる。政権の崩壊で、その可能性はほとんどなくなった。
(ワシントン=石合力)
◆第7騎兵隊 英雄神話、姿重ねて
 地上戦で米陸軍の先陣を切り、砂漠を疾駆したのは「第7騎兵」の名を冠した部隊だった。実は、一頭の馬もいない。米西部開拓史の悲劇の英雄「カスター将軍」とともに散った隊の伝説が、「新しい戦争」を推し進める米軍に引き継がれている。敗戦の記憶と結びつく名の部隊を、先駆けにしたのはなぜか。
 3月20日、クウェートからイラク南部に侵攻した米陸軍の一番やりを務めたのが、「第7騎兵連隊第3大隊」だった。その戦車が砂漠を行く映像を、CNNの従軍記者が生中継で世界に伝えた。2日間で150キロ以上進み、作戦の力点だったスピードを見せつけた。
 「騎兵」も「連隊」も今や現実を反映しない。第2次大戦後、馬を使う騎兵科は正式に廃止された。連隊自体に司令部はなく、各大隊は別々の師団の下にある。実態はほぼ、別組織の集まりだ。
 米陸軍はそれでも、全軍を引っ張る立場の部隊に、「第7騎兵」の名を継がせてきた。
 第2次大戦で、日本攻略へ向けたルソン島などの制圧作戦に第7騎兵は参加した。北ベトナム軍との初戦闘(65年11月)でも、主力だった。
 原点は、先住民との戦いにある。1876年、第7騎兵隊を率いた「カスター将軍」は、リトル・ビッグホーンで包囲されて戦死、隊はほぼ全滅した。敗軍の将にもかかわらず、「カスター」は悲劇の英雄として、米国史に名をとどめている。第7騎兵の名も、勇敢さの象徴になった。
 「新しい戦争」の現代も、それは変わらない。「海外駐留の米軍は、新たな米国のフロンティア(開拓前線)に臨む騎兵隊なのだ」。ウォルフォウィッツ国防副長官らが参加した新保守派研究集団の01年の提言「国防の再生」は、世界に「第7騎兵」の活躍の場を求めているようにも読める。
 「おれたちはカスターみたいだった」。イラク南部・ナーシリヤ付近で3月23日に待ち伏せ攻撃されて捕虜になり、4月13日に解放された陸軍整備中隊の米兵は、戦闘の様子をそう話した。
 米国軍事史の心理的な側面に詳しい社会学者、クリス・ヘブルスグレイ氏は「米兵はしばしば自分たちを、悪い敵に取り囲まれた『被害者』と位置づける」と指摘する。第7騎兵の名が引き継がれている理由も「『自由のために、勇敢、高潔に戦う』という米軍の神話を象徴しているからだ」とみている。
 第7騎兵の歴史はしかし、栄光の挿話ばかりではない。朝鮮戦争中の50年7月に韓国中部の老斤里(ノグンリ)で「米兵が避難民多数に無差別発砲、虐殺した」事件を起こしたのも、名を冠した大隊だった。
 事件が表ざたになった99年、米軍が公式に調査した結果は「北朝鮮兵が潜んでいるのではないかと恐れた兵士が、パニックに陥って発砲した」。「遺憾の意」表明だけで謝罪はなかった。
 イラク各地でいま、自爆テロを警戒する米兵に住民が撃たれる事件が相次ぐ。歴史は、ここでも繰り返されている。
(ワシントン=梅原季哉)
◆湾岸後12年 開戦直前に本格爆撃
 開戦6日前の3月14日、イラク西部の対空レーダー施設2カ所に米軍機2機が精密誘導爆弾6発を落とした。それまで、米英軍はイラク上空を監視飛行し、対空レーダー照射などを受けた「対抗措置」として空爆を繰り返した。だが、この日の空爆は決定的に違っていた。
 空爆に参加したのは、それまで監視飛行を繰り返してきたF14、F15戦闘機ではなく、多くの爆弾を搭載できるB1戦略爆撃機だった。標的はH3飛行場。米軍は開戦直後の3月21日、この飛行場を押さえた。
 イラクの戦力をそぐ「作戦」は開戦の12年前に始まっていた。
 91年の湾岸戦争後、米英はイラク南北に飛行禁止空域を設け、イラクの制空権を奪った。イラクは戦車や作戦機の半数を湾岸戦争で失い、経済制裁で新たな武器や部品輸入の道も断たれた。
 同年6月に始まった大量破壊兵器の国連査察で、米国は情報機関職員を査察団に送り、イラクの基地や兵器開発に関する情報を収集した。
 クリントン政権は96年に飛行禁止空域を一方的に拡大。98年にイラク解放法に署名し、政権転覆を長期目標に据えた。同年12月にはイラクによる査察妨害を理由に政権中枢施設、南部の石油精製施設、テレビ中継施設を空爆した。
 ブッシュ大統領も就任直後の01年2月、「イラクの防空能力を低下させる」としてバグダッド郊外を空爆した。アフガン戦争後、対イラク戦に照準を合わせた同政権は昨年9月、監視飛行中の空爆対象を、イラクの防空施設から、指揮・命令系統に拡大した。
 イラクは昨年11月に国連査察の再開を受け入れた。今年2月には、米国のU2偵察機の飛行を受諾し、ミサイル「アッサムード2」の廃棄にも着手させられた。
 米英機の空爆は今年に入って頻度が高まり、開戦前の3月だけで10回を超えた。同月9日付の米紙ワシントン・ポストは「南部の固定目標はすべて破壊した」とする米空軍幹部のコメントを紹介した。
 イラクの空軍機は湾岸戦争後、旧ソ連製の戦闘機ミグ23など旧式の約300機になり、老朽化と訓練不足が深刻化。12年間続いた南北飛行禁止空域での監視飛行と空爆で制空権、防空施設の大半を失った。
 司令官の多くも湾岸戦争後に粛清されたとみられる。開戦直前までの査察でミサイル「アッサムード2」は、72基を廃棄させられた。査察に参加した米軍のU2偵察機で国内は丸裸同然。長年の経済制裁で現場の装備も士気も低いまま、超大国の侵攻を受けた。
(沢村亙)
◆死者数 イラク側、全体像不明
 9日午前11時、バグダッド北東部のサダムシティー郊外に暮らすファラハン・ムラヘッジさん(44)の自宅が、爆音とともに崩れた。息子のアハメッド君(7)は、下半身が押しつぶされて入院。妻は記憶を失った。家にいた子ども5人が、行方不明のままだ。
 約60人が3月28日の爆発で死んだと伝えられる市北西部のアッシュウラ市場。住宅街の真ん中に、八百屋など約200店舗が軒を連ねる。
 衣料品店経営のアリ・ナジャさん(33)は大きな爆音と激しい揺れを感じた。約10メートル先の路地から黒煙が上がっていた。外にいた母(50)と妹(7)、弟の妻(18)が死んだ。
 当初、米軍の誤爆と伝えられたが、真相は明らかではない。アリさんは「戦争は、私たち家族とは関係ない。周りに軍事施設もないのに、どうして死ななければいけなかったのか」と話した。
 「人類の歴史上、戦争で民間人の犠牲を完全に避けられたことはない」
 米中央軍のブルックス准将は、記者会見でイラク側の死者数を質問されると、「歴史上」という言い回しを使い、回答を避け続けた。米英軍側の死者の情報と対照的に、イラク側は全体像も明らかになっていない。
 米軍は91年の湾岸戦争でも敵の死者数を公表しなかった。米中央軍のフランクス司令官は、アフガン戦争時に「死者数は数えない」と断言した。
 米軍が敵の死者数を出さない背景には、ベトナム戦争での苦い経験があるとされる。同戦争では、戦闘のたびに部隊から敵の死者数が報告された。ところが、戦況を優位に見せるため、バラバラになった体の一部を1人と数えたり、民間人犠牲者を兵士に含めたりする部隊があったという。
 公式発表は信用されなくなった。米側を大きく上回ったベトナム側の死者数が、反戦機運を刺激したともいわれる。この教訓から「死者数を集計しないと政治的に決定した」と米ピッツバーグ・ポスト・ガゼット紙は指摘する。
 14日発売の米タイム誌はしかし、米国防総省が非公式にイラク側死者数を計算し、イラク兵1万人以上、民間人約2千人とみていると報じた。フセイン政権崩壊前の4月3日までにイラク政府が発表した民間人死者は1250人を上回った。
 メディア情報からイラクの民間人死者を計算している国際的市民プロジェクト「イラク・ボディー・カウント」によると20日現在、死者は最少で1878人、最大で2325人だ。
 道路封鎖が解かれ、墓地に運び込まれる遺体が増えている。タイム誌のインタビューに、軍事専門家ウィリアム・アーキン氏は「(本当の犠牲者数がわかれば)我々はこの戦争が起こした大虐殺にぼうぜんとするだろう」と話している。
(山根祐作、バグダッド=塚本和人)
○米軍車、スピーカーで心理戦 投降要求を挑発、夜通し大音量
 戦車や戦闘車両とは違うが、戦場で威力を発揮したのが、大型スピーカーを屋根に積んだ米軍の小型軍用車だった。
 米陸軍の心理作戦チームの車両で、イラク兵に投降を呼びかけたり、侮辱の言葉で挑発しておびき出したりするのに用いられた。夜通し大音量を流して「敵を眠らせない」作戦も。
 夜間の戦闘では、戦車のエンジン音をスピーカーで流し、驚いて銃撃や砲撃を始めたイラク軍部隊の陣地を無人偵察機で察知。米軍が圧倒的な火力で反撃した。イラク軍は、米軍に対して組織的な攻撃をするたび、自軍の位置を知られて壊滅的な反撃を受ける「モグラ叩き」に苦しんだ。
 
 
 
 
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