2003/04/17 朝日新聞朝刊
@paris 仏のイラク戦争・戦後論理(日本@世界)
船橋洋一
「国境なき医師団」の生みの親であるベルナール・クシュネル元保健相が、私も属するある国際NGO(非政府組織)のためにフランス上院でレセプションを催してくれた。
クシュネル氏はフランスの識者では珍しく国連の大量破壊兵器査察ではなくサダム・フセイン体制を打倒せよと主張した。「戦争に賛成したのではなくサダム・フセインに反対したのだが、戦争賛成と受け取られ、黒いメールをどっさりもらった」と言って、笑った。非難の電子メールのことだ。
フランスは一貫して、イラク戦争に反対した。シラク大統領は最後までその姿勢を崩さなかった。ただ、「最初はともかく国連第2決議には拒否権を発動すると声高に言ったのは外交的には失敗だった」とクシュネル氏は厳しい。「シラクはブレア(英首相)のように必死になって米国を説得しようとはしなかった。国連、国連と、国連の大切なことを力説するが、それでは機能しなくなった国連をどうするのか、どのように改革しようとするのか、伝わってこない」
その後、このNGOグループの一員として、外務省高官と意見交換した。
高官はイラクの民族、宗教、部族の分裂がすさまじく、それが戦後再建の大きな課題となるだろう、と指摘した。
「クルドのシーア派と南部のシーア派ではずいぶんと違う。シーア派でもクルドはクルドだ。そういうことを全部考えておかなくてはならない」
「バスラに行くと、ちょうど昔のベネチアのように何世紀にわたって敵味方で戦ってきた古い家族が存在する」
ここでの治安維持がいかに難しいか。「アフガニスタンを見るがよい。いまだにカルザイはカブールから外に出ることができず、24時間、米兵の警護の下に置かれている。武器とカネを与えれば、それで治安が固まるというわけではないのだ」
戦争同様、戦後建設でも重要なのは「正統性」だ、と高官は力説した。
「シーアの指導者がロンドンから帰ったところで殺された。チャラビ(イラク国民会議代表)もワシントンから帰ったらやられないという保証はない。イラク国内には彼らを指導者とすることの正統性を疑う人々がいる。フランスの歴史でも、外国に逃れた国王が軍隊とともに帰国しても、国民がそれに抵抗したという例は多い」
国連の関与はこの「正統性」と深くかかわる。
「大量破壊兵器問題でも国連を巻きこまないと米国が困るのではないか。もし、大量破壊兵器が発見されたと米国が主張しても、イスラムの人々は信じないだろう。やはり国連が必要なのだ。国連を使うことが米国の国益にもかなうはずだ」
「米国が中東への民主主義の拡大をそれほど大切にするのなら、世界のガバナンスの民主主義の表れである国連をもっと大切にしてほしい」
だが、米国はいまのところ聞く耳を持たない。
「昨年の9月から12月まで、米国とは外交と対話を進めた。毎日、4回も7回も協議した。それが今年の1月には止まってしまった。米側が戦争のタイムテーブルに入ってしまったためだ。いまでは米国と対話するのはものすごく難しい」
「家族内のもめ事があったときは、一番余裕のあるものが先に折れてこそ片づくものだが、それがねえ・・・」と高官の副官は漏らした。
ただ、今回の戦争では「地球規模での大亀裂は走らなかった。今日の世界で主要な心配事は、キリスト教世界対イスラム世界という文明の衝突だが、それは起こらなかった。それが不幸中の幸いだった」と高官は言った。
フランスが、イスラム側の言い分も十分に聞いて、それを代弁したからこそ、防げたのだという自負のようなものがそこにはのぞく。
「イスラムの反米、反西欧の感情はますます強まっている。国際政治に、文化的、文明的要素がからみついてくる。そうした問題を軍事力だけで解決しようとするのは無理がある」
イラク戦争も戦後も、フランスはフランスの論理で臨んでいる。国連安保理常任理事国の権益、石油利権、国内のイスラム人口対策といった生理以上の論理を構築しようとしている。
それにしてもシラク大統領をあそこまで突き動かしたものは何なのか。
レセプションの席で、何人かのフランス人にその点をただした。私が反射的にうなずいてしまったのは、シモーヌ・ベイユ元欧州議会議長の返事だった。
彼女の答えはただ一言。
「フランス」
(本社コラムニスト column@asahi.com)
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