2003/04/10 朝日新聞夕刊
問われ続ける「大義」 フセイン体制崩壊
外報部長・亘理信雄
バグダッドで引き倒されるフセイン像を、米テレビの映像は東欧民主化の際のレーニン像にたとえるように繰り返し流した。しかし、ベルリンの壁が崩れるのを見た私には、とても二重写しにはならない。
確かに、抑圧からの解放を喜ぶ姿は同じだ。しかし、決定的なことが違う。東欧で吹き荒れたのは、ほとんどが無血の、しかも、民衆による民主化だった。
今回は、流血による体制の転覆である。
フセイン像を民衆が倒そうとしたが、果たせず、倒したのは米軍車両だった。それは、「戦争による民主化」を象徴していた。
なぜこの戦争が必要だったのか。その「大義」は、いまだに見えてこない。
米国のもともとの狙いは、大量破壊兵器にあったはずだ。「ならず者国家からテロ組織に渡らないように」と、ブッシュ大統領は国連安全保障理事会にはかることを決め、イラクに廃棄を迫った。そして、国連による査察を通じて実現させる可能性が残っていたにもかかわらず、武力行使に踏み切った。
戦争をしながら、これを正当化する理由を探した。その大量破壊兵器が見つからないと、目的は「フセイン政権打倒」へと揺れた。
民衆は、米英軍を「解放者」として心から歓迎しているだろうか。これも、危うい。
中東の紛争の核にあるパレスチナ問題で、米国はあまりにイスラエル寄りだ。この構図を変えずに駐留を続ければ、いずれアラブ世界の抑圧者として意識されるようになり、むしろテロの火をあおるだろう。
イラク戦争はそもそも、米国にとって同時多発テロの悲劇を繰り返さないための国際テロに対する戦いの一環だったはずだ。それには国際的な協力が必要なのに、国際社会を割ってしまった。
「テロ後の世界」に、ブッシュ政権は新しい秩序を作ろうとしている。「テロの脅威はやられる前に取り除け」と、圧倒的な軍事力を背景に初めての予防戦争を仕掛け、イラクをねじ伏せた。
しかし、力と大義が一体にならないまま始まったこの戦争には、一国主義の独善にはまり、泥沼化する危うさがつきまとう。
それを防ぐには、中東和平にもっと真剣に取り組まなければならない。なによりも、イラクの再建にあたって、国連の役割を強めることだ。国際社会と協調し、米国の力と大義を一致させてこそ、対テロ戦争は成果を上げるはずだ。
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