79年7月 |
フセイン大統領就任 |
80年9月 |
イラン・イラク戦争始まる |
88年3月 |
イラク、北部ハラブジャでクルド人に対し化学兵器で攻撃 |
8月 |
イラン・イラク戦争停戦 |
90年8月 |
イラク軍がクウェート侵攻。湾岸危機始まる |
同 |
国連安保理が対イラク経済制裁を決定 |
91年1月 |
多国籍軍が空爆。湾岸戦争開始 |
2月 |
イラク、クウェート撤退表明。ブッシュ(父)大統領が停戦表明。湾岸戦争終結 |
3月 |
イラク全土で反政府暴動発生 |
4月 |
イラクに大量破壊兵器廃棄を求める国連安保理決議687採択。イラクが受諾 |
同 |
多国籍軍がイラク北部(北緯36度以北)に飛行禁止空域を設定。米英軍が監視飛行開始 |
6月 |
国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)がイラクで最初の査察活動 |
92年5月 |
クルド地域で自治政府成立 |
6月 |
反体制派のイラク国民会議(INC)が発足 |
8月 |
米英仏、イラク南部(同32度以南)に飛行禁止空域設定 |
93年1月 |
米軍がトマホークミサイルでバグダッドの核関連施設を空爆 |
94年11月 |
イラク、クウェートの主権と国連が定めた新国境を承認 |
95年3月 |
イラク、UNSCOMに生物・化学兵器に関する情報を開示 |
8月 |
フセイン大統領の娘婿フセイン・カメル工業鉱物資源相と弟の軍将校サダム・カメル氏がヨルダンに亡命 |
10月 |
フセイン大統領、信任を問う初の国民投票で99%以上で信任され再選 |
96年2月 |
ヨルダン亡命のフセイン・カメル氏と弟が帰国、殺害される |
3月 |
湾岸戦争後初の総選挙でバース党が圧勝 |
5〜6月 |
バグダッドの主力生物兵器工場、UNSCOM監視下で解体 |
12月 |
国連の「食糧のための石油」計画が開始。 |
同 |
フセイン大統領長男ウダイ氏暗殺未遂事件 |
98年1月 |
イラク、米国主導を理由に査察団の退去要求 |
2月 |
アナン国連事務総長がフセイン大統領と会談し、無条件の査察再開で合意 |
10月 |
イラク、UNSCOMの全査察を拒否。クリントン米大統領の軍事制裁への言及を受け、無条件での受け入れを表明
|
12月 |
バトラーUNSCOM委員長、国連安保理に「イラクが査察妨害」と報告 |
同 |
米英軍、査察妨害を理由にイラクを空爆。査察体制崩壊 |
99年12月 |
国連安保理、国連監視検証査察委員会(UNMOVIC)設置と査察再開の要求、条件つき経済制裁緩和の決議。イラクは拒否 |
01年2月 |
米英軍、バグダッド近郊を空爆 |
1月9日 |
査察団、安保理に中間報告。「大量破壊兵器の開発・存在の決定的証拠はない」 |
27日 |
査察団、安保理に「大量破壊兵器保持の決定的証拠はないが、廃棄に応じていない」との報告 |
2月5日 |
パウエル米国務長官が、安保理での報告で機密情報を開示。衛星写真や軍幹部らの会話盗聴記録などよりイラクの隠蔽(いんぺい)工作を指摘。イラクの決議違反を非難 |
14日 |
査察団、安保理への追加報告で「イラクの協力はまだ不十分」としつつ、査察継続を要望 |
24日 |
米英とスペインが武力行使に向けた新決議案を安保理に提出。対抗して仏独とロシアは査察の強化と継続を求める覚書を提示 |
26日 |
ブッシュ大統領、イラクの民主化を進めることで中東全体の平和と安定に影響をもたらすとする「イラク民主化構想」を示す。戦後のイラクへの長期駐留も辞さない考えを表明 |
27日 |
UNMOVICのブリクス委員長の定例報告の草案が明らかに。イラクの協力は「非常に限定的」とする一方、「協力があっても査察には時間がかかる」との判断 |
3月1日 |
イラク、ミサイル「アッサムード2」の廃棄を開始 |
7日 |
査察団、イラクの査察協力を評価しつつ、生物・化学兵器の廃棄努力求める安保理報告 |
16日 |
米英スペイン首脳、緊急会談。外交努力を17日に打ちきることで合意 |
17日 |
米英スペイン、修正決議案取り下げ |
同 |
ブッシュ大統領、イラクのフセイン大統領に48時間以内の亡命を求める最後通告演説 |
20日 |
イラク戦争開戦 |
4月9日 |
フセイン体制が崩壊 |
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