2003/03/27 朝日新聞朝刊
世界が縮こまる危険 イラク戦争(社説)
戦場からの情報に市場が一喜一憂している。思い起こすのは、ワーテルローの戦いでナポレオンが敗れたことをいち早く知って英国の公債を買い、大もうけしたネイサン・ロスチャイルドの逸話だ。
ナポレオンの敗北は英国による覇権の確立、さらには英国を軸とする経済のグローバル化へとつながった。だが、イラク戦争は米国を軸とする今のグローバル化の流れを逆行させる効果をもつかもしれない。
多くのエコノミストが心配するイラク戦争のリスクは、戦争が期待に反して長期化することで、米国の個人消費や設備投資が鈍り、それが世界経済に不況をもたらすことにある。
また、長期化によって米国の戦費が膨らみ、貿易と財政の「双子の赤字」が拡大することで金利の上昇やドルの下落が起きるという不安もある。
米英軍による攻撃が始まってからすでに1週間。首都バグダッドでの市街戦という重大な局面を前に、短期終結シナリオに込めた期待は、実際薄れ始めているようだ。
1カ月程度で米国が勝利すれば、戦争がなかった場合よりも米国経済は成長する。多くの市場関係者が語ってきたそんな筋書きは、現状を見る限り、楽観的すぎるものだったかも知れない。
しかし、戦争がさほど長期にわたらなかった場合でも、世界経済はより深いところで深刻な事態にいたる可能性がある。
戦争が世界を様々に分裂させ、それが貿易や投資、旅行といった経済活動を戦後も長期間にわたって縮こまらせることだ。
この戦争をきっかけにアラブ・イスラム世界には反米運動が広がっている。その結果、そうした地域にある米国や米国に加担した国の企業の工場、店舗は大きなリスクを負ってしまった。
例えば、米国流グローバル化の象徴であるマクドナルドだ。かつて米国の著名なコラムニストは、マクドナルドの店があれば「人々は戦争ではなくハンバーガーを求め、列に並ぶだろう」と豪語した。
今、パキスタンの街ではその看板が民衆によってたたき壊されている。
米欧の亀裂が、米国内でのフランスワインの不買運動のような経済対立や貿易紛争を激化させる恐れもある。世界貿易機関を舞台にした交渉もきしむだろう。
そして、戦争によってテロが誘発されれば、鈍っている米国の消費や投資意欲は一気に立ちすくんでしまうだろう。
「貧困を減らし、貧困による紛争を防ぐ唯一の道は経済のグローバル化だ。残念だが、9・11以降の世界ではそれができなくなった」。国際通貨基金のカムドシュ前専務理事はそう語る。
グローバル化には貧富の差の拡大という負の側面もあるが、恩恵もたくさんある。この戦争がグローバル化の利益をいかに損なうかを、今の市場は計算していない。
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