2003/03/20 朝日新聞朝刊
@washington ブッシュの戦争(日本@世界)
船橋洋一
ブッシュ米大統領が最後通告演説をした17日の午後、米上院議員会館ハート・ビルでダニエル・イノウエ上院議員(ハワイ州、民主)に会った。
議員は、いつもの人なつっこい笑顔を浮かべながらも、その点になると神妙になった。
「結局、戦争に突入だ。大変、残念だ。力及ばず、全くの少数派に終わった」
大統領にイラクへの武力攻撃の権限を与える米上院決議案では、反対票を投じた。反対は100人のうちわずか23人にすぎなかった。
「私が政界に入った50年前は、議員の50%は戦闘の経験があった。戦争とは死であり、破壊であり、血であることを、その恐ろしさを体で知っていた。いま、そういう経験を持っている議員は数えるほどしかいない」
議員は、第2次世界大戦中、欧州戦線で勇名をはせた日系人部隊442連隊に属し、戦闘で右腕を失った。
「今の戦争は標的は目に見えない。画像でとらえるだけだ。最近は、非戦闘員を殺傷することを副次的災害とか何か文明的に言うのが流行のようだが」
12年前の湾岸戦争でも多くの非戦闘員が殺された。議員は、非戦闘員の大量殺傷の危険と米国とイスラム諸国の間の宗教・文明の衝突の危険の二つをイラク戦争反対の理由に挙げた。
イノウエ議員と同じように投票で反対した長老議員が、ロバート・バード議員(ウェストバージニア州、民主)である。
バード議員は「米国にとって脅威と見なされるというだけで、主権国家を一方的に先制攻撃する権限を白紙で与えるのは国連憲章上だけでなく米国憲法上も問題だ」と指摘する。
そもそもホワイトハウスがこの決議案を、昨年秋の中間選挙の1カ月前に議会に求めてきたことからして「共和党の党派政治と大統領の思い上がり」と痛烈に批判する。
ハート・ビルからインディペンデンス通りを抜けるところでパトカーが何台も並び車が動かなくなった。米国はこの日、テロ警戒態勢が、2番目に危険なオレンジ状態に入った。
夜、ブッシュ大統領の演説を聞いた。
「宣戦布告をしない見えない敵の時代に、第一撃を待ってから行動するのは、自衛ではなく自殺である」
大統領の心象風景には、9・11テロの恐怖がオレンジ色と赤色のまだら模様に焼き付いているようだ。見えない敵の攻撃を防ぐにはこちらが先制攻撃をかける以外ない。敵の攻撃を待ってからでは遅すぎる――イラク戦争は、結局、この先制攻撃論に依拠して行うことになった。
ただ、米国がそれを使えば、他のどの国もそれを使う権利を主張するだろう。そうなれば、暴力を飼いならし、力の抑制と均衡を図り、国際法規を守り、国際機構をつくる、そのように積み上げてきた文明を根底から突き崩すことになる。テロから文明を守ると言いながら文明をうがつことになる。「見えない敵」に冷戦時代の抑止力が効かないことは確かとしても、これまでのルールと慣行と知恵をかなぐり捨てていいということにはならない。ここに、この戦争の最も危険な深淵(しんえん)がある。
米国にとって「謙虚さ」が必要と口癖のように言っていた大統領が、いまでは悪には先制攻撃も辞さないという善と悪の審判者として世界に臨もうとしている。
「権力の驕(おご)り」を感じざるを得ない。イラク戦争を歴史も状況もまるで違うベトナム戦争と単純に比較したくはない。しかし、上院外交委員長としてベトナム戦争に反対したウィリアム・フルブライトの『権力の驕り』(1966年)を読み返しながら、私は彼がまるでイラク戦争について語っているかのような錯覚を覚えた。例えば、次のようなところ。
「戦争は、利害得失の合理的な打算よりむしろプライドと苦痛の非合理的な圧力と関係して起こる」
ブッシュの戦争は、冷戦後の勝ち誇ったプライドと9・11テロ後の傷ついたプライドによって突き動かされている。
「(米国は)そのパワーは神の恩寵(おんちょう)であり、その自画像に合わせて他国を造り替えたいとの考えに傾きやすい」
この戦争を善と悪の戦いと見なしがちなブッシュの戦争の背後に沸き立つ宗教的熱情への懸念を覚えるのは私だけではないだろう。
「わが国が、人間性に対する厳しい、高慢な教師としてでなく、共感に満ちた友人としての役割を果たすことを希望する」
この言葉を、いまの米国の国民にぜひかみしめて欲しい、と祈るばかりである。
(本社コラムニスト yfunabashi@clubAA.com)
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