2003/03/20 朝日新聞朝刊
かくも割に合わぬ イラク戦争(社説)
ブッシュ米大統領の最後通告に対して、イラクのフセイン大統領は徹底抗戦の決意を表明することで応じた。
米英による攻撃開始に向けて無慈悲に時が刻まれていく今、世界の人々が祈るのは、とにかく戦争の犠牲者が一人でも少なくすんでほしいということであろう。
米国が国連を見切ってでも開戦を急ごうとしたのは、「幸運なシナリオ」と呼ばれる筋書きへの自信があるからだ。
短期間の戦争でフセイン政権は崩壊する。イラク市民や米兵の死傷者は少ない。民主的な親米政権のめどもつく。油田の被害は軽く、世界経済への悪影響は少ない。かくて、来年秋の大統領選挙でブッシュ氏が国民的な支持を得て再選される。
あらゆる面で戦争のコストは最小限に抑えられるというわけだ。
米英軍とイラク軍の力の差は歴然である。戦闘は短期で終わるという見方が多い。だが「フセイン後」のイラクを新しい政権の下で安定させるという究極の目的が短期で円滑に達成できるとは考えにくい。
イラクはもともと複数の民族が入り組んだモザイク国家だ。まして、米軍がイスラム教徒のイラク国民の心をつかむことは戦争に勝つことよりも難しい。
500万人の市民が密集する首都バグダッドで市街戦となれば、おびただしい数の市民が死傷するだろう。
米軍側に多数の犠牲が出れば米国民の厭戦(えんせん)気分を誘い、大統領にとっての政治的コストも跳ね上がる。
多くの研究機関が戦争の経済的コストをはじいている。1カ月程度で終わるなら米国や日本への悪影響は軽微だが、もっと長くなると、成長率を押し下げ、マイナス成長の恐れもあるという読みが大勢だ。
ブッシュ氏は議会に対して戦争の遂行や戦後処理をまかなうために千億ドル(約12兆円)規模の補正予算を求める。小泉首相は復興への支援を表明している。日本にもひとごとでないコストだ。
米国経済への影響について、経済学者ポール・クルーグマン氏は、戦争で外国からの投資が減ればドルは下落し、膨張する財政赤字の手当ても難しくなると警告した。
戦争に伴ってテロが起きれば経済活動の委縮は避けられまい。
しかし、米国にとってこの戦争の最大のコストは、世界の盟主としての価値が減じたということではあるまいか。
ニューヨーク・タイムズ紙は18日付の社説で、国連からも大事な同盟国からも支持を得られなかったことを「ここ数十年で最悪の外交的失敗」と評したうえで「ブッシュ政権は米国の栄光を無駄に捨てようとしている」と批判した。
フセイン政権は確かに葬れるだろう。だが、そのコストはとても高い。ブッシュ氏がまさに開始ボタンを押そうとしている戦争が割に合うとは到底思えない。
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