2003/03/02 朝日新聞朝刊
単純に過ぎる「民主化」 イラク戦争(社説)
イラクに対する開戦準備を整えつつあるブッシュ米大統領が「イラクを解放し平和を達成する」ことを通じて、アラブ世界の民主化をめざすと言明した。
米政府は、たとえ攻撃容認の国連決議がなくても戦争に踏み切るといっている。なぜそれほどフセイン体制打倒が必要なのか。そうした疑念への新たな答えだ。
大量破壊兵器の拡散の芽を摘み、国際テロという直接の脅威をたたきつぶすだけでは足りない。価値観の異なるイスラム社会の体質を変えていかなければならないということだろう。
大統領は戦後の日独両国に「米国は憲法と議会を残した」とも述べた。占領からの民主化は可能というわけだ。
第1次大戦でオスマントルコ滅亡後の中東地図を塗り替えた英仏両国にならおうとするかのような気負いも感じられる。
イラクをはじめ中東には独裁国家がいくつもある。王族が石油収入でぜいたく三昧(ざんまい)するサウジアラビアのような国もある。
だから苦しむ民衆に民主主義を吹き込む、というのは理念としてはいい。テロ集団への憎しみもわかる。
だが、イラクを制圧すれば中東の民主化に道が開けるというのは、余りに単純過ぎる考え方ではないだろうか。
イスラム教が深く根を下ろした地域である。異教徒が乗り込んできたとしか受け止めない人がいるだろう。民主化を説いても、政治と宗教を分けることはイスラム法の冒涜(ぼうとく)だと考える人に通じるだろうか。
9・11のテロ事件後、米国ではイスラム教徒への監視が厳しくなった。イスラム教徒はこれを敵視だと感じ始めている。
アラブ世界に広がる反米意識の底にあるのがブッシュ政権の親イスラエル政策だ。パレスチナの流血を放置し続けてきた米国に、どれだけの人が信を置くだろうか。
民衆の不満はイスラム革命を口実に使う国際テロをも勇気づけかねない。
米国は変わった。12年前の湾岸戦争ではクウェートを解放した段階で兵を引き、中東諸国の民主化には手をつけなかった。非民主的な政体には目をつぶり、石油を確保する。それが現実的な国益だった。
今は違う。テロを生む土壌が政教一体のイスラム的な国家体制にあるとみる。事なかれ主義では安全は守れない。それがブッシュ大統領側近たちの考え方だ。
民主主義と自由の担い手として、米国は冷戦時代から今日まで国際秩序づくりに決定的な役割を果たしてきた。世界の多くの人々もそんな米国にあこがれてきた。
だが、いま民主主義の大義を掲げて、何が何でもイラク攻撃を優先しようとする米国に世界が首をかしげている。
民主化に向かう道は一つではない。それぞれの国の歴史、宗教や伝統によって民主主義のありようも違う。いかに力があろうと、米国は全能ではない。
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