2003/02/18 朝日新聞朝刊
イラク戦争に反対する 大詰めの安保理協議(社説)
米国主導の対イラク戦争に反対する声がかつてない規模で世界に広がっている。
この戦争にどれほどの正当性、必要性があるのか。どれだけの血が流れるのか。その結果、世界はどうなるのか。新しい世紀を迎えて2年、戦争の世紀だった20世紀と同じ誤りを繰り返すことにはならないか。深い疑問と不安が世界を覆っている。
○この戦争は正当性を欠く
ブッシュ米政権が武力行使を急ぐ理由としているのは、イラクが12年前の湾岸戦争後も数々の国連決議に違反して大量破壊兵器の開発、保有を続け、政権を打倒しない限り脅威は去らないということだ。
このままでは中東は安定せず、イラクの兵器が国際テロ集団の手に渡れば世界に惨害をもたらすだろうともいう。
確かに、イラン・イラク戦争や湾岸戦争、国内のクルド人に対する毒ガスの使用を振り返るまでもなく、フセイン大統領は信頼できる相手ではない。今回の査察に対する不十分な情報開示や小出しの譲歩なども、大いに疑念を募らせるものだ。
豊かな石油資源を持つ国の国民が為政者の野心のために恩恵を享受できない状態を、いつまでも続けさせてはなるまい。
しかし、だからといって、いま戦争という手段でその体制を転覆させなければならない大義名分があるだろうか。
答えは否である。
昨年11月に安保理が採択した決議は、大量破壊兵器の廃棄という義務を果たす最後の機会をイラクに与えた。違反や妨害があれば、安保理が対応を協議する。
決議の趣旨は、査察が行き詰まったときに初めて軍事力の行使という選択を論議すべきだということだろう。米軍の展開という圧力の下とはいえ査察に進展がある限り安易に攻撃を認めるわけにはいかない。
いまのイラク情勢は、最後の手だてである戦争を必要とする段階にはない。
だが、本当の問題はその先にある。ブッシュ政権が安保理が認知しようがしまいが戦端を開く意思を表明していることだ。
9・11のテロは米国を変えた。
抑止と封じ込めでは「ならず者国家」の危険を防げない。いま脅威を取り除かないと、将来はもっと危ない。だから米国は先制攻撃の権利をもつ。これがブッシュ政権の姿勢だ。
米国民の不安と警戒心はわかる。しかし先制攻撃は、侵略に対する自衛と安保理が軍事力の行使を認めた場合しか戦争を認めていない国際法秩序への挑戦である。米国の論理を許せば「自衛のための先制攻撃」が多発することにもなりかねない。
この戦争は、湾岸戦争やアルカイダとタリバーンを駆逐したアフガニスタンでの戦争とは異なる戦争なのだ。
○テロの拡散を恐れる
先端兵器を駆使した戦闘によって、フセイン政権は短期間で崩壊するかもしれない。だが、標的はバグダッドだ。多くの市民が犠牲となるだろう。
しかも、戦後の姿が見えない。米政府は民主的で中東安定の軸となるような新政権を期待する。戦後の日本と同様にある期間占領した後、主権を回復させる道筋を考えているという。
しかし、それは楽観的に過ぎる。
占領がイスラム世界に屈辱感を与え、「聖戦」という名のテロを拡散させる。そんな悪夢が現実になるかもしれない。
米国やその協力国への攻撃をイスラム教徒に呼びかけた「ビンラディンの肉声」とされる録音テープが放送された。米国対イスラムの対決をあおり、テロを世界にまき散らそうとするテロリストの術中にはまってはならない。
最近の米国市場は、イラク戦が近いという情報が流れると、株が下がり、ドルが売られる。戦争が大きな財政負担になるだけでなく、その後のテロの日常化が経済活動を委縮させるとみているからでもある。
米国はすべてのテロを撲滅するという使命感に燃えているように見える。その気負いは、「ベトナムが赤化すれば、アジア全体が共産化する」と、ベトナム戦争に介入していったころを思わせる。
○世界を分裂させてはならぬ
軍事力がいかに強大であっても、人々の心をつかめない戦争は、その最終的な目的を達成することはできない。
9・11後の世界の不幸は、米国とそれ以外の国々の間で、脅威感や同盟のありようをめぐる溝が余りに深くなってしまったことだ。その象徴が米欧の亀裂である。
米国がこのまま突き進めば、世界は様々な形で分裂していくだろう。戦争に反対する市民と戦争を遂行する政府。戦争を懸念する「古い欧州」と楽観する「新大陸」。イスラム世界とキリスト教世界・・・。
国際社会が本腰で取り組むべきは、戦争によらずにイラクの大量破壊兵器の脅威をなくすことだ。それは可能である。
フセイン政権が続く限り、査察によって大量破壊兵器をすべて見つけだして廃棄するのは難しいかもしれない。だが、査察を強化し、常時監視する態勢を整えれば、その脅威を封じ込めることはできる。
フランスが提案しているように、査察団により強力な権限を与えることも必要だろう。そうした査察は兵器のテロ組織への流出を防ぐことにも役立つ。
米国が世界の多くの人々にとってあこがれと尊敬の的であるのは、自由な風土や多様な文化に引きつけられるからだ。おおらかさを失い、軍事力を振り回すだけの国になったら、ただの「帝国」にすぎない。
この戦争は米国にとってさえ、理も益も乏しいといわざるを得ない。
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