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2002/11/25 朝日新聞朝刊
イラク攻撃に不参加方針 独、米単独主義と一線
アフガニスタンやバルカン半島に派兵し、国際的な安全保障に貢献してきたドイツが、「対イラク攻撃には参加しない」という。これで対米関係は戦後最悪になったが、9月の総選挙でシュレーダー政権は勝利した。世論の支持を背に、ドイツはどこに軸足を置き始めたのだろう。
(ベルリン=古山順一)
「米国から何の要請もないうちに首相は勝手に『ノー』と言い始めた」。野党、キリスト教民主同盟(CDU)の外交問題スポークスマン、プリューガー連邦議会(下院)議員は「ドイツの孤立を招いた」と首相をこきおろした。イラクに大量破壊兵器の査察を認めさせたのは、軍事行動をちらつかせた国際社会の圧力で、最初から脅しを否定したドイツは「蚊帳の外」だったという。
確かにシュレーダー首相が選挙戦終盤でイラク攻撃に「兵も金も出さない」と言い出したのは唐突で、与党、社会民主党(SPD)幹部も「選挙戦略」と認める。だが、フセイン政権打倒を狙う米主導のイラク攻撃が、中東和平への全体構想を欠いているとする首相の指摘を支持する声は野党にも多い。プリューガー氏は「イラクに攻撃部隊を送れ、というわけではない」といい、戦闘部隊を派遣しないという点では与野党に差はなかった。
○湾岸に軍駐留
「イラク攻撃不参加」は選挙公約にもなり、ドイツが戦闘部隊をイラクに送ることはないと多くの安全保障専門家はみる。しかしSPDに近い国際政治・安全保障研究所のバートラム所長は「首相はほかの参加の仕方まですべてを排除したわけではない」という。
昨年11月からの米主導の対テロ軍事行動支援では、クウェートに生物化学兵器の探知機能を持つ特殊装甲車部隊50人を駐留させている。91年の湾岸戦争時にも同様の装甲車が米英、イスラエル軍に供与された。イラク攻撃が始まっても駐留を続ける可能性がある。
また、米軍のドイツ内の基地使用と上空通過は91年に認めており、今回も認める可能性は大きい。さらにフィッシャー独外相が最近、対イラク攻撃が終わった後に、平和維持を目的にイラクへの展開が想定される国際部隊へのドイツの参加を示唆した。戦闘参加の代替案として、安全保障関係者は注目している。
○米への指摘か
ドイツの海外派兵は、中道保守のコール前政権時、94年の連邦憲法裁判決で手順が決まった。それまでも北大西洋条約機構(NATO)枠内で軍を動かしてきたが、NATO域外の派兵について連邦議会の事前承認を条件に認めた。
シュレーダー政権になって99年のユーゴスラビア空爆、コソボの国際部隊参加と拡大した。対テロ戦参加をめぐって世論が割れたとき、「軍事介入しないという戦後ドイツの原則」(首相)に敏感な世論に対し、首相は「米国への限りない連帯」と同時に「冒険はしない」と説得した。
今年初めのブッシュ大統領の「悪の枢軸」発言以降、米国の単独行動主義に対する警戒心がドイツに強まっている。「冒険しない」に重心を移そうとしている。
「対イラク戦争は中東の将来にとって思慮ある行動ではない、とドイツ国民や欧州が感じている。シュレーダー氏はそのことを米国に指摘しようとしたのではないか」。バートラム氏はシュレーダー氏のそんな意図も指摘する。
○可能な貢献で対米修復図る ベルリン米欧安全保障情報センター所長・オトフリート・ナッサウアー氏
――首相の「対イラク攻撃不参加」の真意は。
ドイツには日本と同様、第2次世界大戦の結果として侵略戦争を禁じた憲法がある。国連憲章と深く結びついており、国連安保理決議に基づく紛争への貢献や参加しか認めていない。90年の東西ドイツ統一条約でも確認され、国際法や国連憲章に基づかない限りドイツは紛争に関与できない。
国連決議は各国の主権を尊重し、決議があったから自動的にドイツは参加しなければならない、というわけではない。とはいえ、首相発言は国連決議に基づくイラク攻撃を全面否定したわけではない。フィッシャー外相の発言などを追うと、首相と外相はイラクへの攻撃段階には参加しないが、戦後の平和構築に参加する余地を残している。
――連邦軍の海外派遣は限界か。
1万人近い兵士を世界の異なる場所に派遣し、それ以外に国内の指揮系統や支援部隊が動いている。能力いっぱいだ。さらに数千人の兵士を派遣することは難しい。
――アフガニスタンの国際部隊への増派を計画しているが。
オランダと協力して国際治安支援部隊(ISAF)の指揮をとるためで、数百人増派するだろう。悪化した対米関係を修復するためのクリスマスプレゼントだ。おそらくマケドニアに駐留する独連邦軍も予定より長く駐留するだろう。対イラク軍事行動に直接加わらない代わりに、ドイツは可能な分野での貢献を強めようとしている。
――米単独のイラク攻撃でもドイツ国内の米軍基地は使用できるか。
理論的には「国際法違反」だが、法は法、政治は政治だ。米国が国際社会に受け入れられている限り、禁じることは難しい。これまでも独政府は米軍に基地使用を認めてきた。
――91年の湾岸戦争時と比べ、ドイツの貢献はどう変わるのか。
あっても後方支援であり、当時と同じ程度か。しかし、首相が小切手外交を否定している以上、財政支援はないだろう。
(聞き手は古山順一=ベルリン)
国防・安全保障問題に関するジャーナリストを経て、91年に同僚らとベルリン米欧安全保障情報センターを設立。NATO問題や米欧関係について雑誌などで積極的に発言している。46歳。
○同じ問い、日本の答えは ヨーロッパ総局長・外岡秀俊
この1年の間にシュレーダー首相は2度、賭けに打って出た。初めは昨年11月。アフガニスタンへの連邦軍派遣を決めた。連立政権は割れたが、首相は自らの信任と抱き合わせに議会に承認を求め、過半数ラインを2票だけ上回る僅差(きんさ)で押し切った。
当時の首相の決まり文句は、「米国への限りない連帯」だった。だが今夏の選挙戦で首相は一転、「イラク攻撃に参加しない」と明言し、米政権の神経を逆なでした。
当時はドイツ市民の7〜9割が攻撃に反対だった。二つの「賭け」の間に、世論に応じて豹変(ひょうへん)する抜け目ない政治家像を見ることもできる。だがドイツの安全保障の歴史をたどれば、まったく別の解釈も可能だ。「集団的自衛権から集団安全保障への転換」である。
敗戦後のドイツは55年、NATOの枠内で再軍備を許された。軍事主権を明け渡すことで周辺国の不信を解き、東側との最前線に立つ選択だった。
冷戦期のNATOは、集団的自衛権の行使主体として旧ソ連圏に対する抑止力を持った。だが冷戦後、その機能は大きく変わる。90年代の旧ユーゴ紛争を通じてNATOは、域外への介入姿勢を強めた。
独連邦軍も、94年に憲法裁判所が「域外派兵」を認めて以来、積極的に派遣に向けて動き出した。
それが転換点を迎えたのが9・11テロである。NATOは史上初めて条約5条の「集団的自衛権」発動を決めたが、米国は各国との支援交渉を選び、皮肉にもNATOは存在感を失った。
実はシュレーダー首相がアフガン派兵を急いだ同じ時期、ドイツは国連と共に水面下でタリバーン後の暫定政権を準備し、ボン合意に結実させた。
「アフガンでは二つの戦争が同時進行した。20年余続く内戦と、米国の対テロ戦だ。多くの国が二つを混同したがドイツは明確に区別し、内戦終結に関与した」とボン会議の国連担当官はいう。
多国間の集団安全保障には積極的にかかわるが、米国の単独行動とは一線を画す。シュレーダー首相の言動の揺れは、そうした戦略転換のあらわれと見れば一貫している。
日本では冷戦後、安保条約を通じて対米支援姿勢を強めた。集団的自衛権のみで国際紛争に対処しようとする姿勢は、今のドイツとは鮮やかな対照をなしている。
懸念される対イラク攻撃にドイツは答えを出した。同じ問いは、日本にも向けられている。
■ドイツと日本の国際紛争とのかかわり
(*がドイツでの動き)
| 91年 |
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湾岸戦争。ドイツは多国籍軍に180億マルク(当時のレートで約120億ドル)拠出したほか武器・弾薬などを提供。
日本は多国籍軍に1114億ドル拠出 |
| 92年 |
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国連平和維持活動(PKO)協力法成立 |
| 94年 |
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NATO域外派兵の合憲判決 |
| 95年 |
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ボスニアの和平実施部隊への4000人派兵を議会承認 |
| 96年 |
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日米安保共同宣言。安保の役割を再定義 |
| 97年 |
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新ガイドラインで日米合意 |
| 99年 |
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ユーゴスラビア空爆、コソボの国際部隊に参加。
周辺事態法成立 |
| 01年 |
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米英の対テロ軍事行動支援とアフガニスタンの国際部隊への派兵承認。
テロ対策特別措置法成立、自衛隊が米英海軍に洋上給油 |
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